ツバル/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ツバル(Tuvalu)

首都:フナフティ(Funafuti)

人口:11,646人(2019年推定)

面積:26㎢(神奈川県海老名市と同じくらい)

気候:海洋性気候
・乾期は5月~10月。
・雨季は11月~4月。
・気温は1年を通して安定している。(最低:27℃前後、最高:30~31℃)
・年間降雨量は3,500mm前後。
・熱帯低気圧の影響を極めて受けやすい。
・最高標高点はニウラキタの海抜約4.6m。
・地球温暖化の影響を最も強く受けている国のひとつ。

経済:
・開発途上国
GDPは4,700万ドル(2019年推定)
・他国との漁業権ライセンス契約が政府収入の大半を占める。
・マグロのライセンス契約が大きな収益を生み出している。
・主要産業は漁業。
・オーストラリアとニュージーランドの支援に依存している。
・2019年の経済成長率は4.1%。
・1996年から2002年の間の経済成長率(平均)は5.6%。
・外国のコンテナ船(主にドイツ)で長期間業務に従事する男性が多い。
・資源は乏しく、輸入に大きく依存している。
世界で最も脆弱な国家と考えられている

人種(民族):
・ポリネシア人 96%(2015年推定)
・ミクロネシア人 4%

言語:
・ツバル語(公用語)
・英語(公用語)
・サモア語
・キリバス語

宗教:
・キリスト教 98.4%(2015年推定)
・バハーイー教 1%
・その他 0.6%

ツバル

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君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:テニク・タレシ・ホノルル(Teniku Talesi Honolulu)
首相:カウセア・ナタノ(Natano  Kausea)

政治体制:立憲君主制
・国家元首はエリザベス2世。
・首相は第一党もしくは連立政権の投票で選出される。
・一院制。議席は15議席。
・議員の任期は4年。
・総督(女王名代)の権限は限られている。
複数政党制を採用しているが、2021年時点で政党は存在しない。(議員は全員無党派)
・市民は議員を出自ではなく実力で選ぶ。

法律:ツバルの憲法
・司法の独立を保障している。
・LGBTの権利を保障していない。(男性の同性愛は違法)
・男性の同性愛者および異性愛者同士の肛門性交を禁止している。ただし、この法律に違反し起訴された者はこれまでに1人もいないと伝えられている。
・異性者の性行為とレズビアンの性行為の同意年齢は15歳。
・同性結婚を認めていない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)

治安:とても良い
・近年、テロ事件は発生していない。
・犯罪に巻き込まれる可能性は低い。
・イスラム過激派組織などの反政府勢力の活動は報告されていない。
・狂犬病、風疹、麻疹、コロナウイルスなどの感染症に注意。
・親切な人が多い。
・観光客を快く受け入れてくれる。
・警察は酔っ払いを厳しく取り締まる。

ツバル/ビーチ

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は3社。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局はない。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は低い。
・検閲はない。
・フィジーテレビサービスの番組を受信できる。
・インターネット接続可能エリアでは他国のケーブルテレビを見れる。

【国営メディア/設立年】
・ツバルメディアコーポレーション 1999年

【民間メディア】
・ツバルパラダイスニュース(国内初の民間新聞社)

ツバル/女性

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・軍隊を保有していない。
・海域の監視任務はツバル警察が行っている。

・国防予算:ー億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、ツバルの近海にたどり着いたヨーロッパ人は複数確認されているが、上陸した者はいないもしくは少ないと伝えられている。

・当時の先住民族の生活は謎に包まれているが、その文化は今もしっかり受け継がれている。

・1764年、イギリス海軍のジョン・バイロン大尉が世界一周を目指している途中でツバル近海を通過したと記録されている。

1800年代

・1820年、ロシアの探検家がヌクフェタウ環礁に到達。

・ツバルの近海では複数の捕鯨船が漁を行っていた。

・1821年11月、アメリカの捕鯨船がヌクラエラエ環礁に到達し、島民と物々交換した。(クジラの肉とココナッツ)

・1861年、ヨーロッパ人宣教師がツバルに上陸。キリスト教を初めて島民に伝えた。

・1862年頃、ペルーの奴隷船がツバルやその他の島々に上陸し、島民を誘拐した。記録によると、ヌクフェタウ環礁の島民約180人、ヌクラエラエ環礁の島民約200人が連行されたという。

・1865年、ロンドン伝道会のマレー牧師がツバルに上陸。島民にプロテスタントの教えを説いた。

・1870年、サムアル・ジェームズ・ホイットミー牧師がツバルに上陸。

・1878年、キリスト教の教えは島民の間で広く共有された

・1892年10月16日、イギリス政府がツバルを保護領に加えると宣言。(イギリス領ツバル誕生)

・ツバルに上陸した商人たちは、太平洋の各島と欧米を結ぶ貿易網を確立した。しかし、ツバルの資源は限られていたため、輸出より輸入が優先された。

1900年~第一次世界大戦

・ツバルは第一次世界大戦に関与していない。

・1894年に発行された先住民法に基づき、各島で行政機関、刑法、学校での教育などが確立した。

・1909年、ツバルやその他の島々を管理する地区役員にイギリス人のスミス・リューズが就任した。

・1916年、イギリスは「ギルバートおよびエリス諸島(GEIC)」の確立を宣言した。ツバルもGEICの一部として管理されることになった。

・1917年、各島は現地に配置された管理者と首都フナフティにいる地区役員によって管理された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1923年、ツバル初の公立学校の建設が始める。建設を主導したドナルド・ギルバート・ケネディは島の教育環境を改善した。

・1930年、常駐管理者のひとり、アーサー・グリンブルがギルバートおよびエリス諸島の秩序と清潔さに関する規則を発効。

・1932年、ドナルド・ギルバート・ケネディが首都フナフティの地区役人に就任。

・1941年、大日本帝国軍がギルバート諸島の一部を占領。

・1942年10月2日、米海兵隊が首都フナフティに上陸。島民はフナフティ、ナヌメア、ヌクフェタウに飛行場を建設し、アメリカ軍を支援した。

・アメリカ軍は日本に占領されていない島の住民を小島に移し、フナフティなどに病院や海軍基地を建設した。

・飛行場の建設でココナッツの木や自然が失われたが、ツバルの島民はアメリカ軍から供給される食料などの恩恵を受けた。当時の記録によると、島民は生活に欠かせないココナッツの木約56,000本、パンノキの木約1,600本、パンダナスの木約800本を失ったという。

・1942年12月、アメリカ軍の戦闘機と潜水艦がフナフティに到着。

・1943年4月、アメリカ軍第3大隊がフォンガファル島に給油施設を建設。

・1943年4月23日、日本軍がフナフティを空爆。島民の大半は近海の小島に移住していたため、民間人の死者は出なかったと伝えられている。

・1943年8月、ナヌメア飛行場とヌクフェタウ飛行場が完成。

・1943年11月12日~17日、日本軍がフナフティを計3回空爆。

・1943年11月20日、タラワ(環礁)の戦いが始まる。(アメリカvs日本)

・1943年11月20日、マキン(環礁)の戦いが始まる。(アメリカvs日本)

・1943年11月23日、タラワ(環礁)の戦い終結。アメリカの勝利。

・1943年11月24日、マキン(環礁)の戦い終結。アメリカの勝利。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。アメリカ軍はギルバート諸島から順次撤退した。なお、フナフティの軍用飛行場は将来、フナフティ国際空港として再整備されることになる。

終戦~現在

・1947年、イギリスがギルバートおよびエリス諸島(GEIC)のタラワを行政首都に指定。

・1956年、キリバスのマラケイで植民地会議が開催される。ツバルの代表も会議に参加し、行政の発展などについて話し合った。

・1963年、GEICの各島に諮問機関および評議会が設置される。評議会は各島の役人と代表者で構成され、法律や規則を制定した。

・1967年、GEICの憲法制定。これに伴い衆議院が創設された。衆議院のメンバーは、各島の住民が選出した23人とイギリス人の役員7人で構成された。

・1971年、南太平洋フォーラム発足。

・1971年、GEIC憲法改正。ツバルの住民はキリバスと同等の扱いを求め、結果、島民の代表は衆議院のメンバーに加わることを認められた。

・ツバルの島民は他の大きい島の影響でマイノリティを失うと懸念し、独立を求める者が多くなった。

・1972年、サイクロンべべが首都フナフティ近海に接近。島民10数名が死亡し、フナフティの住宅の90%が深刻な被害を受けた。

・1953年~1975年、ツバルの学生はキングジョージV中等学校(キリバスの男子校)とエレインベルナッキ中等学校(キリバスの女子高)に主に入学した。

・1977年8月27日、ツバル議会選挙。トアリピ・ラウチが植民地議会首相(議長)に任命された。

・1978年7月、植民地議会解散。

・1978年9月29日、プリンセスマーガレット病院開院。

・1978年10月1日、「ツバル(英連邦)」が独立を宣言。エリザベス2世は独立を承認し、トアリピ・ラウチが初代首相に就任した。

・1999年、南太平洋フォーラムが「太平洋諸島フォーラム」に改名。

・2003年、首都フナフティのフェツバル中等学校が授業を再開。運営者はツバル教会。

・2003年、プリンセスマーガレット病院の改修が完了。日本政府が資金提供した。

・2005年9月5日、国連に加盟。

・2010年時点のツバルの学生数は1,918人、教師の数は109人だった。

・2011年、フシアロファ協会ツバルが特別支援を必要とする子供のための学校をフナフティに設立。

・2011年、ポリネシアリーダーズグループ創設。ツバルは創設メンバー兼最も地球温暖化の影響を受けている国として、世界に温暖化対策の必要性を訴え続けている。

・2013年9月5日、太平洋諸島フォーラムの加盟国がマジュロ宣言に調印。気候変動への対応、適応、リスク削減を目的としてプロジェクトが始動した。

・2015年3月10日、サイクロンパムがツバル近海に接近。高潮は3~5mに達し、多くの島で淡水が汚染された。政府によると、島民の約45%が他の島に避難したという。

・2015年3月13日、政府が非常事態を宣言。

・2015年3月14日、ニュージーランド政府がツバルへの支援を開始。他国および国際機関もそれに続いた。

・2015年11月30日~12月12日、国連気候変動会議(COP21)。エネレ・ソポアガ首相(当時)は演説で、「地球温暖化が進めば、ツバルは消滅します。ツバルと世界のために行動してほしい。ツバルを救うことは世界を救うことにつながります」と述べた。

ツバル/民家

文化(目次に戻る

・先住民族の文化および神話を大切に守っている。

・主食は米とプラカ(里芋の一種)、主菜はシーフード、ココナッツ、豚肉、バナナ。

・コンビニエンスストアに似た独自のコミュニティショップを各地に展開している。

・魚は買うものではなく「釣るもの」。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はキリキティ。(ポリネシアのクリケット)

・その他の人気スポーツはサッカー、バレーボール、ハンドボール、バスケットボール、ラグビー、陸上、重量挙げなど。

・毎年10月1日に独立記念日スポーツフェスティバルを開催している。

・2008年の北京五輪でオリンピックデビューを果たした。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

ツバル/バレーボール

その他(目次に戻る

地球温暖化の影響を世界で最も強く受けている国のひとつ

・海面上昇とハリケーンによる津波および高潮の被害に悩まされ続けている。

Getty Images/ツバル、首都フナフティ

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