目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ルクセンブルク大公国(Grand Duchy of Luxembourg)
首都:ルクセンブルク市(Luxembourg City)
人口:633,622人(2021年推定)
面積:2,586㎢(佐賀県とほぼ同じ)
気候:大陸性気候
・冬はとても寒く、夏の暑さは穏やか。
・年間降水量は地域によって多少異なるが、おおむね800~1,000mm。
・首都ルクセンブルク市はとても過ごしやすい。
・北部の高地(標高500mほど)は寒く、冬になると除雪が必要。
・首都ルクセンブルク市の夏の最低気温は10~13℃、最高気温は18~23℃。
・首都ルクセンブルク市の冬の最低気温はマイナス2~2℃、最高気温は3~7℃。
・観光に最適な時期は5月中頃から9月中頃。暖かく天気も安定している。
・夏場でも防寒着が必要。
経済:
・世界を代表する先進国のひとつ。
・EU加盟国。
・GDPは730億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはドイツ(26%)、ベルギー(18%)、フランス(14%)
・主要輸入パートナーはベルギー(32%)、ドイツ(25%)、フランス(11%)
・主要輸出品は機械設備、鉄鋼製品、化学薬品、ゴム製品、ガラスなど。
・一人当たりのGDP断トツの世界1位。
・農業に従事している労働者は労働人口の1%ほどだが、それなりに収益を上げている。
・道路網は近年大幅に近代化され、首都と隣接地域を結ぶ147kmの高速道路が利便性を大幅に向上させた。
・市内の鉄道駅も近代化され、ルクセンブルク空港には新しい旅客ターミナルが最近オープンした。
・若者の失業率の高さが社会問題になっている。(2019年:16.4%)
・スタンダード&プアーズの信用格付けはほとんどトリプルA。
人種(国籍):
・ルクセンブルク 51.1%(CIAワールドファクトブック2019年推定)
・ポルトガル 15.7%
・フランス 7.5%
・イタリア 3.6%
・ベルギー 3.3%
・ドイツ 2.1%
・スペイン 1.1%
・イギリス 1%
・その他 14.6%
言語:
・ルクセンブルク語 55.8%(CIAワールドファクトブック2011年推定)
・ポルトガル語 15.7%
・フランス語 12.1%
・ドイツ語 3.1%
・イタリア語 2.9%
・英語 2.1%
・その他 8.4%
宗教:
・キリスト教 90%以上(CIAワールドファクトブック2019年推定)
・ユダヤ教
・イスラム教
・ヒンドゥー教
・その他
ルクセンブルク大公国
政治(目次に戻る
大公:アンリ(Duke of Luxembourg)
首相:グザヴィエ・ベッテル(Xavier Bettel)
政治体制:議院内閣制、立憲君主制
・国家元首は大公。
・最高意思決定機関は議会であり、大公の権限は限られている。
・一院制、議員定数は60人、任期は5年。
・第一党はキリスト教社会民主党(CSV)
・リベラル政党が議会の大多数を占めており、保守政党の存在感は極めて薄い。
法律:ルクセンブルク大公国の憲法
・基本的な人権を全て保障している。
・女性と同性愛者の権利を保障している。
・不正に厳しく、スキャンダルが明らかになった議員は激しく打ち負かされる。
・2008年に安楽死を合法化した。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)
治安:隣国よりは良い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・繁華街では麻薬の密売、窃盗、強盗などが多発している。
・治安は比較的良いと伝えられているが、人口当たりの犯罪発生率は日本より多い。
・繁華街では窃盗、スリ、引ったくり、置き引きに注意。
・パスポートやキャッシュカードなどは安全な場所に保管し、極力持ち歩かないようにしたい。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・現地の情報を確認し、スラム街と呼ばれているエリアには近づかない。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は数十社ある。
・メディアの主要言語はフランス語とドイツ語。
・国営テレビ局はない。
・主要民間テレビ局は1局でその下に子会社が数十局ある。
・主要民間ラジオ局は1局でその下に子会社が数十局ある。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は95%以上。
・ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスのチャンネルを受信できる。
・検閲はない。
・ルクセンブルクに本社を置くRTLグループは欧州で68のテレビチャンネルと31のラジオ局を運営している。
【国営メディア/設立年】
・ー
【民間メディア】
・RTLグループ
・RTLの子会社
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:ー位
・軍人数:1,000人(推定)
即戦力 900人
予備兵 100人
準軍組織 0人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:4億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のルクセンブルク大公国はヨーロッパで最も著名な王族のひとつ、ハプスブルク家の支配下におかれていた。
・ハプスブルク家はオランダの支配下に置かれていたため、ルクセンブルクはハプスブルク領オランダと呼ばれていた。
・ルクセンブルクは17世紀末にフランス軍の侵略に3度直面したが、何とか撃退することに成功したと伝えられている。
・1701年から1714年まで続いたスペイン継承戦争(ローマ帝国連合vsフランス連合)はルクセンブルクにも大きな影響を与えたが、その後は比較的平和な時代が続いた。
・1715年、フランスのルイ14世とスペインのフィリップ5世がユトレヒト条約に署名。これにより、ルクセンブルクはオランダ南部地域に正式に統合された。
・1792年に始まった第一次対仏大同盟戦争はルクセンブルグに大きな影響を与え、住民数千~数万人が死亡したと伝えられている。
・1794年、オランダはナポレオン軍に打ち負かされたため、ルクセンブルクはフランスの支配下に置かれることになった。
・1798年、ルクセンブルクの農民たちはフランス軍の強制兵役に激しく反発し、大規模な反乱を起こした。しかし、ナポレオンは農民戦争と呼ばれる一連の反乱を厳しく取り締まり、指導者と反抗的な農民をことごとく処刑した。
1800年代
・1813年、古プロセイン人はフランスからルクセンブルクを奪い取り、ユーリヒ公国を創設した。
・1815年、ナポレオン敗北。イギリス連合軍はルクセンブルクに暫定政府を設置した。
・1815年6月、ルクセンブルクの独立はウィーン会議で承認された。なお、ルクセンブルクの領土を主張した古プロセイン王国とフランスは交換協定を結び、プロセイン人は中央ドイツの領土を獲得した。
・1830年代、ルクセンブルクはベルギーの州のひとつと見なされたが、住民たちは強く反対した。
・1839年、ルクセンブルクの独立性はロンドン条約によって保証された。
・1842年、ドイツ関税同盟に加入。これにより、ルクセンブルクはドイツの州のひとつと見なされるようになった。
・1845年、ルクセンブルクは国内におけるドイツの市場と鉄鋼業の発展に投資し、開発を促進した。
・1840年代~1890年代、ルクセンブルクの住民の約20%がアメリカに移住した。
・1850年代、ルクセンブルクの鉄鋼業は大きく発展した。
・1867年、7週間戦争に敗れたドイツ連邦は解体され、ルクセンブルクの独立が再び確立した。
・1870年、普仏戦争(フランスvsプロセイン王国)勃発。北ドイツ連邦はルクセンブルクの中立性を尊重し、フランスも侵略しなかった。
・ルクセンブルクは1890年にオランダのウィリアム3世が亡くなるまで、王族の支配下に置かれ続けた。
・1890年、ルクセンブルクは独自の君主制を確立し、独立国家であることを宣言した。
1900年~第一次世界大戦
・1910年、ルクセンブルクの人口は25万人まで増加した。
・1914年7月、第一次世界大戦勃発。ルクセンブルクは中立の立場を主張した。
・1914年8月、ドイツ軍はルクセンブルクの中立を無視して領土を占領したが、独立と政治の継続を許可した。しかし、ルクセンブルクはドイツに併合されることを恐れ、兵士約3,700人をイギリス・フランス連合軍に仕えさせた。
・1916年、ルクセンブルクは主権を何とか維持できたが、第一次世界大戦は社会的混乱を引き起こし、戦争とドイツの併合を恐れたグループは国内初の労働組合の礎を築くことになった。
・1918年11月、第一次世界大戦終結。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1919年、ルクセンブルクの少数派勢力は君主制の廃止を要求したが、政府は訴えを却下した。
・1919年1月14日、シャーロット大公爵夫人が王位を継承。
・1919年1月末、軍の少数派勢力が反乱を起こし共和国の設立を宣言したが、フランス軍の介入で軍事クーデターは失敗に終わった。
・1919年5月、君主制の是非を問う国民投票が行われ、有権者の77.8%が君主制の維持を支持した。
・1920年1月、ベルギーはルクセンブルクの併合を国際連盟に要求したが、バリ講和会議(ヴェルサイユ会議)はこの訴えを却下し、「ルクセンブルク大公国」の独立が確立された。
・1920年12月、国際連盟に加盟。
・1921年、ベルギーと経済通貨条約を締結。
・1920年代、女性の選挙権を認め、男女平等と経済発展を推進した右派政党に人気が集まった。ただし、リベラル派と社会民主主義派も一定の支持を集め、1925~1926年には連立政権を形成し、第一党に躍進した。
・1930年代、農業は衰退したが、サービス業と製造業は順調に成長した。しかし、政治情勢は共産主義勢力と保守派の対立で著しく悪化し、政府は工業地域における共産主義勢力の不安に対抗するためにナチスドイツと友好関係を構築しようとしたが、広範な非難に直面し、混乱を収めることはできなかった。
・1937年6月6日、政治と社会秩序の防衛のための法案(通称マズル法)の是非を問う国民投票が行われ、反対多数で否決された。マズル法は共産主義化を推進する法律と見なされていた。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。ルクセンブルクは中立の立場を主張した。
・1940年5月10日、ナチスドイツがルクセンブルクを占領。シャーロット大公爵夫人と政府はポルトガルへの亡命を余儀なくされた。ルクセンブルク警察はナチスに抵抗したが、首都はわずか数時間で占領され、少なくとも75人の警察官と兵士が拘束された。
・シャーロット大公爵夫人は英BBCニュース経由で声明を発表し、ルクセンブルクの住民に諦めないよう呼びかけた。
・1942年8月、ナチスはルクセンブルクの住民に兵役を課した。記録によると、約13,000人がナチス軍に加わり、そのうち2,500人以上が戦死したという。
・ルクセンブルクの住民はナチスのありとあらゆる行為(国外追放、強制労働、強制徴兵、抑留、強制収容所での虐殺、処刑)に反対し、ドイツを話すことを拒否した。当時フランス語の使用は禁じられていたため、住民たちは古いルクセンブルク語を復活させ、それが言語のルネッサンスにつながったと伝えられている。
・1942年9月、ルクセンブルクの住民は大規模なゼネストでナチスに抵抗した。しかし、ナチスは非武装の抵抗を力でねじ伏せ、少なくとも20人を処刑し、数百民を強制収容所に送還した。
・1944年9月10日、米軍がルクセンブルクの大部分の奪取に成功し、首都を制圧した。
・1945年1月、バルジの戦い(アルデンヌ攻勢)の間、ナチスはルクセンブルク北部の支配権を取り戻したが、最終的には連合軍に敗れ、撤退した。
・1945年2月22日、米軍がドイツのランパーデンを制圧し、ルクセンブルクの第二次世界大戦は終結した。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。当時、人口約29万人のルクセンブルクの建物は約3分の1が破壊され、西ヨーロッパで最大の損失を被った。なお、戦死者は人口の約3%に達した。
終戦~現在
・ルクセンブルクは国連の創設メンバーに加わり、第二次世界大戦の中立的な立場を1948年まで維持した。
・1949年4月、北大西洋条約機構(NATO)の創設メンバーとしてNATOに加盟。
・1951年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に加盟。(創設メンバー)
・1957年、欧州経済共同体(EEC)に加盟。(創設メンバー)
・1964年11月12日、シャーロット大公爵夫人崩御。
・1964年11月12日、ジャン・ルクセンブルク大公が王位を継承。
・1970年代、政府は鉄鋼業の衰退を受け、グローバルな金融センターとしての地位を確立することに焦点を当て、銀行システムの構築に資本を投入した。
・1980年代後半まで続いた経済危機はルクセンブルクの経済を後退させたが、政府、経済界の代表者、労働組合の指導者で構成される三者調整委員会は大きな社会不安を防ぐことに成功し、平和的な発展を特徴とする「ルクセンブルク神話」を生み出した。
・1993年、EUに加盟。
・1995年、ジャック・サンテール元首相が欧州委員会の委員長に就任。
・1995年12月、議会選挙。ジャン=クロード・ユンカーが首相に就任。
・1999年、ユーロ圏に加わる。(通貨をルクセンブルク・フランからユーロに変更)
・2000年10月7日、ジャン・ルクセンブルク大公崩御。
・2000年10月7日、アンリ・ルクセンブルク大公が王位を継承。
・2000年代初頭、ルクセンブルクの一人当たりのGDPは世界で最も高くなった。
・ルクセンブルクは小国にもかかわらず、大国間の仲介役を務めることが多く、特に好戦的な隣国ドイツとフランスの仲介は同国のアイデンティティの1つと見なされ、ルクセンブルグ人は大国のどちらも支持せず、中立を維持しながらも仲を上手く取りまとめた。
・2005年7月10日、欧州憲法の是非を問う国民投票が行われ、賛成56.52%で承認された。
・2013年7月、ジャン=クロード・ユンカー首相がシークレットサービスのスキャンダルを受け辞任。
・2013年12月、総選挙。同性愛者であることを公言しているグザヴィエ・ベッテルが首相に就任。ベッテル首相は自由党、社会民主党、緑の党による連立政権を発足した。
・2014年11月、ユンカー前首相が欧州委員会の委員長に就任。
・2018年12月、ベッテル首相は保守派をわずかな差で破り、再選を果たした。
文化(目次に戻る
・ドイツ、フランス、ベルギーの影響を強く受けている。
・人口は少ないが西側諸国を代表する芸術大国のひとつ。
・君主制時代の貴重な城や教会が各地に残されている。特に有名な建造物はヴィアンデン城とエヒタナハ大聖堂。
・市民は音楽活動に熱心で、340を超える団体で少なくとも17,000人以上が何かしらの音楽活動を行っている。
・料理はフランスの影響を特に強く受けており、ドイツ料理とベルギー料理はあまり目立っていない。
・農業とアルコール産業は輸入品に圧倒され、年々縮小している。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。欧州プロリーグのひとつ、ナショナルディビジョンを運営している。
・サッカー代表チームは他の欧州の強国に圧倒されている。世界ランクの過去最高位は2018年9月の82位。
・その他の人気スポーツは自転車競技、陸上競技、テニス、ラグビー、クリケット。
・オリンピックでのメダル獲得数は4個(金:1個、銀:3個)
・1952年のヘルシンキ大会以来、夏季オリンピックでメダルを獲得できていない。
・政府はスポーツ産業の発展に力を入れているが、他のスポーツ大国との差は年々広がっている。
その他(目次に戻る
・世界を代表する先進国のひとつ。一人当たりのGDPは断トツの世界1位。
・政府、経済界、労働組合は1970年代~1980年代の経済危機を一致団結して乗り越え、ルクセンブルクは世界で最も裕福な国のひとつになった。