ギリシャ・アテネで1973年学生蜂起を記念するデモ
デモ参加者は当時の軍政を支援したと非難されている米国に抗議するため、在米国大使館に向かって行進。多くのデモ参加者が当時の学生が使用した旗を掲げた。
蜂起を記念するデモ行進(ロイター通信).jpg)
ギリシャの首都アテネで17日、1973年の軍事政権に対する学生蜂起を記念するデモ行進が行われ、数千人が参加した。
この蜂起は当時国を支配していた軍政の崩壊につながった。
デモ参加者は当時の軍政を支援したと非難されている米国に抗議するため、在米国大使館に向かって行進。多くのデモ参加者が当時の学生が使用した旗を掲げた。
一行は国会前で一時停止し、国歌を合唱した。
その後一行は米国大使館近くに到着。大使館周辺にはバリケードが設置され、機動隊が警戒に当たった。
デモ参加者は「抵抗」と書かれた横断幕などを掲げ、パレスチナ人への連帯を訴えるスローガンを叫んだ。
1973年の学生蜂起は、「アテネ工科大学(ポリテクニオ)蜂起」として知られ、軍事独裁政権に対する抵抗運動の象徴的事件となる。
軍政は検閲や逮捕、拷問などで反対勢力を抑圧していたが、1973年に入り経済不安と政権内部の権力争いが激化し、社会の緊張が高まっていた。
学生たちは学問の自由の回復と民主化を求め、11月14日にアテネ工科大学を占拠。構内には自作のラジオ放送設備が設置され、「人民よ、蜂起せよ」と呼びかける声がギリシャ全土に届いた。
学生と市民が次々と集まり、大学は民主化運動の中心地となった。軍政は状況を脅威と判断し、11月17日未明、戦車を投入してキャンパスの門を破壊し、強制的に鎮圧に踏み切り、多数の死傷者が出て。
蜂起は終息したが、この弾圧への国内外の批判は軍政の正統性をひどく損なった。
結果として軍政は内部崩壊へ向かい、翌1974年の民主化(メタポリテフシ)への道が開かれた。
この蜂起は今日でもギリシャにおける民主主義回復の象徴として記憶されている。
