◎イッセン・ハブレ元大統領は1987年に終結したチャド・リビア紛争の戦争犯罪、弾圧、レイプ、性奴隷制への関与、即決処刑などを主導したとして2013年にセネガルで逮捕され、2016年に終身刑を言い渡された。
2005年11月25日/セネガル、首都ダカールの裁判所前、チャド共和国の元独裁者イッセン・ハブレ氏(Schalk van Zuydam/AP通信)

チャド共和国の地元メディアによると、2016年に終身刑を言い渡された元独裁者のイッセン・ハブレ元大統領が亡くなったという。79歳だった。

セネガルの刑務所に収監されていたハブレ元大統領は最近コロナウイルスに感染したと伝えられている。セネガルの刑務所管理局のジャン・ベルトラン・ボカンデ局長は24日の声明で、ハブレ元大統領の死亡を確認したと述べた。

ハブレ元大統領は首相を務めていた1979年に軍事クーデターで当時の大統領と中央政府を打倒した。しかし、リビアの支援を受ける北部と東部の連合軍は国民統一暫定政府(GUNT)を創設し、ハブレ首相に対抗。チャド・リビア紛争が勃発した。その後ハブレ首相は1982年に大統領に就任し、1990年の軍事クーデターで失脚、隣国カメルーンに逃亡した。

ハブレ元大統領は1987年に終結したチャド・リビア紛争の戦争犯罪、弾圧、レイプ、性奴隷制への関与、即決処刑などを主導したとして2013年にセネガルで逮捕され、2016年に終身刑を言い渡された。アフリカ連合(AU)加盟国の裁判所で元アフリカの指導者を裁判にかけたのは初めてだった。

チャドの調査委員会によると、ハブレ元大統領は政権を握っていた8年の間に約40,000件の政治的動機による殺人と、約20万件の拷問を命じたという。

当時の秘密警察は首都ンジャメナに建設された拘置所で反体制派を拷問した。裁判の記録によると、犠牲者は電気、水、タバコ、ガス責めなどに直面したという。

ハブレ元大統領の逮捕と裁判に関与した弁護士のリード・ブロディ氏は24日、「世界で最も哀れな独裁者のひとりは、自国民を虐殺した男として語り継がれるだろう」と述べた。「ハブレは自分の民を虐殺し、村全体を焼き払い、軍隊の性的奴隷として女性を働かせ、中世の拷問を楽しむ秘密施設を建設しました...」

ブロディ弁護士は今年、人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチに寄稿した記事の中で、「犠牲者の家族と生存者は放置され、何の補償も得られなかった」と述べた。「AUはハブレの資産を追跡せず、セネガルの裁判所に義務付けられた信託基金の創設も実現できていません。遺族と生存者は今も放置されています」

犠牲者の家族を代表するジャクリーヌ・ムーデイナ弁護士は24日、ハブレ元大統領に対する補償請求を継続すると誓った。

秘密警察の拷問に直面した生存者のヨウニョス・マハジル氏はAP通信の取材に対し、「水責めで何度も意識を失った」と語った。「私は水責めだったので運よく生き残ることができました。火責め、毒責め、引きずり回し、その他の恐ろしい拷問を受けた人はほとんど死にました」

裁判の記録によると、被拘禁者はさまざまな拷問の試験に利用されたという。あぶられた者は重度の火傷を負い、毒ガスを眼球に吹き付けられた者は失明し、車両のマフラーに口を押しつけるよう命じられた者は排気ガスと高温の二重苦に直面した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)によると、ハブレ元大統領はリビアの元独裁者である故ムアンマル・カダフィ大佐の「防波堤」と見なされていたため、チャド・リビア紛争中、アメリカとフランスから多大な支援を受けたという。

フランス軍、ナイジェリア軍、セネガル軍、ザイール軍(現在のコンゴ民)はハブレ元大統領を支援し、アメリカは資金提供のみ行ったと伝えられている。

1983年1月/チャド共和国、首都ンジャメナ、イッセン・ハブレ大統領(Getty Images/AFP通信)
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