クック諸島/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:クック諸島(Cook Islands)

首都:アバルア(Avarua)

人口:17,459人(2016年推定)

面積:237㎢(宮崎県高千穂町と同じぐらい)

気候:海洋性気候
・5月~10月はやや暖かい。(平均気温:22~28℃)
・11月~4月はとても暖かい。(平均気温:26~30℃)
・天候は1年を通して安定しており、いつ訪れてもよい。
・北部地域の気温は1年を通して安定している。(最低:24~26℃、最高:30~32℃)
・南部地域の気温は北部地域よりやや低く安定している。(最低:19~23℃、最高:25~29℃)
・ハワイの気候とよく似ている。
・雨季は12月~3月。
・乾期は6月~9月。
・ハリケーンが上陸する可能性は低いが、渡島する際は天気予報をチェック。時期は11月~4月。

経済:
・開発途上国
GDPは2ドル(2005年推定)
・主要産業は農業と観光業。
・天然資源は乏しく、ほぼ輸入に依存している。
・柑橘系の果物を輸出している。
・貿易赤字はニュージーランドの援助で賄っている。
クック諸島人はニュージーランド市民である
・人口の約28%が貧困ライン以下の生活を送っている。(2016年推定)
・自然災害の影響を受けやすい。
・インフラの整備不足に悩まされている。

人種(民族):
・クック諸島マオリ族 81.3%(推定)
・クック諸島ハーフマオリ族 6.7%
・その他 11.9%

言語:
・英語(公用語)
・マオリ語(公用語)
・その他

宗教:
・キリスト教83%(推定)
・イスラム教 2~3%
・ヒンドゥー教 2~3%
・仏教 2~3%
・無宗教 5.6%
・不明 2~3%

クック諸島

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女王:エリザベス2世(Elizabeth II)
女王名大:トム・マースターズ(Tom Marsters)
首相:マーク・ブラウン(Mark Brown)

政治体制:立憲君主制
・国家元首はエリザベス2世。
ニュージーランドの州のひとつだが、他の州より多くの自治権を与えられている。
・一院制。任期は5年。(議員定数:24人)
・最高意思決定機関は議会。
・女王名代の権限は限られている。
・首相は第一党から選出される。

法律:クック諸島の憲法
・裁判所は「最高、高等、地方」。
・司法権の独立を保障している。
・死刑は2007年に廃止された。なお、対象は国家反逆罪のみだった。
・同性愛は犯罪。
・性的指向に基づく差別を禁止する法律はない。
・新宗教の導入を法律で制限しており、信教の自由を保障していない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)

治安:良い
・近年テロ事件は発生していない。
・過激派組織が潜伏している可能性は低い。
・島民は観光客を温かく迎えてくれる。
・医療機関が少ないので、入国した際は体調管理に注意。
・風疹、麻疹、狂犬病などの感染症に注意。
・島のルールに従い行動すること。
・島民とすれ違った時は挨拶しましょう。
・腸の弱い人はミネラルウォーターを購入した方がよい。

AFP通信/クック諸島、ラロトンガ島

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数社。
・国営テレビ局はなし。
・民間テレビ局は1社。
・ラジオ局は6局。
・報道と言論の自由を保障している。
・ジャーナリストはたまに嫌がらせを受ける。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は50~60%。(2009年調査)
・検閲はない。
・島内のニュースはクック諸島ニュースで網羅できる。

【国営メディア/設立年】
・ー

【民間メディア】
・クック諸島テレビ

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・軍隊を保有していない。
・ニュージーランド政府が島の防衛と外交の責任を負っている。
・海上警察を保有している。

・国防予算:ー億ドル(推定)

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1700年代

・1773年、イギリスの航海士、ジェームズ・クック大尉がクック諸島に上陸した。なお、先住民族と接触したかどうかについては不明。

・1777年、クック大尉がクック諸島に上陸。なお、クック大尉はイギリス海軍本部を称えるために、島をハービー諸島」と呼んだ。

・当時、クック諸島最大の島、ラロトンガ島は発見されていなかったと伝えられている。クック大尉や他のヨーロッパ人は諸島の小さな島々に上陸したと考えられている。

1800年代

・1814年、イギリス海軍が先住民族のいる島に上陸。トラブルに発展し、双方に死者が出たと伝えられている。

・1821年、イギリス人とタヒチ人の宣教師が先住民族のいる島に上陸、定住した。

・1823年、イギリス海軍が初めてラロトンガ島に上陸。

・1835年、ロシアのアダム・ヨハン・フォン・クルセンシュテルン提督がクック大尉の功績を称え、島の名を「クック諸島」と名付けた。(書籍に記載)

・1858年、ラロトンガ王国(先住民族の国)がクック諸島の支配者であることを正式に表明した。

・1862年、ペルーの奴隷密輸業者がクック諸島に上陸。先住民族を捕獲し、抵抗する者を殺害した。

・1863年、ペルーの奴隷密輸業者が再びクック諸島に上陸。記録によると、島民の4分の3が奴隷もしくは戦闘の犠牲になったという。

・1888年、イギリス議会がクック諸島を保護領に設定。(イギリス領クック諸島誕生)

・1890年初頭、ニュージーランド議会がラロトンガ王国(州)の国旗を承認。

・アメリカ、イギリス、オーストラリアの捕鯨船がクック諸島近海の海で捕鯨を行った。捕鯨業者はラロトンガ島や他の小さな島に上陸したと伝えられている。

クック諸島/熱帯雨林

1900年~第一次世界大戦

・クック諸島は第一次世界大戦に一切関与していない。

・1900年、イギリス議会がクック諸島の併合を承認。当時、すでに植民地になっていたニュージーランド領の一部に組み込まれた。

・1901年、ニュージーランドとクック諸島が交易を開始。

・1901年6月11日、イギリス議会がクック諸島をニュージーランドの保護領に加える決議案を可決。(ニュージーランド領クック諸島誕生)

・1900年~1910年、ニュージーランドとクック諸島は交易および人の往来を奨励し、インフラの開発を促進した。

・ラロトンガ王国の長老は先住民の保護をニュージーランド議会に訴え、承認された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・イギリスから伝わったラグビーが人気スポーツになった。

・クック諸島は第二次世界大戦に一切関与していない。

・1923年、ラロトンガ島評議会(当時の議員定数:12人)発足。島の代表者とニュージーランドの移民が議員に就任した。

・1924年、ニュージーランドのラグビーチーム、オールブラックスがラロトンガ島のチームと親善試合を行う。

・1940年、ラロトンガ島評議会が第二次世界大戦に参戦するニュージーランド軍の活躍と帰還を祈願。

終戦~現在

・1946年、クック諸島立法評議会発足。ニュージーランド政府はクック諸島の自治権を強化した。

・1957年、クック諸島議会発足。

・1965年、イギリスのエリザベス2世がニュージーランドの自由連想法に基づき、クック諸島の自治領化を承認。クック諸島党の党首、アルバート・ヘンリーが初代首相に選出された

・1960年~1970年代、アメリカ政府が米領サモア島近海の島々の主権を主張し、クック諸島議会はこれに猛反発した。

・1974年、ヘンリー首相がナイト(騎士)の称号を授与される。

・1978年、議会選挙。民主党のトム・デイビスが首相に就任。

・1979年、サー・ヘンリー首相が不正選挙を主導した罪で有罪判決を受ける。これにより議会は解散し、ヘンリー首相はナイトの称号を失った。

・1980年6月11日、クック諸島・米国海上境界線条約調印。アメリカ政府はプカプカ島、マニヒキ島、ラカハンガ環礁、ペンリン島をクック諸島の領土と認めた。

・1981年、憲法改正。議員定数を22人から24人に増やし、任期を4年から5年に変更した。

・1983年9月、クック諸島・米国海上境界線条約発効。国連は両国の領土をめぐる論争の解決を歓迎した。

・1984年、初の連立政権誕生。

・1986年1月始め、太平洋安全保障条約(ANZUS)に関するニュージーランドとアメリカの関係悪化を受け、クック諸島は中立の立場を宣言し、島への米海軍の接近を禁止した。

・1986年1月末、米海軍の島への接近禁止を解除。

・1986年12月11日、ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)発効。これにより、南太平洋の定められたエリアに核兵器を持ち込むことは禁止された。(使用と実験も禁止)

<ラロトンガ条約>
議定書1:エリア内での核の製造、配置、実験を禁止する。

議定書2:条約の締結国、または議定書1を批准した地域で核を使用しない。

議定書3:エリア内および議定書2に署名した地域での核実験を禁止する。

・フランスとイギリスは1996年に議定書1~3に署名、批准した。アメリカも同じ年に1~3に署名したが批准はしていない。中国とロシアは議定書2と3に署名、批准した。

・1990年8月3日、クック諸島・フランス海事協会協定批准。クック諸島とフランス領ポリネシアの境界が確立した。

・1991年、クック諸島・フランス友好協力条約批准。フランス政府はクック諸島の経済発展、貿易、監視をサポートすることに合意した。なお、この動きはクック諸島の自治権をほぼ全て議会に任せたニュージーランド政府に対する反発と考えられている。

・1995年9月、フランス政府がツアモツ諸島ムルロア環礁で核実験を行うと発表。クック諸島議会を困惑させた。

・1995年10月、ジェフリー・ヘンリー首相はフランスの核実験に反対し、島民と共に抗議活動を行った。

・1997年、中国との外交関係を確立。

・1997年11月、マニヒキ島に台風が上陸。6人が死亡し、数十名が負傷した。また、島内の建造物の80%が何らかの被害を受け、黒真珠産業に深刻な影響を与えた。

・1998年、民主党のテレパイ・マオアテが首相に就任。

・2000年、フランスとの完全な外交関係を確立。

・2002年2月11日、議会がマオアテ首相に対する不信任決議案を可決。副首相のロバート・ウーントンが首相に就任した。

・2004年、ウーントン首相が中国を訪問。温家宝 首相と会談し、約1,600万ドルの開発援助を得た。

・2006年、議会選挙。民主党は単独で過半数を獲得できず、連立政権を余儀なくされた。

・2008年、クック諸島を含む太平洋の8カ国がマグロの「乱獲」を禁止する。これによりマグロ漁は大きく制限されることになった。

・2019年3月、議会がクック諸島の名を変更する草案を提出。

・2019年5月、ラロトンガ島らの長老たちは議会の申し出を却下し、ジェームズ・クック大尉の功績を称えるよう命じた。その後、妥協案として、英語名は変更せず、マオリ族のみを対象とした新しい名をつけることが決まった。島名に関する議論は現在も続いている。

・2020年5月12日、ロックダウンを開始。外務移民省に許可された者以外の入国は禁じられた。なお、クック諸島でコロナウイルス感染者は確認されていない。

・2021年1月18日、以下の入国基準を満たす者の入国を許可。

①クック諸島人。
②  〃  の永住者。
③  〃  の労働許可証保有者。
④  〃  の居住許可保有者。

文化(目次に戻る

・マオリ族の文化を大切にしている。

・若者は西側のポップカルチャーをこよなく愛している。

・主食はシーフード、サトイモ、子羊や子豚の丸焼き、新鮮な果物、ココナッツ。

・カーニバルが大好き。

AFP通信/クック諸島、ダンサー

スポーツ(目次に戻る

・三度の飯よりラグビーを愛している。

・クック諸島ナショナルラグビーリーグ(男女)は島民最大の娯楽。

・その他の人気スポーツはサッカー、クリケット、ネットボール、サーフィンなど。

・クック諸島ラウンドカップ(サッカー)は1950年から続いている。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

その他(目次に戻る

・主要産業のひとつ、観光業はコロナウイルスの影響で大ダメージを受けた。

クック諸島人はニュージーランド市民である

クック諸島/ビーチ
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