目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ベリーズ(Belize)
首都:ベルモパン(Belmopan)
人口:419,199人(2020年推定)
面積:22,966㎢(四国の1.2倍)
気候:熱帯気候
・ユカタン半島の南東に位置する。
・雨季は6月~10月。
・乾期は11月~4月。
・年間降水量は地域によって大きく異なる。多い地域は3,000mm以上、少ない地域は500mmを下回る。
・最大都市ベリーズシティの6月~8月の平均気温は最低が25℃、最高は31~32℃。
・最大都市ベリーズシティの11月~2月の平均気温は最低が20~22℃、最高は28~29℃。
・海水温は1年を通じて27~29℃。いつでも海水浴を楽しめる。
・首都ベルモパンの6月~8月の平均気温は最低が22~23℃、最高は32℃。
・首都ベルモパンの11月~2月の平均気温は最低が18~20℃、最高は28~29℃。
・ハリケーンの影響を受けやすい国。最盛期は9月~10月。
・観光に最適な時期は2月~4月。比較的乾燥しており、過ごしやすい。
経済:
・開発途上国
・GDPは17億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはイギリス(31%)、アメリカ(19%)、ナイジェリア(7%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(27%)、メキシコ(12%)、キューバ(10%)
・主要輸出品は砂糖、バナナ、柑橘類、衣類、魚製品、木材、原油など。
・貧困ライン以下で生活している国民の割合は人口の40~45%。
・主要農作物はバナナ、サトウキビ、オレンジ、トウモロコシなど。
・インフラ整備不足に悩まされているが、電気、インターネット、水道網は他の中米諸国より少し優れている。
・国の経済は観光産業に大きく依存しており、コロナウイルスの影響をもろに受けた。
・2020年のGDP成長率は前年比マイナス13.5%。
人種(民族):
・メスティーソ 49.7%(2010年国勢調査)
・クレオール人 21.8%
・白人 9.4%
・混合 6.2%
・ケクチ族 5.7%
・ガリフナ族 4.6%
・モパンマヤ族 3.5%
・その他
言語:
・英語(公用語)
・スペイン語
・クレオール語
・マヤ語
・ドイツ語
・ガリフナ語
・その他
・不明
宗教:
・ローマカトリック 40.1%(2010年国勢調査)
・プロテスタント 31.5%
・ペンテコステ派 8.4%
・セブンスデー・アドベンチスト教会 5.4%
・英国国教会 4.7%
・メノナイト 3.7%
・バプテスト 3.6%
・メソジスト 2.9%
・ナザレン 2.8%
・エホバの証人 1.7%
・その他 10.5%
・不明 0.6%
・興味がない 15.5%
ベリーズ
政治(目次に戻る
君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:フロイラ・ツァラム(Froyla Tzalam)
首相:ジョニー・ブリセーニョ(Johnny Briceño)
政治体制:立憲君主制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首はエリザベス2世。
・女王と総督の権限は限られている。
・上院の議員定数は13人、任期は5年、任命者は総督。
・衆議院(下院)の議員定数は31人、任期は6年。
・2020年の総選挙は中道左派の人民統一党が勝利した。
・中道右派の統一民主党は2020年の総選挙で歴史的な大敗を喫し、野党に降格した。
・女性議員の比率は13.3%。
法律:ベリーズの憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・養育費、家庭内暴力、配偶者虐待などの事件を審理する特別家庭裁判所がある。
・死刑制度を維持している。
・殺人事件が多発しており、2018年の犠牲者は人口10万人あたり36人だった。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年8月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年8月時点)
治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・銃火器を使った犯罪が断続的に発生している。
・麻薬カルテルや武装ギャングが活発に活動している。
・流しのタクシーは利用しない。無許可タクシーは特に危険。
・夜間の外出は極力避ける。
・地元でスラム街と呼ばれている地域には近づかない。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は持ち歩かず、安全な場所に保管する。
・武装強盗に遭遇した時は抵抗せず、要求に応じる。
・ギャングの抗争が発生した時は昼夜を問わず外出を控える。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は8社。日刊紙はない。
・国営テレビ局はなし。
・民間テレビ局は5局。
・国営ラジオ局はなし。
・民間ラジオ局は4局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は45~50%。
・検閲はない。
・主要ソーシャルメディアはフェイスブック。
・アメリカのケーブルテレビチャンネルを利用している人が多い。
【国営メディア/設立年】
・ー
【民間メディア】
・グレート・ベリーズ・テレビジョン
・トロピカル・ビジョン・リミテッド
・クレムテレビ
・ラブ・ベリーズ・テレビジョン
・TITEC-TV
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:ー位
・軍人数:1,400人(推定)
即戦力 900人
予備兵 500人
準軍組織 0人
・陸軍を保有。
・米軍と英国軍から軍事支援を受けている。
・イギリス陸軍の小隊が駐留している。
・国防予算:3,000万ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代:イギリスとスペインは現在のベリーズを含む周辺地域の領土争いに伴い、何度も衝突した。
・1786年:イギリスは初めてベリーズを含む周辺地域に監督者を置いた。
・1798年:スペインはベリーズの小さな奴隷町に侵攻したが、イギリス駐留軍の反撃を受け、撤退した。
1800年代
・1802年:約150人のガリフナ族が現在のダングリガ地域に定住した。
・1825年:イギリスがメキシコを主権国家として公式に承認。これにより、メキシコはベリーズに対する領土の主張を放棄した。
・1832年:ホンジュラス内戦から逃れた多くのガリフナ族がダングリガ地域に定住した。
・1833年:イギリス議会が奴隷制の廃止を承認。
・1840年代:スペイン語を話す数千人の難民がベリーズ北部に定住する。ユカタンカースト戦争後、マヤ族のコミュニティは北部と西部に移住した。
:1841年:ダングリガはガリフナ族最大の集落になり、住民たちは多種多様な果物や野菜を生産して生計を立てた。
・1857年:イギリス議会はガリフナ族に土地の使用料を支払う必要があると勧告し、拒否すれば土地、住居、その他の施設を全て失うと警告した。
・1859年:イギリスとグアテマラがベリーズの国境を確立する条約に署名。
・1862年:イギリス議会は現在のベリーズを含む周辺地域を植民地に置くと公式に宣言。イギリス領ホンジュラスと名付けた。
・1871年:憲法施行。ベリーズ(英領ホンジュラス)を統治した立法評議会は、5人の公式メンバーと4人の非公式メンバーで構成されていた。
・1880年代:グアテマラの強制労働から逃れた多くのマヤ族(ケクチ族とモパン族含む)がベリーズ(英領ホンジュラス)南部の村に定住した。
・1892年:イギリス人知事はクレオール人1人を立法評議会のメンバーに任命したが、その他は全て白人で構成されていた。
・1893年:イギリスとメキシコは協定に伴いベリーズ(英領ホンジュラス)の国境を定義した。
・1897年:イギリスとメキシコがベリーズ(英領ホンジュラス)の国境を定義する協定を批准。
1900年~第一次世界大戦
・ベリーズ(英領ホンジュラス)は第一次世界大戦に関与していない。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1930年代:世界恐慌の影響はベリーズ(英領ホンジュラス)全土に波及し、失業者が急増した。
・1931年9月:ベリーズシティにハリケーンが上陸。1,000人以上が死亡した。イギリス議会はハリケーンによる植民地の荒廃を受け、緊急事態宣言を発出する権限を各知事に与えた。
・1931年:ベリーズ(英領ホンジュラス)知事のジョン・バートン卿は、労働組合を合法化し、最低賃金と健康保険の導入するという団体の提案を拒否した。
・1934年:全国各地で貧しい人々によるデモ、ストライキ、請願、暴動で発生し、一部の団体は独立を求める呼びかけを各地で行った。
・1941年:労働組合が合法化される。
・1943年:国内初の一般労働組合が組織され、多くの中小企業が加盟した。
終戦~現在
・1949年12月:ベリーズ(英領ホンジュラス)知事は、独立運動を推進した立法評議会を罰するために、英領ホンジュラスドルを切り下げた。知事の決定に多くのナショナリストが憤慨し、各地で抗議デモや暴動が発生した。
・英領ホンジュラスドル切り下げは、植民地政権に反対する労働者、ナショナリスト、クレオールの中産階級を団結させ、人民委員会の誕生につながり、その後、初期の独立運動が勃発した。
・1950年9月:人民委員会は人民統一党(PUP)に名を改め、政治活動を本格化させた。PUPは普遍的な成人参政権、公正な選挙による立法評議会の選出、立法府の多数党の指導者による執行評議会の運営、閣僚制度の導入、憲法改正などを訴えた。
・1954年:憲法改正。イギリスはベリーズ(英領ホンジュラス)に一定の自治権を与えた。
・1954年:総選挙。ジョージ・プライス率いるPUPが勝利した。選挙には有権者の約70%が参加し、PUPは有効票の66.3%を獲得した。
・ジョージ・プライスは、ベリーズ(英領ホンジュラス)をグアテマラの自由連合に加えるという提案を拒否し、国を独立に導くと誓った。
・1961年:ハリケーンハッティ上陸。260人以上が死亡した。
・1964年1月:憲法改正。イギリスはベリーズ(英領ホンジュラス)に完全な自治権を与え、普遍的な成人の参政権と議会が導入された。
・1970年:首都をベリーズシティからベルモパンに移転。
・1973年:国名をイギリス領ホンジュラスからベリーズに変更。
・1974年以来、ベリーズの政治は中道左派の人民統一党(PDR)と中道右派の統一民主党(UDP)が支配してきたが、他の小さな政党も積極的に選挙に参加している。
・1975年:ベリーズとイギリスはグアテマラの軍事政権に対処するために、さまざまな国際フォーラムに参加した。ベリーズ政府は国際的な支援を得ることで、独立を求める自国の立場を強化し、グアテマラの主張を弱めようとした。
・1975年~1981年:ベリーズ政府はイギリス連邦政府の首脳会議、非同盟国との閣僚級会議、国連の会議などで独立の重要性を訴え、グアテマラの圧力を非難した。その後、ベリーズはキューバ、メキシコ、パナマ、ニカラグアの支持を獲得し、国連はベリーズの独立を要求する決議を賛成多数で可決した。
・1978年:ハリケーングレタ上陸。南海岸が大きな被害を受け、被害総額は2,500万ドル(約30億円)を超えた。
・1981年3月11日:グアテマラの右派勢力がベリーズの独立を厳しく非難したこと受け、グアテマラ政府は独立を承認する合意の批准を拒否し、交渉から撤退した。一方、ベリーズの独立反対派も暴力的なデモで政府に圧力をかけた。しかし、反対派は独立しない意義を国民に伝えることはできず、全国各地で独立に向けた記念イベントが開催され、反対派の士気は低下した。
・1981年9月21日:ベリーズは独立を宣言したが、隣国グアテマラは独立宣言を却下した。イギリスはベリーズの駐留軍約1,500人を維持し、グアテマラの領土主張に伴う侵攻を阻止した。
・1981年9月21日:ジョージ・プライスが初代首相に就任。
・1984年12月:総選挙。中道右派の統一民主党(UDP)が勝利し、マヌエル・エスキバルが首相に就任した。
・1989年9月:総選挙。中道左派の人民統一党(PDP)が勝利。ジョージ・プライス元首相が政権に返り咲いた。
・1990年:米州機構(OAS)に加盟。
・1992年:グアテマラがベリーズを主権国家として正式に認める。
・1993年7月:総選挙。中道右派の統一民主党(UDP)が勝利。マヌエル・エスキバル元首相が政権を奪取した。
・1993年8月:イギリスはグアテマラのベリーズ承認を受け、1994年までに駐留軍を撤退させると発表した。しかし、エスキバル首相はグアテマラとの合意を一時停止したうえで、ベリーズは独立を認めさせるために多くを失ったと主張した。
・1998年8月:総選挙。中道左派の人民統一党(PDP)が圧勝。サイド・ムサが首相に就任した。
・2000年10月:ハリケーンキース上陸。少なくとも19人が死亡し、被害総額は2億8,000万ドル(300億円)を超えた。
・2001年10月:ハリケーンアイリス上陸。数千人が住居を失い、地域のバナナ園は深刻な被害を受けた。
・2002年9月:グアテマラとベリーズは、米州機構(OAS)が仲介した会談で、長年の国境紛争に関する和解案に合意した。
・2003年:グアテマラとベリーズの国境紛争を解決する和解案の是非を問う国民投票が両国で行われ、グアテマラの有権者は和解案を拒否した。
・2003年3月:総選挙。中道左派の人民統一党(PDP)が勝利。サイド・ムサ首相が再選を果たした。
・2004年1月:イギリスの枢密院(裁判所)は、ベリーズ政府が承認したダム建設を取り消すという反対派の訴えを却下した。反対派はダムが建設されることで下流域の希少種や集落に影響を与えると主張した。
・2005年4月:反政府抗議デモが全国各地で発生。首都ベルモパンでは暴動に発展した。
・2006年4月:民間企業の石油埋蔵量調査が本格的に始まる。
・2007年:ベリーズ政府は先住民族の権利に関する国連宣言を支持し、先住民族が有する法的な土地の権利を確立した。
・2007年8月:カテゴリー5のハリケーンディーン上陸。死者は確認されなかったが、住居や農園が深刻な被害を受け、被害総額は1億ドル(110億円)に達した。
・2007年11月:米州機構(OAS)は、ベリーズとグアテマラの国境紛争をハーグの国際司法裁判所に付託するよう両国に推奨した。
・2008年2月:総選挙。中道右派の統一民主党(UDP)が勝利。ディーン・バロウがベリーズ初の黒人首相に就任した。
・2010年5月:政府は6月からイギリス枢密院(裁判所)への上訴事件の提訴を停止すると発表した。
・2011年9月:アメリカはベリーズを違法薬物の主要な生産者または輸送ルートと見なすブラックリストに追加した。
・2012年3月:総選挙。中道右派の統一民主党(UDP)が勝利。ディーン・バロウ首相再選。
・2012年9月:ベリーズ政府は延滞した債務利息の一部を支払った後、債券返済期限を60日間延長した。これにより、格付け会社のスタンダード&プアーズは、ベリーズ政府を「選択的デフォルト(ほぼ破綻状態)」と評価した。
・2014年3月:ベリーズとグアテマラは国境紛争継続中にもかかわらず、違法伐採の禁止に関する合意文書に署名した。
・2015年5月:エネルギー省は石油とガスの掘削に伴い、海岸の一部を開拓する計画を検討していると明らかにした。これに環境保護団体は強く反発し、海岸の開拓は海洋環境に深刻な影響を与える可能性があると主張した。
・2015年11月:総選挙。中道右派の統一民主党(UDP)が勝利。ディーン・バロウ首相が3期目を決めた。
・2016年4月:グアテマラのティーンエイジャー銃殺事件後、グアテマラ政府はベリーズとの国境沿いに兵士約3,000人を配備した。
・2018年4月15日:グアテマラ政府は、ベリーズに対する領有権主張をハーグの国際司法裁判所に持ち込むべきかどうかを決定する国民投票を実施し、有権者の95%が賛成に票を投じた。
・2019年5月8日:ベリーズ政府は、グアテマラの領有権主張をハーグの国際司法裁判所に裁定してもらうかどうかを決める国民投票を実施し、有権者の55.4%が賛成に票を投じた。
・2020年11月:総選挙。中道左派の人民統一党(PDP)が勝利。ジョニー・ブリセーニョが首相に就任した。
・2021年7月:ベリーズとグアテマラの国境紛争は未解決のままであり、ハーグの国際司法裁判所はグアテマラ政府に2020年12月までに訴えを提出するよう命じ、ベリーズにその回答を2022年までに提出するよう命じた。
文化(目次に戻る
・イギリス、スペイン、アメリカ、先住民族の文化が混ざり合っている。
・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・ひとり親世帯が多い。
・人口は約40万人と決して多くないが、10以上の言語が使われている。
・主食は米とパン。主菜は肉全般、地元の魚介類、トウモロコシ、キャッサバ、その他の野菜、柑橘類など。
・中米で英語を公用語に定めている国はベリーズのみ。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、ソフトボール、バスケットボール、バレーボール、クリケット、ラグビー、ネットボール、陸上競技など。
・地方の村はクリケットチームを運営しており、毎年開催される全国大会を目指している。
・1991年に国内初のセミプロリーグであるベリーズフットボールリーグを発足した。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
その他(目次に戻る
・中米の中では比較的平和な国だが、麻薬カルテルやギャングが活発に活動している地域もあるため、注意が必要。
・定期的に上陸する大型ハリケーンの被害に悩まされている。