◎イランの最高指導者、アヤトラ・アリ・ハメネイ氏の弟子である60歳のエブラヒーム・ライシ氏は、イスラム共和制史上最低の投票率を記録した歴史的な大統領選挙で約2,890万票を獲得し、他の候補を圧倒した。
2021年6月21日/イラン、首都テヘラン、次期大統領のエブラヒーム・ライシ氏(AP通信/VahidSalemi)

6月21日、過去最低の投票率でイランの次期大統領に選出されたエブラヒーム・ライシ氏は、アメリカのジョー・バイデン大統領との会談や核開発に関する交渉を拒否すると発表した。

イランとP5プラス1(米、中、露、英、仏+独)による包括的共同行動計画(JCPOA/イラン核合意)の再開に向けた交渉は新たな段階に入ったと伝えられているが、ライシ氏は今後この問題にどのように対処するかを率直に語った。

ライシ氏は1988年の政治犯大量虐殺に関与したとしてアメリカの制裁下に置かれており、初めてこの問題の質問に直面した。ライシ氏は国際社会からイランの汚点と呼ばれている大量虐殺に関する質問に関心を示さなかったが、反抗的な態度で自分自身を「人権の擁護者」と呼んだ。

イランの最高指導者、アヤトラ・アリ・ハメネイ氏の弟子である60歳のライシ氏は、イスラム共和制史上最低の投票率を記録した歴史的な大統領選挙で約2,890万票を獲得し、他の候補を圧倒した。

ハメネイ最高指導者は比較的穏健なハッサン・ロウハニ大統領の同盟国を含む候補者数百人を選挙から追放し、立候補を許可された7人のうち3人は棄権した。首都テヘランの投票率は驚異の34%(前回の約半分)を記録し、多くの投票所で閑古鳥が鳴いたと伝えられている。

ライシ氏は、イランの経済を荒廃させたアメリカの制裁から抜け出すと約束したが、ウラン濃縮を含むミサイル開発と地域民兵への支援を停止する可能性はないと示唆した。バイデン政権はこの2つの問題に対処したいと考えている。

ライシ氏は記者団に対し、「交渉の余地はない」と語った。「交渉の余地はありません。アメリカはイランに対する全ての抑圧的な制裁を解除する義務があります...」

イランはアメリカの同盟国、イスラエルの廃絶を望んでいる。ミサイルの射程距離は2,000kmに達し、中東および米軍基地全体を攻撃できる。

またイランは、イエメンのイスラム過激派組織フーシ派やレバノンのヒズボラなどを支援しており、各地域のジハード軍は政府と激しい戦争を繰り広げている。フーシ派はイエメンをほぼ崩壊させ、ヒズボラはレバノンの政治は内部から腐らせ、悲惨なインフレと経済危機を引き起こした。

2019年6月24日/ワシントンD.C.ホワイトハウス、イランに制裁を科す大統領令に署名したドナルド・トランプ大統領とマイク・ペンス副大統領(AFP通信/Getty Images)

ライシ氏はバイデン大統領との会談の可能性について質問され、素っ気なく「ない」と答えた。大統領選挙に立候補した穏健派のアブドルナッサー・ヘマティ氏は選挙活動中、バイデン大統領との会談もいとわないと示唆していた。

ホワイトハウスのジェン・サキ報道官は21日、アメリカはイランと外交関係を結んでいないと述べた。「会談の計画はありません。そして、イランの指導者は(ハメネイ)最高指導者です。バイデン大統領もそう認識しています。イラン核合意の再開に向けた交渉は前進するでしょう...」

ライシ氏はアメリカ政府に認可されない最初のイラン大統領になる予定である。これにより、国連などの国際フォーラムへの公式訪問やスピーチは複雑になる可能性がある。

2018年、当時のドナルド・トランプ大統領はイラン核合意から一方的に撤退し、イランに強力な経済制裁を科した。トランプ大統領の決定でイランは態度を硬化させ、合意に関する全ての制限を放棄した。

イランのウラン濃縮は加速しており、兵器級の90%にはまだ及ばないものの、濃縮度は過去最高の60%に達した。イラン核合意は3.67%以上のウラン濃縮を禁止している。

<ウラン(U-235)の濃縮度>
・0.7%:標準
・2~5%:原子炉燃料(軽水炉用)
・3.67%以下:イラン核合意の規定値
・20%以上:高濃縮ウラン
・90%以上:核兵器用

トランプ大統領の契約破棄に伴い、穏健派のロウハニ大統領と同盟国たちはハメネイ最高指導者の信用を失い、支持率は急落した。西側諸国に敵対する強硬派が優勢に立ったことで、イラン核合意の再開に向けた交渉は暗礁に乗り上げる可能性があると指摘されているが、アメリカのジェイク・サリバン国家安全保障顧問とサキ報道官は懸念を否定している。

ライシ氏は会見の中で、「制裁緩和はイランの外交政策の中心」と説明し、アメリカに約束(イラン核合意への復帰)を果たすよう勧め、イラン核合意の重要性を強調した。

サウジアラビアは最近、イラクの首都バグダッドでイランとの秘密交渉を開始したと伝えられている。ライシ氏はテヘランのサウジ大使館再開の可能性について、「問題ない」と述べた。イランのサウジ大使館は両国の関係悪化を受け、2016年に閉鎖された。

ライシ氏は記者から1988年の「死刑委員会(裁判)」について質問を受け、反抗的な態度を示した。

当時の最高指導者アヤトラ・ルーホッラー・ホメイニー氏が国連の仲介を受け入れた直後、サダム・フセインの支援を受けるイランの武装グループ「ムジャヒディン・ハルク」のメンバーが、イラクからイランに侵入し攻撃を開始した。

死刑委員会はその頃に始まったと伝えられている。拘束された者たちは身元を明かすよう求められた。1990年に公開されたアムネスティ・インターナショナルの報告書によると、「ムジャヒディン」と答えた者は処刑されたという。アムネスティは少なくとも5,000人が処刑されたと推定している。ライシ氏は委員会の委員を務めていたと伝えられているが、関与を否定している。

スポンサーリンク