◎「爆撃機」の愛称で親しまれたドイツサッカー界の伝説ゲルト・ミュラー氏が亡くなった。75歳だった。
2009年1月19日/インド、カルカッタの記者会見場、ゲルト・ミュラー氏(FCバイエルン・ミュンヘンのアシスタントコーチ時代)(Bikas Das/AP通信)

8月15日、史上最高のストライカーと呼ばれ、「爆撃機」の愛称で親しまれたドイツサッカー界の伝説ゲルト・ミュラー氏が亡くなった。75歳だった。

FCバイエルン・ミュンヘンは声明で15日早朝に同氏が亡くなったことを発表し、クラブ会長のヘルベルト・ハイナー氏は「とても悲しく、打ちひしがれている」と述べた。

ミュラー氏は1964年から1979年までFCバイエルンでプレーし、キャリア通算589ゴール、ブンデスリーガ優勝4回、ドイツカップ優勝4回、欧州選手権(UEFAチャンピオンズカップ)3連覇など、数多くの伝説を打ち立てた。

ハイナー会長は声明の中で、「ゲルト・ミュラーは史上最高のストライカーであり、爆撃機であり、サッカー界の発展に貢献した偉大な人物であり、個性的だった」と述べ、夫人と家族に哀悼の意を表した。

元西ドイツのフォワード、ルディ・フェラー氏は、「サッカー界は偉大なストライカーを失った」と語った。

元イングランド代表のゲーリー・リネカー氏は声明で、「子供の頃に彼のプレーを見るのが大好きだった」と述べた。「ゲルト・ミュラーから多くを学びました...」

FCバイエルンは2015年10月にミュラー氏がアルツハイマー病を患っていることを公表していた。

ミュラー氏はブンデスリーガ得点王を7回獲得し、元チームメイトの皇帝フランツ・ベッケンバウアー氏やウリ・ヘーネス氏らと共にFCバイエルンの黄金期を築き上げた。

また、西ドイツの1972年欧州選手権(ユーロ)優勝に貢献し、2年後のFIFAワールドカップ決勝のオランダ戦で劇的な決勝ゴールを決め、当時分断されていたドイツ国民を狂乱させた。

FCバイエルンのライバルであるボルシア・ドルトムントのハンス・ヨアヒム・ワッツケCEOもミュラー氏に敬意を表した。「ゲルト・ミュラーは私の子供時代の偶像の1つでした...」

1974年7月7日/ドイツ、ミュンヘンで行われたサッカーW杯決勝戦(西ドイツvsオランダ)、シュートを放つ西ドイツのFWゲルト・ミュラー選手(AP通信/Getty Images)

爆撃機ゲルト・ミュラーの記録

・FCバイエルン歴代最多得点 515得点

・ブンデスリーガ通産最多得点 365得点(427試合)

・西ドイツ代表通算最多得点 68得点(62試合)

・FIFAワールドカップ最多得点 14得点(2006年に更新された)

・欧州カップ最多得点 71得点(UEFAカップの前身インターシティーズ・フェアーズカップ含む)

・クラブ公式戦1シーズン最多得点 67得点(リオネル・メッシ選手が更新)

・ブンデスリーガ優勝 4回

・ドイツカップ優勝 4回

・欧州選手権(UEFAチャンピオンズカップ)優勝 3回

・インターコンチネンタルカップ優勝 1回

・UEFAカップウィナーズカップ優勝 1回

・UEFA欧州選手権優勝 1回

・FIFAワールドカップ優勝 1回

・ワールドカップ得点王 1回 

・ヨーロッパ・ゴールデンブーツ 2回

・UEFA欧州選手権得点王 1回

・UEFAチャンピオンズカップ得点王 4回

・ドイツ年間最優秀選手賞 2回

・バロンドール 1回

・20世紀世界最優秀選手 13位

・20世紀の偉大なサッカー選手100人 15位

スポンサーリンク