目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:アルメニア共和国(Republic of Armenia)
首都:エレバン(Yerevan)
人口:3,021,324人(2021年推定)
面積:29,800㎢(岩手県の0.5倍)
気候:大陸性気候
・国土の大半は高地。海抜1,000m未満の地域はわずか。
・年間降雨量は300~1,500mm。
・夏はとても暑く、冬は寒い。
・地震多発地帯。
・低地の夏場の平均気温(最高)は30~35℃。
・低地の冬場の平均気温(最高)は5~10℃。
・高地の夏場の平均気温(最高)は15~18℃。
・高地の冬場の平均気温(最高)は0℃以下。
・観光のベストシーズンは5月と9月。
・高地に行く場合は、夏場でも羽織れるものを準備しておくこと。
経済:
・開発途上国
・主要産業はサービス。
・GDPは137億ドル(2019年推定)
・2019年の経済成長率は7.6%。2007年以来、最大の成長を記録した。
・国内の消費電力の大半を水力発電で賄っている。
・主要貿易相手国はロシア。
・隣国アゼルバイジャンとの関係はナゴルノ・カラバフ紛争以来、極めて悪い。
・独立(ソビエト崩壊)直後は深刻なインフレに悩まされたが、1994年の経済自由化プログラムがうまく機能し、プラス成長の波に乗った。
・2000年から2017年の間に1人あたりGDPは316%増加した。(伸び率世界第6位)
人種:
・アルメニア人98.1%(2011年国勢調査)
・ヤズィーディー人1.2%
・ロシア人0.4%
・クルド人0.1%
・その他0.2%
言語:
・アルメニア語 97.7%(公用語、2011年国勢調査)
・クルド語 1%
・ロシア語 0.9%
・その他 0.4%
宗教:
・アルメニア使徒教会 92.5%(国教、2011年国勢調査)
・その他のキリスト教 2.3%
・ヤズィーディー教 0.8%
・その他 0.4%
・無宗教 4%
アルメニア共和国
政治(目次に戻る
大統領:アルメン・サルキシャン(Armen Sarksyan)
首相:ニコル・パシニャン(Nikol Pashinyan)
政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は7年で再選は認められない。
・2015年の憲法改正で大統領の拒否権を剥奪した。
・大統領は政党のメンバーになることを許可されず、権力もほとんど奪われ、象徴的な存在になった、
・最高意思決定機関は議会。
・最高権力者は首相。
・一院制。(定数:132人)
・公務員の汚職が常態化している。
法律:アルメニア共和国の憲法
・基本的人権を保障している。
・警察の厳しい取り締まりや尋問が問題になっている。
・司法の独立を保障している。
・裁判所は「破毀院、高等、地方」の3種。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年2月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)
治安:かなり悪い
・アゼルバイジャンとの国境付近には近づかないこと。
・ナゴルノ・カラバフをめぐる紛争はひとまず終結した。
・国境付近では地雷や不発弾の撤去作業が続いている。
・近年、日本人を標的にしたテロ攻撃は発生していない。
・流しのタクシーには乗車しないこと。強盗、強姦、誘拐に巻き込まれる可能性あり。
・国境付近以外の治安も悪い。
・スリや置き引きに注意。
・生水は飲まない方がよい。(胃腸の弱い方は特に注意)
・ナゴルノ・カラバフに関連する抗議集会が各地で開催されており、アゼルバイジャンへの降伏(和平条約で譲歩した)に反対する市民が過激な行動を取る可能性がある。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は700社以上。
・国営テレビ局は2社。
・民間テレビ局は約50局。
・ラジオ局は数十局。
・憲法で報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は約50%。(2020年末時点)
・検閲はないと伝えられている。
【国営メディア/設立年】
・アルメニア1 1956年
・ショガカットTV 2002年(アルメニア使徒教会)
【民間メディア】
・アルメニアTV
・エレバンTV
・シャントTV
・アルファフ公共放送
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:100位
・軍人数:259,300人(推定)
即戦力 45,000人
予備兵 210,000人
準軍組織:4,300人
・陸軍と空軍を保有。
・国防予算:6.3億ドル
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のアルメニア共和国および周辺国の領土は、オスマン帝国(西)とサファヴィー朝(東)に分断支配されていた。
・ペルシア人はアルメニア人を殺害もしくは国外に追放した。
・1700年代初頭、アルメニア人の総人口に占める割合は20%以下に低下したと伝えられている。
・オスマン帝国とサファヴィー朝は領土をめぐる争いを数十年に渡って続け、多くのアルメニア人が戦いに巻き込まれた。
・1700年代後半、ロシア帝国が周辺地域への侵攻を開始。
・ロシア帝国はオスマン帝国およびサファヴィー朝(ガージャール蝶蝶)の領土を少しずつ侵略した。
1800年代
・1804年、ロシア帝国が現在のアルメニアの近くまで侵攻し、支配した土地の住民を虐殺した。
・1804年、ロシア・ペルシャ戦争勃発。(ロシア帝国vsガージャール朝)
・ロシア帝国はガージャール朝の軍を打ち負かし、数百から数千人の地域住民が戦いに巻き込まれた。
・1813年10月、ロシア・ペルシア戦争終結、ロシア帝国の勝利。敗れたガージャール朝ペルシア政府は、アルメニアの大部分を含む多くの領土を失った。
・1826年5月、ペルシア政府がロシアの領土に宣戦布告することなく侵略。
・1826年7月、最後のロシア・ペルシア戦争勃発。(ロシア帝国vsペルシア帝国)
・1828年2月、最後のロシア・ペルシア戦争終結、ロシア帝国の勝利。ペルシア帝国は東アルメニアおよび周辺国の領土を完全に失った。
・ロシア帝国は現在のアルメニア共和国とほぼ同じエリアの名称をエレバン州に改めた。
・ロシア帝国は国外に追放されたアルメニア人の帰国を促した。一方、ペルシア帝国のイスラム教徒たちは国外に脱出し、残った者はごくわずかだった。
・オスマン帝国はロシア帝国の構成にひるむことなく、西アルメニアの支配権を保持した。
・西アルメニアのアルメニア人はオスマントルコのイスラム教徒から差別され、殺される者も少なくなかったと伝えられている。
・1894年、オスマン帝国がキリスト教アルメニア人の大虐殺を開始。(推定死亡者:80,000~300,000人)
・1890年代後半、オスマン帝国の支配に抵抗するアルメニア革命連盟(ARF)発足。
1900年~第一次世界大戦
・1909年4月、オスマン帝国軍が西アルメニアなどで生活するアルメニア人2万~3万人を虐殺した。
・1914年7月、第一次世界大戦勃発。
・1915年4月24日、オスマン帝国はアルメニアの知識人をアンカラ地域に集め、国外追放もしくは殺害した。
・1915~1917年、オスマン帝国は西アルメニアのアルメニア人を虐殺した。犠牲者は80万~180万人と推定されている。
・1917年3月、ロシア革命。
・1917年9月、アルメニア国民評議会発足。
・アルメニアと隣国アゼルバイジャンは独立後の領土をめぐる問題で対立した。なお、国境問題はいまだに解決していない。
・1918年3月、アルメニア・アゼルバイジャン紛争勃発。(アルメニアvsアゼルバイジャンvsロシア)
・1918年5月28日、アルメニア第一共和国がオスマン帝国およびロシア帝国からの独立を宣言。
・1918年6月、アルメニアとジョージアはオスマン帝国軍の侵攻を打ち負かし、取り戻した領土を死守した。
・ジョージアは、アルメニア、アゼルバイジャン、北コーカサス山岳共和国からなる4カ国会談で領土問題の解決を図ろうとしたが、アルメニア政府は提案を拒否した。
・1918年11月、第一次世界大戦終結。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1918年12月7日、グルジア・アルメニア戦争勃発。(アルメニアvsジョージア)
・1918年12月31日、グルジア・アルメニア戦争終結。戦争の原因となったロリ地区は中立地帯になった。
・1919~1920年、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争で数万人が死亡した。(推定)
・1919年5月、アルメニアはアゼルバイジャンが領土と主張する飛び地、「ナゴルノ・カラバフ」の一部に自治政府を設立した。
・1920年8月、セーヴル条約調印。アルメニア第一共和国の独立が正式に認められた。
・1920年9月24日、トルコ・アルメニア戦争勃発。
・1920年11月28日、アルメニア・アゼルバイジャン紛争終結。アルメニアとアゼルバイジャンはソビエトの支配下に置かれた。
・1920年12月2日、トルコ・アルメニア戦争終結、トルコの勝利。アルメニアは領土の50%以上をトルコに割譲した。
・1920年12月、アルメニアソビエト社会主義共和国(アルメニアSSR)誕生。
・1922年3月4日、アルメニアSSR、ジョージアSSR、アゼルバイジャンSSRは、ソビエト社会主義共和国連合に正式に編入した。
・ソビエトへの編入後、アルメニアSSRの治安は比較的安定した。
・1939年9月、第二次世界大戦勃発。
・アルメニアSSRの領土で戦闘は発生しなかったが、推定50万人のアルメニア人がソビエト軍に加わり、約18万人が戦死した。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1970年代、アルメニアの支援を受けるナゴルノ・カラバフ自治政府とアゼルバイジャンの緊張が高まる。
・1980年代、アルメニアSSRはソビエトの工場がもたらした深刻な環境汚染に苦しめられた。
・1988年2月20日、第一次ナゴルノ・カラバフ紛争勃発。(アルメニアSSR&ナゴルノ自治政府vsアゼルバイジャンSSR)
・ナゴルノ・カラバフをめぐるアルメニア人とアゼルバイジャン人の対立は激化し、民間人同士の乱闘や殺し合いに発展した。一部の村では私刑が横行し、数十人がまとめて火刑に処されたという報告も残っている。
・1988年12月、アルメニア地震発生。25,000~50,000人が死亡し、13万人以上が負傷した。
・1990年、新アルメニア軍(NAA)設立。アルメニアSSRはソビエトからの独立を求めた。
・1990年8月23日、領土の主権を宣言。
・1991年3月17日、国民投票。全有権者の78%が独立を支持した。
・1991年9月21日、「アルメニア共和国」が独立を宣言。
・1991年10月16日、レヴォン・テル・ペトロシアンが初代大統領に就任。
・1991年12月26日、ソビエト消滅。アルメニアの独立が正式に認められた。
・1994年5月12日、第一次ナゴルノ・カラバフ紛争終結、アルメニアの勝利。ロシアの仲介により、ナゴルノ・カラバフ自治政府(アルツァフ共和国)は独立を認められた。
・トルコはアゼルバイジャンを支援し、アルメニアとの国交を断絶した。
・ナゴルノ・カラバフの独立および紛争で、アゼルバイジャン人約70万人が避難民になった。
<第一次ナゴルノ・カラバフ紛争>
両軍参加者:約10万人
負傷者:10万人(推定)
死亡者:4万~5万人(推定)
・1998年3月、ロベルト・コチャリャンが大統領に就任。
・コチャリャン大統領はアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領とナゴルノ・カラバフ問題の平和的な解決に向けた交渉を継続した。
・2008年2月、セルジ・サルキシャンが大統領に就任。
・2009年10月、アルメニアとトルコが関係を正常化する条約に署名。
・2016年4月、アルメニア軍とアゼルバイジャン軍が国境付近で衝突。200~250人が死亡した。
・2018年3月、サルキシャン大統領の首相就任に反対する抗議集会が発生。(ビロード革命)
・2018年4月22日、サルキシャン首相が辞任を表明。
・2018年4月28日、議会選挙。ニコル・パシニャンが首相に選出された。
・2020年9月27日、第二次ナゴルノ・カラバフ紛争勃発。
・2020年11月10日、第二次ナゴルノ・カラバフ紛争終結。ロシアの仲介により、両国は停戦に合意した。
<第二次ナゴルノ・カラバフ紛争>
両軍参加者:不明
負傷者:1万人(推定)
死亡者:6,000~7,000人(推定)
・アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフの大部分を取り戻し、アルメニアは領土を失った。
文化(目次に戻る
・アルメニア文化の中で最も重要な要素は音楽。
・ドゥドゥク音楽、キリスト教音楽が有名。
・アルメニア料理はロシアと地中海料理の影響を強く受けている。
・西側の文化を積極的に取り入れている。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、アイスホッケー、ボクシング、レスリング、チェスなど。
・独立後初の出場となった1992年バルセロナオリンピックで大成功を収めた。(出場選手5人:メダル4個)
・チェスの強豪国。
・夏季オリンピックでの獲得メダル数は14個(金2,銀6、銅6)。冬季は0個。
【有名スポーツ選手】
・レヴォン・アロニアン(Levon Aronian)チェス選手。グランドマスター。
・アーチュール・アレクサニアン(Artur Aleksanyan)レスリング選手。オリンピック金メダリスト。世界選手権を合わせると、計16個のメダルを獲得している。
その他(目次に戻る
・ナゴルノ・カラバフをめぐるアゼルバイジャンとの紛争に悩まされている。
・近年のGDP伸び率は世界トップクラス。(2019年:7.6%)