ウガンダ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ウガンダ共和国(Republic of Uganda

首都:カンパラ(Kampala)

人口:43,252,966人(2021年推定)

面積:236,040㎢(本州の面積とほぼ同じ)

気候:熱帯気候
・年平均気温は25~29℃。
・山岳地帯はかなり涼しく、雪が積もることも珍しくない。
・最も寒い12~2月の平均気温は17~19℃。
・年間降雨量は1,000~1,500mm。
・雨季は3~5月および9~11月。
・乾期は1~2月および6~8月。
・昼夜の寒暖差が大きく、羽織るものを必ず準備したい。
・雨季の旅行はおすすめしない。(大雨で道路が寸断される恐れあり)

経済:
・開発途上国
・インフォーマル経済
GDPは365ドル(2019年推定)
・女性を軽視する文化が残っている。
・GDPは1990年代からゆっくり成長し続けてきた。
・主要産業は農業。(GDPの約70%)
・世界を代表するオオバコ(調理用バナナ)の輸出国のひとつ。
・国内の女性の90%近くがインフォーマル部門で働いている。
・金、銅、鉄、スズ、石灰岩などの鉱物資源に恵まれている。
・石油に関連する開発や工事を進めており、同部門の強化を狙っている。

人種(民族):
・バガンダ族 16.5%(すべて推定)
・バニヤンコール族 9.8%
・バソガ族 8.8%
・バキガ族 7.1%
・ランギ族 6.3%
・バギス族 4.9%
・アチョリ族 4.4%
・ルグバラ族 3.3%
・その他 32.1%

言語:
・英語(公用語)
・スワヒリ語(公用語)
・ルガンダ語
・パントゥー語
・ナイル・サハラ語
・アラビア語

宗教:
・キリスト教84.4%(すべて推定)
・イスラム教13.7%
・その他1.6%
・無宗教0.2%

ウガンダ共和国

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大統領:ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(Yoweri Museveni)
首相:ルハカナ・ルグンダ(Ruhakana Rugunda)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は5年。
・内閣は大統領が任命する。
・複数政党制。2021年時点の第一党は国民抵抗運動。
・一院制。(議員定数:426人)
・選挙権年齢は18歳以上。

法律:ウガンダ共和国の憲法
・裁判所は「最高、高等、控訴、治安判事」の4種。
・憲法で司法の独立を認めている。

2021年 ロイター通信/ウガンダ共和国、大統領選挙

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年1月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年1月時点)

治安:悪い
・反政府勢力の活動は終息したが、一部地域では関連組織の活動が報告されており、注意が必要。
・銃器を使った犯罪が多数報告されている。
・流しのタクシーには乗車しない。殺人、強盗、強姦、誘拐などに巻き込まれる可能性あり。
・近年国内でテロ事件は発生していない。
・1990年代の反政府勢力との紛争以降、治安は確実に回復している。
・周辺国に比べると治安は良い。
・ウガンダ軍および警察に警戒されるような行動は取らない。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数十社、海外の新聞も積極的に取り扱っている。
・国営テレビ局は1局。
・民間テレビ局は数局。
・ラジオ局は8局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は低い。ただし、近年普及率は大きく上昇し、さらなる成長が見込まれている。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ウガンダ放送公社 1963年

【民間メディア】
・DSTV
・GoTV
・SimbaTV
・その他

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2021年軍事力ランキング:89

・軍人数:55,000人(推定)
  即戦力 45,000人
  予備兵 10,0000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:9.3億ドル

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1700年代

・1700年代、現在のウガンダ共和国および周辺国の住民は動物を狩り、自給自足生活を送っていたと伝えられている。

・パントゥー語を話すバガンダ族が同地に集まり、大きな民族を形成したと考えられている。

・伝承によると、少数民族は土地を奪い合わず、各集落の掟に従い生活していたという。

・アラブの貿易会社とヨーロッパの探検はアフリカ大陸の内陸部を目指していたが、到達できた者は少なかった。

1800年代

・1830年代、アラブの貿易会社が東アフリカから内陸部に移動した。

・イギリス軍の探検家がウガンダ北部に到達し、奴隷貿易を開始した。

・ウガンダの先住民族はエジプト軍とイギリス軍の同時侵攻に悩まされた。

・1877年、イギリス人宣教師が先住民族に初めてキリスト教を伝えた。

・1879年、フランス人宣教師が到着した。

・1888年、イギリス軍とイギリス東アフリカ会社が、ウガンダおよび周辺地域を対象とした貿易協定に締結。

・1890年、プロテスタントとカトリック教徒による大規模な宗教戦争が始まったと伝えられている。

・1894年、イギリス政府はウガンダおよび周辺地域を併合し、「ウガンダ保護領」を創設した。

・1890年代、イギリス領インドから奴隷約32,000人がウガンダに輸送され、ウガンダ鉄道建設が始まった。

・インドの奴隷の一部はウガンダにとどまり、優秀な者は商人になった。

ウガンダ共和国/アフリカゾウ

1900年~第一次世界大戦

・1900年代初頭、イギリスは植民地のエリアを拡大し、現在のウガンダ共和国の領土を完全に支配した。

・イギリス政府は先住民族の自治権をある程度認めた。

・1900年頃から南部地域でアフリカトリパノソーマ症(アフリカ睡眠病)が大流行し、1920年頃までに20万~25万人が死亡したと伝えられている。

・プロテスタントとカトリック教徒による内戦はほぼ終息した。

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・イギリス軍はウガンダの奴隷軍を戦地に派遣した。

・奴隷軍はドイツで一定の戦果を上げ、第一次世界大戦末期にはかなりの規模に成長した。イギリス政府は奴隷軍に「ウガンダ諜報部」という名を与え、活躍を称えた。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。

<第一次世界大戦:ウガンダ保護領>
参加者:10万~15万人(推定)
負傷者:数万人(推定)
死亡者:20,000~25,000人(推定)

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年代、一部の地方自治体の長に先住民族の酋長が就任した。

・イギリス政府は貧しい先住民族に土地を与え、コーヒーやトウモロコシなどの栽培を積極的に行うよう促した。

農業部門の発展に伴い、ウガンダ保護領の経済は隣国をはるかに上回る勢いで成長した

・1930年代初頭の世界恐慌で農作物の輸出は激減した。しかし、市民は自分たちの食糧を確保するために土地を耕し続け、経済の後退を防いだ。

・1930年代~1940年代、先住民族はイギリスとアジア人による利益の搾取に強く反発した。しかし、イギリス政府とアジアの企業は先住民族の申し出を却下し、搾取を続けた。

・ウガンダは第二次世界大戦に関与していない。

終戦~現在

・1949年、パガンダ族がイギリス政府に対する抗議活動を本格化させ、他の先住民族も続いた。

・先住民族は農作物の不当な価格設定の解除、アジア人による貿易の独占、そして全ての自治政府の主権を先住民族の酋長に与えるよう要求した。

・1952年、ウガンダ保護領の知事に就任したアンドリュー・コーエン卿が先住民族の要求に応え、独立の準備を開始した。

・コーエン知事は農作物の価格差別を撤廃し、先住民族に組合を組織するよう奨励した。また、新しいプロジェクト(農地の開拓、水路の敷設など)の実行を促し、ウガンダ開発公社の設立に大きく貢献した。

・1960年、ロンドン会議。イギリス政府はウガンダの独立を話し合ったが、独立後の政府の形態に関する決定は延期された。

・1961年3月、初めての議会選挙を実施。ベネディクト・キワヌカが初代首相に任命された。

・1962年10月9日、「ウガンダ」が独立を宣言。

・1963年10月、憲法を制定し、「ウガンダ共和国」の成立を宣言。同日、議会はイギリス連邦に残ることを承認した。

・独立後、政府と南部ブガンダ地方王国(州)の対立が激化した

・ブガンダ地方王国は君主制を維持したうえで政治活動に参加すると主張した。

・1966年、政府はブガンダ地方王国のあらゆる権利を剥奪した。
 ・独立した公務員委員会の廃止。
 ・裁判所および独自の司法システムの廃止。
 ・資産をすべて政府に移譲。
 ・土地の権利の剥奪。

・ブガンダ地方王国は政府の決定に猛反発し、攻撃を仕掛けた。しかし、クーデターは失敗に終わり、兵士1,000~2,000人(推定)が死亡した。

・1966年4月、ミルトン・オボテが大統領に就任。

・1967年、新憲法を制定。オボテ大統領は君主制を廃止し、共和制への移行を宣言した。

・1971年1月25日、陸軍のイディ・アミン元帥率いる反政府軍がクーデターを決行。オボテ大統領を追放した。

・アミン陸軍元帥は政府の関係者や反対勢力を粛正し、1979年までに8万~50万人(推定)を虐殺したと伝えられている。

・1978年10月、ウガンダ・タンザニア戦争勃発。(アミン元帥連合軍vsタンザニア・ウガンダ民族解放戦線)

・1979年4月、民族解放戦線が首都カンパラを制圧。

・1979年6月、ウガンダ・タンザニア戦争終結、民族解放戦線の勝利。アミン元帥はリビアに逃亡した。

<ウガンダ・タンザニア戦争>
参加者:15万~20万人(推定)
負傷者:数万人(推定)
死亡者:5,000~10,000人(推定)

・1980年5月、国民抵抗運動(NRM)が暫定政府の解体および見直しを求める

・1980年10月、ウガンダブッシュ戦争(内戦)勃発。(政府軍vsNRM)

・1980年12月、議会選挙の結果、ミルトン・オボテが大統領に復帰する。

・1986年3月、ウガンダブッシュ戦争終結、NRMが勝利し、ヨウェリ・カグタ・ムセベニが新大統領に就任し、オボテはスーダンに逃亡した。

<ウガンダブッシュ戦争(内戦)>
参加者:10万~15万人(推定)
負傷者:数十万人(推定)
死亡者:10万~50万人(推定)

・NRMは人権侵害および差別を完全撤廃し、新憲法を制定した。

・神の抵抗軍(LRA)などの反政府勢力は新政府の民主的な政治システムに猛反発した。

・ムセベニ政権の政策は民主的なアフリカを象徴する存在と呼ばれ、西側諸国から称賛された。

・1998年8月、第二次コンゴ戦争勃発。ムセベニ大統領は民主化を求める反政府軍に加勢した。

・1998年8月、第二次コンゴ戦争終結。ムセベニ大統領は民主化勢力への支援を継続している。

・2014年、反同性愛法制定。西側諸国はこの法律に猛反発し、アメリカは経済制裁を、欧州の一部は援助を停止した。また世界銀行も年間9,000万ドルの援助融資を無期限停止した。

・2016年2月、ムセベニ大統領が再選を果たす。

・2021年1月、ムセベニ大統領が再選を果たす。

ウガンダ共和国/国立公園

文化(目次に戻る

・多様な民族グループで構成されている。

・最も普及している言語はルガンダ語。ただし、学校教育はほぼ英語で行っている

・服は主に民族衣装を着用。

・西側の文化を積極的に取り入れている。

・ウガンダ料理の主食は米、ポショ、マトケ。

・ポショはトウモロコシの粉を練り上げたもの。マトケは調理用バナナを練って作ったもの。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

・その他の人気スポーツはクリケット、バスケットボール、ラグビー、陸上競技、ボクシングなど。

・オリンピックでの獲得メダル数は7個。

【有名スポーツ選手】

・ジョン・アキイ・ブア(John Akii Bua)陸上選手、ウガンダ初のオリンピック金メダリスト。

・スティーブン・キプロティッチ(Stephen_Kiprotich)陸上選手、ロンドンオリンピック金メダリスト。

その他(目次に戻る

ヨウェリ・カグタ・ムセベニ大統領就任以来、治安は大きく改善した

・LGBTQ+の権利が西側諸国で見直され始めた結果、2014年に制定された反同性愛法に対する反発が強まっている。

ウガンダ共和国/調理用バナナ
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