北朝鮮「核保有国としての立場は不可逆的」=国営メディア
北朝鮮は数十発規模の核弾頭を保有していると推定され、その一部は弾道ミサイルに搭載可能と考えられている。
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北朝鮮政府が同国の核保有国としての立場は「不可逆的」であると表明し、米国の「時代錯誤的」な非核化要求を非難した。国営朝鮮中央通信(KCNA)が15日に報じた。
それによると、ウィーンの北朝鮮国連事務所は声明で、「国家の最高かつ恒久的に規定されたDPRK(朝鮮民主主義人民共和国)の核保有国の地位は、もはや後戻りできないものとなった」と述べたという。
KCNAはウィーン事務所の声明を引用し、「非核化を求める米国の動きを内政干渉の挑発的行為である」と批判。核武装を「米国の核の脅威から国を守るための避けられない選択肢」と擁護した。
北朝鮮の核開発は冷戦構造の中で始まり、その後も国際社会との対立の焦点となり続けてきた問題である。朝鮮半島は第二次世界大戦後に南北に分断され、北側はソ連の影響を強く受けながら金日成体制を樹立した。1950年の朝鮮戦争を経て冷戦の最前線となった北朝鮮は、安全保障を最優先とする国家戦略を取るようになった。その一環として核開発は早い段階から検討され、1960年代にはソ連との協力で原子力研究を始めている。
最初は発電や研究を目的とした核技術の導入だったが、北朝鮮は独自に軍事利用への転用を模索した。寧辺(ヨンビョン)に建設された核研究施設はその象徴であり、1980年代には黒鉛減速炉を稼働させ、核兵器の材料となるプルトニウムを生産できる基盤を整えた。この時期、国際原子力機関(IAEA)との摩擦が生じ、核査察をめぐって国際社会の不信感を高めることになった。
1990年代初頭、冷戦終結とともに北朝鮮は孤立を深めた。ソ連の崩壊により経済的・軍事的支援を失った北朝鮮は、核開発を交渉カードとして利用し始める。1994年には米朝枠組み合意が成立し、北朝鮮はプルトニウム計画を凍結する代わりに、米国や国際社会から軽水炉建設やエネルギー支援を受けることになった。しかし、この合意は双方の不信感から次第に形骸化し、2000年代初頭には崩壊した。
2003年、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)を正式に脱退し、核開発を公然と進めるようになった。これに対処するため、中国、日本、韓国、ロシア、米国を交えた「六者協議」が始まったが、北朝鮮は経済制裁や金融封鎖を受けるたびに強硬姿勢を強め、2006年には初の核実験を強行した。その後も2009年、2013年、2016年、2017年と複数回にわたって核実験を実施し、核兵器の小型化や弾道ミサイルとの統合を進めた。特に2017年の水爆実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射成功は、北朝鮮が米国本土を直接狙える能力を持ったことを示唆し、国際社会に大きな衝撃を与えた。
核開発を推進する背景には北朝鮮の安全保障観がある。北朝鮮は米韓軍事同盟や在韓米軍の存在を脅威と見なし、核兵器こそが体制の存続を保証する「最後の盾」だと位置づけている。また、経済的困難や国際制裁に直面する中で、核兵器は外交交渉における唯一の切り札でもある。体制宣伝の面でも、核兵器は「強盛国家」を象徴する要素として国民に誇示されている。
一方で、核開発は北朝鮮を深刻な孤立に追い込んでいる。国連安全保障理事会は2006年以降、段階的に制裁を強化し、石炭や鉄鉱石などの輸出禁止、石油製品の輸入制限、金融取引の封鎖などを行ってきた。これにより北朝鮮経済は大きな打撃を受け、食料不足やインフラの老朽化が悪化している。中国やロシアは一定の支援を行っているものの、全面的な支援はなく、北朝鮮は制裁回避のために不正輸出入やサイバー攻撃による外貨獲得にも依存している。
2018年から2019年にかけては、金正恩と米国のトランプ大統領との間で首脳会談が実現し、一時的に緊張緩和が見られた。しかし、非核化をめぐる要求の隔たりは大きく、北朝鮮は制裁解除を求め、米国は完全な核廃棄を要求するという構図が崩れなかった。その後、交渉は停滞し、北朝鮮は再び核開発を加速させている。
現在、北朝鮮は数十発規模の核弾頭を保有していると推定され、その一部は弾道ミサイルに搭載可能と考えられている。さらに戦術核兵器の開発も進め、朝鮮半島や日本に向けた短距離・中距離ミサイルとの組み合わせで、地域の安全保障環境を不安定化させている。
北朝鮮の核開発は単なる軍事技術の問題ではなく、体制の存続戦略、地域秩序、米中ロなど大国間競争とも密接に結びついている。国際社会は対話と制裁を組み合わせて対応してきたが、根本的な解決には至っていない。今後も北朝鮮が核兵器を放棄する見通しは乏しく、むしろ技術の高度化と核抑止力の強化が進む可能性が高い。このため、北朝鮮の核開発は東アジアの安全保障の最大の不安定要因として、長期的に国際社会を悩ませ続けると考えられる。