トルクメニスタン/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:トルクメニスタン(Turkmenistan)

首都:アシガバート(Ashgabat)

人口:5,528,627人(2021年推定)

面積:488,000㎢(日本の1.3倍)

気候:大陸性気候
・国土の大部分はカラカム砂漠で占められており、夏場の最高気温は50℃を超えることも珍しくない。
・砂嵐が頻繁に発生する。
・カスピ海の沿岸地域は比較的過ごしやすく、砂漠に比べると湿度が高い。
・最高点はアイリババ山の3,138m。
・降水量は地域によって多少異なるが、おおむね500mm以下。

・首都アシガバートの夏場の平均気温は最低が22~24℃、最高は36~38℃。
・首都アシガバートの冬場の平均気温は最低が0~5℃、最高は9~17℃。
・カスピ海沿いの
トルクメンバシの夏場の平均気温は最低が19~22℃、最高は32~35℃。
トルクメンバシの冬場の平均気温は最低が0~5℃、最高は9~14℃。
・観光に最適な時期は4月と10月。

経済:
・開発途上国
GDPは470億ドル(2020年推定)
・主要産業は製造業とサービス業。
・主要輸出パートナーは中国(82%)、ウズベキスタン(4%)、トルコ(4%)
・主要輸入パートナーはトルコ(25%)、ロシア(18%)、中国(14%)

・主要輸出品は天然ガス、石油、石油化学製品、繊維、綿。

・2020年時点の天然ガス埋蔵量世界第4位。
・2009年以来、固定為替レートを維持している。
・シルクロードの交差点のひとつであり、空路、海路、陸路で輸送される貨物の通過点として機能している。
・経済活動は隣国のアフガニスタンやイランに比べると安定している。
・国営中央銀行はトルクメニスタンマナト(通貨)の供給を管理しているが、マネーサプライに関するデータは公開していない。

人種
・トルクメン人 85.6%(2012年国勢調査)
・ウズベキスタン人 5.8%
・ロシア人 5.1%
・アゼルバイジャン人 1.2%
・カザフ人 0.4%
・その他 3.1%

言語:
・トルクメン語 72%(公用語)(CIAワールドファクトブック2018年推定)
・ロシア語 12%
・ウズベク語 9%
・アゼルバイジャン語 1%
・その他 7%

宗教:
・イスラム教93%(CIAワールドファクトブック2018年推定)
・東方正教会6%
・不明1%

トルクメニスタン

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大統領:グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ(Gurbanguly Berdimuhamedow)

政治体制:独裁体制
・永世中立国。
・国家元首は大統領、任期は7年、再選制限なし。
・人民評議会(上院)の議員定数は56人、任期は5年。
・下院の議員定数は125人、任期は5年。
・ベルディムハメドフ大統領は2007年以来、権力を保持している。
・最高意思決定機関は大統領。議会は形骸化しており、大統領の完全な支配下に置かれている。
・2008年の憲法改正で複数政党制に移行したが、議員はベルディムハメドフ大統領を無条件で支持している。
・ベルディムハメドフ大統領は、「トルクメニスタンの憲法はすべての国際的および民主的規範に対応している」と主張している。

法律:トルクメニスタンの憲法
・大統領の独裁を保障している。
・基本的人権を保障しているが、市民は宗教や政治の問題でしばしば嫌がらせを受け、投獄されることも珍しくない。
・ロシア正教会とスンニ派イスラム教以外の活動を禁止している。
・エホバの証人などの少数派は当局の厳しい取り締まり、暴力、投獄、拷問に直面する。
・司法の独立を保障しているが、裁判所は大統領の支配下に置かれている。
・政治家の腐敗や汚職は取り締まりの対象外。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年6月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・アフガニスタンとイランの国境付近はイスラムジハード組織や反政府民兵の活動エリアと考えられている。
・各地で強盗、窃盗、スリ、置き引きが多発している。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は極力持ち歩かず、安全な場所に保管すること。
・流しのタクシーには乗車しないこと。強盗や誘拐に巻き込まれる可能性あり。
・首都アシガバートの治安は比較的安定しているが、油断は禁物。
・治安部隊や警察当局に目を付けられる行動は避けること。
・夜間は出歩かない方がよい。
・繁華街ではお酒や女性関連のトラブルに注意。

トルクメニスタン/首都アシガバート

マスメディア(目次に戻る

・国営新聞社は22社。
・民間新聞社は2社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局はない。
・報道と言論の自由を保障しているが、国内のメディアは大統領の管理下に置かれている。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は不明。
・2020年の報道自由指数で調査対象の180ヵ国中179位を記録。最下位は北朝鮮。
・世界で最も厳しい検閲を実施している国のひとつ。
・大統領を批判することは禁じられており、違反した者は拷問を受けたのち、投獄される。

【国営メディア/設立年】
・トルクメニスタン国営通信社 1991年

【民間メディア】
・ー

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2021年軍事力ランキング:86位

・軍人数:27,000人(推定)
  即戦力 22,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 5,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:8億ドル(推定)

トルクメニスタン/グルバングル・ベルディムハメドフ大統領

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1700年代

・1700年代:現在のトルクメニスタンは、イラン、ヒヴァ・ハン国、アフガニスタン、ブハラ首長国を含む地域の覇権争いに身を投じていた。

・1740年代:ペルシャ帝国は現在のトルクメニスタンを含む周辺地域を征服した。

・1747年:ペルシャ帝国の皇帝で暗殺され、トルクメニスタンは現在のウズベキスタンにあったと伝えられている部族の支配下に置かれた。

1800年代

・1830年代:トルクメン人はテジェン川沿いで生活していたが、ペルシャ人によって北方への移住を余儀なくされたと伝えられている。

・1850年代:トルクメン人は現在のトルクメニスタンの南部地域の最大派閥になった。

・1860年代後半:ロシア帝国がトルクメニスタンを含む中東地域への移動を開始した。

・1868年:ロシアがブハラ首相国を併合。

・1873年:ロシアがヒヴァ・ハン国を併合。

・1881年:ギョクテペの戦い後、現在のトルクメニスタンはロシア帝国のトルキスタンに併合された。

トルクメニスタン/カラクム砂漠

1900年~第一次世界大戦

・1906年:ヨーロッパとロシアを結ぶ鉄道が開通した結果、トルキスタンに多くのスラブ人が流入した。首都アシガバートのトルクメン人はスラブ人の流入に強く反対し、各地で暴動を引き起こした。

・アシガバートをロシアスタイルで統治したクロパトキン将軍は、権威主義的な政策で多くの反発を招き、1916年の反乱を引き起こした。

・1916年:トルクメニスタンの住民は他の中央アジア人と共に、非戦闘員を徴兵するロシアの命令に激しく抵抗し、全国各地で治安当局と衝突した。

・1917年:ロシア革命後、首都アシガバートは反ボルシェビキ勢力の基地になったが、ソビエト赤軍の激しい攻撃に直面した。

・1918年:ソビエトの共産主義勢力はアシガバートを占領し、抵抗勢力を追放した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1921年:トルクメニスタンはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国(トルキスタンASSR)の一部に正式に組み込まれた。

・1924年10月27日:トルキスタンASSRは解散した。

・1925年初頭:トルクメニスタンはソビエト連邦のひとつ、トルクメンソビエト社会主義共和国(トルクメンSSR)に国名を変更した。

・トルクメン政府は革命にちなんで首都アシガバートをポルトラツクに改名したが、1927年にアシガバートに戻した。

・1930年代:ソビエトの農業集団化と世俗化プログラムに反対する蜂起や武力抗争が全国各地で発生した。しかし、抗議者たちはソビエトの厳しい取り締まりに直面し、リーダーは軒並み投獄もしくは処刑された。

トルクメニスタン/子供たち

終戦~現在

・1948年10月:首都アシガバートで地震が発生し、11万人以上が犠牲になった。当時の首都の人口は約18万人と推定されており、約3分の2が瓦礫に埋もれ死亡した。

・1950年代:全長約1,375kmのカラクム運河が建設された。

・1960年代:約62兆立方フィートの天然ガスを埋蔵するダウレタバードガス田が発見された。

・1967年:カラクム運河の完成により、トルクメン綿花の生産量が劇的に増加した。

・1985年:サパルムラト・ニヤゾフがトルクメンSSRの共産党指導者に就任。1971年から議長を務めていたムハメット・ガプロフは引退した。

・1989年:共産主義に反対する団体が各地で抗議活動を展開する。しかし、団体はトルクメンSSR共産党に打倒され、反抗的な指導者と市民は投獄された。

・1990年:トルクメンSSR議会が主権を宣言し、サパルムラト・ニヤゾフを共産党議長に選出した。

・1991年:ニヤゾフ議長はソビエトの指導者ミハイル・ゴルバチョフに対するクーデター未遂事件を支持した。

・1991年10月27日:トルクメンSSRが独立を宣言。国名を「トルクメニスタン」に変更し、ニヤゾフ議長が初代大統領に就任した。

・1991年末:独立国家共同体(CIS)に加盟。

・1992年:新憲法公布。大統領を政府の長および国家元首とし、好きな時に首相を任命できる権限を与えた。その後、ニヤゾフ大統領は直接選挙で有効票の100%を獲得し、再選を果たした。

・ニヤゾフ大統領は永世中立を主張し、それ以来トルクメニスタンは全ての軍事同盟および国連の監視活動に参加することを拒否している。

・1993年:トルクメニスタン・マナトを自国の通貨に採用したうえで、慎重に経済改革プログラムを開始した。政府は経済成長を促すために、石油と天然ガスへの投資を推奨した。

・1994年:大統領の任期延長の是非を問う国民投票が行われ、ニヤゾフ大統領の任期は2002年まで延長された。

・1997年:土地の私的所有を合法化した。

・1998年:トルクメニスタンとイランを結ぶ天然ガスパイプラインが開通した。

・1999年:ニヤゾフ大統領の任期を終身にするかどうかを決める国民投票が行われ、ニヤゾフ大統領は死ぬまで国家元首のポストを維持できるようになった。

・2000年:70歳の誕生日を迎えたニヤゾフ大統領は、2010年までに辞任すると発表した。

・2000年:ニヤゾフ大統領はカラカム砂漠に2,000㎢の人工湖を建設する計画を発表した。この計画は水を確保することを目的としているが、科学者たちは地域の環境を破壊する可能性があると警告した。

・2002年8月:ニヤゾフ大統領は母親および自身の著書ルーフナーマにちなんで、月の名称を変更した。

・2002年11月:大統領を乗せた車両が銃撃を受けるが、ニヤゾフ大統領は無傷だった。政府当局は追放された野党指導者の代理を務める議員を「傭兵」と呼んだうえで暗殺未遂を非難したが、野党は「ニヤゾフ大統領は反対派を粛正するために、暗殺未遂を演じた」と主張した。

・2002年12月:大統領の暗殺未遂に関わったと信じられている野党活動家で元外相のボリス・シクムラドフが逮捕され、秘密裁判で終身刑を宣告された。同じく暗殺未遂に関わったと伝えらえている野党関係者40人以上が即決裁判で有罪判決を受け投獄された。

・2003年4月:ロシアがトルクメニスタンの天然ガス購入に合意。ロシアの半国営企業ガスプロムは年間600億㎥を購入する独占契約を結んだ。

・2003年4月:ニヤゾフ大統領は、1993年に結んだロシアとの二重国籍協定を取り消した。これにロシア政府は猛反発し、トルクメニスタンとの関係は一時的に悪化した。

・2004年8月:ニヤゾフ大統領は、砂漠のど真ん中に巨大な氷の宮殿を建設するよう労働者に命じた。

・2004年11月:トルクメニスタンとウズベキスタンが水資源に関する合意(友情宣言)に署名。

・2004年末:ニヤゾフ大統領はカナダのジャン・クレティエン元首相と会談し、トルクメニスタンとカナダ企業の石油契約について協議した。

・2005年初頭:ニヤゾフ大統領は独立国家共同体とのつながりを重要視しないと発表し、西側諸国を困惑させ、ロシアの怒りを買った。

・2005年2月:ニヤゾフ大統領が眼科手術を受け、その後、首都アシガバート以外の病院の閉鎖を提案する。この提案は実現しなかった。

・2005年3月:カナダの野党勢力はジャン・クレティエン元首相とニヤゾフ大統領の会談を却下したうえで、話し合われた石油契約はクレティエン元首相の地位と名誉を損なう可能性があると警告した。

・2005年5月:エネルギー部門の上級責任者兼副首相が解任される。その後、元副首相は汚職を含む様々な容疑で起訴され、秘密裁判で懲役25年の実刑判決を受けた。

・2005年7月:議会のリーダー、レジェップ・サパーロブが解任され、汚職で懲役20年の実刑判決を受けた。

・2006年1月:ニヤゾフ大統領は国のシステムに秩序をもたらすことを望んでいると主張し、国営年金の大幅な削減を命じた。

・2006年4月:トルクメニスタンは中国向けの新たな天然ガスパイプラインを建設することで中国共産党と合意した。

・2006年9月:ロシアの半国営企業ガスプロムは、トルクメニスタンから供給される天然ガスの料金を54%値上げすることに合意した。

・2006年9月:ラジオ・リバティのジャーナリストで人権活動家のオグルサパル・ムラドバが刑務所で死亡した。当局はムラドバは自然死したと述べたが、遺族はこの主張に異議を唱えている。

・2006年11月:ニヤゾフ大統領は心臓病を患っていることを認めた。

・2006年12月21日:政府はニヤゾフ大統領が心不全で死亡したことを明らかにした。

・2007年2月14日:大統領選挙。グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフが有効票の89%を獲得。野党と外部のアドバイザーは選挙結果を拒否した。

・2007年3月19日:ベルディムハメドウ大統領は、約10万人の高齢者に年金を返還したうえで、ニヤゾフ前大統領の国営年金削減法を廃止した。

・2007年3月20日:ベルディムハメドウ大統領はランドマーク、機関、および都市の名前を好きなように変更できる大統領権限を廃止した。

・2007年6月14日:ベルディムハメドウ大統領は前任者の指示で閉鎖されたトルクメン科学アカデミーを再開した。

・2007年6月29日:ベルディムハメドウ大統領は50歳の誕生日を盛大に祝う式典を開催し、「傑出した業績」を象徴する約1kgの金とダイヤモンドで作られた高価なペンダントを受け取った。

・2007年7月:ロシア、トルクメニスタン、カザフスタンは、カスピ海の北に新しいパイプラインを建設することに合意した。これにより、ロシアはトルクメニスタンの天然ガスへのアクセスを完全に確保した。

・2008年1月:トルクメニスタンはイランへのガス供給を削減したうえで、イランは支払いを拒否したと非難した。しかし、イランはこれに強く反発し、「トルクメニスタンはガスの価格を2倍にはね上げた」と主張した。

・2008年4月:トルクメニスタンは2002年以来、グレゴリオ暦に戻った。

・2008年5月:ベルディムハメドフ大統領は、首都アシガバートにあるニヤゾフ前大統領の金の像を撤去するよう命じた。この像はグルグル回転することで知られており、西側諸国のジャーナリストは黄金のニヤゾフ回転人形と呼んでいた。

・2008年9月:憲法改正。人民評議会は複数政党制を保障する新しい法律を可決した。

・2008年12月:議会選挙。ベルディムハメドフ大統領を支持する無党派勢力が大勝し、民主派勢力は打ちのめされた。

・2008年12月:ベルディムハメドウ大統領は国歌を変更すると発表した。これにより、旧国歌のニヤゾフ前大統領を称賛する歌詞は消滅した。

・2009年12月:トルクメニスタンと中国を結ぶ新たなパイプラインが開通。ベルディムハメドフ大統領はガスの輸出に関するロシアとの約束(独占契約)を打ちのめした。

・2010年1月:トルクメニスタンとイランを結ぶ2つ目のパイプラインが開通。

・2010年7月:ベルディムハメドフ大統領は民間新聞の活動を許可する可能性があると示唆したが、西側諸国の主要メディアは大統領の発言を「ただの政治的ポーズ」と却下した。

・2010年11月:トルクメニスタンは計画されている新たな天然ガスパイプライン、ナブッコ・パイプラインにガスを供給すると発表した。これは、EU諸国のロシア依存を減らすためのプロジェクトであり、ベルディムハメドフ大統領は、年間最大400億㎥のガスを供給すると述べた。

・2010年12月:トルクメニスタンはアフガニスタンを越えてパキスタンとインドに天然ガスを供給するパイプライン建設計画「タピ協定」に同意した。ただし、資金調達方法や、暴力的なアフガニスタンとパキスタンの国境を横断する具体的な方法は明らかにされていない。

・2011年5月:ベルディムハメドフ大統領はトルクメニスタンの衛星放送受信アンテナの数はさらに制限されると述べ、外国メディアを打倒すると示唆した。

・2011年10月:議会はベルディムハメドフ大統領に「国民の英雄」という称号を与える動議を可決した。

・2011年12月:トランスペアレンシー・インターナショナルは世界の腐敗ランキングで、トルクメニスタン政府を3位にランク付けした。

・2012年2月:大統領選挙。ベルディムハメドフ大統領は有効票の97%を獲得したと発表した。

・2012年8月:1991年の独立以来初となる政党「トルクメニスタンの産業主義者および起業家党」が結成される。

・2012年12月:約17年振りとなる国勢調査を実施。

・2013年9月:アフガニスタンとの30年間のガス協定に署名。

・2013年12月:議会選挙。ベルディムハメドフ大統領を支持する無党派勢力が大勝した。

・2014年11月:トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドの4つの国営ガス会社は、全長約1,800kmのトルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド天然ガスパイプラインを建設、所有、運営する会社を創設した。

・2015年1月:トルクメニスタン・マナト(通貨)はエネルギー価格の低迷とロシアルーブルの弱体化を受け、米ドルに対する価値を19%下落させた。

・2015年11月:トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド天然ガスパイプラインの建設が始まる。建設費は約100億ドル。

・2016年9月:憲法改正。2017年の大統領選挙に先立ち、大統領の任期が5年から7年に延長された。

・2017年2月12日:大統領選挙。ベルディムハメドフ大統領は有効票の97%以上を獲得したと発表した。

・2018年2月:トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド天然ガスパイプラインのアフガニスタン地域工事が始まる。

文化(目次に戻る

・旧ソビエトとイスラム教(スンニ派)の影響を強く受けている。

・アフロヘア―のように見える大きな黒または白のシープスキンハット「テルペック」を愛用している。

・大統領を無条件に支持している。

・公用語はトルクメン語だが、ロシア語を話せる国民もかなり多い。

・敬虔なイスラム教徒は少なく、特に若者の信仰は緩いと伝えられている。

・主食は米と小麦。主菜は羊肉、山羊肉、地元の野菜全般、メロン、乳製品。

・食後のお茶「チャイ」を愛飲している。

・一番人気のアルコールは低価格で入手しやすいウォッカ。次点はビール、ワイン、ブランデー、スパークリングワイン。

トルクメニスタン/市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、アーチェリー、自転車競技、重量挙げ。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことがない世界最北端の国。

・旧ソビエト連邦で唯一五輪メダルを獲得したことがない。

・首都アシガバートにはなぜかオリンピックスタジアムがある。

その他(目次に戻る

世界で最も閉鎖的な国のひとつ

・隣国のアフガニスタンやイランに比べると治安は安定している。

トルクメニスタン/女性たち
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