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アウンサンスーチー氏、拘束下で健康状態悪化=次男

次男スーチー氏はミャンマーの民主化運動を象徴する政治家であり、その半生は軍政との対立と政治的抑圧の歴史と深く結びついている。
アウンサンスーチー氏(Getty Images)

ミャンマー軍に拘束されているアウンサンスーチー(Min Aung Hlaing)氏の心臓病が悪化し、緊急の医療処置が必要になっている。スーチー氏の次男が5日、明らかにした。

キム・アリス(Kim Aris)氏はロイター通信の取材に対し、「2021年のクーデターで政権を追われて以来、母の容体は悪化しており、約1カ月前に心臓専門医の診察を求めたが、その要請が受け入れられたかどうか確認できていない」と語った。

またアリス氏は「適切な医療なしで、母の心臓の状態を知ることは不可能だ」と述べた。「非常に心配しています。軍にその旨を伝えて以来、母と連絡が取れず、生きているかも分からない状況です...」

さらに、スーチー氏は骨や歯茎の問題も抱えており、今年3月の大地震で負傷した可能性が高いと明らかにした。

アリス氏はスーチー氏と全政治犯の解放を改めて訴えた。

スーチー氏はミャンマーの民主化運動を象徴する政治家であり、その半生は軍政との対立と政治的抑圧の歴史と深く結びついている。

1945年に独立運動の英雄アウンサン将軍の娘として生まれたが、父は彼女が2歳の時に暗殺された。

その後、母キンチー氏が外交官としてインドなどに赴任したこともあり、幼少期から国外での生活を経験した。

スーチー氏はオックスフォード大学で哲学・政治・経済学を学び、イギリス人学者と結婚、2人の子をもうけた。国連事務局などで働いた経歴もあり、国際的な視野を持つ人物として知られた。

1988年、母の病気を看病するために帰国したスーチー氏は、折しも全国規模で高まっていた民主化運動に合流する。

軍政に反対する民衆の声を背景に、国民民主連盟(NLD)を結成して指導者となり、非暴力を貫く抵抗運動を掲げた。

1990年の総選挙ではNLDが大勝したが、軍政は結果を無視して権力を握り続け、スーチー氏は長期間にわたり自宅軟禁下に置かれた。

拘束期間は累計で15年以上に及んだが、彼女は民主化を諦めず、国際社会から「ミャンマーの希望」として注目を浴びた。

1991年にはその非暴力的闘争が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。

2010年代になると、軍政は部分的に民主化を進める姿勢を見せ、スーチー氏は軟禁から解放された。

2015年の総選挙ではNLDが圧倒的勝利を収め、憲法により大統領職には就けなかったものの、「国家顧問」として実質的に政府を主導した。

彼女の存在は長年抑圧されてきた国民にとって民主化の象徴であり、国際社会からも歓迎された。

しかし、政権を担う立場になると、スーチー氏の評価は複雑なものとなった。特にイスラム系少数民族ロヒンギャに対する迫害問題では軍の行動を明確に批判しなかったことで国際的な非難を浴びた。

人権派としてのイメージが揺らぎ、かつての「アジアのマンデラ」と呼ばれた評価が失墜する場面もあった。

とはいえ、国内においては依然として広範な支持を保ち、民主化を体現する存在であり続けた。

2021年2月、国軍が再びクーデターを起こし、スーチーとNLD幹部らは拘束された。彼女は国家機密法違反や汚職など多数の罪で訴追され、合わせて数十年に及ぶ刑を言い渡された。

多くの国際機関や各国政府はこれを政治的弾圧と見なし、釈放を求めているが、国軍は権力を手放していない。現在もスーチー氏は拘束下にあり、その健康状態や自由を求める声は続いている。

スーチー氏の人生はミャンマーの現代史そのものを映し出している。非暴力による民主化の闘士、権力を担う政治家、そして軍政に再び拘束される被害者として、彼女は世界の注目を集めてきた。

その評価は時に二分されるものの、彼女がミャンマーの民主化を象徴する存在であることに変わりはなく、その動向は今後も同国の政治を語る上で欠かせない。

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