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コラム:岐路に立つ欧州の安全保障、新たな試練

欧州の安全保障は現在、歴史的な転換点に立っており、複数次元での改革と投資を必要としている。
2022年10月25日/ウクライナ、東部ハルキウ州の前線近く、迫撃砲を発射するウクライナ兵(Andrii Marienko/AP通信)
1)現状(2025年11月現在)──総括的観察

2025年時点の欧州は、安全保障面で大きな構造変化と高い不確実性に直面している。一つにはロシアによるウクライナ侵攻が長期化した結果として、軍事的緊張が高止まりし、各国の防衛投資と軍事協力が急速に拡大している。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)やEU・NATOの集計によると、欧州における軍事支出は2024年から大幅に伸び、EU域内支出も連続増加していることが確認される。こうした動きは、伝統的な同盟関係の再調整と「自律性」志向の高まりを促している。

2)歴史的な転換点に直面しているという理解

冷戦終結後の「安定期」は、2014年のクリミア併合、2022年のロシアによる全面侵攻、さらに2020年代半ば以降の地政学的変容(中国・米国間の緊張、米国の政策変動など)によって断続的に揺らいだ。特に2022年以降の出来事は、欧州の防衛政策を抜本的に見直させ、2000年代以降の軽武装化・軍縮志向から再軍備・能力強化へと回帰させる歴史的転換点である。国防支出の急増や共同調達・共同開発への政策転換はこの文脈で理解される。

3)主要な安全保障の枠組み:役割と相互補完性

欧州の安全保障は多層的であり、主にNATO、欧州連合(EU)および欧州安全保障協力機構(OSCE)が中心的な機能を担っている。これらは機能的に重なり合う部分がある一方で、政治的な正統性、軍事能力、監視・紛争予防といった面でそれぞれ異なる強みを持つ。以下に主要枠組みごとに整理する。

4)北大西洋条約機構(NATO)──抑止と集団防衛の中核

NATOは集団防衛(第5条)を中核に据え、即時的な抑止・防衛態勢の維持、戦時における米国の核・指揮統制やロジスティクス能力といった「連合的エンブレイド」を提供している。2020年代に入ってからは、加盟国の防衛支出が上昇傾向にあり、NATO自身も東方展開の強化や前方配備、増強された即応部隊の整備を進めている。各国が国防費のGDP比2%目標達成に向け追加措置を取る動きがある一方で、支出の質(装備の近代化・共同調達・長期的な能力投資)が課題として残る。NATOの統計や報告は加盟国の支出と能力配分を把握する重要な情報源である。

5)欧州連合(EU)──「戦略的自律」と多面的安全保障

EUは伝統的には経済・制度統合が主目的だったが、近年は安全保障・防衛分野での政策手段を強化している。2022年の「戦略的コンパス」以降、EUは危機対応力、共同装備調達、ミサイル防衛やサイバー防御の協調、エネルギー安全保障政策(REPowerEU等)を通じた対ロシア依存脱却などを進めている。2024〜2025年の年次でEU加盟国の防衛支出は大きく伸び、EUは「より責任ある自衛」を掲げており、財政支援や共同プロジェクトの提案が活発化している。EUの目標は、米国との関係を維持しつつ、欧州が自らの安全保障を補完的に担える能力を高めることである。

6)欧州安全保障協力機構(OSCE)──監視・対話のプラットフォーム

OSCEは紛争予防、監視、信頼構築措置(CBMs)に特化した地域機構であり、特にウクライナ戦争の文脈では監視活動や人道問題への関与が継続している。OSCEのフィールド活動や報告は戦争の人道的・民間被害に関する重要な情報源になっているが、参加国間の意見対立(特にロシア問題)により政治的効力が制約される場面がある。

7)現在の課題と動向(概観)

欧州の安全保障が直面する主な課題は次の通りである(詳細は後節で深掘りする)。 (1) ロシアの軍事的挑戦と地政学的不安定性、(2) 防衛能力の短期急増と長期持続性のバランス、(3) 米欧関係の不確実性と「戦略的自律」追求の調和、(4) サイバー・偽情報等のハイブリッド脅威、(5) エネルギー依存と供給網の脆弱性、(6) 技術分野(AI等)における安全保障上の競争と規範整備の遅れである。これらは互いに連関しており、単独の対処では不十分である。

8)ロシアの脅威──軍事的能力と戦略的影響

ロシアは欧州にとって最も差し迫った軍事的脅威の一つであり、ウクライナ侵攻はロシアの戦略的意図と地域におけるリスクの現実を浮き彫りにした。ロシア軍は人的・物的損耗を被りつつも、特定の戦域で破壊的な兵器運用や長距離兵器、ハイブリッド手法(ミサイル攻撃、エネルギーインフラへの攻撃、偽情報)を用いている点が懸念される。専門機関はロシアの軍事力を依然として脅威と見なしており、欧州側は短期的な装備補充と長期的な再編を並行して進めている。

9)防衛費の増額と軍事協力の深化

ロシアの侵攻以降、欧州諸国は防衛費を大幅に増やしている。SIPRIやEUの集計では、2024年に欧州全体の軍事支出が大幅に伸びたとされ、EU加盟国の合計支出も2024年は前年から大きく伸長した。だが支出の増加は均質ではなく、地理的・経済的条件により国別の差が残る。共同装備調達、共同研究開発(例:主力戦車、対空ミサイル、長距離火力)、および共同訓練や司令部能力に投資が向かっているが、調達プロセスの非効率性や国家主導の優先順位の違いが統合を難しくしている。

10)アメリカとの関係──同盟維持と潜在的不確実性

トランスアトランティックな安全保障協力は欧州防衛の基盤であり続けるが、米国側の政治変動(政権の政策)や財政的・戦略的優先事項の変化が欧州側に「自主性」追求の動機を与えている。欧州は引き続き米国の核・空軍・指揮統制等の「戦力基盤」に依存している一方、米国の関与が必ずしも無条件でないという認識が広がっており、これがEU内での戦略的自律論の後押しになっている。米欧関係の質的変化は、同盟の信頼を再確認するための政治的努力と能力投資を必要とする。

11)「戦略的自律」の追求──理念と現実のジレンマ

EUが掲げる「戦略的自律」は、(1)外交・防衛面での意思決定能力、(2)装備と補給の独立性、(3)技術基盤や産業の保全を含む広義の概念である。だが、実務上は次のジレンマに直面している。米国との安全保障上の利害は深く結び付いているため、完全な分離は現実的でないこと、また加盟国間の予算・戦略優先度の違いが統一行動を難しくしていること、そして装備や戦術面でのインターオペラビリティ不足が自律性を形骸化させるリスクである。EUは段階的な自律性の構築を試みており、共同調達や共同研究の拡大、産業基盤の強化がその措置に含まれる。

12)新しい安全保障の領域──ハイブリッド攻撃とサイバー脅威

近年の紛争は従来型の軍事衝突だけでなく、サイバー攻撃、情報作戦、経済的圧力、エネルギー供給の操作といったハイブリッド攻撃を伴うようになった。EUのサイバー機関やENISAの報告は、ランサムウェアやサプライチェーン攻撃、国家支援型サイバー活動が増加していることを示す。公的機関や重要インフラを標的にした攻撃は、防衛軍だけでなく行政、民間セクター、社会インフラ全体のレジリエンス強化を必要とする。

13)エネルギー安全保障──供給源の多様化とREPowerEU

欧州はロシア産天然ガスへの依存度を下げるため、再生可能エネルギーの導入、液化天然ガス(LNG)調達の多様化、エネルギー効率化施策等を進めてきた。欧州委員会の「REPowerEU」や関連政策は、エネルギー安全保障を経済・気候政策と統合して対応しようとするものである。ただし、短中期的にはインフラ整備やコスト面での課題が残り、エネルギー操作を使った政治的圧力に対する脆弱性は完全には解消していない。

14)技術安全保障、偽情報対策、AIの台頭

AIや先端通信技術、量子技術は安全保障の新たなフロンティアである。これらは同時に防衛能力の強化手段でもあるが、偽情報(ディープフェイク等)や自律兵器に関する倫理・統制の課題をもたらす。欧州は研究・規制・産業支援を通じて技術的自給を目指す一方、国際的なルール形成やエクスポート管理の調整が急務となっている。技術の悪用に対する監視・対策と、自由なイノベーションを両立させるためのガバナンス整備が喫緊の課題である。

15)主要な問題点と課題(詳細)

(A)ロシアによる直接的な脅威と地政学的不安定性:ロシアの軍事行動は欧州の安全保障の構造を根底から揺るがしており、最悪の場合の直接的軍事衝突のリスクを完全には排除できない。長期にわたる高負荷な軍事・経済支援は資源配分の試練を与える。

(B)「予測不可能性」への対応:国際政治の予測不可能性(米国の政策変動、中東やアジアの情勢変化、ロシアの戦術変化等)は、防衛計画立案の難度を高める。欧州はシナリオベースの備えと柔軟な指揮体制を強化する必要がある。

(C)ハイブリッド攻撃とサイバー脅威:ENISA等の指摘するとおり、サイバー攻撃の頻度・精巧さが上がっており、重要インフラ・行政サービスの防御・復旧体制が求められる。民間企業との連携やサプライチェーン防護の仕組み整備が重要である。

(D)防衛能力・財政における課題:防衛費は増加しているが、支出の質、共同調達の効率性、長期的な持続性は不充分である。国家間の優先度の違いや調達プロセスの分散が、資源の浪費や非効率性を生じさせる。

(E)政治的・戦略的意思決定の難しさ:EU内、NATO内ともに意思決定は加盟国の合意に依存するため、迅速な行動や一貫した長期戦略の策定が困難になる局面がある。多国間政治の摩擦が戦略的一体化を阻む要因である。

16)「戦略的自律」と対米依存のバランス──現実的な選択肢

欧州にとって現実的な道は次の二つを並行させることだ。第一に、米国との同盟基盤・米軍依存の重要要素(核抑止、戦略空輸、空中給油、先進的C4ISR等)を維持しつつ、第二に日常的な防衛能力と即応力、産業基盤を欧州側で強化することである。完全な離反は不可能かつ望ましくないため、補完関係を築く方向が合理的である。欧州が「より強い自治」を追求する際には、米欧協調の枠組みを損なわない政策設計が必要だ。

17)新たな安全保障領域への対応──実務的提案(要旨)

(1)共同調達プログラムの拡大:分散化を避け、装備の互換性とスケールメリットを実現するため共同プログラムを法的・財政的に支援する。
(2)産業基盤の強靭化:重要部品・半導体・バッテリー等のサプライチェーンを多元化し、戦時・緊急時に備えた在庫・生産キャパシティを確保する。
(3)サイバー防衛と情報共有の制度化:ENISAを中心に、加盟国間の攻撃兆候のリアルタイム共有、模擬演習の定期化を行う。
(4)偽情報対策と社会的レジリエンス:メディア・プラットフォームと協働した迅速なファクトチェック体制と、市民向けのリテラシー教育を強化する。
(5)AIと自律武器の国際ルール形成:倫理基準と輸出管理の調和を目指す国際的努力に主導的に関与する。
(6)エネルギー安全保障の統合:再生可能・ストレージ・相互接続網を拡大し、国境を越えたエネルギー相互扶助協定の整備を深化する。

18)主要なジレンマと政策的トレードオフ

(A)短期の抑止力強化(即応部隊、備蓄、装備の急速導入)と長期的な持続可能性(訓練・補給網・産業基盤)との均衡をどう取るか。
(B)国家主権(独自判断)と集団的効率(共同調達、共同司令)との間でどの程度主権を委譲するか。
(C)対ロシアの抑止を強化しつつエスカレーション管理と外交チャネルを維持する難しさ。
(D)米国との関係を保ちながら欧州独自の戦略的自律を追求する政治的調整の難易度。これらのジレンマは政策優先順位と国家間の信頼で最終的に解かれる。

19)今後の展望(中期〜長期)

中期(3〜7年)では、(1)EU加盟国とNATO加盟国の防衛予算は高水準で推移し、共同装備や補給能力で一定の改善が見られる、(2)サイバー防御とハイブリッド対策の制度化が進む、(3)エネルギー供給の多様化とインフラ強化が進展する一方で、(4)地政学的緊張は断続的に続く可能性が高い。長期(10年)では、もし欧州が産業基盤と高度技術(AI、量子、半導体)を確保し、政治的意思決定のスピードと統合を改善できれば、より実効的な「戦略的自律」を実現し得る。しかし、それは米国との協調を完全に放棄することを意味しない。

20)結論

欧州の安全保障は現在、歴史的な転換点に立っており、複数次元での改革と投資を必要としている。実務的には、(1)支出拡大の「質」に注力し共同調達や研究開発の効率化を図る、(2)サイバー・AI・偽情報といった非伝統的領域の防御を国家だけでなくEU・NATO連携で強化する、(3)エネルギーと技術の自立性を高めつつ米欧同盟を維持する「補完的自律」の路線を明確化することが重要である。最終的には政治的意思、財政的持続力、産業的実行力の三者が整わなければ、欧州の安全保障力は不十分なままである。


参考文献(出典の抜粋)

  • SIPRI, Trends in World Military Expenditure, 2024(欧州の軍事支出急増を指摘)。

  • 欧州委員会、2025 Strategic Foresight Report(EUのレジリエンスと戦略的自律に関する報告)。

  • 欧州理事会(Consilium):EU防衛支出統計と政策結論(2024〜2025)。

  • ENISA, ENISA Threat Landscape 2025(サイバー脅威の現状)。

  • IISS、OSCE、NATOなどの分析・声明資料(ロシアの軍事的脅威と地域監視に関する報告)。

  • メディア分析:Le Monde、Washington Post 等(欧州の自律化議論と米欧関係の変化)。

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