パキスタン国際航空の旅客機がカラチの住宅街に墜落、76人の死亡が確認された

アッラーマ・イクバール国際空港を離陸したパキスタン国際航空のPK8303便がカラチの住宅街に墜落した。91人の乗客と8人の乗務員を乗せた”エアバスA320”は、同国市内のジンナ国際空港に着陸を試みていた。

同便は高度を徐々に下げ空港への着陸を試みるも、一度高度を上げ旋回、メーデーコールを発し墜落した。当局によると、現時点で少なくとも乗員二名の生存が確認されている。

PK8303便は、現地時間14:30頃にジンナ国際空港へ接近した。管制室から着陸の許可を与えられていたが、パイロットはこれを中止、体勢を立て直したのち、再着陸を試みることが決まったという。

1回目の着陸を中止した理由は不明。民間航空関係者はロイター通信に対し、「機体は何らかの理由で車輪を下げる(出す)ことができなかったのかもしれない」と述べた。

パキスタンのメディアが公開した情報によると、PK8303便のパイロットは「エンジンを失った」と管制塔に伝え、メーデーコールを発信。パイロットから胴体着陸を行うと一報が入り、通信は途絶えた。

生存者のひとり、ムハンマド・ズバイル氏は、「着陸態勢に入ってから10分~15分後に墜落した。私を含め、乗客は飛行機が墜落しかけていることを理解していなかった。パイロットの操縦は非常にスムーズだった」と述べた。

当局の調査官はブラックボックスを回収、同日設置された調査委員会が原因究明にあたるという。パキスタン国際空港関係者はBBCの取材に対し、「PK8303便、エアバスA320は2014年に納入され、昨年11月に耐空検査を通過した」と述べた。

崩壊した住宅街

今回の事故はコロナウイルスによるロックダウンが緩和され、商業便の運航が再開された数日後に発生した。同日、多くのパキスタン人が”ラマダン(断食)終了”の準備を自宅で行っていた。

PK8303便が墜落したモデル・コロニーの住宅街は、ジンナ国際空港滑走路の東側に位置する。墜落の衝撃と同便から放出されたジェット燃料により、車は溶け、巻き込まれた家屋は崩壊した。

生存者のムハンマド・ズバイル氏は「墜落時、あらゆる方向から悲鳴が聞こえた。しかし、周囲を見回しても人の姿は見えず、全てが炎に包まれていた。私はシートベルトを外し、近くの明かりに向かって歩いた。そして炎や燃える残骸から身を守るために、約3m下に飛び降りた」と語った。

墜落後の様子を目撃したモハメッド・ウゼイルカーン氏はBBCの取材に対し、「大きな音がしたので自宅を出たら、4つの住宅が崩壊し、あたり一面火の海になっていた。巻き込まれた人々は、皆、私の隣人だった」と述べた。

保健当局は、ジンナ病院とシビック病院でこれまでに76人の死亡が確認されたと公表した。ただし、乗客、乗務員、住宅街の住人が何人犠牲になったかは調査中だという。

州政府の報道官によると、生存したもうひとりの乗客はパンジャブ銀行のザファール・マスッド氏だったという。同氏とズバイル氏はPK8303便の前方に座っていた。

同国のイムラン・カーン首相は、「辛く、そして悲しい。亡くなった人々に心からお悔やみ申し上げる」と述べ、即時の調査を約束した。

パキスタンで起きた墜落災害

2010年、民間航空会社エアブルーの運行する航空機がイスラマバード近くで墜落、乗員152人全員が死亡した。同事故はパキスタン史上最悪の被害を出した航空災害である。

2012年、ボージャエアの運行する”ボーイング737-200”がラーワルピンディーの空港に着陸すべく接近するも、悪天候の影響で墜落。乗客121人全員と乗員6人が死亡した。

2016年、パキスタン国際航空の運行する飛行機が、同国北部からイスラマバードへの飛行途中に爆発、47人が死亡した。

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