◎サミア・スルフ・ハッサン副大統領は3月17日に亡くなったジョン・マグフリ大統領(享年61歳)に代わり、大統領に就任した。
3月19日、タンザニアのサミア・スルフ・ハッサン副大統領は3月17日に亡くなったジョン・マグフリ大統領(享年61歳)に代わり、大統領に就任した。
2月27日以来公の場に姿を見せていなかったポピュリストのマグフリ大統領はコロナウイルスに感染したと噂されていたが、真偽は不明。政府によると、死因は心不全だったという。
2015年にマグフリ氏のランニングメイトに選ばれたハッサン氏は、昨年の大統領選挙で再選を果たした。タンザニアの憲法によると、大統領が亡くなった場合、副大統領が残りの任期を引き継ぐという。
マグフリ氏は昨年、祈りで国内のコロナウイルスを根絶したと主張したが、今年に入ってその危険性を認め、市民に対策を徹底するよう促していた。
人口約6,000万人のタンザニアは、昨年5月以来コロナウイルスの症例数を公表しておらず、ワクチンを購入する計画も立てていないと伝えられている。ハッサン大統領は現在のコロナウイルスに対する懐疑的な政策を継承するかどうかはまだ明らかにしていない。
ハッサン大統領は2000年の選挙で初当選を果たし、2014年に新憲法を起草する制憲議会の副議長に任命され全国的に有名になった。制憲議会のメンバーによると、ハッサン大統領の穏やかで率直な姿勢は会議の混乱を何度も治めたという。
マグフリ氏とハッサン大統領の性格は正反対と伝えられている。
マグフリ氏は汚職を拒絶し政治から無駄を省くことで市民の支持を集めたが、反対派の野党議員や関係者を力でねじ伏せ非難されることも多々あった。
ハッサン大統領の政府スタイルはマグフリ氏と同じく市民ファーストだが、思慮深く思いやりがあると信じられている。副大統領執務室でハッサン氏と働いていたある国会議員は以前、同氏を「タンザニアで最も過小評価されている政治家」と呼んだ。
ハッサン大統領はマグフリ氏に忠実だったと伝えられているが、失敗や圧力を恐れなかった。
2005年、ザンジバル島で労働・ジェンダー・子供たちの大臣を務めていたハッサン氏は、若い女性が出産後に学校に戻ることを禁じる島の規則を覆した。なお、マグフリ氏は本土で同様の規則変更が行われることはないと主張していたが、ハッサン氏がこれに反対したかどうかは明らかではない。
2017年、ハッサン氏は暗殺されかけたマグフリ氏のライバル、野党指導者のトゥンドゥ・リス元議員を見舞うためにケニアの首都ナイロビを訪問した。
リス元議員の暗殺任務には国家機関が関わっていると噂されたため、この訪問は関係者と国民に衝撃を与えた。
リス元議員はその後ベルギーに亡命し、昨年の大統領選挙に立候補するために一時帰国したが、大差で敗れベルギーに戻っている。なお、リス元議員は「不正選挙の申し出を却下され、殺害予告を受けた」と述べていた。
ハッサン大統領は3月19日に行われた就任式の中で次のように述べた。
「私は心に傷を負っています。私たちはマグフリ大統領を失い、喪に服しています」
「一緒に立ち、団結する時がきました。私たちは違いを埋め、お互いに愛を示し、自信を持って前に進みます。今は誰かを中傷する時ではなく、手をつないで前進し、マグフリ大統領が目指した新しいタンザニアを建設する時です」
ベルギーで就任演説を聞いたリス元議員はAP通信の取材に対し、「ハッサン大統領には時間がありません」と述べた。
「ハッサン大統領はコロナウイルスに対するアプローチをまだ示しておらず、マグフリ氏の政策を継承する可能性もあります」
「マグフリ氏はコロナ対策で失敗し、科学と常識に逆らい、感染し亡くなりました。ハッサン大統領はコースを変更するのか、前任者の政策を継承するのかを速やかに決定しなければなりません」