エストニア共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:エストニア共和国(Republic of Estonia)

首都:タリン(Tallinn)

人口:1,228,624人(2021年推定)

面積:45,226㎢(北海道の2分の1)

気候:大陸性気候
・バルト三国の最北端に位置する。
・冬は非常に寒く、夏は穏やか。
・雪解けの時期は地域によって異なるが、おおむね4月上旬頃。
・バルト海に面する首都タリンの6月~8月の平均気温は最低が10~13℃、最高は19~22℃。
・首都タリンの11月~3月の平均気温は最低がマイナス6~0℃、最高はマイナス1~4℃。

・降水量は地域によって異なる。全体的に雨より雪の方が多い。
・観光に最適な時期は6月~8月。

経済:
・先進国
GDPは310億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはフィンランド(16%)、スウェーデン(11%)、ラトビア(10%)
・主要輸入パートナーはフィンランド(13%)、ドイツ(10%)、リトアニア(10%)

・主要輸出品は電気機器、木材、鉱物製品。

・GDPは1991年のソビエト崩壊以来、順調に成長している。
・旧ソビエト連邦初のユーロ採用国。(2011年)
・2011年の実質GDP成長率は8.0%。
・一人当たりGDPは2025年までにスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーレベルに達する可能性がある。(CEPIIの予測)
・一人当たりGDPは2050年までにルクセンブルグ(世界1位)に追いつく可能性がある。(CEPIIの予測)
・熟練労働者の不足と若者の高失業率(2020年6月:23.2%)に悩まされている。
・人口130万人に満たない小国だが、国内に12の空港がある。
・電力供給の90%以上を地元で採れるシェールオイル(火力)で賄っており、気候変動対策では後れを取っている。

人種
・エストニア人 69.7%(2011年国勢調査)
・ロシア人 25.2%
・ウクライナ人 1.7%
・ベラルーシ人 1.0%
・フィンランド人 0.6%
・タタール人 0.2%
・ユダヤ人 0.2%
・ラトビア人 0.1%
・ドイツ人 0.1%
・リトアニア人 0.1%
・ポーランド人 0.1%
・スウェーデン人 0.1%
・その他 0.9%

言語:
・エストニア語 68.54%(公用語)(2011年国勢調査)
・ロシア語 29.60%
・ウクライナ語 0.62%
・フィンランド語 0.20%
・ベラルーシ語 0.13%
・ラトビア語 0.08%
・リトアニア語 0.07%
・英語 0.07%
・タタール語 0.06%
・アルメニア語 0.06%
・アゼルバイジャン語 0.05%
・ドイツ語 0.04%
・ポーランド語 0.03%
・その他 0.22%
・不明 0.13%

宗教:
・東方正教会 16.15%(2011年国勢調査)
・ルーテル主義 9.91%
・その他 3.25%
・無宗教 54.14%
・興味がない 16.55%

エストニア共和国

政治(目次に戻る

大統領:ケルスティ・カリユライド(Kersti Kaljulaid)
首相:カーヤ・カラス(Kaja Kallas)

政治体制:共和制
・EU加盟国。
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、任期は4年。
・現職のケルスティ・カリユライド大統領はエストニア初の女性大統領。
・現職のカーヤ・カラス首相はエストニア初の女性首相。
・女性が大統領と首相を同時に務める国はエストニアのみ。

法律:エストニア共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を認めている。
・旧ソビエト連邦とは思えないほど人権を尊重している。
・選挙は自由で公正。
・同性の性行為は合法だが、同性婚は認められていない。
・LGBTQの権利に関しては、主要西側諸国に比べると大きく遅れている。
・エストニア人以外の少数派は雇用や教育の面で不利な条件下に置かれている。
・2012年に人身売買を取り締まる法律を導入した。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)

治安:良い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・犯罪発生率は低い。
・首都タリンの繁華街ではスリや置き引きに注意。
・バーやナイトクラブでは女性とお酒のトラブルに注意したい。
・女性はデートレイプに注意。
・知らない人にはついていかない。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は安全な場所に保管し、極力持ち歩かない。
・冬から初春の間は路面が凍結していることが多いため、足元に注意。
・夜間および視界の悪い道路を歩くすべての歩行者は安全反射板の着用を義務付けられており、違反者は罰金を課される。反射板は現地で購入可能、バッグに取り付けるタイプあり。

エストニア共和国/市場

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は15社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は2局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は35局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は90%以上。
・検閲はない。
・テレビ局と新聞社はソーシャルメディアおよび西側の主要オンラインメディアの勢いに押されている。
・国民の約半分はNetflixやHuluなどのインターネットテレビを利用している。

【国営メディア/設立年】
・Eesti Televisioon 2007年

【民間メディア】
・TV3
・Kanal2

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:109位

・軍人数:34,500人(推定)
  即戦力 6,500人
  予備兵 12,000人
  準軍組織 16,000人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:8億ドル(推定)

エストニア共和国/ケルスティ・カリユライド大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領

歴史(目次に戻る

1700年代

・1710年:ロシア帝国がエストニアを含む周辺地域を併合。

・1721年8月:エストニアはニスタット条約に基づき、スウェーデンからロシアに正式に割譲された。

・1743年:ロシアはモラヴィア人のプロテスタント宣教師の活動を禁止した。

1800年代

・1819年:エストニアのロシア自治政府は農奴制を廃止した。

・1840年代:ルーテル教会の農民がロシア正教会に改宗させられた。

・1861年:エストニアの民族叙事詩「カレヴィポエク」がエストニア語とドイツ語で出版された。

・1869年:エストニア歌謡祭が創設された。

・1890年代:ロシアはエストニアを含む植民地国にロシア化プログラムを導入したが、大半のエストニア人は興味を示さなかった。

エストニア共和国/バルト海

1900年~第一次世界大戦

・1905年:ロシア革命の影響がエストニアに波及。エストニア人たちは報道の自由、組合の結成、民主主義の確立とロシアからの独立を呼びかけた。

・1914年7月:第一次世界大戦勃発。

・1918年2月24日:エストニアがロシアからの独立を宣言。

・1918年3月3日:ブレスト・リトフスク条約締結。ロシアのボルシェビキはエストニアの主権をドイツに譲渡した。

・1918年11月:第一次世界大戦終結。ドイツ軍は撤退を開始し、エストニア臨時政府に権力を委譲した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1918年11月28日:エストニア独立戦争勃発。(エストニアvsソビエトvsバルト領土軍)

・1919年4月25日、ハンガリー共産党がロシアとエストニアの和解交渉を仲介することを申し出た。

・1919年6月5日:エストニア軍とバルト領土軍の戦闘がラトビアの南前線で勃発。

・1919年12月31日:ロシアとエストニアがタルトゥ平和条約に合意。

・1920年1月3日:停戦協定発効。

・1920年2月2日:エストニア独立戦争終結、三つ巴の戦いを制したエストニアはロシアとのタルトゥ平和条約に調印した。

<エストニア独立戦争>
参加者:20万~25万人(推定)
負傷者:25,000~30,000人(推定)
死亡者:5,000~10,000人(推定)

・1920年6月15日:憲法を公布。

・1922年9月22日:国際連盟に加盟。

・1933年10月:大統領に広範な権力を与えるかどうかを決める国民投票が行われ、賛成多数で承認された。

・1934年3月12日:軍事クーデター発生。コンスタンティン・パッツが無血クーデターを主導し、独裁体制を確立。議会は解散し、政党は禁止された。

:1937年7月:市民の自由と民主主義を確立する新しい憲法を公布。大統領に強力な権限が与えられた。

・1938年4月:新憲法公布。コンスタンティン・パッツが大統領に就任した。

・1939年:ソビエトはエストニア国内に軍事基地を強制設置した。

・1939年9月:第二次世界大戦勃発。

・1940年6月:ソビエトがエストニアとラトビアに侵攻。

・1940年8月6日:ソビエト連邦がエストニアの併合を宣言。国名を「エストニアソビエト社会主義共和国(エストニアSSR)」に変更した。

・1941年6月14日:ソビエトがエストニアSSR、ラトビア、リトアニアの国民の国外追放を加速させる。

・1941年6月22日:ナチスドイツがソビエトとエストニアSSRに侵攻。エストニアSSRのパルチザンは南部で抵抗活動を本格化させた。

・1941年8月28日:エストニア人約3,500人を乗せたソビエト汽船が沈没。少なくとも598人が死亡した。

・1944年12月19日:ソビエトがエストニアSSRを再併合。この際、数万のエストニア人がシベリアと中央アジアに強制送還された。

・1945年9月:第二次世界大戦終結。

エストニア共和国/子供たち

終戦~現在

・1949年3月:エストニアSSR、ラトビアSSR、リトアニアSSRで大規模な国外追放キャンペーンが実施。ソビエト当局は、92,000人以上をバルト諸国からソビエト連邦の遠隔地に強制送還した。

・1955年7月:エストニアテレビ(ETV)が放送を開始した。

・1956年:医療ネットワークが安定し始め、科学技術は進歩し、社会福祉は大幅に改善した。

・1970年代:エストニアはロシア化に懸念を表明したうえで、エストニア語と自国の文化の教育に力を入れるようになった。

・1978年9月28日:最後のパルチザン「フォレストブラザー」のゲリラ戦闘員であるアウグスト・サッベがエストンジアSSRで発見され、その後処刑された。

・1982年11月:ソビエトのレオニード・ブレジネフ死去。後任は元KGBの長であるユーリ・アンドロポフ。

・1988年:民主主義を求める人民戦線キャンペーン「歌う革命」に国民の約3分の1が参加。

・1991年8月20日:ソビエト崩壊に先立ち、「エストニア共和国」が独立を宣言。

・1991年9月6日:ソビエト政府がバルト三国の独立を承認した。

・1991年12月26日:ソビエト崩壊。

・1992年:新共和国憲法の是非を問う国民投票が行われ、賛成多数で承認された。

・1992年:レナルト・メリが大統領に就任。

・1992年6月20日:エストニア議会は通貨をソビエトのルーブルからクルーンに変更した。

・1994年:ロシア軍がエストニア国内から完全撤退。エストニアは北大西洋条約機構(NATO)との限定的な軍事協力を可能にするパートナーシップに加盟した。

・1994年9月28日:カーフェリーMSエストニアがバルト海沖で沈没。852人が死亡した。

・1996年:大統領選挙。メリ大統領が再選。

・1997年:EUがエストニアとの加盟交渉を開始。

・1999年:マルト・ラール前首相が中道右派政権の新首相に就任。

・2000年:エストニアとロシアはスパイ活動の主張をめぐり、それぞれの外交官を追放した。

・2001年:メタノールを含む密造酒の飲酒が流行し、少なくとも68人が死亡した。

・2001年10月:大統領選挙。ソビエト時代の共産党中央委員会の元メンバー、アーノルド・リューテルが勝利した。

・2001年12月:リューテル大統領は、公職の候補者の「エストニア語に堪能」という要件を廃止する法案に署名した。

・2002年1月:マルト・ラール首相が連立政権内で発生した混乱の責任を取り辞任。後任は改革党のシーム・カラス。

・2002年11月:プラハでNATOサミットが開催され、非加盟国のブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアが出席した。

・2002年12月:EUがコペンハーゲンのサミットにエストニアを招待。

・2003年3月:議会選挙。ルーテル大統領は共和党のリーダーであるユハン・パルツを連立政権の首相に指名した。

・2003年9月:EUへの加盟の是非を問う国民投票が行われ、大多数が賛成に投票した。

・2004年3月29日:NATOに加盟。ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアも加盟した。

・2004年5月1日:EUが加盟国を拡張。この時点での加盟国はポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、チェコ共和国、スロバキア、スロベニア、ハンガリー、マルタ、キプロスの10カ国だった。

・2004年11月:マルグス・ハンソン国防相が機密文書の紛失(盗難)を受け、辞任。

・2005年:イギリス、スカンジナビア、バルト三国で大雨。エストニアでは大規模な洪水が発生し、少なくとも13人が死亡した。

・2005年2月:クリスティナ・オジュランド外相が省内での機密文書紛失を受け、解任された。

・2005年3月:リューテル大統領は、第二次世界大戦の終結を記念するモスクワの祝賀会に参加しないことを明らかにした。

・2005年3月:ユハン・パルツ首相は、腐敗防止プログラムに基づきケン・マルティ・ヴァハー法務大臣の不信任決議案が可決されたことを受け、内閣を解散した。

・2005年4月:議会選挙。改革党のアンドルス・アンシプが首相に就任した。

・2005年5月:エストニアとロシアが国境を確立する条約に署名。

・2005年6月:議会はロシアとの国境条約を可決したが、ソビエト占領に言及する改正の導入に反対するロシアに強く反発した。ロシアはエストニア議会の反発に激怒し、条約を破棄した。

・2006年5月:EU憲法を批准。

・2006年9月:大統領選挙。社会民主党のトーマス・ヘンドリック・イルベスが勝利した。

・2007年2月:議会はソビエトの支配を称賛する記念碑の展示を禁止する法律を可決。物議を醸している赤軍戦争記念碑の移転が決まった。

・2007年3月:議会選挙。エストニアはインターネット投票を採用した世界初の国になった。改革党が勝利し、アンドルス・アンシプ首相は第二次内閣を発足した。

・2007年4月:当局は物議を醸している赤軍戦争記念碑を首都タリンに移転した。移転を阻止しようとする共産主義勢力(主にロシア人)と治安当局が衝突し1人が死亡、40人以上が負傷した。ロシアはエストニア政府に、深刻な事態に発展する可能性があると警告した。

・2009年1月:裁判所は赤軍戦争記念碑の首都への移転を妨害しようとしたロシア人4人に有罪を言い渡した。

・2009年6月:議会は国際治安支援部隊(ISAF)の一部としてアフガニスタンで活動する兵士の数を2倍に増やすことに合意した。

・2011年1月:ユーロを採用。

・2011年2月:議会選挙。改革党主導の連立政権は101議席中56議席を獲得し、アンドルス・アンシプ首相は第三次内閣を発足した。

・2011年8月:大統領選挙。トーマス・ヘンドリック・イルベス大統領が再選。

・2012年10月:エストニアとロシアが国境条約の批准に向けた交渉を再開。

・2014年2月:エストニアとロシアは国境紛争を終結させる新しい条約に署名した。

・2014年9月:ウクライナ危機をめぐるロシア、EU、NATO、そしてアメリカ間の爆発的な緊張の中、エストニアはロシアが国境警備隊のエストン・コフヴェルを誘拐したと非難した。これに対しロシア当局は、コフヴェルはロシアに不法入国したスパイと主張し、エストニア政府を非難した。

・2015年3月:議会選挙。改革党のターヴィ・ロイヴァス首相は第二次内閣を発足したうえで、ロシアのクリミア侵攻に強く抗議した。

・2015年3月:NATOがバルト三国での存在感を強化。この地域で主要な軍事演習を実施し、ロシアを威嚇した。

・2015年9月:ロシアは2012年にエストニアに投獄されたアレクセイ・ドレッセンの解放と引き換えに、エストニアの国境警備隊のエストン・コフヴェルを釈放した。

・2016年10月:大統領選挙。無所属のケルスティ・カリユライドが勝利。エストニア初の女性大統領が誕生した。

・2017年3月:NATOがバルト三国で主要なミッションを開始。作戦の一環として、イギリスはエストニアに軍を派遣し、ロシアの侵略と見なされている威嚇行為を阻止した。

・2019年3月:議会選挙。中道右派の改革党が第一党になったが、2位の中央党は社会民主党と連立を形成することで内閣を維持した。

・2021年1月:改革党が中央党と連立を形成。カーヤ・カラスが初の女性首相に就任した。

文化(目次に戻る

・ドイツ、ロシア、北欧の影響を強く受けている。

・多くの国民が平等と自由主義を奨励し、理想的な福祉国家の構築に向けたコミットメントを支持し、格差を嫌っている。

・ヨーロッパでひとり親の割合が最も高い国のひとつ。離婚率は約60%。

・無宗教者が過半数を占める数少ない国のひとつ。ただし、クリスマスはしっかり祝う。

・主食はライ麦パン。主菜は地元の魚介類と野菜、ジャガイモ、豚肉、乳製品。

エストニア共和国/女性たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、スキー、クリケット、陸上競技、自転車競技、フェンシング、柔道など。

・南部の町オテパーはエストニアの「冬の首都」と呼ばれている人気スキーリゾート。

・オリンピックでのメダル獲得数は41個。(金:13個、銀:11個、銅:17個)

・人口130万人に満たない小国だが、オリンピックを含む様々な国際大会で結果を残している。

【有名スポーツ選手】

・クリスチナ・シュミグン・ヴァヒ(Kristina Šmigun Vähi)スキー選手。2006年のトリノ五輪で2冠。2019年の総選挙で政界入りを果たす。

・ゲルド・カンテル(Gerd Kanter)円盤投げ選手。五輪金メダリスト。

・把瑠都 凱斗(Baruto Kaito)力士。2019年の総選挙で政界入りを果たす。

その他(目次に戻る

・GDPは順調に成長しており、2050年までに一人当たりGDP1位のルクセンブルグに追いつく可能性がある。

・旧ソビエト連邦とは思えないリベラルな国。

エストニア共和国/首都タリン
アフィリエイト広告
スポンサーリンク