空飛ぶラッコ

カナダ、ブリティッシュコロンビア海。そこに生息していたイタチ科ラッコ属に分類される癒し系哺乳類の「ラッコ」は、局所的に絶滅した。

ラッコは通常飛行しない。しかし、ブリティッシュコロンビア海に生息するそれの先祖は、空を飛んだ。

1969年、アラスカ州のアムチトカ島と、プリンス・ウィリアム・サウンド湾のラッコは飛行機の貨物室に搭乗し、空を飛んだ

カナダとアメリカの生物学者たちは、ブリティッシュコロンビア州チェクレセット湾周辺の先住民族(ファーストネーションズ)と話し合わずに、あるプランを実行した。

生物学者たちは、チェクレセット湾の森林に囲まれた海域で新しいラッコのコロニーを形成したいと考えたのである。

同湾のラッコは決して珍しい生き物ではなかった。しかし、1929年に銃撃・捕獲された個体を最後に目撃情報は途絶えた

ラッコが姿を消したのはチェクレセット湾だけではなかった。彼らの毛は暖かい毛布として重宝され、世界中の人々を満足させた。

北太平洋全域のラッココロニーは、18世紀から19世紀の毛皮取引によって壊滅した。

ラッコの個体数は、1700年代初めの15万~30万をピークに減少。1911年の膃肭獣(おっとせい)保護条約調印時には、推定2,000匹まで減少したと言われている。

現在、ブリティッシュコロンビア州に解き放たれた89頭のラッコは、7,000頭以上に増加した。

カナダにおけるラッココロニー再構築プランは成功しすぎた。そして、同州の沿岸部で生活する先住民族に意図しない結果をもたらしたのである。

アメリカからカナダに移送されたラッコは、ゆっくりと数を増やし、今では猛烈な勢いで増殖している。

彼らが捕食するカニ、アサリ、アワビ、その他の貝類は希少種になった

先住民コミュニティの生活を支えてきた海の幸は、絶滅の危機に瀕している。

お腹をすかせたラッコは植民地を徐々に拡大し、貴重な海の幸を食い荒らした。

ブリティッシュコロンビア州の先住民族、ヌートカ族キュクォットの長老、サクシストヒルダ・ハンソン氏はBBCの取材に対し、「チェクレセット湾のハマグリやその他の貝類は本当に素晴らしかった」と語った。

しかし、2018年に行われた調査によると、同湾のハマグリはほとんど食い荒らされ、貝殻だけが無残に打ち捨てられていたという。

ラッコが空を飛んでから1年後、チェクレセット湾のウニの生態数が激減、バンクーバー島西海岸でも同様の事態が発生した。

さらに、世界中で重宝されている高級食材、アワビの数も大きく減少した。なお、アラスカ州では海岸に生息するナマコの数が激減している。

市街地から遠く離れた地域で暮らすヌートカ族のような先住民にとって、海の幸は生活を支える貴重な資源である。

先住民にとって、湾は食料品店であり、生活に欠かせないものだった。しかし、彼らはわけも分からぬうちにアサリ、ウニ、カニ、ハマグリなどを失った。

ラッコは湾を自在に泳ぎ回り、貝を捕獲する。そして、食料として捕獲した貝に硬いムール貝などをお腹の上でカチカチと打ち付け、中身を美味しくいただく。

ブリティッシュコロンビアがイギリスの植民地になるはるか前。先住民たちは湾の貝を収穫し、そこに生息するラッコと共存できていた

ビクトリア大学の考古学者、イアン・マッケニー氏のチームは、沿岸地域で生活していた先住民の歴史を研究し、この結論に至ったという。

チームは、数千年前のラッコの骨から、遠い過去の食生活を明らかにした。

ブリティッシュコロンビアに生息していたラッコたちは、なぜ、個体数を増やし過ぎることなく、先住民族と共存できていたのか。

どうも、ラッコです

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ラッコと人間の楽園

マッケニー氏の研究によると、ブリティッシュコロンビア海のラッコが先住民族コミュニティを脅かすほど増加したことはなかったという。

ヌートカ族キュクォットの長老、ハンソン氏が証言している通り、ハマグリはいつでも湾に”あった”のだ

マッケニー氏はBBCの取材に対し、「先住民族は貝を捕食するだけでなく、ラッコの数を狩猟によって管理していた。先祖代々受け継がれてきた伝統や文化によって、ラッコの個体数をコントロールできていたのだろう」と述べた。

我々の祖先は、ラッコの管理方法を長年の経験と勘によって開発した」と長老は言う。

先住民族のトム・ハッピーヌーク氏は次のように語った。

「私の祖父は、ラッコが湾に入るのを防ぐために、彼らの死骸をその近くに設置(固定)した。こうすることで、ラッコたちは人間が漁をするエリアに近づくことをためらった」

さらに、先住民族は漁エリアを保護するべく石の壁を設置し、人間とラッコの活動エリアを分離した。

石の壁は、陸を移動しなければ超えることはできない。ラッコたちは「湾の限られたエリアで狩りをしよう」と学習し、適応したのである。

水産海洋省(DFO)のラッコ生物学者、リンダ・ニコル氏は、ラッコが泳ぎを得意とする一方、「足ひれが長いため、陸上移動は苦手」と説明した。

1977年、チェクレセット湾で新生活を始めたラッコたちは、適応に苦労していた。個体数は89頭から70頭に減少。同じく、ワシントン州とオレゴン州の湾で生活を始めたラッコも現地の環境になじめなかった。

40年後、チェクレセット湾の北西約300kmに位置するハイダ・グワイ(クイーンシャーロット諸島)の湾でラッコが目撃され、島民に衝撃を与えた。

少なくとも1世紀の間、ハイダ・グワイでラッコが目撃されたことはなかった。島民の生活は湾で獲れる貝に大きく依存しており、当局はラッコの侵略に警戒を強めているという。

どうも、ラッコです2

先住民族は、資源に対する自分たちの権利を主張する「終わりなき戦い」に巻き込まれた。

2019年、ブリティッシュコロンビア州はカナダの州の中で初めて「先住民族の権利に関する国連宣言(UNDRIP)」に署名した。しかし、国レベルではまだ承認されていない。

カナダ政府が制定した漁業法やそれに関連する法律は、先住民族の資源と権利を著しく損なった。

大半の国民が恩恵を受ける一方、一部の先住民族は資源と権利を失ったのである。

国際自然保護連合(IUCN)のラッコスペシャリストグループの科学者、アンジェラ・ドロフ氏は、ラッコの生態系が完全に復活したという保証はないものの、その段階に近づきつつあると述べた。

ラッコには、生態系への完全復帰を可能にする「獲物の多様性と学習および学習を共有する能力」がある。

この中でも特筆すべき能力が「学習の共有」であり、ラッコと人間双方に利益をもたらすという。

ドロフ氏はBBCの取材に対し、「私たちはお互いから学び、お互いを信頼することで成長してきた。ラッコも同じである。彼らは人間が生まれるはるか以前からそこで生活し、漁場を形成した。そして、先住民族の介入にも適応し、海の幸を分け合ってきた」と述べた。

かつて、ラッコと先住民族は共存していた。

18世紀から19世紀の毛皮取引によって共存関係は大きく崩れてしまったが、人間の科学力とラッコの能力をうまくコラボさせれば、新たな共存の道を切り開くことができるかもしれない。

現在、先住民族と関係機関によるラッコの生態系調査ならびに研究が進められている。

増えすぎたラッコの数をコントロールし、先住民族との新たな関係が構築された時、パンデミックは終息し、チェクレセット湾はラッコと人間の楽園になる。

増えすぎたラッコたち

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