ベネズエラ・ボリバル共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:ベネズエラ・ボリバル共和国(Venezuela)

首都:カラカス(Caracas)

人口:28,644,603人(2021年推定)

面積:916,445㎢(日本の2.4倍)

気候:熱帯気候
・ベネズエラアンデス地域(標高3,000mm以上)はとても寒いが、その他の地域はとても暑い。
・乾期は12月~4月。
・雨季は5月~11月。とても暑く、ジメジメしている。
・年間降水量は地域によって大きく異なる。少ない地域は500mm以下。多い地域は5,000mmを超える。
・カリブ海の島々はとても暑く、雨はほとんど降らない。
・海沿いの地域は1年中暑い。最高気温は1年を通して30~35℃。
・人気観光地は砂漠エリアとカリブ海。

経済:
・開発途上国
GDPは640ドル(2019年推定)
・経済崩壊の真っただ中にある。
2019年の経済(GDP)成長率はマイナス35%
・GDPは1950年代から順調に成長していた。
・主要産業はサービスと製造業。
・ハイパーインフレに悩まされている。
・アメリカの厳しい経済制裁に直面している。
・貧困ライン以下の生活を送っている市民は総人口の85%以上。(2017年推定)
・失業率は44.3%。(2019年推定)
・アメリカが経済制裁を解除しない限り、経済のプラス成長は見込めない。
・2016年から2019年4月までのインフレ率は53,798,500%。(IMF調査)

人種:
・メスティーソ 51.6%(2011年国勢調査)
・白人 43.6%
・黒人 2.9%
・先住民族の子孫 0.7%
・その他 1.2%

言語:
・スペイン語(公用語)
・英語
・中国語
・ポルトガル語
・イタリア語
・その他多数

宗教:
・キリスト教 88.3%(2011年国勢調査)
・イスラム教 0.4%
・無宗教 9%
・その他

ベネズエラ・ボリバル共和国

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自称大統領:ニコラス・マドゥロ(Nicolás Maduro)
大統領代理:フアン・グアイド(Juan Guaidó)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。
大統領が二人いる。(2021年2月時点)
・ウゴ・チャベス大統領が2013年に亡くなり、ニコラス・マドゥロが大統領職を引き継いだ。
・2018年の大統領選挙で不正が発覚し、フアン・グアイドが大統領代理に就任したが、マドゥロはこれを却下し、自称大統領に就任した。
・マドゥロ自称大統領は憲法を改正するなどして独裁体制を確立した。
・マドゥロ自称大統領の就任以来、経済は右肩下がりで低下している。
・チャベス大統領にはカリスマ性があったが、マドゥロ自称大統領にはなかった。
・政治家の汚職が蔓延している。
・一院制(議員定数:277人)。
・最高裁判所は独裁議会の権限を剥奪する判決を下した(2017年)が、議会はこの判決を取り消した。
・政府は麻薬密売を奨励している。

法律:ベネズエラ・ボリバル共和国の憲法
・司法の独立を保障していない。
・1863年に死刑を廃止した。
・裁判所は「最高、高等、地方」。
・最高裁判所の判事はマドゥロ自称大統領の子分が務める。
・世界で最も腐敗した国のひとつ。

2021年 ロイター通信/ベネズエラ・ボリバル共和国、フアン・グアイド大統領代理

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年2月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)

治安:かなり悪い
・自称大統領の独裁政権に反対する抗議活動が頻発している。
・大統領代理が2019年に蜂起を呼びかけ、国内の治安は一気に悪化した。
・アメリカの厳しい経済制裁の影響で、市民生活は急速に悪化した。
銃を使った犯罪(殺人、強盗、誘拐など)に巻き込まれる可能性あり
・麻薬カルテルの活動エリアには近づかないこと。
・警察と麻薬カルテル(もしくはギャング)は裏でつながっている。
・年間誘拐発生件数は2,000~2,500件。(政府発表は100~200件)
・ボリビア解放戦線(FBL)などの過激派組織の活動エリアには近づかないこと。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・引ったくりや置き引きに注意。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は28社。(2019年時点)
・国営テレビ局は複数社。
・民間テレビ局は数十局。放送を中止した局多数。
・ラジオ局は数十局。
・報道と言論の自由を保障していない。
・政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受ける。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は高い。
・検閲は厳しい。
・市民の半数以上がツイッターなどのソーシャルメディアから情報を得ている。

【国営メディア/設立年】
・ベネズエラテレビ 1964年
・TVes 2007年
・ViVe 2003年
・テレスール 2005年
・その他多数

【民間メディア】
・ベネビジョン
・テレベン
・海外のケーブルテレビ
・その他多数

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2021年軍事力ランキング:43位

・軍人数:575,000人(推定)
  即戦力 345,000人
  予備兵 10,000人
  準軍組織 220,000人

・陸海空軍を保有している。

・国防予算:7.4億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在のベネズエラと周辺国はスペイン帝国の支配下に置かれていた。

・スペイン王朝は他の地域ほどベネズエラを重視していなかったと伝えられている。

・アフリカから移送された黒人奴隷が農作物や家畜の飼育を行っていた。

・1700年代中頃、海岸沿いに大きなコミュニティが形成された。そこに集まったスペイン人と一部の先住民族は黒人奴隷の力でカカオ農園などを設立し、町のさらなる発展を目指した。

・スペインの支配を受け入れられない先住民族は南部の平原とジャングルに移住した。

1800年代

・1810年4月19日、ベネズエラ独立戦争勃発。(ベネズエラ革命軍vsスペイン帝国)

・1811年7月5日、「ベネズエラ第一共和国」が独立を宣言。

・1812年3月26日、カラカス地震発生。震源はベネズエラの北部、マグニチュード7.7の巨大地震により、周辺の住民および先住民15,000~20,000人(推定)が死亡した。この地震で周辺の地形は大きく変わり、小川がせき止められた影響で湖が形成された。

・1812年6月20日、ラビクトリアでベネズエラ革命軍とスペイン軍の戦いが本格化する。戦闘は10日ほど続き、ベネズエラ革命軍が勝利した。

・1819年12月17日、ベネズエラを含む「大コロンビア共和国」が独立を宣言。

・1823年7月24日、ベネズエラ独立戦争終結、ベネズエラ革命軍の勝利。

・1826年、独立戦争で活躍したホセ・アントニオ・パエスがベネズエラの独立を目指し行動を開始する。

・1828年、ベネズエラとニューグラナダの指導者が大コロンビア共和国の統治に反対する。

・大コロンビア王朝は独立支持者を粛正したが、抵抗は止まず各地で戦闘が発生した。

・1830年1月12月、「ベネズエラ・ボリバル共和国」が大コロンビア共和国から独立。他国および州もこれに続き、大コロンビア共和国は崩壊(解散)した。

・1859年2月20日、ベネズエラ内戦勃発。(連邦党vs保守政権)

・1863年4月24日、ベネズエラ内戦終結、連邦党の勝利。内戦の影響でベネズエラの経済は崩壊し、対外債務に悩まされることになった

<ベネズエラ内戦終結>
参加者:数百万人
負傷者:数十万人(推定)
死亡者:10万~15万人(推定)

・1870年に大統領に就任したグズマン・ブランコは国会議事堂を建設し、すべてのベネズエラ人に無償で教育を提供すると宣言した。

・ブランコ大統領はインフラ(鉄道や道路など)の整備を進めたが、荒れ果てた土地を開拓することに苦労した。

・1887年、ブランコ大統領が政界を引退。ハモジェニーズ・ロペスが大統領代理に就任した。

・1888年、大統領選挙。フアン・パブロ・ロハス・パウルが民間人初の大統領に就任した。

・1890年、大統領選挙。ライムンド・アンドゥエザ・パラシオ(民間人)が大統領に就任。

・1895年、イギリスが「ベネズエラは英領ギアナの一部」と主張。論争から紛争に発展しかけたが、アメリカの仲介で両国はひとまず和解した。(ベネズエラ危機)

・1899年、ベネズエラの一部が英領ギアナの管理下に置かれる。

ベネズエラ・ボリバル共和国/マラカイボ

1900年~第一次世界大戦

・ベネズエラは第一次世界大戦に関与していない。

・1902年12月、シプリアーノ・カストロ大統領が欧州の対外債務の支払いを拒否する。この決定にドイツ、イギリス、イタリアは猛反発し、ベネズエラの海域を封鎖した。

・1903年2月、アメリカの仲介でベネズエラと欧州が妥協案に合意。ハーグの常設仲裁裁判所もこれを認めた。ベネズエラ政府は2つの主要港で得た税関収入の30%を債権国に支払うことになった。

・1908年、カストロ大統領が政界を引退。フアン・ビセンテ・ゴメス将軍が大統領に就任した。

・ゴメス大統領は石油産業の初期の発展に貢献したが、商取引の利益を民間企業から奪い、ビジネス関係者から非難された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・ベネズエラは第二次世界大戦に関与していない。

・1919年、石油ブーム到来。ゴメス大統領は製油所を増設し、石油の生産量を一気に増加させた。

石油はベネズエラで最も価値のある輸出品になった

・1929年、ベネズエラは世界で最も多くの石油を輸出した国になった。しかし、ゴメス大統領は石油会社に課税せず、政府は恩恵を受けなかった。なお、石油産業で働く市民の生活水準は改善した。

・ゴメス大統領は石油産業に関連するインフラ(輸送用道路、鉄道)に資金を投入し、石油産業の勢いを加速させた。

・1935年、ゴメス大統領死去。エレアサル・ロペス・コントレラスが大統領に就任した。

・1941年、イサイアス・メディナ・アンガリータが大統領に就任。軍事政権を引き継いだ。

終戦~現在

・1945年10月、民主勢力がクーデターを決行。アンガリータ大統領の権利を剥奪し、エル・トリエニ・オアデコが大統領代理に就任した。

・1947年12月14日、議会選挙および大統領選挙。民主主義行動党が圧倒的過半数で勝利を収め、ロムロ・ガジェゴスが大統領に就任した。

・1948年11月24日、軍事クーデター発生。オアデコ大統領は追放され、軍が政権を再び支配した。

・1952年、ペレス・ヒメネスが大統領に就任。

・ヒメネス大統領はインフラ、石油産業、農業、発電プロジェクトに投資し、アメリカとの同盟関係を強化した。その一方で債務は爆発的に増加し、わずか5年で30倍以上に膨れ上がった。

・1958年1月23日、民主勢力がクーデターを決行。ヒメネス大統領を追放し、民主政権の復活を宣言した。

・1958年12月、議会選挙および大統領選挙。民主的行動党が議席の過半数を獲得し、ロムロ・ベタンクールが大統領に就任した。

・1960年、景気回復計画策定。ベネズエラ中央銀行は金利を大幅に引き下げ、建設業を活性化した。

・1960年~1970年代、ベネズエラの経済は成長軌道に乗っていた。

・1973年、第四次中東戦争の影響で石油価格が爆発的に上昇し、ベネズエラの収入も爆発的に増加した。

・1975年、鉄鋼業を国有化。

・1976年、石油産業を国有化。政府は公共支出を大幅に増やし、それに伴い対外債務も増加した

・1979年に大統領に就任したルイス・エレラ・カンピンズは公共住宅開発やインフラに資金を投入した。

・1980年代、石油価格の暴落に伴い、深刻な財政危機に直面。

・1989年2月~3月、カラカスで大規模な暴動が発生。市民は物価の上昇や政治家の汚職に抗議した。一連の暴動で2,000人以上が死亡したと伝えられている。(政府の公式発表は276人)

・1992年2月、軍事クーデター発生。しかし、政府はこれを鎮圧し、主導者のウゴ・チャベス中佐を逮捕した。

・1992年11月、軍事クーデター発生。政府はこれを鎮圧し、反乱軍の試みはまたしても失敗した。

・1994年3月、ウゴ・チャベス中佐が釈放される。

・1998年12月6日、大統領選挙。ウゴ・チャベスが勝利した。なお、投票率は過去最低の56.4%。市民は不景気にウンザリしていた。

・1999年2月2日、ウゴ・チャベスが大統領に就任。

・チャベス大統領は新たな憲法を制定する憲法制定議会を設立し、「ボリバル革命」の開始を宣言したうえで、貧しい市民を助けることに主眼を置いたボリバルミッションを開始した

・2000年~2002年、歴史的な石油価格の低迷と国債金利の高騰はベネズエラの経済を痛めつけ、ボリバルミッションは思うように進まなかった。

・2002年4月、軍事クーデター発生。チャベス大統領は権力を失ったが、全国各地で抗議活動が行われた結果、2日後に政権に復帰した。

・2002年12月、不振にあえぐ国営石油会社PDVSAがストライキを決行し、他の企業もこれに続いた。結果、全国規模のストライキは2003年2月まで続き、ベネズエラの2003年第1四半期の経済成長率は前年同期比27%減を記録した。

・2003年~2006年、最貧困層の収入は150%以上上昇し、ボリバルミッションは多くの国民に受け入れられた。

・2006年9月20日、チャベス大統領は国連スピーチでアメリカのジョージ・ブッシュ大統領を厳しく非難し、「悪魔」と呼んだ。なお、アメリカの政治家とメディアはスピーチを非難したが、会場は拍手喝采だった。

・2007年1月、新内閣発足。

・2007年4月30日、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の債務を完済。石油産業が経済を押し上げた。

・2007年11月、チャベス大統領はスペインの首脳と会談した際、元首相のホセ・マリア・アスナールをファシストと呼び、物議を醸した。(ラテンアメリカサミット事件)

・2012年10月7日、チャベス大統領が3回目の大統領選挙に勝利。

・2013年3月5日、チャベス大統領死去。

・2013年4月14日、大統領選挙。ニコラス・マドゥロが大統領に就任。

・2013年10月、マドゥロ大統領は汚職と闘うために、法令によって国を統治できる法律の制定を要求した。

・2013年11月、マドゥロ大統領は大統領権限を使って電化製品店の権利を全て軍に移行した。

・2014年、政府の経済政策はことごとく失敗し、市民の生活環境は急速に悪化した。また石油価格の暴落が悪化に拍車をかけ、消費者物価は800%上昇した。

・2015年12月、議会選挙。マドゥロ大統領のベネズエラ統一社会主義党(PSUV)は野党に大敗した

・2016年1月、マドゥロ大統領が「経済緊急事態」を布告。

・2017年、アメリカのトランプ大統領がベネズエラ政府および国営石油会社PDVSAに厳しい経済制裁を科す。

・2017年3月29日、最高裁判所が議会の立法権を引き継ぐと発表。野党はこれをクーデターと呼び、マドゥロ大統領と最高裁判所判事を厳しく非難した。

・2017年4月1日、最高裁判所が議会の権限を回復すると発表。判事およびマドゥロ大統領の暴挙に市民は猛反発し、各地で抗議活動が発生した。

・2017年7月30日、ベネズエラ制憲議会選挙。

・2017年8月30日、憲法制定会議発足。マドゥロ大統領は議会の権限を剥奪した。

・2018年5月20日、大統領選挙。マドゥロ大統領が再選を果たしたが、アメリカを含む西側諸国は立候補すること自体が間違いと指摘したうえで、フアン・グアイドを新大統領として認めた

・2019年1月、国連総会はマドゥロの新任期の正当性を認めないという決議を承認した。

・2019年8月、アメリカのトランプ大統領がベネズエラにより厳しい全面的な経済制裁を科す大統領令に署名。

・クライド大統領は約60ヵ国に就任を認められた。

・厳しい経済制裁に直面するマドゥロ自称大統領は、今後も政権を維持すると誓約している。

ベネズエラ・ボリバル共和国/首都カラカス

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・スペインの植民地だった時代に欧州の文化を取り入れた。

・カーニバルが大好き。

・サルサとメレンゲを踊るのが大好き。

・ベネズエラ料理の主食は米。主菜は肉、トウモロコシ、山芋、豆。

・トウモロコシの生地を焼いて作るアレパが有名。ホットケーキのような食感。

ベネズエラ・ボリバル共和国/アレパ

スポーツ(目次に戻る

・一番人気は野球。

・世界を代表する野球強豪国のひとつ。

・その他の人気スポーツはバスケットボール、サッカー、テニス、ラグビー、ゴルフ、闘牛など。

・オリンピックでの獲得メダル数は15個。

・アメリカのMLBでプレーした選手は約400人。

【有名スポーツ選手】

・ルイス・アパリシオ(Luis Aparicio)MLB選手。南米選手初のMLB殿堂入りを果たした。

・ミゲル・カブレラ(Miguel Cabrera)MLB選手。2012年に三冠王を達成。45年ぶりの快挙だった。

その他(目次に戻る

大統領が二人いる。(2021年2月時点)

・経済崩壊、ハイパーインフレ、アメリカの厳しい経済制裁の影響で、市民の生活は悪化し続けている。

ベネズエラ・ボリバル共和国/カーニバル
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