ソロモン諸島/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ソロモン諸島(Solomon Islands)

首都:ホニアラ(Honiara)

人口:652,857人(2018年推定)

面積:28,450㎢(北海道の0.35倍)

気候:海洋性気候
・雨季は12月~4月。
・乾期は5月~11月。
・年間降水量はほとんどの地域で3,000~3,500mm。
・気温は1年を通して安定している。(最低21~23℃、最高、29~31℃)
・ガダルカナル島には標高2,335mのポポマナセウ山(活火山)がある。
・11月~5月はサイクロンの影響を受けやすい時期なので、観光する際には天候をしっかりチェックしておくこと。
・観光におすすめの時期は6月~10月。

経済:
・開発途上国
GDPは16億ドル(2019年推定)
国内の労働者の75%以上が自給自足農業もしくは漁業で生計を立てている
・主要産業はサービス業と農業。
・観光業はインフラが整備されていない影響でほとんど発展していない。年間観光客数は20,000~25,000人。
・諸外国の財政援助に大きく依存している。(AUS、NZ、EU、日本、中国など)
・1998年の木材価格暴落の影響で、国内の木材産業の約半分が失われたと伝えられている。
・若者の失業率が高止まりしている。
・インフラの整備が課題。国土の約80%を占める熱帯雨林はほぼ未開発。
・主要農作物はココナッツ、コプラ、カカオ、米、サトイモ。

人種(民族):
・メラネシア人 95.3%(CIAワールドファクトブックより)
・ポリネシア人 3.1%
・ミクロネシア人 1.2%
・その他 0.3%

言語:
・英語(公用語、人口の1~2%しか話さない)
・ピジン語
・120以上の先住民族の言語

宗教:
・プロテスタント 73.4%(CIAワールドファクトブックより)
・ローマカトリック 19.6%
・その他のクリスチャン 2.9%
・その他 4%
・不明 0.1%

ソロモン諸島

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君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:デヴィッド・ヴナギ(David Vunagi)
首相:マナセ・ソガバレ(Manasseh Sogavare)

政治体制:立憲君主制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首はエリザベス2世。
・女王と総督の権限は限られている。
・総督(エリザベス2世の代行)は議会が選出する。
・一院制。議員定数は50人。任期は4年。
・単一政党による過半数獲得は困難。
・最高意思決定機関は議会。
・議会は極めて不安定、首相がコロコロ変わる。

法律:ソロモン諸島の憲法
・司法の独立を保障している。
・参政権は18歳以上。
・障害者に対する教育の機会を保障していない。
・女性の権利を保障しておらず、警察はレイプや虐待を取り締まっていない。
・LGBTの権利を保障していない。
・表現の自由を保障していない。2020年11月にフェイスブックを禁止した。
・同性愛行為は最長14年の懲役刑を科される可能性がある。
・同性異性を問わず、アナルセックスとオーラルセックスは違法。違反者は最長7年の懲役刑を科される。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年3月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:良くはない
・近年テロ事件は発生していない。
・イスラム過激派や反政府組織の活動は報告されていない。
・政府に対する抗議活動および暴動が継続的に発生している。
・強殺、殺人、強盗、レイプの発生率は意外と高い。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
政府に不満を持っている若者が多く、定期的に暴動が発生する
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・置き引き、引ったくり、スリに注意。
・鉄パイプやバットを使った強盗に注意。
・鉄パイプやバットを持った若者がウロウロしている。

ソロモン諸島/旅客船

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数社。オンラインでのみ情報を発信している新聞社が多い。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は1局。
・ABCオーストラリアと英BBCニュースを視聴できる。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は数局あると伝えられている。
・報道と言論の自由を保障しておらず、政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせや誹謗中傷に直面する。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネット普及率は低い。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ソロモン諸島放送公社(SIBC) 1976年

【民間メディア】
・ソロモン・テレコム株式会社

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・軍隊を保有していない。
・ロイヤルソロモン諸島警察が国内と領海の治安を守っている

・国防予算:ー万ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、イギリス人は南太平洋エリアを何度も航海したが、ソロモン諸島には上陸しなかったと伝えられている。

・1768年、フランスの探検家、ルイ・アントワーヌ・ド・ブーゲンビルがソロモン諸島に上陸。島を探索し、先住民族と接触したと伝えられているが、定住はしなかった。

・1769年、フランスのジーン・フランソワ・マリー・デ・サービルがソロモン諸島を探索。島の地図を作ろうとしたが、船員が原因不明の疫病に感染し断念したと伝えられている。

・1788年、イギリスのジョン・ショートランドがソロモン諸島と周辺の島々を発見。上陸は断念したが、島の位置を本国に持ち帰った。

1800年代

・1826年、イギリスの商人、ピーター・ディロンがソロモン諸島と東のティコピア島を訪れ、先住民族と交流した。ディロンは先住民族の工芸品をイギリスに持ち帰ったと伝えられている。

・1830年代、イギリス、アメリカ、オーストラリアの捕鯨船がソロモン諸島の周辺で漁を行い、先住民族と貿易関係を構築した。漁師たちは先住民族を捕鯨船のクルーとして雇い、一緒に漁を行うこともあった。

・1840年代、島外から持ち込まれた病気が蔓延し、先住民族のコミュニティに大きな影響を与えた。

・1856年、ハワイ王国がソロモン諸島シカイアナ環礁の併合を宣言。しかし、公式に併合を宣言しておらず、世界はこれを認めなかった(知らなかった)。

・1850年、多くの宣教師が島に上陸し、キリスト教の宣教活動を始める。先住民族は商人や企業とは激しく対立したが、宣教師の滞在は認めた。

・1860年代、ソロモン諸島を訪れた商人たちは先住民族を労働者として雇い、オーストラリア、フィジー、サモアなどに移送した。なお、悪質な商人もしくは企業は、先住民族を誘拐し奴隷として販売したと伝えられている。

・1886年、ニューギニア北東部とビスマルク諸島を併合したドイツが、北ソロモン諸島(ブーゲンビル環礁、ブカ環礁、チョイスル環礁、サンタイザベル環礁、ショートランド環礁、オントンジャワ環礁)の統治を宣言、イギリスはこれを認めた。なお、ドイツは北ソロモン諸島に注意を払わず、1888年まで一度も島に足を運ばなかった。

・1893年3月、イギリスが南ソロモン諸島を保護領に加えると宣言。

・1893年6月、イギリスが南ソロモン諸島および周辺の島々を保護領にすると公式に宣言。

・1896年4月、イギリスのチャールズ・モリス・ウッドフォードがツラギ島やその他の島に管理事務所を設置。

・1898年、シカイアナ環礁のレンネル島とベローナ島に自治政府を設置。

ソロモン諸島/海

1900年~第一次世界大戦

・ソロモン諸島は第一次世界大戦に関与していない。

・1900年、三国間条約(米英独)に基づき、ドイツが北ソロモン諸島の一部の自治権をイギリスに譲渡した。

・イギリス人のソロモン諸島入植は思ったように進まず、1902年時点の入植者数は80人ほどだったと伝えられている。

・先住民族はイギリスの支配を拒否したが、イギリス軍はこの訴えを却下し、沿岸地域のコミュニティを破壊した。

・1905年~1910年、イギリスの企業による入植活動が本格化し、各地に収益性の高い農作物を栽培するプランテーションが設置された。また、鉱業と林業の開発も同時に進められ、多くの先住民族が奴隷になった。

・先住民族は暴力的な企業の管理者に猛反発し、殺人事件に発展することも珍しくなかった。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1927年9月、先住民族がソロモン諸島を管理していたウィリアムR.ベル地区長官と関係者13人をマライタ島で殺害。

・1927年10月、ベル地区長官の暗殺に憤慨したイギリス軍関係者が報復を開始。事件に関わったと思われる数百人を保護領の首都に拘留し、少なくとも60人を殺害した。

・1927年11月、イギリス軍はソロモン諸島の神聖な場所、遺跡、施設をことごとく破壊した。

・1928年6月、イギリス軍がベル地区長官暗殺の首謀者、バシアナの絞首刑を実施。先住民族はこれに猛反発したが、イギリス軍は力でねじ伏せた。

・ソロモン諸島の貴重な遺跡は一連の「マライタ虐殺」で深刻な影響を受け、植民地になる前の様子を記録した資料も失われた。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1941年12月7日、大日本帝国がアメリカに宣戦布告。(真珠湾攻撃)

・1942年1月、日本軍が北ソロモン諸島の一部を占領し、南のツラギ島に侵攻した。

・1942年5月~6月、米英連合軍がツラギ島とフロリダ島を日本軍から奪取し、ヘンダーソン飛行場の建設を開始。

・1942年8月7日、ソロモン諸島ガダルカナル島で大規模な戦闘が始まる。米英連合軍はガダルカナル島および北ソロモン諸島を占領した日本軍の主要基地を攻撃した。

・1942年10月1日~17日、日本軍は推定15,000人の大隊をガダルカナル島に派遣した。

・1942年10月22日~26日、ガダルカナル島の各地で散発的に戦闘が発生。連合軍は日本軍を圧倒した。日本軍の死者は2,200人~3,000人、連合軍は80人ほどだったと伝えられている。

・1942年11月1日~4日、連合軍は日本軍の主要基地に攻撃を仕掛け、大半を奪取した。

・1942年11月12日、ガダルカナル海戦勃発。(アメリカvs大日本帝国)

・1942年11月15日、ガダルカナル海戦終結。米海軍は日本軍を圧倒した。

・1943年1月、日本軍がガダルカナル島から撤退。

・1943年2月9日、連合軍がガダルカナル島およびソロモン諸島の安全および戦闘終結を宣言。

<ソロモン諸島の戦い>
・両軍参加者:約10万人
・両軍負傷者:20,000~30,000人
・両軍死亡者:25,000~30,000人
・民間人死亡者:不明

・連合軍と日本軍の戦闘はソロモン諸島に深刻な影響を与え、復興に使用された近代的な材料、機械などは先住民族の生活様式を一変させた。なお、主要産業だったプランテーションの大半が破壊されたものの、賠償金は支払われなかった

・先住民たちは一連の戦闘で西洋の文化を知り、各種産業と貿易の重要性を認識した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

ソロモン諸島/ガダルカナル島

終戦~現在

・1950年代初頭、イギリス政府が地方議会を設置。

・1956年、先住民族たちは経済活動だけでなく現地の伝統と文化を後世に残すべきとイギリス政府に主張し、各島で抗議運動を行った。

・1960年代、イギリス政府が新立法評議会と行政評議会を設置。設置当初の運営者はほとんどイギリスの政治家だったが、先住民族の役職者および議員を少しずつ増やし、数年後には直接選挙も行った。

・1970年、憲法制定。立法評議会と行政評議会を「統治評議会」に置き換えた。

・1974年、憲法改正。イギリス政府は先住民族に首相と内閣の責任を付与した。

・1974年7月、議会選挙。ソロモン・ママローニが初代首相に就任した。

・1976年1月、イギリスがソロモン諸島の自治権を公式に承認。

・1976年7月、イギリス政府の命を受けたピーター・ケニローレアが新首相に就任し、ソロモン諸島の独立に向けた作業を開始した。

・1978年7月7日、「ソロモン諸島」が独立を宣言し、イギリス連邦に加盟した。ケニローレアは独立後も首相を務めた。

・1980年、議会選挙。ケニローレア首相のソロモン諸島連合党(SIUP)が勝利を収めた。

・1981年、ケニローレア首相に対する不信任決議案が可決され、人民同盟党(PAP)のソロモン・ママローニ元首相が首相に返り咲いた。

・ママローニ首相は中央銀行と国営航空会社を創設し、より大きな自治を目指して経済に資金を投入したが、成果を上げることはできなかった。

・1984年、議会選挙。ママローニ首相は敗れ、SIUPのケニローレア元首相が首相に返り咲いた。

・1988年12月1月、ブーゲンビル内戦勃発。(パプアニューギニアvsブーゲンビル暫定政府軍)

・ソロモン諸島政府はブーゲンビル暫定政府(BIG)を支援し、パプアニューギニアから逃れた難民を受け入れた。

・1989年、議会選挙。PAPのママローニ元首相が政権を奪取。

・1991年11月17日、サイクロンティアが本島に上陸。ソロモン島の住居の90%が破壊され、残りの10%も大きな被害を受けた。また、ほぼ全ての教会と島に2つしかない小学校も粉々になり、農作物も甚大な被害を受けたため、政府はアメリカと日本に支援を求めた。

・1997年、議会選挙。ソロモン諸島自由党(SILP)のバーソロミュー・ウルファアルが新首相に就任した。

・1998年4月20日、ブーゲンビル内戦終結。膠着状態のまま戦闘は終結し、ソロモン諸島で起きた難民受け入れなどによる混乱も落ち着いた。

・1998年末、ガダルカナル島で散発的な暴力と抗議活動が発生。先住民族たちはマライタ島から入植した市民に島から去るよう脅迫した。

・1999年1月、マライタ島出身者を保護するマライタイーグルフォース(MEF)設立。

・1999年末、ガダルカナル島の暴力が紛争に発展。ウルファアル首相は非常事態を宣言した。

・2000年6月5日、MEFがウルファアル首相を誘拐。その後、ウルファアル首相は釈放と引き換えに辞任することを受け入れた。

・2001年12月、議会選挙。人民同盟党(PAP)のアラン・ケマケザが首相に就任した。しかし、ガダルカナル島の紛争は治まらず、混乱は全島に波及した。

・2003年7月、オーストラリア、ニュージーランド、その他の太平洋諸島の警察および軍隊がソロモン諸島の後援を開始。これによりガダルカナルの治安は劇的に改善した。一連の紛争の犠牲者は200人ほどと伝えられている。

・2006年4月、議会選挙。独立会員協会のスナイダー・リニが首相に就任した。しかし、リニは中国のビジネスマンから得た賄賂を使って票を購入したと告発され、大規模な暴動に直面した。

・2006年5月、リニ首相が辞任。議会はマナセ・ソガバレを新首相に指名した

ソロモン諸島/首都ホニアラ

文化(目次に戻る

・古くから伝わる先住民族文化を継承している。

・輸入食品ではなく伝統的な農作物を栽培し食べることを推奨している。

・若者は西洋のポップカルチャーをこよなく愛している。

・主食は米、主菜は魚全般、ココナッツ、キャッサバ、サトイモ、バナナなど。

ソロモン諸島/先住民族の舞

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはクリケット、オーストラリアンフットボール、ラグビー、競馬、ビーチサッカー。

・ビーチサッカーの世界ランキングで14位を記録したことがある。(2010年)

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

・ガダルカナルの戦い(第二次世界大戦)から復興する過程で、西洋の文化が大量に流入した。

政府の最大の課題はインフラの整備とハリケーン対策

ソロモン諸島/市民
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