◎民主派勢力の支配地域は拡大し続け、中国国境沿いの北東部の広い範囲を占領。投降した一部の兵士を取り込むことに成功した。
ミャンマー、首都ネピドー、「国軍記念日」を祝う軍事パレード、フライン司令官(AP通信)

ミャンマー軍政が東部のタイ国境近くで民主派勢力に大敗を喫し、撤退を余儀なくされた。現地メディアが6日に報じた。

それによると、南東部の町ミャワディに駐留する兵士数百人がカレン民族同盟(KNU)に降伏したという。

ラカイン族の武装集団「アラカン軍」やチン州の反体制派「チン民族戦線(CNF)」などからなる民主派勢力は昨年10月、中国国境に近い北部で反攻を開始。複数の地域から国軍を追い出した。

民主派勢力の支配地域は拡大し続け、中国国境沿いの北東部の広い範囲を占領。投降した一部の兵士を取り込むことに成功した。

地元の独立系メディアによると、軍政はこの数週間、KNUを含むカレン族の攻撃に悩まされていたという。

ミャワディが陥落した経緯は明らかになっていない。報道によると、KNUは軍司令部を支配下に置き、降伏した兵士を拘束したという。

ミャンマー・タイ間の陸路貿易の大半がミャワディを通過する。

KNUは5日、ミャワディの西方約10キロに拠点を置く大隊が降伏を受け入れたと発表した。

ミャンマー国営放送(MRTV)はこれに関する報道をしておらず、軍政もコメントを出していない。

KNUはフェイスブックなどに動画を投稿。武器を捨て降伏する兵士の姿が映っていた。

ミャンマー・ナウによると、KNUはミャワディとその周辺地域に駐留する部隊に降伏を促していたという。

軍政はこの数カ月、シャン州や中国国境沿いの町、バングラ国境に近いラカイン州の広い範囲も失っている。

すでに数千人規模の兵士が殺害されるか降伏するか、もしくは寝返っている。軍政は損失を補填するために徴兵を再開せざるを得なくなった。

KNUは1948年のミャンマー独立以来、カレン族による自治を求め、戦い続けてきた。

しかし、1990年代に軍政に敗北を喫し、2015年以降は他のゲリラと共に停戦を維持してきた。

3年前のクーデターでアウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)氏が追放されると、KNUは軍政への攻撃を再開すると宣言。他のゲリラと共に武器を取った。

カレン州は最大都市ヤンゴンに比較的近く、タイ国境に続く主要ルートがあるため、軍政の弾圧から逃れた多くの市民が集まり、抵抗勢力を結成。KNUもこれを支援することとなった。

KNUは都市部から集まった多くの志願兵に訓練を提供。その多くが戦闘に加わっている。

地元メディアによると、KNUはアラカン軍はCNFなど、多くの民主派勢力と連携し、軍政の動きを把握したうえで、被害を最小限に抑えながら進軍しているという。

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