パレスチナ人がイスラム組織ハマスを支持した経緯
ガザ紛争におけるパレスチナ側の死者は9月20日午後の時点で7万9406人(行方不明者含む)、負傷者は16万6071人となっている。
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パレスチナ自治区・ガザ地区においてイスラム組織ハマスがパレスチナ人の支持を獲得し続けてきた経緯は、単なる宗教的要因や武力闘争の結果だけではなく、イスラエル占領下における社会経済的困難、パレスチナ自治政府(PA)やファタハの腐敗や統治不全、国際社会との複雑な関係が絡み合った複合的な現象である。特に2006年の選挙でハマスが勝利したことは、民主的な選択としての性格を持ちながらも、その後の分裂とガザ封鎖・紛争をもたらし、以降の情勢を大きく規定した。
1. 歴史的背景とハマスの成立
1-1. 第一次インティファーダとハマスの登場
ハマス(Harakat al-Muqawama al-Islamiya、イスラム抵抗運動)は1987年12月、第一次インティファーダ(パレスチナ人の大規模蜂起)の勃発とほぼ同時期に設立された。母体は「ムスリム同胞団」のパレスチナ支部であり、当初からイスラエルに対する「武力抵抗」と「社会活動」の両面を掲げていた。
設立当時のパレスチナ人社会は長年占領下にあり、既存の世俗的ナショナリズム勢力であるPLO(パレスチナ解放機構)やその中核のファタハに対して不満が蓄積していた。腐敗、エリート主義、また現実的な成果を出せないことが批判の対象となり、より「純粋」で「抵抗的」な勢力としてのハマスが支持を広げていった。
1-2. イスラエルの政策とハマス台頭
興味深い点として、イスラエル当局は当初、PLOの影響力を削ぐ目的で、宗教系の勢力にある程度の活動余地を与えたとされる。モスクや慈善団体を通じた活動は比較的許容され、結果的にハマスが基盤を拡大する要因となった。ハマスは武力闘争を行う一方で、学校、診療所、孤児支援、貧困層救済などの社会福祉ネットワークを整備し、住民の生活を直接的に支えた。これが「地元に根ざした運動」としての信頼を生み出した。
2. オスロ合意とPAへの失望
2-1. オスロ合意とパレスチナ自治政府
1993年のオスロ合意により、PLOはイスラエルを承認し、パレスチナ自治政府(PA)が設立された。しかしこの合意は、パレスチナ国家の最終的な樹立を保証するものではなく、占領が継続する中で限定的な自治権を付与するにとどまった。
2-2. ファタハ主導政権の腐敗と権威主義
PAはアラファト議長の指導下で成立したが、ガザ地区やヨルダン川西岸での統治はしばしば腐敗や縁故主義にまみれていた。住民にとっては、イスラエルの占領による抑圧と同時に、PAによる不透明な政治と不平等が二重の不満要因となった。
一方でハマスは、オスロ合意を「パレスチナの権利を放棄するもの」として批判し、武力抵抗の正統性を主張した。PAの腐敗に失望した住民にとって、より「清廉」で「抵抗を続ける」組織としてハマスの存在感は増した。
3. 第二次インティファーダとハマスの正統性拡大
2000年に第二次インティファーダが勃発すると、ハマスは自爆攻撃やロケット攻撃など武力闘争の先頭に立った。イスラエル側の厳しい軍事行動に対して、ファタハは有効な抵抗を示せなかったのに対し、ハマスは「唯一戦っている組織」として象徴化された。
特に2002年以降、ガザ地区での失業率は50%近くに達し、生活状況が急速に悪化した(世界銀行データ)。この中で、ハマスの社会サービス活動と「抵抗の象徴」としての姿は、人々の支持を確実に集めていった。
4. 2006年選挙とハマスの勝利
4-1. 民主的選択としてのハマス支持
2006年1月に行われたパレスチナ議会選挙では、ハマスが76議席を獲得し、ファタハの43議席を大きく上回る勝利を収めた。投票率は77%と高く、ハマスは民主的な手続きを経て政権の座に就いた。住民が支持した理由は、単なる宗教イデオロギーではなく、腐敗の少なさ、福祉サービスの提供、イスラエルに対抗する姿勢といった実利的な要素が大きかった。
4-2. 国際社会の反応
しかしこの結果は米国・EU・イスラエルに強く拒絶された。ハマスがイスラエルを承認せず、暴力放棄を拒んだためである。結果として、パレスチナ自治政府への国際援助は大幅に削減され、財政危機が悪化した。
5. ガザ分裂と封鎖
5-1. ガザでの武力衝突
2007年、ハマスとファタハの対立は武力衝突に発展し、ハマスはガザ地区を実効支配するに至った。これ以降、ヨルダン川西岸はファタハ、ガザはハマスという分裂状態が固定化された。
5-2. イスラエルとエジプトによる封鎖
ガザ地区は2007年以降、イスラエルとエジプトの封鎖下に置かれた。燃料、建材、医薬品、輸出入などあらゆる経済活動が制限され、失業率は常に40%前後という極端な状況が続いた(国連UNRWA統計)。だがこの困難な環境は、逆に住民に「外部から包囲されている」という意識を強め、ハマスの「抵抗運動」としての正統性を支える要因にもなった。
6. 世論調査と支持の変動
パレスチナ世論調査センター(PCPSR)のデータによると、2006年以降ハマス支持率は30〜40%前後で推移し、ファタハと拮抗してきた。特にイスラエルとの衝突が激化した後には支持率が上昇する傾向が見られる。
例えば2014年のガザ戦争後、ハマス支持率は一時45%まで上昇した。一方、ガザ住民の多くは生活困難に強い不満を抱えており、「統治能力」に関しては批判的な意見も多い。この二面性が、ハマス支持の複雑さを示している。
7. 国際援助とイスラムネットワーク
ハマスはトルコ、カタール、イランなどの支援を受けてガザでの統治を維持してきた。特にカタールは財政支援を通じてガザ住民への給付を実施し、結果的にハマスの統治安定に寄与してきた。またイスラム系NGOを通じた福祉事業も、住民生活にとって重要な役割を果たしている。
8. ハマス支持の要因整理
以上を踏まえると、パレスチナ人がガザ地区でハマスを支持してきた要因は以下のように整理できる。
抵抗の象徴性:イスラエルに妥協せず戦う姿勢。
PAやファタハへの失望:腐敗、無能、不平等への不満。
社会福祉活動:教育・医療・貧困層支援などの実務的サービス。
封鎖と外部圧力:包囲される状況が「抵抗運動」への共感を強める。
国際支援ネットワーク:イスラム諸国の援助が一定の正統性を補強。
9. 現代の課題
現在、ハマス支持は必ずしも統治の満足度に基づくものではない。ガザの失業率は2023年時点で45%(ILO統計)、貧困率は60%以上とされる。住民は経済的に疲弊しているが、代替勢力が存在しない中で、ハマスは「最も現実的な選択肢」として支持を維持している。
またイスラエルとの武力衝突が繰り返されるたびに、「屈しない抵抗」という象徴的価値が再生産される。逆に言えば、和平の進展や経済改善が実現しない限り、ハマス支持の土台は容易に揺らがない。
結論
ガザ地区においてパレスチナ人がハマスを支持してきたのは、単なる宗教的イデオロギーではなく、占領下の困難な現実における「抵抗」「清廉さ」「福祉提供」といった要素が結びついた結果である。ファタハやPAの失望に比してハマスが選ばれた側面も強く、イスラエルや国際社会の圧力は逆に支持基盤を固める作用を持ってきた。
統治能力への不満と抵抗運動への支持という二重性が続く限り、ガザ住民のハマス支持は今後も断続的に維持される可能性が高い。この構造を変えるためには、パレスチナ社会の経済的安定と、政治的権利の実現が不可欠である。