イスラエル、シリアに非武装化迫る、緊張緩和への道遠く
シリアは米国の支援の下でイスラエルと安全保障協定を結びたいと考えているが、現実はそう甘くないようだ。
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イスラエル首相府は24日、シリアとの緊張緩和の条件について、「シリア南西部を非武装化し、ドルーズ派の福祉と安全を保障することが含まれる」と表明した。
米国のトム・バラック(Tom Barrack)シリア特使は前日、シリアとイスラエルの緊張緩和に向けた合意が成立間近であると明らかにしていた。
ロイター通信によると、シリアは米国の支援の下でイスラエルと安全保障協定を結びたいと考えているが、現実はそう甘くないようだ。イスラエルは北部と国境を接するシリア南西部の非武装化という極めて厳しい条件を突き付けている。
シリア南部スウェイダ県では7月初め、アラブ遊牧民ベドウィンの武装勢力と地元のドルーズ派の治安部隊および民兵が衝突し、銃撃戦に発展。子供を含む多くの一般人が巻き込まれた。
ドルーズ派はイスラム教シーア派の分派のひとつ。世界の約100万人のドルーズ派の半数以上がシリアに住んでいる。
他のドルーズ派のほとんどは1967年の第三次中東戦争でイスラエルがシリアから奪取し、1981年に併合したゴラン高原を含むイスラエルに住んでいる。
地元当局は一連の戦闘で1000人以上が死亡、数千人が負傷したと報告している。
暫定政府は衝突発生直後に軍を派遣したものの、ドルーズ派の保護を名目にイスラエル軍が軍事介入したため、いったん撤退。イスラエル政府はその後、シリア軍がスウェイダに立ち入ることを許可した。
イスラエルのネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相は21日、シリアとの安全保障交渉で進展があったと述べたが、「合意には程遠い」と説明していた。
イスラエルとシリアの関係は中東地域における長年の対立の典型例として位置づけられる。両国は1948年の第一次中東戦争以来、正式な平和条約を結んでおらず、現在に至るまで緊張関係が続いている。第一次中東戦争ではイスラエル建国に反発したアラブ諸国の一員としてシリアが参戦し、戦後は停戦協定が結ばれたものの国境線をめぐる争いが残った。特に戦略的に重要なゴラン高原は両国関係の核心的争点となった地域である。
1967年の第三次中東戦争で、イスラエルはシリアからゴラン高原を奪取した。この地域は軍事的にも水資源の面でも極めて重要であり、シリアにとっては国土の喪失であると同時に国家的屈辱でもあった。その後、1973年の第四次中東戦争でシリアはゴラン高原奪還を試みたが、最終的に失敗した。1974年には国連の仲介で停戦合意が成立し、ゴラン高原に国連兵力引き離し監視部隊(UNDOF)が配備されたが、領有問題は解決されず現在も続いている。
イスラエルは1981年にゴラン高原を事実上併合する法律を制定したが、国際社会はこれを認めていない。一方でシリアは一貫して同地域の返還を要求してきた。両国間で和平交渉が試みられた時期もあったが、領土問題と安全保障上の不信感が大きく、最終的な合意には至らなかった。
21世紀に入り、関係はさらに複雑化した。シリア内戦の勃発後、イスラエルはイランやレバノンのヒズボラがシリア領内で影響力を拡大することを警戒。イランはシリア政府を支援する形で軍事的プレゼンスを高め、イスラエルにとって直接的な安全保障上の脅威となった。そのためイスラエルはシリア領内のイラン関連拠点やヒズボラの武器輸送網に対して空爆を繰り返している。シリア政府はこうした攻撃を非難しつつも、内戦対応や国力低下のため大規模な報復行動を取る余力を欠いてきた。
両国関係は公式には戦争状態のままであり、外交関係も存在しない。イスラエルにとってシリアは敵対国であると同時にイラン勢力の前線基地と見なされている。シリアにとってイスラエルは占領者、敵国である。国際社会や米国が仲介を試みることもあるが、地域情勢の不安定さと双方の立場の隔たりが大きく、和平への道は遠い。イスラエルとシリアの関係はアサド政権崩壊後も、ゴラン高原をめぐる領土問題とイラン・ヒズボラを介した安全保障上の対立を軸に、今後も緊張が続くと予想される。