目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:コンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo)
首都:キンシャサ(Kinshasa)
人口:101,780,263人(2021年推定)
面積:2,345,410㎢(日本の6.2倍)
気候:熱帯気候
・赤道より北の乾期は12月~2月、雨季は3月~11月。
・赤道より南の乾期は4月~10月、うきは11月~3月。
・年間降雨量(全国平均)は1,000~1,500mm。
・定期的に発生するコンゴ川の洪水に悩まされている。
・1年を通して蒸し暑い。ただし、標高の高いエリアは涼しい。
・気温は1年を通して安定している。(最低:19~22℃、最高:29~32℃)
・最高標高地点はスタンレー山の5,110m。
・世界で最も落雷が発生しやすい地域と考えられている。
経済:
・開発途上国
・GDPは498億ドル(2019年推定)
・天然資源(石油と鉱物)に恵まれているが、インフラが整備されておらず、貴重な資源をほとんど活かせていない。
・何十年にも渡る戦争、内戦、紛争、汚職、政情不安により、経済は深刻なダメージを受けた。
・超インフォーマル経済。
・世界で最も脆弱な国家のひとつ。
・世界で最もビジネスに向かない国のひとつ。海外の投資家はそっぽを向いている。
・主要産業は農業とサービス業。
・1996年から始まった2つの戦争が国の経済に致命的なダメージを与えた。
・主要農産物はオオバコ、キャッサバ、コーヒー、パーム雍、ゴムなど。
・インフラが整備されていないため、物資の地上輸送は極めて困難。
人種(民族):
・ルバ族 18%(推定)
・モンゴ族 17%
・コンゴ族 12%
・アザンデ族 4%
・その他多数
・250以上の民族が確認されている。
・国勢調査は行われておらず、分からないことが多い。
言語:
・フランス語(公用語)
・リンガラ語
・キングワナ語
・キコンゴ語
・ツルバ語
・英語
・その他多数
・200以上の言語が確認されている。
・文書化されている言語は少なく、分からないことが多い。
宗教:
・カトリック 29.7%(2013年推定)
・プロテスタント 26.8%
・その他のキリスト 教37.2%
・イスラム教徒 2~3%
・先住民族の宗教
・その他
コンゴ民主共和国
政治(目次に戻る
大統領:フェリックス・チセケディ(Félix Tshisekedi)
首相:ジャン=ミシェル・サマ・ルコンデ(JeanーMichel Sama Lukonde)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領。
・2006年に民主化を達成した。
・複数政党制。54の政党が合法的に活動している。
・二院制。
・選挙の投票率はインフラが整備されていないため、とても低い。
・選挙が行われていることを知らない部族もいる。
法律:コンゴ民主共和国の憲法
・2006年に新憲法を制定した。
・司法の独立を保障している。
・私刑が横行している。
・基本的人権を保障している。
・即決処刑、大量虐殺、強姦、レイプなどの凶悪犯罪が常態化している。
・軍事政権復活を目論む反政府勢力は基本的人権という概念を持ち合わせていない。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年2月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)
治安:とても悪い
・反政府勢力の活動エリアには近づかないこと。
・テロ事件に巻き込まれる可能性あり。
・政治情勢は極めて不安定。軍事政権復活を狙う反政府勢力が各地で活動している。
・銃器を使った凶悪犯罪(即決処刑、強殺、殺人、拷問、強姦など)が多発している。
・イスラム国(IS)関連の組織が各地で活動している。
・反政府勢力やイスラム過激派組織による民間人の大量虐殺が常態化している。
・貴金属類は身に着けないこと。
・軍や警察の目につく行動は避けること。
・国境付近には決して近づかないこと。
・エボラ出血熱、コロナウイルス、狂犬病などの感染症(伝染病)に注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は数十社。全て民間だが、政府の管理下に置かれている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は数十局。全て政府の管理下に置かれている。
・ラジオ局は10局以上。全て政府の管理下に置かれている。
・報道と言論の自由を保障していない。
・政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受ける。
・反政府勢力に批判的なジャーナリストは処刑される。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率はとても低く、キンサシャ以外ではほとんどつながらない。
・検閲はないと伝えられている。
・首都キンサシャ以外で取材を行うことは困難。
【国営メディア/設立年】
・RTNC 1971年
【民間メディア】
・AMEN TV
・CMB TV
・トロピカーナTV
・その他
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:81位
・軍人数:135,000人(推定)
即戦力 135,000人
予備兵 0人
準軍組織 0人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:9,000万ドル(推定)
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1700年代
・1700年代、現在のコンゴ民主共和国および周辺国は複数の王国の支配下に置かれていた。
<コンゴの主要な王国と歴史>
コンゴ王国:1390年~1914年
ルパ王国:1585年~1889年
ルンダ王国:1600年~1887年
クバ王国:1625年~1884年
チョクウェ王国:1800年~1891年
イエケ王国:1856年~1891年
・ヨーロッパの奴隷貿易は1700年代に最盛期を迎えたと伝えられている。コンゴからアメリカ大陸に移送された奴隷の数は推定400万人。
・ヨーロッパ人はコンゴ川流域に奴隷貿易の拠点になる町と施設を整備した。
1800年代
・1869年、ベルギーのレオポルド2世がコンゴの貿易および奴隷貿易の支配を宣言。
・コンゴの王国を事実上支配したベルギーは、先住民族にゴムなどの農産物栽培を強要した。先住民族はベルギーの支配に抵抗したが、銃火器には敵わず、1回の抗議で数百人が殺されることも珍しくなかったと伝えられている。
・1879年11月17日、レオポルド2世がコンゴ全域の植民地化を宣言。
・1885年7月1日、レオポルド2世が「コンゴ自由国」の設立を宣言。しかし、先住民族に自由はなかった。
・コンゴの人口は1800年代後半から1900年初頭にかけて、推定1,000万人減少したと伝えられている。
・アイルランドの人権活動家、ロジャー・ケースメントの報告によると、コンゴの人口は無差別な戦争、内戦、紛争、飢餓、出生数の減少、熱帯病や天然痘などの影響で急激に減少したという。
1900年~第一次世界大戦
・1908年11月15日、レオポルド2世がコンゴ自由国の個人支配を放棄すると宣言。以降、支配権は政府に移され、コンゴ自由国は名を「ベルギー領コンゴ」に改めた。
・ベルギー政府は自国の利益のみを考慮し、コンゴの先住民族を厳しく抑圧した。また、民間企業はコンゴの各地に資本を大量投入し、奴隷を使って地域を活性化させた。
・ベルギー政府と民間企業の利益は密接に結びついており、軍は奴隷のストライキや抗議活動を打ち負かすことで民間企業をバックアップした。
・1914年7月、第一次世界大戦勃発。
・1916年9月、東アフリカ戦線のひとつ、タボラの戦い(ベルギーvsドイツ)が始まる。ベルギー領コンゴ軍はドイツ植民地軍に勝利した。
<タボラの戦い>
両軍参加者;30,000~40,000人(推定)
両軍負傷者:数千人(推定)
両軍死亡者:数千人(推定)
奴隷死亡者:数万人(推定)
・ベルギー領コンゴ軍および先住民族軍はドイツの領土に侵攻し、各地で戦闘を繰り広げた。一連の戦闘における先住民族の正確な死亡者数は分かっていないが、専門家は数万~数十万人が死亡したと推定している。
・1918年11月、第一次世界大戦終結。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・ベルギー政府は国際的な圧力(特にイギリス)に屈し、先住民族のヘルスケアや教育システムの整備を開始した。
・ベルギー政府は先住民族の権利を保障するために裁判所も建設した。しかし、先住民族は実際には限られた権利しか与えられず、女性は奴隷以下の扱いを受けることも珍しくなかった。
・1926年、首都をボマからレオポルドビルに変更。
・記録によると、1936年にコンゴの各都市を管理したベルギー人管理者は728人だったという。一方、先住民族は政治に参加することを許可されず、これに抵抗する者たちは軍もしくは警察の管理下に置かれた。
・第二次世界大戦中にコンゴに移住したベルギー人は先住民族を差別し、「白人は黒人より優れている」という考えを先住民族に植え付けた。
・1910年時点のコンゴ国内におけるベルギー人定住者数は約2,000人だったが、1959年には約90,000まで増加した。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・コンゴの先住民族軍は東アフリカ戦線で連合軍に加わった。
・1941年3月、ベルギー領コンゴ軍がイタリア領サイオ高原に侵攻。(サイオ包囲戦)
・東アフリカ戦線で死亡した先住民族の正確な数は分かっていない。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1950年代、エヴォルエと呼ばれる社会階層はベルギーからの独立を求め、各地で抗議活動や政治活動を展開した。
・1956年、国内で活動していたヨーロップ人グループがコンゴの独立に向けたマニュフェストを発表。
・1957年、ベルギーがコンゴの独立に向けた準備を開始。しかし、政府は完全な独立ではなく連邦領下に留め置くことを想定していた。
・1957年12月、先住民族で構成された自治政府が、地方選挙と政党の結成を許可する改革を開始。独立を求める声はさらに大きくなった。
・1959年1月、ベルギー国王が将来コンゴの独立を認めると宣言。
・1959年1月~10月、各地で独立を求める暴動が発生。ベルギーは広大な土地と数百の先住民族を管理することは困難と認めた。
・1960年1月、コンゴの独立を話し合うベルギー・コンゴ会議がブリュッセルで開催された。
・1960年6月30日、コンゴがベルギーからの独立を宣言。
・1960年7月5日、コンゴ危機(コンゴ動乱)と呼ばれる政変と紛争が始まる。(コンゴ政府vs反政府勢力)国連加盟国はコンゴを支援した。一方、反政府勢力はソビエト、中国、ベルギー、キューバなどの支援を受けた。
・国連はコンゴ国内で生活するヨーロッパ人を保護するために、約2万人の平和維持軍を派遣した。その後、西側の準軍組織や傭兵が平和維持軍に続いてコンゴに流入し、各地で戦闘を繰り広げた。
・1960年9月14日、アメリカ政府と中央情報局(CIA)の支援を受けたジョセフ・モブツ大佐が軍事クーデターを決行し、パトリス・ルムンバ首相を拘束した。
・1960年9月20日、国連に加盟。
・1961年1月17日、ルムンバ首相が処刑される。ベルギーの調査によると、ルムンバ首相は拷問され、銃殺刑に処されたのち切り刻まれ、遺体は酸で溶かされたという。
・1964年8月1日、国名を「コンゴ民主共和国」に変更。
・1965年11月25日、コンゴ危機終結。モブツ・セセ・セコ陸軍長官が独裁政権を確立した。
<コンゴ危機>
戦闘参加者:数百万人(推定)
負傷者:数十万人(推定)
死亡者:10万人(推定)
・1965年12月、モブツ・セセ・セコ陸軍長官が大統領に就任。
・軍事政権打倒を目指すコンゴ解放民族戦線(FLNC)はアンゴラ人民共和国に本拠を置き、侵攻開始のタイミングを伺っていた。しかし、政府軍は1970年代後半に発生したFLNCの反乱を打ち負かした。
・1971年10月29日、軍事政権が国名を「ザイール共和国」に変更。
・1980年代、ザイールは一党独裁体制を維持したが、民主社会進歩連合(UDPS)の活動が各地で活発化した。セコ大統領はUDPSを力でねじ伏せたため、国際的な批判に直面した。
・冷戦終結に伴い、セコ大統領に対する国内外からの圧力が急速に強まる。
・1990年4月、セコ大統領が共和制への移行を宣言。選挙と憲法に基づく複数政党制に同意した。
・1991年9月、賃金の未払いに兵士たちが抗議し、首都キンシャサで略奪を行為を開始した。これに伴い、現地の外国人を保護するために約2,000人のフランス・ベルギー連合軍がキンシャサを包囲した。
・1992年、セコ大統領主催のソブリン全国会議開催。セコ首相はライバル政党の創設を公式に認めた。
・1996年10月24日、第一次コンゴ戦争勃発。(ザイール連合軍vsコンゴ・ザイール解放民主勢力連合軍)
・コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)は諸外国の支援を受け、政府軍に立ち向かった。これに対し政府軍は、各地でAFDLを支援する民間人を虐殺し、政府軍に対する怒りが各地で爆発した。
・政府軍はルワンダの大虐殺を逃れたルワンダ人の難民キャンプ(コンゴとの国境付近)を襲撃し、数百から数千人を虐殺した。
・1997年5月16日、第一次コンゴ戦争終結、AFDLが決定的な勝利を収め、軍事政権は崩壊した。
<第一次コンゴ戦争>
両軍参加者:10万人以上
両軍負傷者:数万人(推定)
両軍死亡者:15,000~20,000人(推定)
民間人死亡者:40万~100万人(推定)
・1997年5月17日、ローラン・カビラが大統領に就任。
・1997年9月7日、モロッコに亡命したセコ大統領が死去。
・1998年8月2日、第二次コンゴ戦争勃発。(コンゴ民主共和国軍vsルワンダ民兵連合軍)
・ジンバブエ、ナミビア、アンゴラ、チャド、スーダンが政府軍を支援した。
・2001年1月16日、カビラ大統領が暗殺される。なお、暗殺の実行者と関与した者たちは投獄されたが、首謀者は分かっていない。
・2001年1月17日、ジョセフ・カビラが大統領に就任。
・2002年7月30日、コンゴ民主共和国とルワンダがプレトリア合意(和平協定)に署名。
・2002年9月6日、コンゴ民主共和国とウガンダがルワンダ協定(和平協定)に署名。
・2002年12月17日、コンゴ対話協定調印。これにより、2年以内の大統領選挙の実施および立法府の設置が決まった。
・2002年末~2003年1月、反政府勢力が先住民族のピグミー族の民間人約60,000人と戦闘員約10,000人を虐殺した。
・2003年7月18日、第二次コンゴ戦争終結、ルワンダ民兵連合軍はコンゴから順次撤退した。
<第二次コンゴ戦争>
両軍参加者:5万~10万人(推定)
両軍負傷者:数万人(推定)
両軍死亡者:数万人(推定)
民間人死亡者:35万~50万人(推定)
民間人餓死者:270万~540万人(推定)
・2003年7月18日、暫定政府発足。
・2006年7月30日、独立以来初となる議会選挙を実施。
・2006年10月29日、大統領選挙。現職のジョセフ・カビラ大統領が勝利した。
・2018年12月30日、大統領選挙。野党候補のフェリックス・チセケディがカビラ大統領の後任に選ばれた。
・反政府勢力は第二次コンゴ戦争以降も各地で活動し続けている。
文化(目次に戻る
・非常に多様で分からないことが多い。
・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・主食は米とキャッサバ。主菜はトウモロコシ、サツマイモ、山芋、オオバコ、トマトなど。
・首都キャッサバ以外の住民はほとんど自給自足生活を送っている。
・肉は高級品。(インフラが整備されておらず、運搬が難しいため)
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、ラグビーなど。
・サッカー代表チームはアフリカネイションズカップで2度優勝している。
・身体能力がとても高く、米NBAの選手を複数輩出している。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
【有名スポーツ選手】
・ディケンベ・ムトンボ(Dikembe Mutombo)NBA選手。
その他(目次に戻る
・世界で最も脆弱な国家のひとつ。
・2006年に民主化を達成したが、政情は今も極めて不安定。