コロンビア政府、拉致された兵士45人の解放を発表、詳細明らかにせず
コロンビア内戦はイデオロギー対立に始まり、麻薬経済と結びついて長期化し、数十万人の犠牲と数百万人の国内避難民を生んだ深刻な紛争である。
」の戦闘員(Getty-Images/AFP通信)-scaled.jpg)
コロンビア南西部カウカ州で軍の兵士45人が拉致された事件について、政府は8日、この45人全員が解放されたと明らかにした。
軍は兵士たちがリュックサックと小銃を携えてヘリコプターから降り、軍事基地に戻る様子を撮影した動画を公開した。
事件はカウカ州郊外の渓谷で7日に発生。兵士たちはコロンビア革命軍(FARC)から分離した左翼ゲリラの支配地域で600人余りの軍勢に取り囲まれた。
兵士たちは拘束されるまで麻薬取締任務に従事していた。
ペトロ(Gustavo Petro)大統領はX(旧ツイッター)に声明を投稿。兵士たちが解放されたことを確認した。
またペトロ氏は、「民間人が支配する地域のコカ畑を一掃するため、農薬の空中散布を再開する可能性がある」と警告した。
コロンビアは2015年、世界保健機関(WHO)の研究で空中散布に使用される除草剤グリホサートの発がん性が指摘されたことを受け、コカ畑への空中散布を停止していた。
しかし、最近の裁判所の判決では、地域住民との協議や環境影響の軽減策を講じることを条件に空中散布を再開できるとしている。
政府は兵士たちが解放された経緯を説明していない。
コロンビアでは兵士が拉致される事件が相次いでいる。
南東部グアビアレ県では先月末、ゲリラの指示を受けた村民らによって33人の兵士が拉致され、その後解放された。
コロンビア内戦は20世紀半ばから21世紀にかけて長期にわたり続く複雑な武力紛争である。
その起源は1940年代後半の「ラ・ビオレンシア」と呼ばれる自由党と保守党の激しい党派抗争にさかのぼる。
この時期に数十万人規模の死者を出し、国家権力に対する不信や社会的分断が深まった。
その後、1960年代に入ると、農村部の貧困や土地問題、中央政府の統治力不足を背景に、共産主義思想に影響を受けたゲリラ組織が形成される。なかでも有力だったのがコロンビア革命軍(FARC、解散済み)と民族解放軍(ELN)である。
FARCは農民層を基盤に、土地改革や社会的平等を掲げて武装闘争を開始した。一方、ELNはキューバ革命の影響を強く受け、都市ゲリラ戦や石油関連施設への攻撃を行った。
これらのゲリラ勢力に対抗する形で、右派の民兵組織(自警団、後の準軍事組織)が形成され、彼らはしばしば麻薬カルテルや軍部と結びつきながら活動を拡大していった。
こうしてコロンビア内戦は政府軍・左翼ゲリラ・右翼準軍事組織・麻薬組織という多重構造の紛争へと発展していく。
1980年代以降、紛争は麻薬取引と深く結びついた。FARCやELNはコカ栽培地域を支配し、課税や麻薬取引から資金を得て勢力を維持した。
準軍事組織やカルテルもまた麻薬ビジネスを通じて武力を強め、暴力は一層激化した。その結果、民間人が誘拐や虐殺、強制移住の被害を受け、数百万人規模の国内避難民が発生した。
この内戦は単なるイデオロギー闘争ではなく、資源と犯罪経済をめぐる複雑な争いに変質したのである。
1990年代から2000年代初頭にかけて、政府は米国の支援を受けて「コロンビア・プラン」と呼ばれる軍事・治安強化政策を進めた。これにより政府軍の能力が向上し、FARCは次第に勢力を失った。しかしその過程で準軍事組織の残虐行為が横行し、人権侵害が国際的に批判された。
2010年代に入ると、和平の機運が高まった。2012年からFARCと政府の間で本格的な和平交渉がキューバ・ハバナで行われ、土地改革、政治参加、麻薬問題、被害者補償などの包括的な議題が扱われた。
2016年、最終的に和平合意が成立し、FARCは武装解除して政党へ移行した。これにより半世紀以上続いた内戦は大きな節目を迎えたが、完全な終結には至っていない。
その後もELNは活動を続け、FARCから離脱した一部の残存勢力(FARC残党や新ゲリラ集団)が麻薬取引に関与し、治安不安は依然として残っている。
また、土地問題や農村の貧困、社会的不平等は根本的には解決していない。和平合意に基づく再統合政策や被害者救済も進展が遅れ、国民の不満を生んでいる。
コロンビア内戦はイデオロギー対立に始まり、麻薬経済と結びついて長期化し、数十万人の犠牲と数百万人の国内避難民を生んだ深刻な紛争である。
2016年の和平合意は歴史的成果であったが、持続的な平和のためには、武装勢力の完全な解体だけでなく、貧困や格差、土地改革といった社会経済的課題の解決が不可欠となっている。