パキスタン・カシミール地方で暴動、警察官含む4人死亡、100人超負傷
地元警察はこの衝突で警察官3人を含む4人が死亡、100人以上が負傷したと明らかにした。
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パキスタンが実効支配するアザド・カシミール州のムザファラバードで1日、食料・電力・その他サービスに対する補助金を要求するデモが行われ、数千人が参加した。
現地メディアによると、参加者の一部が暴徒化し、治安部隊と衝突したという。
地元警察はこの衝突で警察官3人を含む4人が死亡、100人以上が負傷したと明らかにした。
それによると、銃や棒を持った暴徒が道路封鎖や略奪を防ぐために配備された警官隊に襲い掛かったという。
地元警察は声明で、「この襲撃により、警察官3人と民間人1人の死亡を確認し、少なくとも8人の警察官が棒や石で頭を殴打され、意識不明の重体となっている」と述べた。
ソーシャルメディアで拡散された動画には、丘陵地帯で抗議者が警察官を棒で叩き、石を投げつける様子が映っていた。
一部のデモ参加者が警察官の制服を引き裂く姿も確認された。警察当局はさらなる死傷者を避けるため、発砲を控えたと主張している。
一部の州議会議員はインドがこの暴動に関与していると主張したが、証拠は示さなかった。
ムザファラバードでは2日前にも同様の暴動が発生し、1人が死亡、30人以上が負傷していた。
地元メディアによると、デモを主催する団体は過去にカシミールの分離独立を主張してきたという。
カシミール地方は南アジアのヒマラヤ山脈西部に位置する地域であり、インドとパキスタンの間で領有権を巡る深刻な係争が続いている。この紛争の起源は、1947年のイギリス領インドの分割と独立にまで遡る。当時、インドとパキスタンという二つの国家が成立したが、カシミールはそのいずれにも属さず、地元の君主であったハリ・シンが統治する藩王国のままであった。
当初、ヒンズー教徒の君主に対し住民の大多数はイスラム教徒であったため、パキスタンへの編入が期待されていたが、ハリ・シンは独立を維持しようとした。しかし、パキスタン側からの武装勢力による侵攻を受けたことを受け、ハリ・シンはインドへの帰属を決断し、インド政府に軍事支援を要請した。インドはこれを受けてカシミールに軍を派遣し、その後インドとパキスタンの間で第一次印パ戦争が勃発した。
戦争は1949年に国連の仲介で停戦となり、停戦ライン(現在の実効支配線)が設定された。これにより、カシミール地方はインド側が「ジャンムー・カシミール州」として大部分を支配し、パキスタン側が「アザド・カシミール州」と「ギルギット・バルティスタン州」を実効支配するという分断状態が生じた。だが、この問題は解決されないまま、以後も両国間では1965年、1971年に戦争が発生し、1999年にはカギル紛争が再燃した。
近年では、2019年にインド政府が憲法第370条を撤廃し、ジャンムー・カシミール州の特別自治権を剥奪したことが、再び両国間の緊張を高める原因となった。これによりインド側支配地域は連邦直轄領に再編され、厳しい軍事統制と通信規制が敷かれた。一方、パキスタンはこの措置を国際法違反と主張し、国際社会に訴える姿勢を強めた。
ジャンムー・カシミール州では今年4月、正体不明の武装集団が観光客に向けて発砲し、26人が死亡、17人が負傷した。その多くがインド人であった。
この事件後、インドとパキスタンの境界で戦闘が発生。本格的な戦争に発展する恐れもあったが、両国は5月10日、米国の仲介を受け、完全かつ即時の停戦に合意した。
このように、カシミール問題は単なる領土紛争にとどまらず、宗教、民族、歴史、国際政治が複雑に絡み合う非常に深刻な対立である。さらに、両国が核兵器を保有していることから、紛争が再び軍事衝突に発展すれば、地域のみならず世界全体への安全保障上の懸念ともなる。和平交渉や国際的仲介の試みも行われてきたが、未だに恒久的な解決には至っていない。