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ブラジル首都で大規模集会、右派の「恩赦」法案に抗議

5人の判事で構成される最高裁判所のパネルは先週、4人がボルソナロ氏の有罪を支持。禁固27年3ヵ月の実刑判決を言い渡した。
2025年9月21日/ブラジル、首都ブラジリア、右派が国会に提出した法案に抗議するデモ(AP通信)

ブラジルの首都ブラジリアで21日、クーデター未遂で実刑判決を受けたボルソナロ(Jair Bolsonaro)前大統領とその同盟者への恩赦の可能性に反対する集会が開かれ、数万人が参加した。

現地メディアによると、全国26州で同様の抗議デモや集会が行われたという。

議会下院(定数513)は16日、議員の逮捕や刑事手続きを困難にする法案を賛成多数で可決。これを受け、法案に反対する左派が抗議を呼びかけた形だ。

この法案は現在、上院(定数81)に送られている。

翌日、下院はボルソナロ派の右派野党議員が支持する法案の早期審議を認めた。この法案は23年1月の暴動への関与で実刑判決を受けたボルソナロ氏、その側近、および数百人の支持者に恩赦を与える可能性がある。

クーデター計画には現職のルラ(Luiz Inácio Lula da Silva)大統領や最高裁判事を暗殺する計画も含まれていた。

5人の判事で構成される最高裁判所のパネルは先週、4人がボルソナロ氏の有罪を支持。禁固27年3ヵ月の実刑判決を言い渡した。大統領経験者が実刑判決を受けたのは初めてであった。

ボルソナロ氏は不正行為を否定。左派と司法が政治的な理由で右派を弾圧していると主張している。

ブラジルが右派と左派に深く分断されるようになった経緯は、冷戦時代からの歴史的対立と、21世紀に入ってからの経済・社会の変動が複雑に絡み合った結果である。

まず、軍事独裁政権(1964~85年)の存在が背景にある。この時代、政権は反共を旗印に左派勢力を弾圧し、政治的自由を制限した。そのため、民主化後のブラジル政治では「軍政を支持・正当化する右派」と「人権や社会的平等を重視する左派」という構図が強調されることになった。

民主化後は中道政党が台頭したが、2003年に労働者党(PT)のルラ大統領が就任すると、左派が政権を担う時代が始まった。ルラ政権は資源ブームを背景に経済を成長させ、ボルサ・ファミリアなど貧困層向けの社会政策を拡充し、国内の格差是正を進めた。これによって貧困層や労働者階級を中心に強固な支持基盤を築いたが、一方で「国家が過剰に福祉に介入し、中間層や富裕層の負担を増やしている」との不満も右派から高まった。

2010年代に入ると状況は変化する。資源価格の下落により経済成長は停滞し、失業率やインフレが上昇した。さらに、PT政権が関与した汚職スキャンダル「ラヴァ・ジャット作戦」が明るみに出て、政権への不信感が拡大した。2016年にはルラ氏の後継者であるルセフ大統領が弾劾され、左派の求心力は急速に低下した。これを契機に、反PT感情が保守・中間層を中心に急速に広がり、「反腐敗」「反共産主義」を掲げる右派が政治の主導権を取り戻した。

この流れに乗って台頭したのがボルソナロ氏である。元軍人であるボルソナロ氏は治安強化や伝統的家族観を強調し、さらに反左派・反エリート的な言動で支持を拡大した。SNSを駆使して中間層や若年層にも浸透し、2018年大統領選で勝利を収めた。彼の登場は、ブラジル政治を「PT型の福祉国家を支持する左派」と「自由市場や保守的価値観を支持する右派」に鮮明に二極化させた。

さらに分断を深めたのが、新型コロナウイルス対応やアマゾン開発をめぐる政策の対立である。ボルソナロ氏は規制緩和と経済優先を唱えたが、左派は公衆衛生や環境保護を軽視していると批判した。このように政策選択の一つひとつが「右か左か」という対立軸で語られるようになり、社会全体の分極化を加速させた。

こうしてブラジルは軍事独裁時代の遺産、資源ブームと格差是正をめぐる対立、汚職スキャンダルを契機とした反左派感情、そしてボルソナロ氏のポピュリズム的手法が積み重なり、今日のように右派と左派の間で鋭く分断されたのである。

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