エルサルバドルの「ギャング非常事態令」の現状、懸念も
このギャング非常事態令は治安改善という目に見える成果をもたらした一方で、法の支配や人権保障を犠牲にしている。
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エルサルバドルの「ギャング非常事態令」は2022年3月にブケレ(Nayib Bukele)大統領が導入した特別措置であり、同国の治安政策を大きく転換させた制度である。
その背景には、マラス(MS-13やバリオ18など)と呼ばれる凶悪ギャングによる殺人、恐喝、麻薬取引、地域支配などの深刻な暴力がある。
長年にわたりエルサルバドルは世界でも有数の殺人多発国とされ、特に2015年前後には殺人率が10万人あたり100人を超える水準に達していた。
2022年3月下旬に数日間で87人が殺害される事件が発生すると、ブケレ政権は「国家の安全が脅かされている」として国会に非常事態宣言を要請し、与党が多数を占める立法議会はこれを承認した。
非常事態令は当初30日間の時限措置であったが、その後も延長が繰り返され、事実上恒常化している。
非常事態令の下では、憲法上の一部権利が制限される。具体的には、弁護士への即時アクセス権や通信の秘密、集会の自由などが停止され、警察と軍は容疑者を裁判所の令状なしに逮捕できる。
また、拘留期間も通常の72時間から15日以上へと拡大された。この制度に基づき、2025年までに8万人以上が逮捕されたとされ、多くがギャング関係者やその疑いをかけられた人物である。
ブケレ政権はこの徹底的な治安対策を「歴史的成功」と位置付ける。実際、殺人率は劇的に低下し、2023年には10万人あたり2人程度と、中南米で最も低い水準にまで改善した。
市民の多くも治安の回復を実感しており、政権支持率は依然として高い。エルサルバドルは「世界で最も危険な国から最も安全な国へ」と劇的に変貌したとブケレ自身が誇示している。
一方で、この政策には深刻な人権侵害が伴うとの批判も根強い。国際人権団体や国連は大量逮捕の過程で無実の市民が拘束され、弁護士や家族へのアクセスを拒まれたり、収容施設で虐待や拷問が行われたりしていると指摘している。
報告によると、拘置中に数百人が死亡している可能性がある。さらに、司法の独立性が損なわれ、捜査や裁判の適正手続きが著しく制限されている点も問題視されている。
また、ギャングの壊滅が本当に達成されているのかについても疑問がある。大量逮捕で組織は弱体化したが、幹部が潜伏したり、国外へ拠点を移したりする動きもある。経済的基盤である麻薬や恐喝のネットワークが完全に断ち切られたわけではなく、非常事態令が解除された後に再び暴力が噴出するリスクも残る。
このギャング非常事態令は治安改善という目に見える成果をもたらした一方で、法の支配や人権保障を犠牲にしている。
国民の多くは暴力から解放された安堵感を強く抱いているが、同時に、例外状態が長期化することで権力の集中や専制化が進む危険もある。
短期的には「治安回復の成功例」として注目を集めているが、長期的には民主主義の持続可能性や制度的バランスが試される局面にあるといえる。