◎国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ウクライナから近隣諸国に避難した市民は2月28日時点で50万人を超えた。
2022年2月25日/ウクライナ、南部の港湾都市オデッサ、アフガニスタンから亡命したラハマニ氏と家族(Wojtek Radwanski/AFP通信)

1年前にアフガニスタンからウクライナに移住した家族はようやく安住の地を見つけたと信じていた。

今週、ウクライナ南部の港湾都市オデッサに移住したラハマニ氏とその家族はポーランドへの避難を余儀なくされた。

ラハマニ氏は新たな避難先のポーランドでAFP通信の取材に応じ、「戦争から逃げだし、ウクライナで安住の地を見つけ、また戦争が始まった」と語った。「私たちはとても運が悪い...」

ラハマニ氏、妻のミナ氏、息子のオマル君(11歳)、娘のマルワちゃん(7歳)はバスで西部の町まで移動し、30kmほど離れたポーランドの国境検問所まで徒歩で移動した。

ポーランドの国境の町メディカに到着した一家は他の避難民とともに、近くの都市プシェミスルへ向かうバスを待った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ウクライナから近隣諸国に避難した市民は2月28日時点で50万人を超えたという。そのうち30万人近くがポーランドに、数万人がハンガリーとルーマニアに避難し、今も数万から数十万人が国境検問所を目指している。

避難民の多くはウクライナ人だが、アフガニスタン、コンゴ民主共和国、インド、ネパールなどから来た学生や出稼ぎ労働者も含まれている。

ラハマニ氏はAFP通信に、「首都カブールの空港で18年間働いたが、米国が撤退する4ヶ月前に脅迫を受け、移住を決断した」と語った。タリバンは昨年8月15日にカブールを占領し、政権に返り咲いた。

ラハマニ氏はアフガニスタンでの生活に満足していたと語った。「家も車もあったし、給料も良かったです。しかし、戦争のせいで車も家も、何もかも失いました...」

ウクライナは一家にビザを与えてくれた唯一の国だった。その後、一家は黒海に面するオデッサに家を構えた。ロシアが2014年に併合したクリミア半島とオデッサは目と鼻の先である。

ロシアが24日に侵攻を開始すると、一家は再びすべてを捨て、西部の国境まで1,100km以上移動した。

ポーランドで移民の保護にあたっている慈善団体”オカレニー財団”の弁護士はAFP通信の取材に対し、「ラハマニ氏とその家族を含むウクライナから避難したビザを持たない人々は、15日間のビザ登録期間を与えられている」と述べた。「ポーランド政府は進行中の危機に対処するために、速やかに法律を改正しなければならないでしょう...」

ポーランドはアフリカや中東の移民受け入れに消極的な欧州諸国のひとつだが、今回の戦争で非難を余儀なくされた人々は保護すると約束している。

ラハマニ氏は、「将来への不安はあるものの、ポーランドで難民を支援するボランティアや政府当局者の温かい歓迎と支援を受け、勇気づけられた」と語った。「彼らは私たちにエネルギーを与えてくれました...」

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