大エチオピア・ルネサンスダムについて知っておくべきこと
大エチオピア・ルネサンスダムはエチオピアの「発展の夢」を体現する国家的プロジェクトであると同時に、エジプトにとっては「脅威」であり、アフリカ北東部の最も重要な安全保障問題となっている。

大エチオピア・ルネサンスダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam, GERD)はエチオピア西北部の青ナイル川上流に建設されているアフリカ最大級の水力発電ダムである。このプロジェクトは、エチオピアの長年の夢であった「ナイル川の水資源を自国の経済発展に活用する」という国家的目標の象徴であり、同時に地域外交における最大の火種ともなっている。
ナイル川は全長6600キロを超える世界最長級の河川であり、11か国にまたがって流れる。そのうち、青ナイル川はエチオピアのタナ湖を水源とし、スーダンを経由してエジプトに流れ込み、ナイル川全体の水量の6割以上を供給している。古代エジプト文明以来、この川の恵みはエジプトの農業や社会の基盤であり、現代に至るまで人口の大部分がナイル川流域に依存して生活している。したがって、エジプトにとってナイルの水は「生命線」と呼べるほどの存在である。
エチオピアは長らく、このナイル水系の「供給源」でありながら、自国の利用はほとんど制限されてきた。これは植民地時代にさかのぼる。1929年、エジプトとイギリス(当時の宗主国)は「ナイル水協定」を結び、ナイルの水量利用をエジプトとスーダンに有利に分配し、上流域諸国の開発を制限した。さらに1959年、独立後のエジプトとスーダンの間で締結された「ナイル水協定」により、年間流量の大部分を両国が独占的に配分することが定められた。この協定にはエチオピアを含む上流諸国は一切関与しておらず、結果的にエチオピアは自国の水資源を利用できないという不満を抱き続けた。
この歴史的経緯から、エチオピアは「ナイルを自国の発展に使う権利」を強く主張してきた。特に20世紀後半以降、人口増加と電力不足に悩むエチオピアは水力発電開発に強い意欲を示し、ダム建設計画を構想していた。しかし資金不足、内戦、国際的な政治的圧力によって長年実現できなかった。
建設開始と国内政治
2011年、エチオピア政府はついに大エチオピア・ルネサンスダムの建設を公式に発表した。工事はイタリアの建設会社サリーニ・インプレジロ(現ウェブビルド)が主契約者となり、エチオピアの国営電力公社(EEPCO)が主導した。総事業費は当初約50億ドルと見積もられ、エチオピアは国外からの融資に頼るのではなく、自国民による国債購入や寄付を中心に資金を集める方法を採用した。これは、エジプトや国際金融機関からの圧力を避けるための措置であり、国民的プロジェクトとしての性格を強めることとなった。
ダムの名称に「ルネサンス(復興)」という言葉が用いられたのも、エチオピアが「自国の復興とアフリカの自立」を象徴する事業であることを強調するためだった。当時のゼナウィ首相はこの事業を強力に推進し、国家統合のシンボルとして位置付けた。建設発表のタイミングも「アラブの春」で中東が混乱していた時期に重なり、エジプトが政治的に不安定だった隙を突いたという見方もある。
技術的特徴
GERDは高さ145メートル、全長約1800メートルの重力式コンクリートダムであり、貯水容量は約740億立方メートルに達する。これはアフリカ最大規模であり、世界でも屈指の巨大ダムである。発電能力は最大6450メガワットに達するとされ、完成すればエチオピア国内の電力需要を大きく上回り、周辺諸国への電力輸出が可能になると期待されている。
また、このダムは洪水調整機能を持ち、下流のスーダンにとっては洪水被害を軽減する利点があるとされる。さらに、安定した灌漑水の供給にもつながるとエチオピア側は主張している。ただし、貯水開始時には大量の水を堰き止めるため、エジプトやスーダンに流れる水量が大幅に減少する危険があり、この点が最大の対立要因となっている。
国際的対立:エチオピア、スーダン、エジプト
GERD建設をめぐる最も深刻な問題は、下流国であるエジプトとの対立である。エジプトはナイル川に絶対的に依存しており、農業用水の97%以上をナイルに頼っている。そのため、GERDの貯水によって水量が減少すれば、農業、飲料水、産業全般に壊滅的影響を与えると懸念している。エジプト政府は、エチオピアがダムを「戦略兵器」として利用する可能性すら警戒しており、軍事的手段を辞さないとの発言を繰り返してきた。
一方、スーダンの立場は揺れ動いてきた。当初はエジプト寄りであったが、洪水調整や電力供給の恩恵を受ける可能性があるため、次第にエチオピア寄りに傾いた。ただし、ダムの安全性や急激な水量変動による被害への懸念も根強く、最終的にはエジプトとエチオピアの間で板挟みになっている。
国際社会もこの問題に介入しており、アフリカ連合(AU)、米国、EUなどが仲介を試みてきた。しかし、エジプトは「長期的で拘束力のある協定」を求める一方、エチオピアは「自国の主権と開発権」を強調し譲歩を拒否しているため、交渉は難航している。
貯水と発電開始
2020年、エチオピアは第一段階の貯水を開始した。これにより下流への流量が一時的に減少し、エジプトとスーダンは強く抗議した。しかしエチオピアは発電所の一部が稼働を始め、すでに国内への送電を行っていると発表した。その後も段階的に貯水が進められ、2025年までにはフル稼働を目指すとしている。
この一方的な貯水・発電の開始はエジプトにとって「レッドライン」を越える行為と受け止められ、緊張が一気に高まった。国際司法の場に訴える動きもあったが、決定的な解決策は見えていない。
地域安全保障と地政学的影響
GERDは単なる水力発電施設ではなく、アフリカ北東部の地政学を揺るがす存在となっている。エチオピアにとっては経済成長の基盤であり、国家主権の象徴だが、エジプトにとっては国家存亡に関わる脅威である。このため、一触即発の軍事衝突が懸念されてきた。特にエジプトはシシ政権下で軍事力を増強しており、過去には「空爆も選択肢」といった強硬発言もなされている。
さらに、この問題は大国の思惑とも絡んでいる。中国はアフリカでの影響力拡大の一環としてエチオピアのインフラ開発を支援し、トルコや湾岸諸国も投資や軍事協力を進めている。一方、米国やEUはエジプトとの同盟関係を重視しつつも、地域安定のために妥協を促している。こうした大国間の綱引きが、事態を複雑にしている。
環境・社会的影響
GERDには環境面での懸念も存在する。大規模な貯水によって周辺の生態系が変化し、漁業資源や湿地帯に影響を及ぼす可能性がある。また、ダム建設に伴う住民移転や土地利用の変化も社会的問題となっている。さらに、気候変動の進行によりナイル流域の降水パターンが不安定化すれば、ダムの運用リスクが増大するという指摘もある。
結論
大エチオピア・ルネサンスダムはエチオピアの「発展の夢」を体現する国家的プロジェクトであると同時に、エジプトにとっては「脅威」であり、アフリカ北東部の最も重要な安全保障問題となっている。植民地期以来の不公平な水利用協定、急速に増加する人口と電力需要、そして国家主権と生存権の対立が複雑に絡み合っており、簡単な妥協は見込めない。
エチオピアは「アフリカの再生」を掲げて開発の権利を主張し、エジプトは「歴史的権利」と国民生活を守るために譲歩を拒む。この構図は今後も続き、アフリカ大陸の未来に大きな影響を与えることは間違いない。GERDをめぐる問題は単なる水資源の配分を超え、21世紀の国際政治における「水戦争」の象徴的事例として注目され続けるであろう。