◎エルサレムはイスラエルとパレスチナの和平を阻む最大の障壁である。
2024年6月5日/イスラエル、東エルサレム、反アラブ主義者の集会(AP通信)

イスラエル・東エルサレムで反イスラム集会が行われ、数千人が「アラブ人に死を」「パレスチナとイランに死を」などと叫んだ

エルサレムはイスラエルとパレスチナの和平を阻む最大の障壁である。

イスラエルは1967年の第三次中東戦争でガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原、イスラム教の聖地アルアクサ・モスクを含む「東エルサレム」を占領。2005年にガザ地区から軍とユダヤ人入植者を撤退させた。

イスラエルは東側の旧市街を含むエルサレム全体を首都とみなしているが、国際社会はこれを認めていない。

東エルサレムは1948年の第一次中東戦争後にヨルダンの支配下に移ったものの、1968年以降は東西ともイスラエルの支配下に置かれている。

戦時内閣に参加する超国家主義政党「ユダヤの家」のベン・グヴィル(Itamar Ben Gvir)治安相は今週、数十年来の合意に反し、エルサレムの聖地で祈りを捧げたと自慢。5日の反アラブ集会を「素晴らしい」と称賛した。

ベン・グヴィル氏の発言と今回の反アラブ集会はガザ紛争の和平交渉を破綻させ、この地域の緊張を掻き立てる恐れがある。

この集会は毎年恒例となっており、パレスチナ人の怒りを煽り、3年前の紛争の発端となった。

東エルサレムのダマスカス門に集まったデモ隊は「アラブ人に死を」「パレスチナとイランに死を」などと連呼し、市内を練り歩いた。

ベン・グヴィル氏はこの集会を許可し、ガザ紛争で緊張が高まっているにもかかわらず、例年と同じルートを使いたいという主催者の要求を快諾した。

デモ隊はダマスカス門を通って旧市街のイスラム教徒居住区に入り、ユダヤ教徒が祈ることのできるエリアまで行進した。

地元警察は声明で、「デモ隊はアルアクサ・モスクに入っておらず、平和的に行進した」と強調した。

アルアクサ・モスクはユダヤ教徒にとって最も神聖な場所のひとつであり、古代にユダヤ教の神殿があったことから、ユダヤ教徒はこの場所を「神殿の丘」と呼んでいる。

しかし、現地メディアによると、この日、多くのユダヤ人がアルアクサ・モスクに入って祈りを捧げたという。

あるユダヤ人はAP通信に対し、「政府高官もここで祈りを捧げるべきと言っているので、それに従っただけだ」と語った。

第三次中東戦争でイスラエルがこの土地を占領して以来、ユダヤ人はそこを訪れることは許されているが、祈ることは許されていない。

ベン・グヴィル氏は4日に放送された地元ラジオ局のインタビューで、「神殿の丘で祈りを捧げるのはユダヤ人の義務と言っても過言ではない」と語った。「これは政府の方針、国民の意思であり、我々ユダヤ人はエルサレムのあらゆる場所で祈ることができるのです...」

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