メキシコ軍がハイチ兵士143人を訓練、ギャング対策強化
15人の女性と128人の男性からなる訓練生は8週間にわたり、個人防衛術や射撃訓練、人権教育を含む基礎訓練を受けた。
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ハイチがギャング暴力の激化を受け軍隊再建を図る中、メキシコ軍による軍事訓練が19日に終了し、143人のハイチ軍兵士が帰国した。
これは両国間の協定に基づくもので、首都メキシコシティ郊外にある基地で行われた。
15人の女性と128人の男性からなる訓練生は8週間にわたり、個人防衛術や射撃訓練、人権教育を含む基礎訓練を受けた。
メキシコ陸軍訓練センターの所長は修了式で、「諸君は軍事知識と肉体的・精神的強さを携え、国民と民主的に選出された政府に忠実に奉仕するため祖国へ帰還する」と述べた。
ハイチの治安は2021年7月のモイーズ(Jovenel Moise)大統領暗殺と同年8月に西部で発生したM7.2の大地震で崩壊し、破壊と暴力が蔓延している。
首都ポルトープランスでは3年ほど前から複数のギャングが地域の支配権をめぐって血みどろの抗争を繰り広げている。大統領のポストは今も空席のままだ。
ポルトープランスの90%がギャングの支配下に置かれ、市内の学校、企業、公共機関はほぼ全て閉鎖。2つの主要刑務所もギャングの攻撃で崩壊し、4000人以上の受刑者が脱獄した。
ハイチ軍は同国の独立以来、国家の政治と社会に大きな影響を与えてきた組織である。ハイチは1804年に世界初の黒人共和国としてフランスから独立したが、独立直後から国内政治は不安定であり、軍はその権力構造の中心に位置してきた。独立を勝ち取った際に組織された軍は、外敵からの防衛というよりも、むしろ国内統治の手段として機能してきたといえる。結果として、軍部は大統領や政権を支える一方で、しばしばクーデターや政変を通じて直接的に政権を掌握してきた。
20世紀に入ると、ハイチ軍は政治介入の度合いを強めた。1915年から1934年にかけて米国がハイチを占領した際、米国は国内の治安維持を目的に「ハイチ憲兵隊」を創設し、これが後の国軍の基盤となった。この時期、軍は国内の警察権も兼任し、治安と秩序を名目に国民を統制する役割を担った。結果として、軍は市民社会から恐れられる存在となり、政治権力の変動に応じてその立場を強化していった。
1957年に権力を握ったフランソワ・デュヴァリエ、いわゆる「パパ・ドック」独裁政権の下では、軍は政権を維持するための手段として利用された。しかしデュヴァリエは軍内部の反乱を恐れ、秘密警察トントン・マクートを組織し、軍の権限を制限しつつ並列的な暴力装置を作り出した。その後も軍は依然として政治に干渉し続け、政権崩壊や権力移行のたびに重要な役割を果たした。
1990年代に入ると、軍の存在が民主化の障害とみなされるようになった。1991年にはアリスティド大統領が軍によって追放され、内戦状態に近い混乱が続いた。その後、国際社会の介入によりアリスティド氏が復権すると、1995年に国軍は正式に解体され、警察が治安維持の役割を担うことになった。これ以降、ハイチには正規の国軍が存在せず、国連平和維持活動や国際社会の治安支援に大きく依存する体制が続いた。
しかし、軍の解体後も国家の治安不安は改善されず、麻薬取引やギャング組織の台頭が社会を混乱させた。このため、一部の国民や政治勢力の間では国軍の再建を求める声が高まった。2017年、モイーズ政権下で国軍は正式に再編され、主に災害救助や国境警備を任務とする小規模な軍として再出発した。ただし、その装備や人員規模は限定的であり、依然として国内治安維持は警察や国際社会の支援に依存している。