ブルンジ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ブルンジ共和国(Republic of Burundi)

首都:ギテガ(Gitega)

人口:11,865,821人(2020年推定)

面積:27,830㎢(北海道の0.3倍)

気候:熱帯気候とサバナ気候
・熱帯気候に属しているが、国土の大部分の標高は1,500~1,800mほどであり、過ごしやすい。
・気温は地域によって大きく異なるが、おおむね1年を通して安定している。
・乾期(冬)は6月~8月。
・年間降雨量は地域のよって多少異なるが、おおむね800~1,500mm。
・最大都市ブジュンブラは1年を通して暑い。(最低気温:18~20℃、最高気温:29~31℃)

・観光に適した時期は雨の少ない6月~8月。

経済:
・開発途上国
GDPは30億ドル(2020年推定)
・主要産業は農業。
・農業以外の産業はほとんど発展していない。
・主要輸出パートナーはドイツ(15%)、ケニア(9%)、中国(8%)
・主要輸入パートナーはサウジアラビア(17%)、中国(8%)、ウガンダ(8%)
・主要輸出品はコーヒー、茶、砂糖、綿、動物の皮。

・一人当たりのGDP世界ワースト1位。
・世界で最も貧しい国のひとつ。
・労働者の70%以上が農業に従事しており、その大半が自給自足農民。
・国際社会の人道支援に大きく依存している。
・製造業はほとんど発達しておらず、天然資源も乏しい。
・国民の大半が貧困ライン以下の生活を余儀なくされている。
・サハラ以南で2番目に人口密度の高い国。

人種(民族):
・フツ族 85%(CIAワールドファクトブック推定)
・ツチ族 14%
・トワ族 0.99

・ヨーロッパ人
・アジア人
・その他

言語:
・ルンディ語 29.7%(公用語:2008年推定)
・フランス語 8.7%(公用語)
・英語 2.4%
・スワヒリ語 0.2%
・その他の言語 2%
・不明 56.9%

宗教:
・ローマカトリック 62.1%(2008年推定)
・プロテスタント 23.9%
・イスラム教 2.5%
・その他 3.6%
・不明 7.9%

ブルンジ共和国

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大統領:エヴァリステ・ヌダイシミエ(Évariste Ndayishimiye)
首相:アラン=ギヨーム・ブニョニ(Alain-Guillaume Bunyoni)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は7年、1回再選可能。
・二院制。
・上院の議員定数は39人、任期は5年。
・下院の議員定数は123人、任期は5年。
・内戦終結以来、国連の平和維持活動の管理下に置かれている。
・2020年の大統領選挙に伴う混乱は終息し、治安はゆっくりと回復している。
・立法、行政、司法は極めて脆弱で、いつ崩壊してもおかしくない。
・東アフリカで最も腐敗した国。

法律:ブルンジ共和国の憲法
・基本的人権を保障しているにもかかわらず、治安部隊による即決処刑、超法規的殺人、拷問、性的暴行が横行している。
・司法の独立を保障しているが、市民の大半は裁判自体にアクセスできない。
・市民の大半は公正な裁判にアクセスできず、私刑(石打の刑、火刑、斬首など)が横行している。
・2017年に世界で初めて国際刑事裁判所(ICC)の管理から離脱すると宣言した。
・LGBTの権利を一切認めていない。
・同性愛、同性結婚は犯罪。
・女性の権利を認めているが、拷問、強姦、レイプ、虐待が横行しており、容疑者はほとんど起訴されない。
・警察は犯罪や人権侵害を調査する能力が極めて低く、犠牲者は泣き寝入りせざるを得ない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年5月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:かなり悪い
・近年、国内で自爆テロなどの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織の活動は確認されていない。
・国境付近では反政府勢力が精力的に活動している。
・コンゴ民主共和国の反政府ジハードゲリラが国境を自由に往来している。
・内戦は2005年に終結し、以来治安は回復しつつある。
・銃火器が市場に広く流通しており、誰が武装しているか分からない。
・高級腕時計や貴金属類を身に着けていると、盗賊に狙われる。
・コンゴ民主共和国との国境付近は反政府勢力の活動エリアと考えられており、極めて危険。
・繁華街は治安部隊の管理下に置かれているため、比較的安全と信じられているが、夜間の外出は控えた方が良い。
・強殺、殺人、強盗、強姦、レイプ、窃盗事件が多発している。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・スラム街と呼ばれているエリアには近づかないこと。

ブルンジ共和国/農村部

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・新聞社は数社あると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は4局あると伝えらえている。
・民間ラジオ局は8局あると伝えられている。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは逮捕される。また、メディアは政府に批判的な報道を発信することを禁じられている。
・主要メディア媒体はラジオ。
・テレビの普及率は3~4%(推定)
・携帯電話の普及率は0.5~1%(推定)
・固定電話の普及率は0.1~0.3%(推定)
・インターネット普及率は1~1.5%(推定)
・検閲は厳しい。

【国営メディア/設立年】
・ブルンジ国立ラジオ&テレビ 1975年

【民間メディア】
・テレルネッサンス
・ヘリテージTV
・テレビサラマ
・BeTV

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:50,000人(推定)
  即戦力 20,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 30,000人

・陸軍を保有。

・国防予算:6,000万ドル(推定)

ブルンジ共和国/国軍の兵士たち

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1700年代

・1700年代、現在のブルンジ共和国とその周辺地域はカンバランタマと呼ばれる男が設立した王国の支配下に置かれていたと伝えられている。

・ブルンジ王国は隣国ルワンダの王国との競争の中で成長し、発展した。

・ブルンジ王国の王(ムワミ)は土地の大部分を所有し、地元の農民や遊牧民から税金を徴収する貴族(ガンワ)を率いていた。

・1750年代、ツチ族は土地、生産、流通の支配体制を1つにまとめ、新たな政治システムを確立した。この時、貴族は主にツチ族で構成され、フツ族とトワ族を含むその他の部族は奴隷同然の扱いを受けていたと伝えられている。

・富と家畜を手に入れることに成功したフツ族の農民は高い地位を与えられ、ガンワの顧問になることもあった。一方、地位を失い没落したツチ族の農民は、フツ族と呼ばれることもあったという。

・ブルンジの近年の権力闘争は、王国時代のツチ族有利の政治にあったと伝えられている。

1800年代

・1850年代、ヨーロッパの探検家と宣教師は何度も東アフリカを探検し、ブルンジ共和国に到達したと伝えられている。当時の記録によると、探検家たちはブルンジ王国とギリシャ帝国の組織を比較したという。

・1884年、ドイツ東アフリカ会社は東アフリカ全土で活動を本格化させ、すでにこの地に進出していたイギリスおよびザンジバル王国との国境紛争を招いた。

・1885年、ドイツ東アフリカ会社は東アフリカで発生したアブシリの反乱を鎮圧し、住民たちに地域を保護するよう求められた。

・1891年、ドイツ東アフリカ会社はブルンジと周辺地域の権利をドイツ帝国に譲渡した。これにより、現在のブルンジ、ルワンダ、タンザニアはドイツの支配下に置かれたが、先住民族たちは植民地化に強く反対した。

・1899年、ドイツ軍は植民地化に反対する王国に大きな損害を与えたが、滅ぼそうとはしなかった。その後、ドイツは王国の権威主義に反対する組織を支援し、王国から譲歩を引き出すことに成功し、ブルンジはドイツの植民地になった。

・ドイツはブルンジ王国の管理を王族たちに任せ、農業や加工業を発展させるよう指示した。

ブルンジ共和国/先住民族の踊り

1900年~第一次世界大戦

・1905年、西部の平原地域で大飢饉が発生した。伝えられるところによると、飢饉は数年続き、西部地域の人口の約半数が餓死したという。

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・1916年、イギリス・ベルギー連合軍はドイツの植民地への攻撃を開始し、ブルンジに駐在していたドイツ軍は撤退を余儀なくされた。

・1916年6月17日、ベルギーはブルンジとルワンダを占領し、現地のドイツ自治政府を追放した。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1919年6月、連合軍とドイツがヴェルサイユ条約に署名。これにより、ドイツ領東アフリカはベルギーに委譲された。

・1924年、国際連盟は現在のルワンダとブルンジを含む周辺地域の領土をベルギーに正式に委任し、西部の領土はタンガニーカ王国に割り当てられた。

・ベルギー人はツチ族が土地を支配するこれまでの政治体制を維持し、ドイツと同じように領土の管理を先住民族に原則任せた。

・1930年代、ベルギーはブルンジの制度の多くを保護したため、ツチ族は地位を維持し、大多数のフツ族とトワ族は農民として税金を納め続けた。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

1940年、ツチ族の政策に反対する暴動が各地で発生したが、ベルギーとツチ族の合同治安部隊をこれを厳しく取り締まった。

・1943年10月、ツチ族は国内の諸公国と民族グループに権力の一部を委譲した。しかし、フツ族とトワ族を含む大多数の先住民族の権利は限られており、不満が完全に解消されたわけではなかった。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

ブルンジ共和国/土地を耕す市民

終戦~現在

・1948年、ベルギーはブルンジの野党勢力に政党の結成を許可した。

・1959年1月20日、ブルンジの統治者ムワミ・ムワンブツァは、完全なる独立とルワンダ・ブルンジ連合の解散をベルギー王朝に要求した。

・ブルンジの独立への取り組みは、ルワンダ革命とそれに伴う民族紛争の影響を強く受けた。ルワンダ革命の結果、1959年から1961年の間に多くのツチ族難民がブルンジに避難した。

・1961年9月8日、最初の議会選挙が行われ、ルイ・ルワガソレ王子率いる多民族統一党(UPRONA)が80%強を獲得した。

・1961年10月13日、UPRONAのルワガソレ王子がフツ族の反政府勢力に暗殺される。

・1962年7月1日、「ブルンジ王国」がベルギーから独立。暗殺されたルワガソレ王子の父、ムワミ・ムワンブツァが国王に就任した。

・1962年9月18日、国連に加盟。

・1963年、ムワンブツァ王はフツ族のリベラル派、ピエール・ンゲンダンダムウェを首相に指名した。

・1965年1月15日、西側諸国の支援を受けるルワンダのツチ族の武装勢力がンゲンダンダムウェ首相を暗殺。西側の反共産主義国はブルンジの著しいリベラル化を許さなかった。

・1965年5月、議会選挙。優秀なフツ族の市民が議会に加わったが、ムワンブツァ王はツチ族の議員を首相に任命したため、民族間の緊張がさらに高まった

・1965年10月、フツ族の過激派と警察がクーデターを起こすも、失敗に終わる。ツチ族が支配する国軍は、フツ族の議員や権力者から土地を奪い取り、報復攻撃として推定5,000人を処刑した。

・1966年7月、軍事クーデター発生。ムワンブツァ王は追放され、息子のンタレ王子が王位を継承した。

・1966年11月、軍事クーデター発生。4か月前に王位を継承したンタレ国王は追放され、クーデターを率いたミシェル・ミコンベロ大尉は君主制を廃止し、一党軍事独裁体制を確立した

・1966年11月、ミコンベロ大尉が初代大統領に就任。ブルンジ王国は「ブルンジ共和国」に名を改めた。

ミコンベロ大統領は社会主義を推進し、中国の支援を受けながら新たな法と秩序を確立し、人口の大多数を占めるフツ族を激しく抑圧した。

・1972年4月27日、フツ族の憲兵隊が湖畔の町ルモンジュとニャンザラックで反乱を起こし、マルティアゾ共和国の独立を宣言した。フツ族の憲兵隊は、ツチ族だけでなく、反乱への参加を拒否したフツ族にも襲いかかり、少なくとも150人を処刑した。

・1972年4月29日、ミコンベロ大統領はフツ族の反政府勢力を打倒するよう国軍に指示し、反乱に関わった者は処刑された。一連の戦闘で死亡したフツ族の正確な数は明らかにされていないが、国軍は反乱軍だけでなく市民推定30万人を容赦なく処刑し、数十万人がザイール、ルワンダ、タンザニアに逃れたと伝えられている。なお、マルティアゾ共和国は戦闘開始から数日で滅亡した。

・1976年、軍事クーデター発生。ミコンベロ大統領は追放され、ツチ族のジャン=バティスト・バガザ大佐が大統領に就任した。

・1981年、新憲法公布。バガザ大統領は一党独裁体制を継続した。

・1984年8月、憲法改正。バガザ大統領は野党の政治活動を却下し、信教の自由を抑圧した。

・1987年、軍事クーデター発生。バガザ大統領は追放され、ツチ族のピエール・ブヨヤ少佐が大統領に就任した。

・ブヨヤ大統領は憲法を停止し、議会と政党を解散したうえで軍事委員会(CSMN)を創設し、完全なる軍事政権に移行すると宣言した。

・1988年8月、軍事政権に反対するフツ族の過激派政党が北部地域のツチ族コミュニティを襲撃し、少なくとも5,000人を処刑した。一部の国際NGOはこの大量虐殺の死者数を2万~3万人と見積もっている。

・1988年9月、フツ族の知識人たちはブヨヤ大統領に公開書簡を送り、優秀なフツ族を軍事政権の高官に任命するよう要請した。しかし、ブヨヤ大統領はこの要求を却下し、知識人たちを投獄した。

・1988年10月、ブヨヤ大統領はツチ族とフツ族で構成される新しい政府を創設し、フツ族のアドリアン・シボマナ首相に任命した。

・1992年、憲法改正。ブヨヤ大統領は複数政党制を認めた。

・1993年7月、初めて民主的な大統領選挙が行われ、ブルンジ民主戦線(FRODEBU)のリーダーでフツ族のメルシオル・ンダダイが大統領に就任した。

・1993年10月21日、ツチ族の過激派組織がンダダイ大統領を暗殺。フツ族の農民は大統領暗殺に激怒し、ツチ族の虐殺を開始した。

・1993年10月21日、ツチ族の過激派組織は報復として、フツ族の農民数千人をナタや斧で切り殺した。

・1993年10月21日、ブルンジ内戦勃発。(ブルンジ政府vsフツ族農民反乱軍vsツチ族の過激派)

・1994年に発生したルワンダ虐殺はツチ族の怒りに火をつけ、さらなるフツ族の大量虐殺を引き起こした。

・1996年、軍事クーデター発生。ピエール・ブヨヤ元大統領は軍事政権の復活を宣言した。

・2000年8月、ブヨヤ大統領と一部の内戦の統治者たちが南アフリカが仲介したアルーシャ協定に署名。しかし、多くのツチ過激派組織は協定を却下した。

・2001年10月、暫定政府発足。国際社会はブヤヨ大統領を承認し、南アフリカの平和維持軍がブルンジに到着した。しかし、フツ族の主要反乱軍であるCNDD=FDDとFNLは、アイーシャ協定への署名を拒否した。

・2001年11月、FNLが少年兵候補約300人を誘拐。

・2001年12月、暫定政府軍はテンガの森の反乱軍基地を攻撃し、武装勢力500人を殺害した。

・2002年9月、フツ族の武装勢力が非武装の民間人数百人を処刑。

・2003年7月、反乱軍が都市ブジュンブラを襲撃し、民間人推定300人を処刑。住民15,000人が国内避難民になった。

・2003年8月、ドミシアン・ンダイゼイが大統領に就任。

・2003年12月29日、教皇使節団の大司教、マイケル・コートニーが反乱軍に暗殺される。

・2004年、国連安全保障理事会がブルンジの平和維持活動に介入する決議案を可決。アフリカ連合(AU)と協力することに合意した。

・2005年1月、ンダイゼイ大統領はツチ軍とすべてのフツ反乱グループからなる新しい国軍を発足させる法律に署名した。

・2005年5月15日、ブルンジ内戦終結。当事者たちは和平協定に合意した。

<ブルンジ内戦>
・参加者:数万人(推定)
・負傷者:数万人(推定)
・死亡者:25万~30万人(推定)

・2005年8月、大統領選挙。CNDD=FDD(フツ族)のピエール・ンクルンジザが大統領に就任した。

・2006年4月15日、1993年に施行された夜間外出禁止令が解除された。

・2006年末、ンダイゼイ前大統領と支持者たちがクーデターを企てた罪で逮捕された。

・2007年2月、国連の平和維持軍がブルンジでの活動を正式に停止。

・2010年、大統領選挙。ンクルンジザ大統領が再選を果たす。

・2015年4月、ンクルンジザ大統領は3期目に挑戦すると発表したが、憲法は大統領の再選を1回しか認めていなかった。

・2015年4月26日、ンクルンジザ大統領の3期目に反対する抗議者と警察が衝突し、少なくとも6人が死亡した。

・2015年5月13日、ブルンジ軍の元諜報部長は、ンクルンジザ大統領がタンザニアで開催されたサミットに参加している隙にクーデターを宣言したが、政府はこの主張を却下した。

・2015年6月26日、野党が大統領選挙のボイコットを表明。

・2015年7月6日、軍のレナード・ンゲンダクマナ将軍がンクルンジザ大統領に対する武装反乱を呼びかける。

・2015年7月24日、大統領選挙。ンクルンジザ大統領が有効票の69.41%を獲得した。

・2018年5月、憲法改正。ンクルンジザ大統領は任期を2034年まで延長する法律を導入したが、野党と最高裁判所はこれを却下した。

・2018年12月24日、首都をブジュンブラからギテガに移転。

・2020年5月20日、大統領選挙。ンクルンジザ大統領の後継者、エヴァリステ・ヌダイシミエが勝利した。

・2020年6月9日、ンクルンジザ前大統領が心不全で死亡。なお、死因は心不全ではなくコロナウイルスと噂されている。

・2021年2月、ヌダイシミエ大統領は国連と世界保健機関(WHO)が主導するCOVAXイニシアティブから提供されるコロナワクチンを拒否すると発表した。保健大臣は声明で、「ワクチンは危険です」と述べた。

文化(目次に戻る

・キリスト教とフランスの影響を強く受けている。

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、謎に包まれている。

・国の歴史を口承で語り継ぐ伝統が残っており、物語、詩、歌を通して歴史と人生の教訓を後世に伝えている。

・1972年の大量虐殺で高等教育に携わる文化人の大半が殺害されたため、文化の発展に極めて深刻な影響が出たと伝えられている。

・主食はトウモロコシとバナナ、主菜は地元の農作物、動物の肉、タンガニーカ湖で釣れる魚など。

ブルンジ共和国/子供たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、陸上競技、柔道。

・国内に柔道クラブが5つある。

・サッカーブルンジプレミアリーグを運営している。

・オリンピックでの獲得メダル数は2個。(金:1個、銀:1個)

・冬季オリンピックに出場したことはない。

【有名スポーツ選手】

・ベヌステ・ニヨンガボ(Vénuste Niyongabo)陸上選手。ブルンジ初のオリンピック金メダリスト。

その他(目次に戻る

・政治情勢は極めて不安定。フツ族とツチ族の確執は解消されていない。

一人当たりのGDP世界ワースト1位

ブルンジ共和国/最大都市ブジュンブラ
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