リヒテンシュタイン公国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:リヒテンシュタイン公国(Liechtenstein)

首都:ファドゥーツ(Vaduz)

人口:38,896人(2020年推定)

面積:160㎢(埼玉県熊谷市とほぼ同じ)

気候:大陸性気候
・スイスとオーストリアに挟まれた内陸国。
・東部は山岳地帯で、最高峰は標高2,600mのグラウシュピッツ。
・年間降水量は地域によって異なるがおおむね1,500mm前後。
・首都ファドゥーツの夏場の平均気温は最低が12~14℃、最高は22~24℃。
・首都ファドゥーツ冬場の平均気温は最低がマイナス3~2℃、最高は4~9℃。

・観光に最適な時期は5月中頃から9月下旬。
・最高気温の歴代最高記録は2003年8月に記録した36℃。

経済:
・先進国
・GDPは62億ドル(2018年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはEU(63%)、スイス(4%)、アメリカ(2%)
・主要輸入パートナーはEU(60%)、スイス(5%)、ドイツ(3%)

・主要輸出品は小型特殊機械、電子機器、歯科製品、切手など。

・通貨はユーロではなくスイスフランを採用。
・世界で最も高度に工業化された国の1つ。
・一人当たりのGDPは世界トップクラス。
・公的債務はゼロ。
・EU加盟国ではないがシェンゲン協定に参加しているため、参加国であればパスポートなしで旅行できる。
・バチカン市国、モナコ、サンマリノに次ぐヨーロッパで4番目に小さい国。
・おとぎの国と呼ばれている。

人種(国籍)
・リヒテンシュタイン 66.2%(2017年推定)
・スイス 9.5%
・オーストリア 5.8%
・ドイツ 4.2%
・イタリア 3.1%
・ポルトガル 1.9%
・トルコ 1.6%
・アルバニア 1.1%
・スペイン 1.0%
・その他 5.6%

言語:
・ドイツ語(公用語)
・イタリア語
・トルコ語
・英語

宗教:
・ローマカトリック 73.4%(2015年推定)
・プロテスタント 8.2%
・東方正教会 1.3%
・その他のキリスト教 0.3%
・イスラム教 5.9%
・その他 0.8%
・無宗教 7.0%
・不明 3.3%

リヒテンシュタイン公国

政治(目次に戻る

君主:ハンス・アダム2世(Hans-Adam II)
首相:ダニエル・リッシュ(Daniel Risch)

政治体制:立憲君主制
・国家元首は国王。
・一院制、議員定数は25人、任期は4年。
・最高意思決定機関は議会。国王の権限は限られている。
・国王は議会を通過した議案を拒否する権利および、議会を解散する権利を持っている。
・強力な直接民主主義システムを採用しており、国民は1,000人の署名を集めることができれば、国民投票で議案の是非を問うことができる。
・国民投票は議会を一時停止または憲法を変更することができるが、少なくとも1,500人の賛成票を集める必要がある。

法律:リヒテンシュタイン公国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・強力な直接民主主義システムを採用している。
・人種と民族差別を禁止しており、2000年代初頭に人種差別関連の法律を強化した。
・子どもの権利を監視する3つのNGOは、政府の財政支援を受けている。
・LGBTQの権利を保障している。
・1982年の条約に基づき、2年以上の禁固刑を宣告された囚人はオーストリアの刑務所に投獄される。
・1989年に死刑を廃止した。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)

治安:良い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・犯罪発生率は非常に低く、2014年4月以来、殺人事件は報告されていない。
・窃盗、引ったくり、スリ、置き引きなどの軽犯罪に注意。
・アルコールと女性のトラブルに注意。
・風俗系の店を利用する際は、アルコールと薬物(特にMDMA)
のトラブルに注意。
・警察の目につく行動(大声を出す、歌う、踊る、走り回るなど)は避ける。
・山岳地帯に立ち入る際は、現地の最新情報を必ずチェックする。
・ゲレンデ外でのスキーは危険。

リヒテンシュタイン公国/首都ファドゥーツ

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は4社。
・国営テレビ局はない。
・民間テレビ局は2局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局はない。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は90%以上。
・検閲はない。
・オーストリア放送協会(国営)を無料で受信できる。
・ドイツとスイスの複数のテレビ番組が放送されている。

【国営メディア/設立年】
・リヒテンシュタイン放送 2004年(ラジオ)

【民間メディア】
・1FLテレビ
・Landeskanal

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 150人

・軍を保有していない。
・国防はスイスの委託している。
・国内の治安維持は国家警察部隊が担っている。

・国防予算:2,000万ドル(推定)

リヒテンシュタイン公国/ハンス・アダム2世

歴史(目次に戻る

1700年代

・1719年:神聖ローマ皇帝びカール6世は新しく形成された領土を「リヒテンシュタイン公国」と名付け、神聖ローマ帝国の独立した国家として承認した。

1800年代

・1815年6月:ドイツ連邦に加盟。

・1836年:陶磁器を製造する最初の工場を設立。

・1861年:最初の綿織り工場と銀行が誕生。

・1862年:新憲法公布。国民を代表する国会(議会)を初めて規定した。

・1866年8月23日:リヒテンシュタインがドイツ連邦からの独立を宣言。ドイツ連邦は解散した。

・1868年:リヒテンシュタイン軍は財政上の理由で解散させ、恒久的な中立を宣言した。

・1872年:スイス、オーストリア・ハンガリー帝国、リヒテンシュタインを経由する鉄道の建設が始まる。

・1886年:リヒテンシュタインとスイスを結ぶ2つの橋(ライン川)が建設された。

リヒテンシュタイン公国/リヒテンシュタイン城

1900年~第一次世界大戦

・1914年7月:第一次世界大戦世界大戦勃発。

・リヒテンシュタインは第一次世界大戦に参加せず、中立を主張したが戦争が終わるまでオーストリア・ハンガリー帝国と密接な関係を維持した。連合国は中立を主張しながら中央同盟国との関係を維持したリヒテンシュタインに経済制裁を科した。

・リヒテンシュタインは厳しい制裁の影響で荒廃し、戦後、スイスとの新しい関係を構築せざるを得なくなった。

・1918年11月:第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1919年:オーストリアの君主制(ハプスブルク家)廃止。これに伴い、リヒテンシュタインの管理はオーストリアからスイスに移譲された。

・1921年:スイス通貨を採用。

・1923年:スイスとの関税協定を締結。

・1938年:オーストリアがナチスドイツに併合された直後、フランツ・ヨーゼフ2世王子が王位を継承する。なお、1929年に結婚したリヒテンシュタインの王女エリザベス・フォン・グットマンはスイス出身の裕福なユダヤ人であり、地元のリヒテン・ナチスゲリラ軍は王女の首を狙っていたと伝えられている。

・1939年9月:第二次世界大戦勃発。リヒテンシュタインは中立を宣言した。

・第二次世界大戦末期、リヒテンシュタインは第一ロシア国民軍(ナチス側)の兵士約500人の亡命を認めた。この決定は国境の町ヒンテラーシェレンベルクの記念碑で記念されている。当時、国は貧しく、亡命難民の世話をすることは困難だったが、政府は兵士の命を優先した。一方、イギリスはナチスに味方したロシア人亡命希望者を強制送還し、兵士およびその家族たちは祖国で裏切り者として扱われ、大半が処刑されたと伝えられている。

・1945年9月:第二次世界大戦終結。

リヒテンシュタイン公国/山岳地帯

終戦~現在

・米ロ冷戦中、リヒテンシュタインの国民はチェコスロバキアに入国することを禁じられていた。

・1970年代:リヒテンシュタインの低法人税率は多くの外国企業を引き付けた。結果、リヒテンシュタインは1970年代後半頃には世界で最も裕福な国の1つになった。

・リヒテンシュタインはアメリカと租税条約を締結していない数少ない欧州諸国のひとつであり、条約締結への取り組みは完全に行き詰まっている。(2021年7月時点)

・1980年代:スイス軍は演習中に発射した砲弾でリヒテンシュタインの森林を複数回燃やし、謝罪した。

・1984年:フランツ・ヨーゼフ2世が息子のハンス・アダム2世皇太子に行政権を譲渡。

・1984年:女性に参政権を与えるかどうかを決める国民投票が行われ、賛成多数で承認された。

・1989年:フランツ・ヨーゼフ2世崩御。ハンス・アダム2世が王位を引き継ぐ。

・1990年:国連に加盟。

・1991年:欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟。

・1993年:議会選挙。28歳のマリオ・フリックがヨーロッパ史上最年少の首相に就任。

・1995年:欧州経済領域(EEA)と世界貿易機関(WTO)に加盟。

1996年:ロシアはリヒテンシュタイン家(神聖ローマ帝国時代)の貴重な歴史遺産をリヒテンシュタインに返還した。

・1997年:議会選挙。フリック首相が再選を決める。

・2000年:G7と経済協力開発機構(OECD)は、マネーロンダリングとの戦いに協力しなかったリヒテンシュタインを痛烈に批判した。これを受け、リヒテンシュタインは銀行法を改正した。

・2001年2月:議会選挙。リヒテンシュタイン進歩市民党が勝利。オットマール・ハスラーが首相に就任した。

・2002年4月:OECDが金融の透明性と情報交換基準を満たしていないリストにリヒテンシュタインを加える。

・2003年3月:ハンス・アダム2世に新しい政治的権力を与えるか否かを決める国民投票が行われ、賛成多数で承認された。これにより、君主は議会を解散し、裁判官を承認する権利を与えられ、さらに議会で可決された議案を拒否できるようになった。

・2004年8月:ハンス・アダム2世は国家元首の地位を維持したまま、リヒテンシュタインの運営権を息子のアロイス王子に譲渡した。

・2005年2月:ハーグの国際司法裁判所は、1945年にドイツからチェコスロバキアに譲渡されたリヒテンシュタインの資産をめぐるリヒテンシュタイン政府の損害賠償請求を棄却した。

・2005年4月:議会選挙。リヒテンシュタイン進歩市民党のハスラー首相は祖国連合と連立を組み、再選を決めた。

・2005年4月:政府が公表した報告書によると、第二次世界大戦時、リヒテンシュタインとナチスは複数取引を行い、それらの資産がナチスのシュトラースホーフ強制収容所の運営に使用されたことが明らかになったという。しかし、リヒテンシュタインは加害者ではなく傍観者だったと主張した。

・2005年11月:妊娠初期の中絶の合法化の是非を問う国民投票が行われ、有権者は賛成多数で承認した。

・2006年7月:リヒテンシュタインは1806年の神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)解散以来続く「200年の主権」を盛大に祝った。

・2006年12月:当局は国境を再測量した結果、領土の面積が公式数値より大きかったことを明らかにした。

・2007年3月:スイス歩兵部隊約170人が訓練中に迷子になり、誤ってリヒテンシュタイン領内に侵入した。部隊は隣国に誤って侵攻したことに気づき、即引き返した。その後、スイス政府はリヒテンシュタイン政府に公式に謝罪し、リヒテンシュタイン政府の報道官は「戦争は起きません」と述べた。

・2007年7月:最初の在アメリカ・リヒテンシュタイン大使を任命。

・2008年3月:リヒテンシュタインはドイツ、イギリスおよびその他の国々の主要な脱税調査の中心にいたLGT銀行の元従業員であるハインリヒ・キーバーに対する国際逮捕状を発行した。

・2008年8月:リヒテンシュタインはタックスヘイブンを見直すべきというアメリカとEUの長年の申し出を受け、OECDの税務調査により完全に協力する要求を承認した。

・2009年3月:議会選挙。愛国連合が過半数を獲得。新首相のクラウス・チュッチャーはOECDの税務関連調査に全面的に協力すると約束した。

・2009年4月:G20サミット後、タックスヘイブンへの圧力と透明性を高める要求は一層強まり、リヒテンシュタインはアメリカ、イギリス、ドイツを含む関係国と財務情報を共有する協定に署名した。

・2009年5月:OECDはマネーロンダリングの取り締まりを拒否するブラックリストからリヒテンシュタインを除外した。

・2009年7月13日:チェコ共和国との外交関係を確立。

・2009年8月:リヒテンシュタインはイギリスの歳入関税庁と情報交換することに合意した。

・2009年12月9日:スロバキアとの外交関係を確立。

・2011年9月:ハンス・アダム2世とアロイス皇太子は、中絶を非犯罪化するという提案を拒否すると脅し、物議を醸した。

・2012年7月:国民投票の結果を拒否できる君主の権利を廃止するかどうかを決める国民投票が行われ、有権者は君主の権利を支持した。

・2013年:リヒテンシュタインの人口あたりの太陽光発電量は世界最高レベルに達し、初めてソーラースーパーステート賞を受賞した。

・2014年4月7日:南部バルザースに本拠を置くBank Frick&Co(銀行)のユルゲン・フリックが駐車場で射殺された。事件後、容疑者のユルゲン・ハーマンは拳銃自殺した。

・2015年:リヒテンシュタインの人口あたりの太陽光発電量はドイツを抜いて世界一になり、再びソーラースーパーステート賞を受賞した。

・2015年10月:EUとリヒテンシュタインは、税務問題が発生した場合に財務情報の自動交換を保証する税務協定に署名した。

・2016年:リヒテンシュタインの太陽光発電量はさらに成長し、三度ソーラースーパーステート賞を受賞した。

・2017年:核兵器禁止条約に署名。

・2019年9月:ハンス・アダム2世は世界で6番目に裕福な君主であり、資産は35億ドルと推定された。

文化(目次に戻る

・オーストリア、バーデンヴュルテンベルク、バイエルン、スイス、チロル、フォアアールベルクを含むドイツ語圏南部地域の影響を受けている。

・アメリカのソーシャルメディア企業の影響を強く受けている。

・有名な史跡はファドゥーツ城、グーテンベルク城、レッドハウス、シェレンベルク遺跡。

・祝日には国王の城が解放され、人口の大部分が足を運び、国王のスピーチが行われ、無料のビールが提供される。

・国内最大の美術館はリヒテンシュタイン美術館。リヒテンシュタインの国民は美術と芸術作品をこよなく愛している。

・主食は米とオーツ麦とパン。主菜はジャガイモ、キャベツ、地元で獲れる野菜、肉全般、乳製品、ワイン、ビールなど。

リヒテンシュタイン公国/市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、アルペンスキー、モータースポーツ、テニス、水泳など。

・サッカー選手は主にスイスのプロリーグでプレーする。

・欧州のサッカー代表チームはリヒテンシュタイン代表をお得意さまと思っている。

・オリンピックでのメダル獲得数は10個。(金:2個、銀:2個、銅:6個)

・夏季オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・オリンピックでメダルを獲得した最小の国家。

【有名スポーツ選手】

・ハンニ・ウェンゼル(Hanni Wenzel)アルペンスキー選手。国内唯一の五輪金メダリスト。

その他(目次に戻る

・おとぎの国と呼ばれている。

世界で最も高度に工業化された国のひとつ

リヒテンシュタイン公国/子供
アフィリエイト広告
スポンサーリンク