◎タイム誌はウィラトゥ氏を「仏教のテロリストの顔」と呼び、イギリスのガーディアン紙は「ビルマのビン・ラーディン」と紹介した。
2018年10月14日/ミャンマー、最大都市ヤンゴンの市庁舎前、アシン・ウィラトゥ氏(Thein Zaw/AP通信)

9月6日、反イスラム運動を扇動した悪名高いミャンマーの民族仏教徒であるアシン・ウィラトゥ氏が刑務所から釈放された。

ウィラトゥ氏は2001年頃から反イスラム運動を扇動し、ラカイン州西部で2012年に発生した仏教徒と少数民族ロヒンギャの衝突で初めて世界的な注目を集めた。ウィラトゥ氏はミャンマーの過激派仏教組織969運動を創設したことでも知られている。

現地メディアによると、今年2月の軍事クーデターで政権を奪取した軍当局はウィラトゥ氏に対する全ての告発を取り下げたと発表したが、取り下げた理由は明らかにしなかったという。オンラインニュースサイトのピープルメディアは、「ウィラトゥ氏は病院で治療を受けている」と報じたが、容体は不明。

ウィラトゥ氏は2019年5月初旬に行った演説の中で、指導者のアウンサンスーチー氏を侮辱し、政府に対する憎悪を煽り、物議を醸した。政府はこの演説を厳しく非難し、その後裁判所は政府に対する暴力・憎悪・軽蔑を煽った罪でウィラトゥ氏の逮捕状を発行した。ウィラトゥ氏は逮捕状を却下し逃亡を図ったが、同年11月に降伏し、裁判を待っていた。

ミャンマー軍のゾー・ミン・トゥン少将はピープルメディアに対し、「事件は終結したため、アシン・ウィラトゥは釈放された」と述べた。事件が終結に至った理由は不明。

ウィラトゥ氏は仏教徒であるにもかかわらず、イスラム少数民族ロヒンギャに対する広範な差別と偏見を扇動し、一部地域の仏教徒の怒りを煽った。

ミャンマー軍は2016年末頃からロヒンギャに対する残忍な掃討作戦を開始し、25,000人以上を殺害し、数万人をレイプした。隣国バングラデシュに逃亡した難民は70万人以上と推定されている。

他の少数民族グループやイスラム教徒も、ウィラトゥ氏とその支持者による民族主義キャンペーンの影響で暴力と差別に直面した。タイム誌は2013年の記事の中でウィラトゥ氏を「仏教のテロリストの顔」と呼び、イギリスのガーディアン紙は「ビルマ(ミャンマー)のビン・ラーディン」と紹介した。

ウィラトゥ氏は、ミャンマー国内における異教徒間の結婚を困難にする法律のロビー活動でも大活躍した。

ロヒンギャの窮状は世界を困惑させ、フェイスブックは2018年にウィラトゥ氏のアカウントを閉鎖した。しかし、同紙は他のソーシャルメディアを使ってイスラム教徒に対するヘイトスピーチを繰り返し、暴力と差別を煽った。

事態を重く見た全国僧侶評議会はウィラトゥ氏に1年間公の場で演説することを禁じたが、強制力のない命令はほとんど機能しなかった。

ウィラトゥ氏は支持者だけでなく軍とも密接なつながりを構築していると見なされていたが、軍事政権発足後に公開されたビデオメッセージの中で、軍当局の刑務所の運営に不満を述べていた。

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