タジキスタン共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:タジキスタン共和国(Republic of Tajikistan)

首都:ドゥシャンベ(Dushanbe)

人口:8,873,669人(2021年推定)

面積:143,100㎢(北海道の1.7倍)

気候:大陸性気候
・冬は寒く、夏は非常に暑い。
・高地には広大な氷河と雪原がある。
・気温は地域によって大きく異なる。
・首都ドゥシャンベは寒暖の差がかなり大きい。(夏の最高気温:35~45℃、冬の最低気温:マイナス10℃以下)
・年間降雨量は地域によって大きく異なる。少ない地域は100mm以下、多い地域は4,000mmを超える。

・東部ゴルノバダフシャン自治区は、世界の屋根と呼ばれている。最高点は7,495m。
・観光に適した季節は4月と10月。ただし、夜はかなり冷えるため、防寒着が必要。

経済:
・開発途上国
GDPは80億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と農業。
・主要輸出パートナーはトルコ(20%)、カザフスタン(18%)、スイス(14%)
・主要輸入パートナーは中国(42%)、ロシア(18%)、イラン(13%)
・主要輸出品はアルミニウム、家電製品、綿、果物、植物油など。

・人口の推定60%が貧困ライン以下の生活を送っている。
・一人当たりのGDPは旧ソビエト連邦内で最低。
・観光産業は内戦終結以降、ゆっくりと回復している。
・都市部の失業率は2~3%、農村部は50~60%と推定されている。
・アルミニウム材と綿花の輸出収入に依存しており、極めて脆弱。

人種:
・タジク人 84.3%(CIAワールドファクトブック推定)
・ウズベク人 13.8%
・キルギス人 1%
・ロシア人 0.5%
・トルクメントルコ人 0.3%
・タタール人 0.1%
・アラブ人 0.1%

言語:
・タジク語(公用語)
・ロシア語(公用語)
・ウズベク語
・トルクメントルコ語
・キルギス語
・その他の様々な言語

宗教:
・スンニ派イスラム教 95%(CIAワールドファクトブック推定)
・シーア派イスラム教 3%
・その他 2%

タジキスタン共和国

政治(目次に戻る

大統領:エモマリ・ラフモン(Emomali Rahmon)
首相:コヒル・ラスルゾダ(Kokhir Rasulzoda)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は7年、再選制限なし。
・二院制。
・上院(国会)の議員定数は33人、任期は5年。
・下院(代表者集会)の議員定数は63人、任期は5年。
・大統領と大統領の家族は刑事責任を問われない。
・現職のエモマリ・ラフモン大統領は1994年以来、権力を維持し続けている。
・大統領選挙と議会選挙は不正に満ちており、現職のラフモン大統領と与党は確実に圧勝する。
・リベラルな民主党を支持する有権者は少ないと信じられている。
・深刻な腐敗と汚職が国の成長を大きく妨げている。

法律:タジキスタン共和国の憲法
・司法の独立を保障しているが、弁護士の権利および公の裁判に対する憲法上の保証はしばしば無視される。
・女性弁護士は一人もいないと伝えられている。
・基本的人権を保障しているが、市民は政府および治安部隊の拷問、虐待、脅迫にさらされている。
・女性に対する暴力と差別が蔓延している。
・人身売買と児童労働が蔓延している。
・信教の自由を保障しているが、エホバの証人などの宗教団体は拷問、虐待、脅迫にさらされている。
・徴兵制に基づく新兵候補の誘拐が常態化している。
・ラフモン大統領は死ぬまで国を統治する予定。
・女性の虐待(肉体、精神、性的)は取り締まりの対象外。

タジキスタン共和国/エモマリ・ラフモン大統領と中国の習近平 国家主席

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年5月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:かなり悪い
・近年、自爆テロなどの凶悪事件は発生していない。
・南部のアフガニスタン国境周辺はイスラムジハード組織の活動エリアになっている可能性がある。
・ソグド州イスファラ地区の飛び地(キルギス領に囲まれている)はジハード軍の活動エリアになっているため、極めて危険。
・反政府勢力は2011年の掃討作戦で一掃されたと信じられているが、近年、イスラム国を含むジハード軍とつながりのある組織の活動が複数確認されており、いつ治安が悪化してもおかしくない。
・国境付近は麻薬の密売組織の活動エリア。
・政治情勢は極めて不安定で、治安の悪化が懸念されている。
・キルギスとの水資源をめぐる紛争は継続中。
・繁華街では強盗、窃盗、強姦、スリ、置き引きに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。
・パスポートやキャッシュカードは安全な場所に保管し、可能な限り持ち歩かない。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は15社ほど活動している。
・国営テレビ局は10社以上。
・民間テレビ局は政府の管理下でのみ放送を許可されるため、実質国営。
・民間ラジオ局は政府の管理下でのみ放送を許可されるため、実質国営。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは処刑、拷問、虐待、脅迫に直面する可能性が高い。
・主要メディア媒体はテレビとラジオ。
・インターネット普及率は30~40%。
・検閲は厳しい。
・YouTubeの視聴は2014年にブロックされた。
・1990年~2001年の間に殺害されたジャーナリストは50~80人と推定されている。

【国営メディア/設立年】
・タジキスタンTV 1959年

【民間メディア】
・テレビサフィナ
・テレビバホリストン
・TVサッカー
・その他

タジキスタン共和国/集落

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2021年軍事力ランキング:99位

・軍人数:16,500人(推定)
  即戦力 9,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 7,500人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:7,900万ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在のタジキスタン共和国と周辺地域はブハラ・ハン国の領土の一部だった。

・1740年代、ブハラ・ハン国のナーディル王の死後、先住民族マンギットの長であるムハンマド・ラヒム・ビイ・アザリクは他のライバル部族を打倒し、新しい支配体制を確立したと伝えられている。

・1785年、アザリクの後継者はブハラ・ハン国の王朝制度を廃止し、国名をブハラ首長国にあらためた。

1800年代

・1800年代前半、ブハラ首長国は現在のタジキスタンと周辺地域をヨーロッパの強国とロシア帝国から守るために戦った。

・1801年、ブハラ首長国のシャー・ムラド・ビン・ダニヤール・ベイが息子のハイダー・トラ・ビン・シャー・ムラドに王位を引き継ぐ。

・ロシアは当時、内戦の影響で綿の供給量が大幅に減少し、代替供給源として中央アジアに目を向けていた。

・1821年、全国の遊牧民による蜂起が発生。首長国の兵士は反抗的な遊牧民を打倒し、遺体は磔にしたと伝えられている。

・1850年、ロシアが南部地域に侵攻し、ブハラ首長国の自治当局者は撤退を余儀なくされた。

・1864年、ロシアがトルキスタンの領土全体とタジキスタンの一部を支配した。

・1866年、ロシア軍は中央アジア一帯の先住民族軍を打倒した。この時、反抗的な者は処刑され、ロシアの管理下に置かれることを望んだ者は生きることを許可されたと伝えられている。

・1868年、ロシアはタジク人が支配していた地域を包囲し、ブハラ首長国およびその他の先住民族軍を圧倒した。

・1870年代、イスラム教の組織、ジャディード運動が全国各地で活動を強化した。ジャディード運動は反ロシアではなかったが、ロシア軍はこれを脅威と見なしたと伝えられている。

・1873年、ブハラ首長国は領土の50%以上をロシアに明け渡した。

・1885年、ブハラ首長国はロシアの支配に屈し属国になったが、一部の領土は何とか死守した。

タジキスタン共和国/パミール高原

1900年~第一次世界大戦

・1910年、イスラム教の組織、ジャディード運動がロシアの自治政府に対する蜂起を起こしたが、ロシア軍はこれを鎮圧した。

・1913年、ジャディード運動は再びロシアの自治政府に襲いかかり、少なくとも当局者を20人殺害したと伝えられている。これを受け、ロシアはイスラム教徒に対する圧力をさらに強めた。

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・1916年7月、イスラム教徒たちはロシアの強制徴兵に激しく反発し、各地で暴動を引き起こした。ロシア軍はこれを力でねじ伏せようとしたが、暴動は全国各地で1年以上続いた。

・1916年9月、バスマチ蜂起勃発。(ロシアvsイスラムゲリラ勢力)

・1917年、イスラムゲリラ勢力はロシア革命を歓迎し、ロシア軍に対する攻勢をさらに強めた。

・1918年、ソビエト赤軍はイスラム教徒に対する憎悪を爆発させ、村を焼き払い、敵対勢力に関連する者を処刑した。

・赤軍は反抗的なイスラム教、ユダヤ教、キリスト教を激しく弾圧し、モスク、教会、シナゴーグを破壊し尽くした。結果、ブハラ首長国(タジキスタン)を含む中央アジアはかつてない規模の飢饉に見舞われ数十万人が餓死した。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年9月2日、ブハラ首長国のモハメッド・アリム・カーン王はソビエト連邦の攻勢に屈し、敗走。これによりブハラ首長国は滅亡し、タジキスタンはソビエトの一部に組み込まれた。

・1920年10月6日、ブハラ首長国が正式に廃止され、ソビエト政府は「ブハラ人民ソビエト共和国」の誕生を宣言した。

・1924年10月、ソビエト政府はブハラ人民ソビエト共和国を「タジキスタン自治ソビエト社会主義共和国」に変更し、その領土に現在のウズベキスタンを追加した。

・1929年1月、ウズベキスタンソビエト社会主義共和国(ウズベクSSR)がタジキスタン自治ソビエト社会主義共和国から分離された。これにより、タジキスタン自治ソビエト社会主義共和国は「タジキスタンソビエト社会主義共和国(タジクSSR)」に名を改めた。

・1930年代前半、タジクSSRの南部地域で農業集団化と綿花生産が急速に拡大した。このソビエト集団化政策は農民とイスラムゲリラ勢力の怒りを引き起こし、全国各地で暴力が発生した。結果、バスマチ蜂起は勢いを取り戻し、一部の農民も戦闘に参加した。

・1934年、バスマチ蜂起終結。ソビエト赤軍が勝利し、イスラムゲリラ勢力は中央アジアの各地に分散逃亡した。

<バスマチ蜂起>
・両軍参加者:20万~25万人(推定)
・両軍負傷者:数万人(推定)
・両軍死亡者:数万人(推定)
・民間人死亡者:80,000~100,000人(推定)
・民間人餓死者:15万~30万人(推定)

・1938年、ヨシフ・スターリンの粛清(1927年~1934年と1937年~1938年)の結果、タジクSSRの反ソビエト勢力約10,000人が国外に追放され、その後、ロシア人はタジクSSRの一等書記官を含むすべての地位を奪取した。

・1939年7月、第二次世界大戦勃発。

・タジク人はソビエト軍に強制徴用され、推定26万人がドイツ、フィンランド、大日本帝国と戦った。

・第二次世界大戦中、推定6万~12万人のタジク人が戦火に巻き込まれ死亡した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

タジキスタン共和国/北部の集落

終戦~現在

・1946年、タジクSSR共産党の最初の書記官、ボボジャン・ガフーロフはソビエトに忠誠を誓い、スターリンの支持を得た。

・1957年~1958年、タジキスタンはフルシチョフの処女地開拓キャンペーンを推進したが、市民の生活条件、教育、製造業の発展速度は他のソビエト加盟国に後れをとっていた。

・1980年代、タジクSSRの経済は停滞し、ソビエトで最も低い世帯貯蓄率を示し、市民は政府の経済政策の失敗を厳しく非難した。

・1985年、タジクSSR共産党のカハル・マフカモフによる経済の活性化政策は大失敗に終わり、市場は混乱し、インフレが進み、失業率は30%を超えた。

・タジクSSRの致命的な不況は市民の怒りを煽り、ソビエトのミハイル・ゴルバチョフ大統領は最も脆弱な属国の独立を速やかに承認した。

・1990年2月12日、首都ドゥシャンベで民族主義者とイスラム過激派組織による大規模な暴動が発生した。タジクSSRの支援に入ったソビエト軍は抗議者は打倒し、民間人26人が死亡、500人以上が負傷した。

・1991年9月9日、「タジキスタン共和国」はソビエトからの独立を宣言した。これにより、政治を支配していたロシア人は影響力を失い、タジク人による新たな議会が設立された。

・1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟。

・1991年12月26日、ソビエト崩壊。

・1992年3月2日、国連に加盟。

・1992年5月5日、タジキスタン内戦勃発。(政府軍vs野党イスラム連合)

・1992年12月、タジキスタン政府軍はロシア軍とウズベキスタン軍の支援を受け、一部の野党イスラムゲリラ部隊に勝利した。

・1993年1月、タジキスタンイスラムルネッサンス党(IRP)の過激派やゴルノバダフシャンの少数民族ゲリラ組織が敵対するクリャーブ族への攻撃を開始した。クリャーブ族の民兵は主に外国勢力の支援を受け、イスラムゲリラ部隊を打倒した。

・1994年、パミール人とガルミー人に対する民族浄化作戦が首都の南部地域で発生し、多くの著名人が処刑され、少なくとも数万人が虐殺された。一連の作戦は数年続き、多くのパミール人とガルミー人がアフガニスタンに逃亡したと伝えられている。

・1994年11月6日、新憲法公布。

・1995年、野党勢力とアフガニスタンのイスラム過激派組織はユナイテッドタジク野党連合(UTO)を組織し、政府軍にゲリラ攻撃を仕掛けた。この戦闘には多くの市民、民兵、その他の武装集団も参加し、政府は機能不全に陥った。

・1996年、国連安全保障理事会がタジキスタンにオブザーバーチームを派遣。この時UTOを含む過激派組織はロシア軍と戦い、アフガニスタン北部のイスラムジハード組織も戦闘に加わっていた。

・1997年6月27日、タジキスタン内戦終結。両軍は国連の仲介による包括和平合意に署名した。一連の内戦により、タジキスタンは荒廃し、約120万人が国内外避難民になった。

・内戦の影響で国内のインフラ、経済、行政サービスは壊滅的な打撃を受け、人口の80%近くが国際支援組織の配布物で命をつないだ。

<タジキスタン内戦>
・両軍参加者:50,000~70,000人(推定)
・両軍負傷者:数千人(推定)
・両軍死亡者:数万人(推定)
・民間人死亡者:20,000~100,000人(推定)
・民間人避難民:120万人(推定)

・1999年、初の民主的な大統領選挙。エモマリ・ラフモンが有効票の99.9%を獲得した。

・タジキスタンとアフガニスタンの国境付近に配備されたロシア軍は2005年まで治安維持活動を継続した。

・2001年9月11日の同時多発テロ以来、米陸軍と海軍は定期的にタジキスタンを訪れ、最大数週間の合同訓練を行っている。

・2010年8月、国内の刑務所から過激派組織の戦闘員25人が脱獄。

・2010年9月、タジキスタン軍の主要基地、ドゥシャンベ空港の改修が完了。

・2010年9月末、南部ラシュト渓谷でタジキスタン軍の兵士28人がイスラムジハード組織に殺害される。

・2010年10月、別の谷を巡回していたタジキスタン軍の兵士30人が待ち伏せ攻撃を受け死亡。反撃を受けたイスラムジハード組織の戦闘員3人も死亡した。

・2010年11月、タジキスタン軍がラシュト渓谷周辺での軍事作戦終了を宣言。

・2012年7月24日~25日、ゴルノバファフシャン地方で政府軍とアフガニスタンのイスラムジハード組織が衝突し、少なくとも70人が死亡したと伝えられている。

・2015年、ロシア軍はタジキスタンに数千人規模の支援部隊を送り、過激派組織との戦いを支援した。

・2020年10月、大統領選挙。ラフモンが有効票の90%以上を獲得し、3期目の当選を果たした。

・ロシアは首都ドゥシャンベ郊外の基地で活動を継続している。

・タジキスタンとキルギスタンの資源をめぐる紛争は地域の安定に大きな影響を与えており、雲の上の高速道路と呼ばれるホログ・オッシュ道路は、兵器や麻薬を含むあらゆる種類の密輸品の輸送ルートになっている。1995年春に開催されたタジキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタンの外交会談では、両国の争いが中央アジアの民族、社会、経済の成長を阻害しているという結論に達したが、和平には至らなかった。

・2021年4月28日、タジキスタンとキルギスタンの国境付近で衝突が発生。両軍の兵士と民間人合わせて少なくとも55人が死亡し、周辺の住民33,000人以上が避難した。

・2021年5月3日、タジキスタンとキルギスタン政府は停戦に合意し、国境付近から軍を撤退させた。

2021年5月1日/キルギス南西部バトケン地域、タジキスタンとの紛争で町は破壊された(ロイター通信/BBCニュース)

文化(目次に戻る

・ロシアとイスラム教の影響を強く受けている。

・タジク料理はウズベキスタン、アフガニスタン、ロシア、イランの料理とよく似ている。

・主食は米。主菜は豚肉以外の肉、国内で収穫できる野菜全般、果物、ドライフルーツ、ナッツなど。

・食後に無糖のお茶を飲む文化が定着している。

・タジク文化は文書化されていないものが多く、分からないことが多い。

タジキスタン共和国/子供たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、ラグビー、陸上競技、レスリング。

・プロサッカーリーグのタジクリーグを運営している。

・その他の人気スポーツは登山、マウンテンバイク、ロッククライミング、スキー、スノーボード、ハイキング。

・オリンピックでの獲得メダル数は4個。(金:1個、銀:1個、銅:2個)

・2016年のリオ五輪で初の金メダルを獲得した。

【有名スポーツ選手】

・ディルショド・ナザロフ(Dilshod Nazarov)ハンマー投げ選手。2016年のリオ五輪でタジキスタン初のオリンピック金メダルを獲得。

その他(目次に戻る

・世界で最も貧しい国のひとつ。

現職のエモマリ・ラフモン大統領は死ぬまで国を統治し続ける予定

タジキスタン共和国/首都ドゥシャンベ
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