アブハジア共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:アブハジア共和国(Republic of Abkhazia)

首都:スフミ(Sokhumi)

人口:245,246人(2018年推定)

面積:8,660㎢(東京都面積の約4倍)

気候:比較的温暖、ただし冬の寒さは厳しい

経済:
・開発途上国
ジョージアから事実上独立(国連非加盟国)
・ロシアと二国間協定を締結
・通貨はロシアルーブル
国家予算の半分はロシアの援助金
・経済状態は良いとは言えない
・茶、タバコ、ワイン、果物などの生産が豊富
・主力産業は観光
人口の大多数がロシアの市民権を持っている

人種:アブハジア人が半数を占める
・グルジア人
・アルメニア人
・ロシア人
・ウクライナ人など

言語:アブハジア語とロシア語

宗教:キリスト教が大多数を占める
・イスラム教(スンニ派)
・ユダヤ教など

アブハジア共和国(ジョージアの最西端)

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大統領:アスラン・ブジャニア(Aslan Bzhania)
首相:アレクサンドル・アンクヴァブ(Alexander Ankvab)

政治体制:複数政党制

法律:アブハジア共和国憲法
・往来と経済活動に制限あり
・ロシアのサポートに依存している
・入国できない地域がある

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告が出ている

治安:悪い
・アブハジア戦争(1992~1993年)の影響で荒廃しているエリアが多く、近づくことはおすすめしない。

アブハジア共和国/自然

マスメディア(目次に戻る

・新聞は週刊がほとんど
国内のテレビ局は数社、国営は1社
・ロシアのチャンネルが主要メディア
・民間ラジオ局は1社、地区のラジオ局は1日3~4時間放送する

【国営メディア/設立年】
Apsua TV 1976年

【その他メディア】
Abaza TV 民間
・Channel One ロシア
・Russia 1 ロシア
・NTV ロシア

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2020年軍事力ランキング:-

・軍人数:5,000人(推定)
  即戦力 5,000人
  予備兵 0人

・主力は地上部隊

・国防予算:-億ドル

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1700年代

・当時、アブハジア共和国を含む周辺一帯はオスマン帝国の支配地だった。

・オスマン帝国の支配下に置かれたことで、トルコ人と「イスラム教」の影響を強く受けた。

・トルコ人はアブハジアの文化を抹消し、イスラム教への改宗を強要。その後の暴動につながった。

・アブハジアはいくつかの公国に分裂、支配者たちによる領土争いが頻発した。なお、奴隷貿易と海賊行為が横行し、市民はいつ死んでもおかしくない状況下に置かれていた。

・18世紀半ば、アブハジア人はオスマン帝国の支配に反抗し、一部地域の奪取に成功する。しかし、帝国の反撃を受けクーデターは失敗に終わった。

1800年代

・ロシア帝国がジョージア東部を併合する。しかし、最西部に位置するアブハジアはオスマン帝国に支配されたままだった。

・ロシア帝国は1829年~1842年の間にアブハジアの一部地域をオスマン帝国から奪い、1864年に全領土を支配した

・アブハジアの王子、マイケル・シェルバシゼはロシア帝国に追放され、死亡。その後、ロシア帝国は市民に重税を課した。

・1866年、重税に反対する市民が大規模な反乱を起こす。

・1877年、オスマン帝国軍がアブハジアに侵攻、ロシア帝国との戦争に発展した。なお、市民は自国の支配権を争う他国の戦争と混乱に憤慨し、2度目の大規模な反乱を起こした。

・1870年、ロシア帝国は農奴制改革の一環として、奴隷を含む拘束された農民を解放、3~8ヘクタールの農地を与えた。しかし、農地と引き換えに多額の償還金を支払わされることになった。

・農奴制改革後、アブハジアの経済は緩やかに発展した。農民たちはタバコ、お茶、様々な作物を栽培し、石炭と木材産業も誕生。土地を切り開き、少しずつ開発が進んだ。

・1800年代、アブハジアには多くのアルメニア人、グルジア人、ロシア人などが移住し、領土の空きエリアにコミュニティを形成した。

1900年~第一次世界大戦

・1905年、ロシア革命の影響はアブハジアに到達する。しかし、ほとんどのアブハジア人はロシア抵抗の支配に忠実だった。しかし、グルジア人はこれに反発し、人種間の対立が鮮明化する。

・ロシアの皇帝、ニコライ2世は、アブハジア人を公式に許し、1907年には「有罪者」の地位を取り除いた。一方、グルジア人には何も与えられなかった。

・ロシア革命後の混乱や帝国に対する問題などの影響で、アブハジア人とグルジア人の関係は著しく悪化した。

・1917年、十月革命が発生。ロシア帝国の支配下にあった南コーカサス、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、そしてアブハジアでも混乱が広まる。

・アブハジアは北コーカサスの山岳共和国(部族)、新ボルジェビキ派閥、新トルコ貴族、新グルジアメンシェビキグループに分断した。

・1918年、山岳共和国は解体され、「グルジア民主共和国」が独立を宣言した。

・1918年10月、グルジア軍のアブハジア人将校がクーデターを企てるも、失敗。ソビエト連邦はアブハジアの自治を担ってきたアブハジア人民評議会を解散させ、自治権を6カ月間廃止した。

・1919年、新たなアブハジア人民評議会の代表が選出され、ソビエト政府によって支持されたグルジア民主共和国の枠組みの中で、アブハジアの自治権を認めた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1921年、ソビエトは非侵略条約を無視し、ジョージアに侵攻。アブハジアにも軍が押し寄せた。

・アブハジアはソビエト軍に抵抗したが、2週間ほどで国土の大部分を制圧された。同年、「アブハジアソビエト社会主義共和国(アブハジアSSR)」が誕生する。なお、グルジア民主共和国も制圧され、「グルジアソビエト社会主義共和国(グルジアSSR)」に名を改めた。

・1922年、アブハジアSSRを含むジョージアは完全に制圧され、ソビエト社会主義共和国連合(USSR)に組み込まれた。

・アブハジアSSRは、1924年にジョージアが起こしたUSSRへの蜂起と、独立を勝ち取るための最後の小さな抵抗に参加しなかった。結果、グルジア人の不満を招いたと言われている。

・1936年、アブハジアSSRを事実上支配していたネストル・ラコバが死亡(毒殺と思われる)。その後、グルジア人による厳しい抑圧が始まる。

・アブハジアSSRを支配したグルジア人たちは、公用語をグルジア語に変更。国内の学校を全て閉鎖し、国内の公職はグルジア人のものになった。さらに、多くの地名もグルジア語に変更された。

・1936年から始まった一連のソビエト粛正により、アブハジアSSRに数万人規模のジョージア人(主に農民)が移住し、アブハジア人の割合は大きく減少した。

終戦~現在

・1949年、「ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)の国民経済の発展のための5カ年計画(スターリンの5カ年計画)」により、アブハジアSSRのギリシャ人、約2,700人が中央アジアに強制送還され、グルジア人移民が住居や土地を引き継いだ。なお、生き延びたギリシャ人たちは、1959年に帰国を許可されている。

・1953年、スターリンの死後、アブハジア人と他の人種に対する弾圧は終わった。その後、アブハジア人たちはSSRの統治に関わる様々な役割を与えられる。

・アブハジア人共産主義エリートと呼ばれる者たちは、自治権と自治構造を取り戻すべく様々な手段を試みる。しかし、グルジア人の抵抗に直面し、遺恨だけが残った

・ソビエト連邦が崩壊し始めた1980年代後半、ジョージアの独立をめぐる動きが活発化し、アブハジア人とグルジア人の民族間の緊張が高まる。

アブハジア人はジョージアの独立に反対した

・1991年、ジョージアはミハイル・ゴルバチョフ大統領の提案したソビエト連邦国民投票をボイコットする。しかし、投票はアブハジアで実施(グルジア人は非参加)され、圧倒的多数でソ連の保護下にとどまることが決まった。

・1991年4月9日、ジョージアは反ソ連派の支配下に置かれ、独立を宣言。アブハジア人の投票は無視された。

・1992年、アブハジアとジョージアによる戦争、「アブハジア戦争」が始まる。戦闘中、グルジア人20,000~30,000人が虐殺、25万人以上が避難民になった

・アブハジア戦争はジョージアに壊滅的な経済・人的・心理的損害をもたらした。同じく、勝利したアブハジアも戦闘とその後の散発的な紛争により、壊滅した。

・アブハジア戦争やその他の散発的な紛争の原因になった「アフハジア・グルジア紛争(1989年~現在)」は、未解決のままである。

・ジョージアはアブハジアの実質的な自治権を認めようとした。しかし、アブハジア政府はグルジアとの連合形成を拒否しており、解決の目途は立っていない。

・1999年、アブハジアは壊滅的な経済状況に置かれながらも公式に独立を宣言する。しかし、ほとんどの国はこれを認めていない。
【アブハジアの独立を認めている国】
 ロシア
 ニカラグア
 ベネズエラ
 ナウル
 シリア
 ベラルーシ(認めてはいないが、支持している) 

・その後、観光客は少しずつアブハジアに戻り始めたが、ソビエト時代に開発された観光地は閑散とし、その規模は戦前の半分以下にとどまっている。

アブハジア共和国/ガグラの荒廃したマンション

文化(目次に戻る

国内の学校数は41、大学は1校(アブハジア州立大学)。

・教育は6歳で開始、17歳で終了。

・国民の大多数はキリスト教信者。イスラム教(スンニ派)も多い。

・「独立記念日」は9月30日。

グルジア料理が広く浸透している

・アブハジア料理というカテゴリも存在する

【アブハジア料理について】
・スパイスとミルクを使用する
・最も人気のある料理は、お粥に似たトウモロコシ料理「Ghomi」
・最も人気のあるデザートはハチミツ入りクッキー「Akuarkuar」
・最も人気のあるアブハジア産ワインは、ルイフヌィ、アプスニー、アナコピア

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・最も人気のあるスポーツはサッカー。政府は国内にアマチュアリーグ(9チーム)を組織した。

・国際大会に出場する場合は、ロシア市民としてエントリーする。

・首都スミフを拠点とするバスケットボールチームは、ロシアリーグでプレーしている。

・政府の運営する全国サッカーチームは、ロシアやトルコのプロリーグに所属するプロ選手を輩出している。

・レスリング、ボクシング、バスケットボールの人気も高い。

【有名スポーツ選手】
・デービッド・アーシュバー(David Arshba)ボクシング
・アスラン・アクフバー(AslanAkhba)ボクシング
・デニス・ザーガッシュ(Denis Tsargush)レスリング
・テムリ・ケツバイア(Temuri Ketsbaia)サッカー

その他(目次に戻る

・アブハジアは、大国の領土争いと民族間のいざこざに振り回されてきた

・現在、観光地の開発と改修が少しずつ進んでいる。しかし、戦争や内戦で破壊されたままの地域も多く、不用意に立ち入ることはおすすめしない。

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