ヒズボラ指導者がサウジに接近、「イスラエル統一戦線」構築促す
サウジとヒズボラの関係は中東におけるスンニ派とシーア派、サウジとイランの対立を反映した縮図である。
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レバノンの親イラン組織ヒズボラの最高指導者であるカセム(Naim Qassem)師は19日、サウジアラビアに対し、過去の対立を水に流し、「対イスラエル統一戦線」を構築するよう促した。
サウジを含む一部の湾岸諸国は2016年、ヒズボラをテロ組織に指定した。
サウジはこの数カ月、米国やレバノン政府と協力し、昨年のイスラエルとの戦争で弱体化したヒズボラに武装解除を迫っている。
ヒズボラはこの戦争で大打撃を受け、前最高指導者のナスララ(Hassan Nasrallah)師を含む指導部のほとんどと5000人以上の戦闘員を失った。
カセム氏は19日のテレビ演説で、「中東の主要な脅威はヒズボラではなくイスラエルであると認識すべきだ」と述べ、サウジに関係修復を提案した。
またカセム氏は「(ヒズボラの)武器はレバノンやサウジアラビア、世界のいかなる場所や組織ではなく、イスラエルに向けられていることを保証する」と強調した。
さらに、「対話によって、少なくともこの特別な局面では過去の対立を水に流し、イスラエルと対峙し、抑制できる」と主張。ヒズボラへの圧力はイスラエルを利するだけだと指摘した。
サウジとヒズボラの関係は中東の地政学的対立、宗派的分裂、そして地域覇権をめぐる争いの中で複雑に展開してきた。ヒズボラは1980年代初頭、イラン革命防衛隊の支援を受けて誕生したシーア派武装組織であり、反イスラエル武装闘争と「抵抗」を旗印に活動してきた。イランの軍事・財政的後ろ盾を受けることで、ヒズボラは単なる民兵組織の枠を超え、レバノン国内で最も強力な準軍事勢力となり、政治政党としても影響力を強めた。他方、サウジはスンニ派イスラムを基盤とする王制国家であり、中東においてイランと長年対立してきた。したがって、ヒズボラはサウジにとってイランの代理勢力として受け止められ、警戒と敵視の対象となっている。
1980年代から1990年代にかけて、ヒズボラはイスラエルに対するゲリラ戦を展開し、レバノン国内のシーア派社会における地位を固めた。サウジはこの時期から、レバノンのスンニ派勢力を支援することでヒズボラの影響力拡大を牽制しようとした。特にハリリ元首相はサウジ資本と関係が深く、レバノン再建においてサウジの後押しを受けていた。しかし2005年、ハリリ氏が暗殺されると状況は一変した。国際調査団はヒズボラ関係者が事件に関与した可能性を指摘し、サウジはヒズボラを「ハリーリ氏の安定を脅かす存在」とみなす姿勢を鮮明にした。
2010年代に入ると、サウジとヒズボラの対立はシリア内戦を舞台にさらに先鋭化した。ヒズボラはアサド政権を支援するために大規模な軍事介入を行い、イランと共にシリア政府を防衛した。これに対し、サウジはシリア反体制派を支援し、地域におけるイランの影響力拡大を阻止しようとした。つまり、シリア戦争はサウジとイラン、そしてその代理勢力であるヒズボラの代理戦争の様相を呈したのである。この時期以降、サウジはヒズボラを単なるレバノン内部の一勢力としてではなく、イランの「中東覇権戦略の最前線」とみなし、より強い警戒感を抱くようになった。
サウジはまた、国際舞台でもヒズボラを孤立させようと試みてきた。湾岸協力会議(GCC)やアラブ連盟を通じて、ヒズボラを「テロ組織」として指定する決議を推進し、金融制裁や資金の流れを遮断する動きを強めた。サウジ国内に在住するレバノン人や湾岸地域のレバノン経済人に対しても圧力を加え、ヒズボラへの資金が流入するのを防ごうとした。これにより、レバノン経済はサウジとの関係悪化の影響を大きく受けることとなり、スンニ派や親サウジ系の政治勢力は弱体化していった。
2017年には、サウジとヒズボラの対立が国際的注目を集めた出来事があった。レバノンのハリリ首相がサウジ訪問中に突然辞任を発表し、その背後にサウジの強い圧力があったと広く報じられた。この事件は「ハリリ失踪事件」と呼ばれ、ヒズボラやイランの影響力を排除しようとするサウジの試みと解釈された。しかし結局ハリリ氏は辞任を撤回し、サウジの目論見は失敗に終わった。この出来事は、ヒズボラの強固な地位とサウジの対レバノン政策の限界を象徴するものとなった。
サウジとヒズボラの関係は単なる二者間の対立にとどまらず、中東全体の宗派対立や地域秩序を映し出す鏡でもある。スンニ派の盟主を自認するサウジは、イランとそのシーア派同盟網に対抗する中で、ヒズボラを最重要の脅威と位置づけている。他方、ヒズボラはイランの軍事・財政支援を受けながらもレバノン国内の政治や社会に深く根ざしており、完全に排除することは難しい。そのためサウジはヒズボラを敵視しながらも、レバノン国家との関係を完全に断つこともできず、矛盾した政策をとらざるを得ない状況にある。
近年、サウジは対外政策の修正を進め、イランとの関係改善を模索している。2023年には中国の仲介でサウジとイランが国交を回復したことが大きな転換点となった。この流れは、ヒズボラとの関係にも間接的な影響を与えている。サウジがイランとある程度和解するならば、ヒズボラに対しても従来のような全面的敵視政策を見直す可能性がある。ただし、イスラエルや米国との関係、そしてレバノン国内の複雑な政治構造を考慮すれば、サウジがヒズボラを容認する段階に至るのは容易ではない。むしろ現実的には、ヒズボラの影響力を抑制しつつ、レバノン国家を支援するという二重戦略を続けることになるだろう。
サウジとヒズボラの関係は中東におけるスンニ派とシーア派、サウジとイランの対立を反映した縮図である。ハリリ暗殺事件、シリア内戦、湾岸諸国の対レバノン政策などを通じて、この関係は幾度も緊張を高めてきた。サウジにとってヒズボラはイランの代理人であり、地域秩序を揺るがす不安定要因である一方、レバノン国内で強大な影響力を持つ避け難い現実的存在でもある。今後も両者の関係は、中東の地政学的変動やイラン・サウジ関係の動向に大きく左右され、完全な和解よりも「抑制と敵対の共存」という複雑な構図が続くと考えられる。