バヌアツ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:バヌアツ共和国(Republic of Vanuatu)

首都:ポートビラ(Port Vila)

人口:307,815人(2020年推定)

面積:12,200㎢(新潟県とほぼ同じ)

気候:熱帯気候(南部は亜熱帯)
・雨季(冬)は3月~11月。
・乾期(夏)は12月~4月。
・気温は1年を通して安定している。(最低20~22℃、最高:25~32℃)
・年間降雨量は地域によって多少異なる。少ない地域は2,500mm前後、多い地域は4,000mm以上。

・熱帯低気圧の影響を受けやすい地域のひとつ。サイクロンの最盛期は12月~4月。
・地震の多い地域。1909年以降、M7.0以上の地震は少なくとも58回発生している。
・海水温は1年を通して暖かく、いつでも海水浴を楽しめる。
・海水浴やマリンスポーツを楽しむ場合は、地元の案内や情報に従うこと。(サメの生息スポット多数あり)

経済:
・開発途上国
GDPは9億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と農業。
・主要輸出パートナーはタイ(57.3%)と日本(21.8%)
・主要輸入パートナーは中国(26.7%)、シンガポール(21.2%)、オーストラリア(13.6%)
・主要輸出品はコプラ、牛肉、ココア、木材、カバの根、コーヒーなど。

・最も重要な農作物はコプラ。輸出額の約35%を占める。
・市民権を約15万ドル(1,600万円)で販売している。
・主要産業のサービス業がコロナウイルスの影響
で深刻なダメージを受け、2020年の経済成長率はマイナスに転じた。

人種(民族):
・バヌアツ人 97.6%(CIAワールドファクトブック推定)
・混血バヌアツ人 1.1%
・その他 1.3%

言語:
・先住民族の言語 63.2%(CIAワールドファクトブック推定)
・ビスマラ語 33.7%(公用語)
・英語 2%(公用語)
・フランス語 0.6%(公用語)
・その他 0.6%
・先住民族の言語は100種類以上確認されている。

宗教:
・プロテスタント 70%(CIAワールドファクトブック推定)
・ローマカトリック 12.4%
・先住民族の宗教 3.7%
・その他 12.6%
・無宗教 1.1%
・不明 0.2%

バヌアツ共和国

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大統領:タリス・オベド・モーゼス(Tallis Obed Moses)
首相:ボブ・ラフマン(Bob Loughman)

政治体制:共和制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首は大統領、任期は5年、再選不可。
・一院制。議員定数は52人、任期は4年。
汚職に厳しく、先住民族コミュニティの力に重点を置いた政治を構築している
・一つの政党が単独過半数を獲得することはほぼ不可能。
・インフラストラクチャの開発遅延問題に悩まされている。
・女性議員はひとりもいない。

法律:バヌアツ共和国の憲法
・司法の独立を基本的人権を保障している。
・女性の権利、刑務所の収容率超過、教育へのアクセスの不備など、問題が山積している。
・花婿またはその家族は、結婚と引き換えに花嫁の家族に現金を渡す習慣がある。
・子供の教育を受ける権利を保障しているが、小中学校への就学は義務ではない。

バヌアツ共和国/空港

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年4月時点)

治安:良い
・近年、国内でテロ事件は発生していない。
・イスラムジハード組織は反政府組織の活動は報告されていない。
・犯罪率は欧米の主要国に比べるとはるかに低いが、近年発生率は上昇している。
・置き引きや引ったくりに注意。
・首都ポートビラのナイトクラブやバー周辺の治安は悪いので注意。
・単独行動は避けた方がよい。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は9社活動していると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は2局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は3局。
・イギリス、フランス、中国のラジオを利用できる。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストはごくまれに嫌がらせを受ける。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネット普及率は低い。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・バヌアツ放送テレビ公社 1993年

【民間メディア】
・1NOMO TV Channel
・KAM TV

バヌアツ共和国/子供たち

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 550人

・軍を保有していない。
・警察と準軍組織のバヌアツ移動軍(警察組織の一部)を保有している。

・国防予算:1,000万ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、バヌアツに上陸したヨーロッパの探検家や商人は、先住民族に労働を強制し、農作物や加工品を輸出した。

・1730年代、アオバ島に上陸したフランス人は先住民族と平和的に交易した。しかし、フランス人に搾取されていることに気づいた先住民族は攻撃を開始し、小規模な戦闘に発展した。

・バヌアツの近海を訪れたヨーロッパの捕鯨船は、先住民族と物々交換による取引を行ったと記録されている。

バヌアツ共和国/ボートに乗る子供たち

1800年代

・1800年~1810年、ヨーロッパの捕鯨船は先住民族とのつながりを深め、一部の島では交易が確立したと伝えられている。

・1820年代、エロマンガ島に上陸したピーター・ディロン(商人)は、高品質の農作物を各地に輸出し、大きな利益を上げた。

・1839年、ローマカトリックとプロテスタントの宣教師が島に上陸した。しかし、ロンドン伝道会のジョン・ウィリアムズとジェームズ・ハリスは先住民族に殺害されたと伝えられている。

・1840年代~1860年代、キリスト教の宣教師たちはバヌアツの島々で布教活動を行った。しかし、一部の島の先住民族は侵入者を拒み、宣教師が現れる都度攻撃を仕掛けたという。伝えられるところによると、先住民族たちは外界から持ち込まれた未知の病気を恐れていた可能性があるという。

・1880年、フランスの実業家が農作業の技術を島に持ち込み、大規模なプランテーションの整備が始まった。

・1882年、フランスの実業家による農園、コンパニ・カレドニエンヌ・デヌーヴェルエ・ブリデス(CCNH)を創設。これにより、多くの移民労働者がバヌアツに移住した。

・1894年、フランス政府がCCNHの運営を引き継ぎ、バヌアツへの入植を積極的に奨励した。

1900年~第一次世界大戦

・バヌアツは第一次世界大戦に関与していない。

・1906年、イギリスとフランスがバヌアツの島々を共同管理することに合意した。これにより、バヌアツはイギリスとフランスの植民地下に置かれた。(英仏領バヌアツ誕生)

・バヌアツはイギリス人とフランス人勢力に分断されており、両国合同の自治政府はほぼ機能していなかった。

・1914年、イギリスとフランスがバヌアツの管理体制を強化する英仏議定書に調印。しかし、議定書は1922年まで批准されなかった。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年代、ベトナム人契約労働者、約6,000人がニューヘブリデス島に移住し、農園の開拓と整備を行った。なお、ほとんどのベトナム人は1946年と1963年に本国に戻ったが、一部はバヌアツに残りコミュニティを形成した。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1940年、ナチスドイツがフランスを打ち破り、バヌアツの支配権の一部はナチスドイツの手に渡った。

・1941年、オーストラリアは大日本帝国の侵略に備え、バヌアツのマレクラ島に2,000人の兵士を駐留させた。バヌアツの自治政府はオーストラリア軍の駐留を許可したうえで、食糧を提供し大きな利益を上げた。

・1942年4月、アメリカがバヌアツのニューヘブリデス諸島に兵士約50,000人を派遣、日本の侵攻に備えた。

・1942年5月、アメリカ軍はバヌアツのエファテ島とエスピリトゥサント島に滑走路、道路、軍事基地、兵士の宿舎、その他様々なインフラストラクチャを整備し、戦争に備えた。

・1942年6月、バヌアツの自治政府は約200人の小さなバヌアツ国防軍を設立し、アメリカ軍のインフラ整備作業を支援した。さらに数千人の住民も様々な作業を手伝ったと伝えられている。

・バヌアツの住民はアメリカ人の寛容で友好的な態度を快く受け入れたが、これまで島に存在しなかった食料、インフラ、習慣、自由と平等の考えなどは、先住民族の伝統や文化に大きな影響を与えた。

・1943年、アメリカ軍がソロモン諸島の占領に成功した結果、ニューヘブリデス諸島は戦略的重要性を失った。

・1945年初頭、アメリカはバヌアツの島々から撤退し、そこに設置したインフラや機器の大半を自治政府と住民に提供した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

バヌアツ共和国/市場

終戦~現在

・1950年代、ヨーロッパで脱植民地化が進んだことを受け、バヌアツの自治政府も独立に向けたキャンペーンを開始した。

・イギリスとフランスはバヌアツ自治政府の要求を受け、病院建設、医師の訓練、様々な予防接種キャンペーン、学校の建設などを支援した。

・1957年、バヌアツの開発と成長を監視する諮問委員会が設置される。委員の大半はイギリス人とフランス人だった。

・1960年初頭、初等教育の考えが各島に行き渡る。

・1964年、多くの農園が牛の放牧を開始し、低木地帯の開墾が各地で進められた。

・1966年、低木地帯の開墾を推進する一部の先住民族とイギリス人は激しい抗議活動に直面し、自治政府当局に逮捕された。

・1967年、開墾を促した容疑で逮捕された先住民族の酋長とイギリス人は、独立を求める運動を開始した。

・1970年初頭、国内のほぼ全ての児童が学校に通い、義務教育の考えが島に定着した。また、自治政府は農園の監視を強化する規則を制定し、労働者に対する暴力や搾取を厳しく取り締まった。

・1971年、ウォルターリン酋長と賛同者たちはニューエブリデス文化協会を設立し、政治活動に参加すると宣言した。その後、ニューエブリデス文化協会はニューエブリデス国民党(NHNP)に名を改めた。

・1972年、NHNPの設立に触発されたフランス人と先住民族の混血たちは、2つの政党(MANHとUCNH)を設立した。MANHはプロテスタント政党と見なされ混血イギリス人にも支持された。

・1970年代、バヌアツの経済はゆっくり成長し、多くの銀行や金融セクターが開設された。また、埠頭の開発に伴い、クルーズ船観光が急速に成長し、1977年の来航者数は40,000人を超えた

・1974年11月、イギリスとフランスがバヌアツ人で構成される議会の設立を許可した。

・1975年11月、初めての議会選挙。ニューエブリデス国民党(NHNP)が圧勝したものの、他の野党勢力は選挙結果を認めず、抗議活動に発展した。

・1976年11月、抗議活動、協議、そして再選挙後、バヌアツ人が運営する議会が誕生した。

・1977年3月、イギリス、フランス、バヌアツの代表者による3カ国会談がロンドンで開催され、1980年に独立の可否を決める国民投票を実施することが決まった。

・1979年11月、議会選挙。

・1980年1月、いくつかの島で独立賛成派と反対派の対立が激化し、暴力に発展した。

・1980年5月、独立賛成派の暴動が都市タンナで発生し、指導者1名が射殺された。

・1980年7月30日、独立の可否を問う国民投票が行われ、賛成多数で承認された。イギリスとフランスも投票結果を承認し、「バヌアツ共和国」は独立を宣言した。

・1980年7月30日、独立に反対する反乱軍が政府に宣戦布告。(ココナッツ戦争)

・1980年8月、反乱軍は各地で活動を開始したが、戦闘はほとんど発生しなかった。しかし、一部の武装勢力はスリングショットで武装し、政府軍の施設に攻撃を仕掛けた。

・1980年8月10日、ココナッツ戦争終結。反乱軍は突然戦争終結を宣言し、指揮官のジミー・スティーブンスは降伏した。

<ココナッツ戦争>
・両軍参加者:50~100人(推定)
・両軍負傷者:なし
・両軍死亡者:なし

・1980年8月、イギリス軍とフランス軍がバヌアツから撤退。

・1980年9月、ウォルター・リニが初代首相に就任。

・1981年9月15日、国連に加盟。

・1990年代、経済活動が低迷した影響で議会運営は不安定になり、主要政党の分裂を促した。

・1991年9月6日、リニ首相に対する不信任決議案が賛成多数で可決され、ドナルド・カルポカスが暫定首相に就任した。

・1991年12月、議会選挙。穏健政党連合(UMP)が勝利し、マキシム・カルロト・コーマンが首相に就任した。一方、バヌアツの経済は低迷し、コプラの価格の暴落が輸出に大きな影響を与え、住民の生活は困窮した。

・1993年~1994年、各地で賃金の引き上げを要求する公務員ストライキが発生し、公共部門は機能不全に陥った。

・1996年、準軍組織であるバヌアツ移動軍が賃金紛争に伴う軍事クーデターを決行、サージ・ボオール首相とジャン・マリー・レイエ大統領を拉致した。しかし、移動軍は2人を開放し、クーデターは突然終了した。

・1998年、首都ポートビラで暴動が発生。政府の汚職に対する申し立てを受け、多くの市民がバヌアツ国立プロビデント基金から預金を引き下ろそうとしたため、政府は非常事態を宣言した。

・1998年末、経済パフォーマンスの改善と政府の腐敗の取り締まりを目的とした包括的な改革プログラムが制定された。

・2000年~2005年、バヌアツの経済は、牛肉、観光、外国人労働者からの送金、アジア開発銀行および米国ミレニアムチャレンジ基金からの大規模な援助パッケージに対する高い需要に支えられ、ジワジワと成長を続けた。

・2003年、経済協力開発機構(OECD)はバヌアツを「税務面で非協力的な国・地域リスト(タックスヘイブン・ブラックリスト)」から除外した。

・2011年、世界貿易機関(WTO)に加盟。

・2015年3月11日、カテゴリー5の巨大台風、サイクロンパム襲来。バヌアツの国家災害管理局は市民に非難を呼びかけ、政府は非常事態を宣言した。

・2015年3月12日、サイクロンパムはバヌアツの民家とインフラを粉々に破壊した。

・サイクロンパムによるバヌアツの死亡者数は不確実であり、政府と国連の統計には差異がある。政府は上陸当日に11人が死亡し、嵐が過ぎ去った直後に病院で4人が死亡したと報告した。一方、国連は少なくとも16人が死亡し、数十人が行方不明になったと報告している。

・2020年11月、最初のコロナウイルス感染者を確認。

文化(目次に戻る

・西側の文化を取り入れつつ、先住民族文化を維持している。

・青年は割礼を含む様々な儀式を経て、男性としての地位を確立する。

・バヌアツ独自の音楽は1990年代に急速に成長し、いくつかのバンドが人気を席巻した。

・農業が盛んで食料不足に陥ることは滅多にない。

・主食は米。主菜は魚介類全般、鶏肉、サツマイモ、タロイモ、キャッサバなど。

バヌアツ共和国/楽器を演奏する市民

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

・その他の人気スポーツはクリケット、ラグビー、バレーボール、バスケットボールなど。

・バレーボールは女性のスポーツと見なされており、男子選手はほとんどいない。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

インフラストラクチャの開発遅延問題に悩まされている。

2015年にバヌアツに上陸したサイクロンパム(カテゴリー5)は、島の民家とインフラの大半を破壊した

バヌアツ共和国/リゾートホテルのプール
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