◎チャドの軍事政権を30年以上統治してきたイドリス・デビ・イトノ大統領が反政府勢力との戦闘で負傷し、死亡した。
報道によると、チャドの軍事政権を30年以上統治してきたイドリス・デビ・イトノ大統領が反政府勢力との戦闘で負傷し、死亡したという。指導者の死を受け、政府と議会は解散し、夜間外出禁止令が課され、国境は封鎖された。
国営テレビは4月20日の声明で、息子のマハマト・イドリス・デビ・イトノが暫定大統領に就任したと発表した。
現職大統領の死は、4月11日の暫定選挙の結果が伝えられた翌日に発表された。軍によると、デビ大統領は6期目の当選を決めていたという。
デビ大統領は1990年に発生した武装蜂起後に権力を握り、アフリカサヘル地域におけるイスラムジハード組織ボコ・ハラムとの戦いでは、フランスや他の西側諸国と緊密に連携する同盟国のひとりだった。
国営テレビによると、デビ大統領は戦場で負傷し、最期に息を吹き返したが、力尽きたという。軍は以前、デビ大統領は首都ンジャメナの北数百キロに位置する戦場でファクトと呼ばれる反政府勢力と戦っていると述べていた。
国営テレビが放送した軍の声明によると、マハマド暫定大統領は暫定議会を率いるが、移行期間(18カ月)が終了次第、自由で民主的な選挙を行うという。
チャドの市民は政府のガバナンスの低さと汚職および腐敗に悩まされており、2003年に運用を開始した石油パイプラインおよびその他の石油関連事業の収益は政治家に流れていると伝えられている。
ロイター通信によると、ファクトと呼ばれる反政府勢力との最新の戦闘は4月17日に発生したという。アゼム・ベルマンドア・アグマ将軍はロイター通信の取材に対し、「一連の戦闘でファクトの戦闘員を300人殺害し、150人を拘束した」と述べた。「国軍の死亡者は5人、少なくとも36人が負傷しました」
首都ンジャメナは現在、反政府勢力の攻撃に直面しており、4月19日には市内で混乱が発生し、幹線道路に沿って戦車が配備され、学校は臨時休校になったと伝えられている。
ナイジェリアの弁護士で南アフリカに本拠を置く人権センターのフェロー、アヨ・ソグンロ氏はデビ大統領の死と権力の移行について、「憲法に基づき、大統領の指名および任期は家族ではなく議会で決めるべきだ」と述べた。
マハマド暫定大統領は、アフリカサヘル地域(マリ北部)の国連平和維持活動を支援するチャド軍の最高司令官を務めていた。
軍のベルマンドア・アグマ将軍は市民に落ち着きを求め、20日午後6時に夜間外出禁止令を発効し、国境を閉鎖すると発表した。「困難な状況下にあっても、チャドは平和、安定、そして国家の結束にコミットしなければなりません」
軍は北部で発生したファクトとの戦闘の詳細を公表していないが、当該エリアでの戦闘は終結したと伝えられている。一方、ファクトと思われる反政府勢力は20日の声明で、死傷した政府高官のリストを公表した。「私たちは政府の高官5人を殺害し、デビ大統領を含む高官10人に傷を負わせました...」
グローバル・インテリジェンス・アドバイザーのレイス・アルコーリ氏はAP通信の取材に対し、「軍関係者以外で全体像を把握できている人はいません」と述べた。「政府は軍と反政府勢力の衝突で最前線にいたデビ大統領が負傷したと発表しましたが、この報告を信じる人は少ないでしょう。政府のガバナンスの低さは懸念を引き起こしています」
アトランティック・カウンシルのアフリカ支部代表、キャメロン・ハドソン氏はツイッターに、「デビ大統領が軍のクーデターで暗殺されたという証拠は示されていません」と投稿した。「チャドの市民は軍隊を率いるためには、最前線で火薬の匂いを嗅がなければならないと理解しています」
デビ大統領は数多くの武装反乱を生き延び、西側諸国と協力してイスラムジハード組織との戦いを主導し、最新の反乱まで権力を維持してきた。伝えられるところによると、ファクトは北部の戦場に移動する前に、隣国リビアで武装訓練を受けていた可能性があるという。