ナゴルノ・カラバフについて知っておくべきこと
・約4,400平方キロメートルの山岳地帯
・キリスト教のアルメニア人とイスラム教徒のトルコ人が生活していた
・ソビエト連邦時代、ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンの自治区に加えられた
・公式にはアゼルバイジャンの領土と認められているが、人口の大部分はアルメニア人で構成されている
・現在、ナゴルノ・カラバフは分離主義勢力(自称当局)に占領されている
・自称当局は、アルメニアを含む全ての国連加盟国に認められていない
・1988年から1994年の紛争で約3万人が死亡、推定100万人が避難を余儀なくされた
・1994年の停戦合意後も膠着状態は続いていた
・アルメニアは分離主義勢力(自称当局)を認めていない
・アゼルバイジャンは「分離主義勢力=アルメニア軍」と認識している
・トルコはアゼルバイジャンを支援している
・ロシアはアルメニアに軍事基地を持っている
ナゴルノ・カラバフをめぐる争い
アゼルバイジャン第2の都市ギャンジャは、「ナゴルノ・カラバフ」をめぐるアルメニア軍とアゼルバイジャン軍の衝突に巻き込まれ、破壊された。
ナゴルノ・カラバフは公式にはアゼルバイジャンの一部だが、アルメニア人によって運営されている。
ナゴルノ・カラバフを運営する自称当局は、「アゼルバイジャン軍がこの地域の都市ステパナケルトを砲撃したため、ギャンジャの軍用空港を襲った」と主張した。
一方、アゼルバイジャン当局は、「ギャンジャの”軍用空港は”攻撃されていない」とコメントした。
1週間前に始まった両軍の衝突により、220人以上の死亡が確認されている。
アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフをめぐる紛争(1988年~1994年)は、停戦宣言により終結した。しかし、両国は互いの主張を受け入れず、和解には至っていない。
現在の戦闘は停戦以来最悪の状況にあり、両国は互いに非難し合っている。
両国の主張は独立した第三者によって検証されておらず、戦闘終結の見通しは立っていない。
アゼルバイジャン軍は9月27日の戦闘開始以降、7つの村の支配権を取り戻したと主張。ナゴルノ・カラバフの自治権は改善したとコメントしている。
今週初め、アルメニア当局は「フランス、アメリカ、ロシアの仲介による停戦に合意する準備ができている」と発表した。
一方、トルコから支援を受けているアゼルバイジャンはアルメニアに対し、「ナゴルノ・カラバフからの撤退」を要求した。
アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領は10月4日のテレビ演説で、「ナゴルノ・カラバフは我々の領土である」と述べた。
イルハム・アリエフ大統領:
「アルメニアは我々に謝罪し、今すぐ撤退スケジュールを提出すべき」
「ナゴルノ・カラバフをめぐる戦いは終わる。我々は公式に認められた自国の領土を取り戻す。アルメニアが付きまとう限り、戦い続ける」
10月4日、アゼルバイジャンの国防省は、アルメニア軍がナゴルノ・カラバフの北、アゼルバイジャン西部の都市ギャンジャを砲撃したと発表した。
ザカリー・ハサノフ国防相は、「紛争を拡大させる挑発的な行為」とアルメニアを非難した。
地元メディアによると、ギャンジャへの砲撃で民間人1人が死亡したという。
ザカリー・ハサノフ国防相:
「ギャンジャの軍事施設(軍用空港)攻撃に関するアルメニア軍の主張、拡散した情報には誤りがある」
「アルメニア軍による砲撃の結果、民間人、民間のインフラストラクチャ、そして古代の歴史的建造物が破壊された」
これに対しナゴルノ・カラバフを運営する自称当局は、「ギャンジャの軍用空港を破壊した」と主張している。
自称当局者は、アゼルバイジャン軍がギャンジャの軍用空港からステパナケルトをミサイル攻撃したため、これに応戦したと述べている。
地元メディアによると、ステパナケルトで複数名の死傷者が確認されており、一部の住民はバスなどを利用し街を離れたという。
また、ナゴルノ・カラバフの自称当局指導者、アライク・ハルチュニヤン氏は、「アゼルバイジャンの主要都市に配備された軍事施設は、防衛軍の標的になった」と警告した。
一方、アゼルバイジャンを支援するトルコは声明を発表。「アルメニア軍(自称当局)は民間人を標的にした」と非難した。
これに対しアルメニア国防省の報道官、シュシャン・ステパニアン氏は以下のように述べた。
シュシャン・ステパニアン報道官:
「アルメニア領土からアゼルバイジャンに砲撃が放たれた、という報道は誤りである」
ナゴルノ・カラバフの自称当局によると、9月27日の戦闘開始以来、201人の軍関係者と多くの民間人が犠牲になったという。
アゼルバイジャンは軍関係者の死傷者情報を公開しておらず、22人の民間人が殺害されたと発表している。