目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:スリナム共和国(Republic of Suriname)
首都:パラマリボ(Paramaribo)
人口:609,569人(2021年推定)
面積:163,270㎢(北海道の2倍)
気候:熱帯気候
・気温は1年を通してほとんど変化しない。(最低:22~23℃、最高:30~31℃)
・高温多湿で降水量が多く、土地の大部分は熱帯雨林とマングローブに覆われている。
・乾期は8月~11月。
・雨季は12月~7月。
・年間降雨量は2,500~3,000mm。
・ハリケーンの影響を受けることはほとんどない。
・観光におすすめの時期は8月~11月。
・半袖、ハーフパンツ、ミニスカートで行動したくなるが、蚊が多いため肌の露出は控えた方がよい。
経済:
・開発途上国
・GDPは24億ドル(2020年推定)
・ラテンアメリカで最も貧しい国のひとつ。
・人口の約70%が貧困ライン以下の生活を送っている。
・主要産業はサービス業と製造業。
・インフレ率は22%(2020年)
・主要輸出パートナーはスイス(41%)、香港(18%)、UAE(14%)
・主要輸入パートナーは中国(14%)、ドイツ(8%)、アメリカ(8%)
・主要輸出品は酸化アルミニウム、金、木材、魚介類、米、バナナ。
・酸化アルミニウムが輸出収入の60~70%を占めている。
・世界で最も投資しにくい(ビジネスに向かない)国のひとつと考えられている。
人種(民族):
・インド系スリナム人 27.4%(2010年国勢調査)
・アフリカ系スリナム人 21.7%
・クレオール 15.7%
・ジャワ人 14%
・先住民族との混血 13.4%
・中国人 7.3%
・先住民族 3.8%
・白人 1%
・その他 2.3%
言語:
・オランダ語(公用語)
・スラナン語
・英語
・カリブヒンドゥー語
・ジャワ語
・中国語(主に広東語)
・その他の先住民族の言語
宗教:
・キリスト教 48.4%(2012年推定)
・ヒンドゥー教 22.3%
・イスラム教 13.9%
・その他の宗教 4.7%
・無宗教 10.7%
スリナム共和国
政治(目次に戻る
大統領:チャン・サントクヒ(Chan Santokhi)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は5年。再選制限なし。
・一院制。
・国民議会の議員定数は51人。任期は5年。
・アメリカとの関係は極めて良好。カリブ海流域安全保障イニシアチブ(CBSI)と米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)を通じて協力関係を維持している。
・開発途上国との協力関係を強化している。(主に中国)
法律:スリナム共和国の憲法
・司法の独立を保障している。
・2019年に憲法裁判所を設立した。
・警察や軍の厳しい取り締まりが社会問題になっている。
・女性に対する暴力、家庭内暴力、レイプ、強姦などが深刻な社会問題になっている。
・児童の労働(14歳以上)を認めている。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年4月時点)
治安:良くはない
・近年国内でテロ事件は発生していない。
・強殺、強盗、誘拐、強姦などの凶悪事件の発生率は日本よりはるかに高い。
・繁華街でのスリ、引ったくり、置き引きに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・人通りの少ない通りや公園での強盗や誘拐事件が多発している。
・イスラム過激派組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・隣国との国境紛争を抱えているため、国境付近には不用意に近づかないこと。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は10社ほど。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は12局。
・ラジオ局は24局。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受けることがある。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は45~50%。
・検閲はない。
・2012年の世界報道自由度ランキングで22位(日本と同位)にランクされた。
【国営メディア/設立年】
・ATV 1960年代
・STVS 1970年代
【民間メディア】
・ABC
・RBN
・Rasonic TV
・その他
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2021年軍事力ランキング:135位
・軍人数:2,000人(推定)
即戦力 2,000人
予備兵 0人
準軍組織 0人
・陸軍を保有。
・国防予算:6,000万ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のスリナムと周辺地域はオランダ王国の植民地下に置かれていた。
・オランダ領インド会社は奴隷を管理し、コーヒー、ココア、サトウキビ、綿などの農作物を販売することで大きな利益を上げた。
・1730年代、奴隷たちは劣悪な環境下に置かれ、農園で1日15時間以上働かされたと伝えられている。結果、多くの奴隷が農園から逃げ出し、オランダ領インド会社は労働力不足に直面した。
・1740年代、奴隷農園から内陸の熱帯雨林に逃亡した先住民族および奴隷移民(主にインド人)は、新たな土地でコミュニティを形成し、アフリカとインドが入り混じった新しい文化を確立させた。
・熱帯雨林に住み着いた混血先住民族だちは「青白い肌の黒人」「茶色の黒人」などと呼ばれ、マルーン村を形成した。その後、マルーン村は大きく発展し、いくつかの新しい部族も誕生した。(主な部族:サラマカ、パラマカ、ジュカ、オーカン、キンティ、アルク、ボニ、マタワイ)
・1770年代、マルーン村などの戦士たちはオランダ領インド会社の農園を襲撃し、女性、武器、食糧、物資を強奪した。伝えられるところによると、戦士たちは農園で働かされている奴隷たちを殺すことも珍しくなかったという。
・1780年代、オランダ領インド会社は熱帯雨林に潜伏する先住民族に対する攻撃を開始した。しかし、広大な熱帯雨林を熟知するマルーン村の戦士たちは入植者たちを圧倒し、独立を維持した。
・1790年代、オランダ領インド会社は熱帯雨林の先住民族の自治権を認める独自の平和条約を提案し、マルーン村をこれを承認した。
・1790年代後半、フランスのナポレオン軍がオランダ本土を制圧。これにより、スリナムはフランスの植民地になった。
・1799年、イギリス軍がフランスオランダ領スリナムを占領。これにより、スリナムはイギリスの植民地になった。
1800年代
・1816年、ナポレオンの敗北に伴い、オランダはフランスの支配から逃れた。
・1817年、イギリスがスリナムの支配権をオランダに返還。
・1830年代、オランダ領インド会社はさらに多くの労働者(主に中国人)を他国から輸入した。
・1863年、オランダ議会が奴隷制を廃止する法案を可決。スリナムの市民を悩ませていた奴隷貿易と強制労働は終了した。しかし、農園で働いていた奴隷たちは契約に基づき作業の継続を強要され、1873年頃まで解放されなかった。
・1870年代、オランダ領インド会社はインドの移民希望者を大量に受け入れ、農園で働かせた。
・一連の移民政策の影響により、スリナムは世界で最も民族的および文化的に多様な国のひとつになった。
1900年~第一次世界大戦
・スリナムは第一次世界大戦に関与していない。
・1900年代初頭、スリナムの天然資源(主にゴム、金、ボーキサイト)は世界中に輸出された。
・アメリカのアルコア社は、スリナムで発掘に成功したボーキサイト(アルミニウムの原料)の権利を主張したが、オランダ領スリナム政府はこの要求を却下し、国際裁判に発展した。
・1910年代、ジャワ(インドネシア)の移民希望者の増加に伴い、先住民族とジャワ人の混血コミュニティが誕生した。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・1941年11月、アメリカはオランダ政府との合意に基づき、ボーキサイト鉱山を保護するためにオランダ領ギアナを占領した。
・スリナムのコミュニティが第二次世界大戦に直接関与することはなかったが、開戦前に海外に移送された一部の先住民族は連合軍に加わったと伝えられている。なお、正確な参加者、負傷者、死亡者は分かっていない。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
1954年12月15日、オランダ議会はスリナムの自治権を認め、植民地からオランダ王国加盟国になることを承認した。
・独立に至るまでの間に人口の約3分の1がオランダに移住した。
・1973年、スリナムの独立に向けた交渉が始まる。
・1975年11月25日、「スリナム共和国」がオランダから独立。ヨハン・フェリエが初代大統領、ヘンク・アロンが初代首相に就任した。
・スリナム共和国の政治は独立後すぐに民族の二極化と腐敗に直面し、第一党のスリナム国民党(NPS)はオランダに援助を要請した。
・1978年、市民はアロン政権の汚職と腐敗に抗議し、独自のゲリラ部隊を持つ熱帯雨林の先住民族は各地で政府に抗議する破壊活動を展開した。
・1980年2月、軍事クーデター発生。デシ・ボーターセ曹長率いるチームはアロン政権を打倒した。しかし、フェリエ大統領は軍事政権の発足を認めず、国民共和党のヘンデリック・チン・ア・センを新首相に任命した。
・1980年7月、軍事クーデター発生。軍はフェリエ大統領を追放し、ヘンデリック・チン・ア・セン首相を新大統領に置き換えた。この時、市民は軍事クーデターによって政府の汚職と腐敗は無くなり、生活水準も向上すると期待していた。
・1980年8月、デシ・ボーターセが軍事評議会の議長に就任。スリナムの事実上の支配者になった。
・1982年12月8日、ボーターセ政権に反対する野党メンバー15人がゼーランディア要塞で処刑され、オランダとスリナムの関係は急速に悪化した。
・1982年12月末、オランダ政府がスリナムへの支援を停止すると発表。
・1985年、ボーターセ政権は野党の活動を解禁し、新憲法の草案着手に向けた委員会を発足した。
・1986年、ボーターセ政権に反対する反政府ゲリラ勢力が全国各地で反乱活動を開始。野党指導者のロニー・ブラウンスワイクが活動を率いた。これに対しボーターセ指導者はゲリラ軍を支援する村を破壊し、反抗的な市民を処刑した。一連の取り締まりで少なくとも10,000人がフランス領ギアナに逃亡し、難民として受け入れられた。なお、違法難民の数は把握されていない。
・1986年7月22日、スリナム内戦勃発。(国軍vs熱帯雨林のコマンドー部隊)
・1987年、ボーターセ政権は西側諸国からの圧力に屈し、文民憲法を制定したうえで、民主的な大統領選挙を実施した。結果、先住民族コマンドー部隊から選出されたラムセワク・シャンカールが大統領に就任した。
・1990年、軍事クーデター発生。ボーターセ将軍はシャンカール大統領を追放し、暫定大統領に就任した。コマンドー部隊はこれに強く反発し、内戦は激化した。
・1991年、議会選挙と大統領選挙。民主発展新戦線が過半数を獲得し、ロナルト・フェネチアーンが大統領に就任した。
・1992年、ボーターセ将軍の同盟国であるユーレス・ヴェイデンボッシュが大統領に就任。フェネチアーンは失職した。
・1992年8月8日、スリナム内戦終結。熱帯雨林の先住民族で構成されたコマンドー部隊は文民政府の復活に伴い、戦闘終結を宣言した。
<スリナム内戦>
・両軍参加者:2,000~3,000人(推定)
・両軍負傷者:数百人
・両軍死亡者:150~200人(推定)
・民間人死亡者:約300人
・1999年7月16日、オランダの裁判所は474kgのコカインを密売した罪でボーターセ将軍に禁固11年の実刑判決を言い渡したが、将軍は判決を却下した。なお、EUはボーターセ将軍の逮捕状を維持している。
・2000年、大統領選挙。ロナルト・フェネチアーンが勝利し、大統領に返り咲いた。
・2005年、スリナムの裁判所はボーターセ将軍の息子であるディノ・ボーターセに麻薬密売、武器密売、高級車の盗難の罪により、禁固8年の実刑判決を言い渡した。
・ディノ・ボーターセは刑期を全うする前に釈放され、政府のテロ対策部門の上級職に就任した。
・2010年7月、議会はボーターセ将軍を大統領に選出した。
・2013年8月、アメリカの麻薬取締局(DEA)はディノ・ボーターセ上級高官を旅行先のパナマで逮捕し、ニューヨーク州に移送した。
・2015年3月、ディノ・ボーターセ上級高官は麻薬密売だけでなく、イスラム過激派組織ヒズボラに資金を提供していた罪で懲役16年の実刑判決を受け、アメリカの堅牢な牢獄に収監された。ディノ・ボーターセ上級高官は裁判の中でヒズボラとの関りを否定したが、DEAの工作員は証拠をばっちり押さえており、訴えは却下された。
・2015年、議会選挙と大統領選挙。国民民主党(NDP)が僅差で勝利し、ポーターセ大統領の再選が決まった。
・2019年11月、スリナムの裁判所は1982年の野党メンバー処刑を主導したポーターセ大統領に懲役20年の禁固刑を言い渡した。
・2020年1月、ポーターセ大統領は軍服を着て裁判所に出廷し、上訴した。
・2020年7月、チャン・サントクヒが大統領に就任。ポーターセ大統領は政界から引退した。
文化(目次に戻る
・オランダ、インド、アメリカの文化の影響を強く受けている。
・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・スリナムの料理は、インド、アフリカ、ジャワ(インドネシア)、中国、オランダ、ユダヤ、ポルトガル、アメリカなどの料理を組み合わせたもので、極めて多種多様。
・主食は米。主菜は鶏肉、キャッサバ、豆類、魚介類全般、スリナムで生産されているオクラやナスビなどの野菜。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、バレーボール、クリケットなど。
・国内にプロスポーツリーグはない。
・オリンピックでの獲得メダル数は2個。(金:1個、銅:1個)
・冬季オリンピックに出場したことはない。
【有名スポーツ選手】
・アンソニー・ネスティ(Anthony Nesty)水泳選手。唯一のオリンピックメダリスト。
その他(目次に戻る
・軍事クーデターで汚職政権を打倒し、その後、民主的な文民政権に移行した。
・ポーターセ元大統領の上訴裁判は続いている。