南アフリカ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:南アフリカ共和国(Republic of South Africa)

行政首都:プレトリア(Pretoria)
立法首都:ケープタウン(Cape Town)
司法首都:ブルームフォンテーン(Bloemfontein)

人口:56,463,617人(2021年推定)

面積:1,220,000㎢(日本の3.2倍)

気候:温暖湿潤気候
・南半球に位置する。
・西エリアはおおむね乾燥地帯で、年間降水量は100mm以下。
・東エリアは西に比べると雨が多い。年間降水量は1,000mm前後。
・首都ケープタウンの6月~8月の平均気温は最低が7~8℃、最高は18℃。
・首都ケープタウンの11月~2月の平均気温は最低が13~16℃、最高は24~27℃。

・ボツワナとナミビアとの国境付近はカラハリ砂漠の南部に位置し、1年を通じて乾燥している。
・海抜1,700mの最大都市ヨハネスブルグの気候は快適で、過ごしやすい。
・北部にはアフリカを代表する野生動物の楽園、クルーガー国立公園がある。
・クルーガー国立公園の6月~8月の平均気温は最低が6~9℃、最高は26~27℃。
・クルーガー国立公園の11月~2月の平均気温は最低が18~21℃、最高は30~32℃。
・最北部のサバンナエリア(ジンバブエとの国境)は特に乾燥しているが、稀に大雨が降る。
・北東部の海岸エリアの熱帯低気圧の影響を受けることがある。
・観光に最適な時期は地域や目的によって異なる。

経済:
・開発途上国(新興工業国)
GDPは3,020億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーは中国(10%)、アメリカ(8%)、ドイツ(8%)
・主要輸入パートナーは中国(18%)、ドイツ(12%)、アメリカ(7%)

・主要輸出品は金、ダイヤモンド、ワイン、鉄鉱石、プラチナ、電子機器、機械および製造設備、トウモロコシなど。

・深刻な所得格差と高失業率に悩まされている。(2019年:29.8%)
・若者の失業率が特に高く、治安の悪化の主要因になっている。(2019年:59.1%)
・貧困ライン以下(1日の生活費:5ドル以下)の生活を送っている市民は人口の55~60%。
・天然資源に恵まれている。
<天然資源/2019年の生産量ランキング>
 ・プラチナ:1位
 ・マンガン:1位
 ・チタン:2位
 ・金:11位
 ・バナジウム:3位
 ・鉄鉱石:6位
 ・コバルト:11位
 ・リン酸塩:15位
 ・ウラン:12位
・組合員と非組合員の間に大きな賃金格差があり、失業と格差問題に拍車をかけている
・アパルトヘイト撤廃で差別は解消されたが、その後の経済成長で不平等は大きく拡大した。

人種
・黒人 80.2%(2011年国勢調査)
・白人 8.4%
・混血 8.8%
・アジア系 2.5%
・その他 0.5%

言語:
・ズールー語22.7%(公用語)(2011年国勢調査)
・コサ語16.0%(公用語)
・アフリカーンス語13.5%(公用語)
・英語9.6%(公用語)
・セペディ語9.1%(公用語)
・ツワナ語8.0%(公用語)
・ソト語7.6%(公用語)
・ツォンガ語4.5%(公用語)
・スワティ語2.5%(公用語)
・ヴェンダ語2.4%(公用語)
・南ンデベレ語2.1%(公用語)
・その他

宗教:
・プロテスタント 71.2%(2016年推定)
・ローマカトリック 6.8%
・先住民族の宗教 4.4%
・イスラム教 1.6%
・ヒンドゥー教 1.0%
・ユダヤ教 0.1%
・無宗教 10.9%
・その他 2.7%
・不明 1.4%

南アフリカ共和国

政治(目次に戻る

大統領:シリル・ラマポーザ(Cyril Ramaphosa)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・全国評議会(上院)の議員定数は90人、任期は5年。
・国民議会(下院)の議員定数は400人、任期は5年。
・アフリカ連合(AU)の創設メンバーであり、事実上のリーダー。(2021年の議長国はコンゴ民主共和国)
・1994年のアパルトヘイト撤廃以来、アフリカ民族会議(ANC)が第一党を保持している。
・政治家の汚職が深刻な社会問題になっている。
・アフリカ大陸で唯一のG20参加国。
・アフリカ大陸で唯一、核兵器の開発に成功した国。ただし、1991年に核不拡散条約に署名し、それ以前に製造した核兵器は全て解体された。

法律:南アフリカ共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・2006年に同性結婚を合法化した。(アフリカ初)
・女性や子供に対する暴力、犯罪および組織犯罪発生率が非常に高く、重大な懸念事項のひとつ。
・一部地域では女性に対する差別が残っている
・HIV/AIDS患者に対する差別が社会問題になっている。
・2021年初頭時点で人口の約30%が政府の助成金や支援を受けている。
・2021年初頭時点のHIV/AIDS患者の数は推定750万人。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年7月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年7月時点)

治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・殺人、強盗、傷害事件の発生率は世界トップクラスを維持している。
・流しのタクシーには乗車しないこと。無許可のタクシーは特に危険。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない。
・地元でスラム街と呼ばれている地域には近づかない。
・貧困地域の犯罪発生率は特に高く、危険。
・銃火器が市場に大量に出回っているため、誰が武装しているか分からない。
・デモや略奪が頻繁に発生するため、治安当局の最新情報を必ずチェックすること。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は極力持ち歩かず、安全な場所に保管したい。
・銃やナイフを突き付けられた時は抵抗しない。

南アフリカ共和国/ケープタウンの港

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は47社。そのうち日刊紙は22社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は2局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は50局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はラジオとテレビ。
・インターネットの普及率は5~10%。(携帯の普及率は95%以上)
・検閲は厳しい。
・テレビは南アフリカで最も厳しく規制されているメディアセクターであり、南アフリカ独立通信局(ICASA)の監視下に置かれている。
ICASAが放送を認めた民間テレビ局は2社だけ。

【国営メディア/設立年】
・南アフリカ放送協会 1936年

【民間メディア】
・MULTICHOICE
・Telkom Media

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2021年軍事力ランキング:32位

・軍人数:81,500人(推定)
  即戦力 66,500人
  予備兵 15,000人
  準軍組織 0人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:36億ドル(推定)

南アフリカ共和国/故ネルソン・マンデラ元大統領

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1700年代

・1700年代:現在の南アフリカを含む周辺地域はオランダの植民地下に置かれていた。

・1795年:南アフリカの植民地領にイギリス軍が侵攻。ケープタウンおよび周辺地域を占領した。

1800年代

・1803年:イギリスが占領した南アフリカの領土をオランダに返還。

・1806年:ナポレオン戦争終結後、南アフリカはイギリスに正式に割譲された。

・1816年:イギリスの支配に反対するズールー族の指導者シャカがズールー帝国を創設し、イギリス自治政府軍に立ち向かった。

・ズールー帝国とイギリス自治政府軍の戦闘は数年続き、1820年初頭までに民間人100万から200万人が殺され、土地は荒廃した。

・1835年:ボーア族は南アフリカを離れ、旧オランダ領のトランスヴァールに到達した。

・1852年:イギリス政府はトランスヴァールのボーア族に限定的な自治権を与えた。

・1856年:ナタール(現在のクワズール・ナタール州)がイギリスの植民地領から分離。

・1859年:ボーア族はトランスヴァール共和国の独立を宣言した。

・1860年代:現在の南アフリカの人口の大多数を占めるインド人の輸送が始まる。

・1867年:内陸の都市キンバリーでダイヤモンドが発掘された。

・1877年:イギリスがトランスヴァール共和国を併合した。

・1879年:イギリスはナタールのズールー族を打倒し、領土を奪取した。

・1880年12月:第一次ボーア戦争勃発。(南アフリカのボーア族vsイギリス)

・1881年3月:第一次ボーア戦争終結。ボーア族の勝利。これによりボーア族国家はイギリスの宗主国になることを許可された。

<第一次ボーア戦争>
・両軍参加者:数万人(推定)
・両軍負傷者:数千人(推定)
・両軍死亡者:500~600人(推定)

・1880年代半ば:トランスヴァールで金鉱が発見され、イギリス自治政府はゴールドラッシュに歓喜した。

・1899年10月:第二次ボーア戦争勃発。(南アフリカのボーア族vsイギリス)

南アフリカ共和国/アフリカゾウの親子

1900年~第一次世界大戦

・南アフリカは第一次世界大戦に関与していない。

・1902年5月:第二次ボーア戦争終結。イギリスの勝利。フェリーニヒング条約に基づき、ボーア国家とその他の自称共和国は崩壊し、イギリスに併合された。

<第二次ボーア戦争>
・両軍参加者:50万~60万人(推定)
・両軍負傷者:10万~15万人(推定)
・両軍死亡者:25,000~30,000人(推定)

・1910年:イギリスはケープタウンとナタールの植民地領、旧トランスバール共和国、旧オランダ植民地領で形成される南アフリカ連邦を創設した。

・1912年:先住民族国民会議が創設された。その後、同国民会議はアフリカ民族会議(ANC)に名を改めた。

・1913年:保護区外の土地の購入を防止する原住民土地法が導入され、黒人は土地の所有を厳しく制限された。

・1914年:国民党(NP)発足。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・南アフリカ連邦は第二次世界大戦に関与していない。

・1918年:アフリカーナーの大義を前進させるためのブローダーボンドが創設された。

・1919年:南西アフリカ(現在のナミビア)が南アフリカ連邦に組み込まれる。

・1931年12月:イギリス議会がウェストミンスター憲章(現在のイギリス連邦体系に法的根拠を与える法律)を公布。

・1934年:南アフリカ共和国議会は、国を「主権独立国家」と宣言する連邦地位法を制定した。

南アフリカ共和国/女性たち

終戦~現在

・1948年:保守的な国民党(NP)が政権を握る。NPはアパルトヘイト(分離政策)の導入に向けた取り組みを開始した。

・アパルトヘイトはカナダのインディアン法の枠組みを参考にしており、国民を3つの人種に分類し、それぞれの権利と制限を策定した。少数派(20%未満)の白人は、多数派の黒人を実効支配し、法的に制度化された人種差別は世界で物議を醸した。白人は最高水準の生活を満喫したが、黒人は収入、教育、住居、平均寿命など、ほぼすべての要素で白人を大きく下回り、奴隷に近い生活を余儀なくされた。

・1950年:南アフリカ連邦議会が黒人と白人を分離する集団地域法を可決したうえで、共産党を禁止した。ネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANC)は、市民的不服従キャンペーン(デモ活動)で応戦した。

・1960年:シャープビルでアパルトヘイトに抗議する黒人集会が開催され、治安部隊はこれを厳しく取り締まり、少なくとも70人を射殺した。抗議後、ANCは活動を禁止された。

・1961年5月31日:「南アフリカ共和国」が南アフリカ連邦からの独立を宣言。ネルソン・マンデラはNPを妨害するANCゲリラ部隊を率いていた。

・1960年代:アパルトヘイトに対する国際的な圧力が高まり、南アフリカはオリンピックを含む国際大会への参加を禁じられた。(東京1964五輪から出場禁止)

・1964年:ANCのリーダー、ネルソン・マンデラが終身刑を言い渡された。

・1966年9月:ヘンドリック・フルウール首相が反アパルトヘイトゲリラに暗殺された。

・1966年12月16日:国連は決議2202-A21でアパルトヘイトを「人道に対する罪」に公式に認定した。

・1970年代:300万人以上の黒人がブラック・アパルトヘイト南アフリカに強制定住させられ、その大多数が差別され、殴られ、蹴られ、踏まれ、切られ、数千人が殺害された。

・1976年:ソウェトで反アパルトヘイト紛争が発生。黒人抗議者と治安部隊が激しく衝突し、600人以上が死亡した。

・1984年~1989年:全国各地で反乱が発生。政府は非常事態を宣言した。

・1989年:国民党(NP)のフレデリック・ウィレム・デクラークが独裁者のピーター・ウィレム・ボータ大統領の後任に就任。デクラーク大統領はネルソン・マンデラを含む多くのANC活動家を解放した。

・1990年:議会はANCの活動禁止を解除し、秘密独裁裁判で終身刑を言い渡されたネルソン・マンデラは26年ぶりに釈放された。

・1991年:デクラーク大統領は全てのアパルトヘイト関連法を廃止し、国連を含む国際社会は多くの制裁を解除した。

・1993年:議会が暫定憲法に合意。

・1993年12月10日:ネルソン・マンデラとフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領がノーベル平和賞を受賞。

・1994年4月:初めての否差別総選挙。ANCが勝利し、ネルソン・マンデラが大統領に就任した。マンデラ大統領の挙国一致内閣を発足し、国際社会は全ての制裁を解除した。

・1994年8月:南アフリカは約20年ぶりに国連総会に出席した。

・1996年:デズモンド・ツツ大司教率いる真実和解委員会が、アパルトヘイト時代に発生した人権犯罪の真実を明らかにする公聴会を開始した。

・1996年:新憲法公布。国民党(NP)は全国民の意思が反映されていないと反発し、挙国一致内閣から離脱した。

・1997年12月:マンデラ大統領はANC党大会で議長をタボ・ムベキ副大統領に譲った。

・1998年:真実和解委員会は、旧政府だけでなくANCも人権侵害の責任を負っていると報告した。

・1999年2月5日:マンデラ大統領が国会で最後の演説を行う。

・1999年6月:総選挙。ANCが勝利し、タボ・ムベキが大統領に指名された。

・1999年6月14日:マンデラ大統領は任期満了に伴い大統領職を退任、政界から引退した。

・2000年12月:ANCが地方選挙で勝利。新たに発足したリベラルな民主同盟は議席の4分の1を獲得した。

・2001年4月:39の多国籍製薬会社が南アフリカへのジェネリック・エイズ薬の輸入を阻止する法廷闘争を中止。この決定は、安価なジェネリック薬の購入を検討する世界の最貧国の勝利として歓迎された。

・南アフリカはHIV/AIDSの有病率が最も高く、2011年には約560万人がこの病気に苦しみ、約27万人がHIVまたは関連疾患で死亡した。ただし、治療と薬が提供されたことで、2011年のエイズ関連死亡者数は2005年よりも10万人少なかった。

・2001年5月:議会はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、南アフリカの企業が関与したとされる1999年の武器取引を取り巻く汚職の申し立ての調査を開始した。

・2001年11月:議会は5月に始まった汚職調査の中で、当時の南アフリカ政府は関与していなかったと発表した。

・2001年12月:高等裁判所は、妊娠中の女性の胎児のHIV/AIDS感染を防ぐために、エイズ薬を投与しなければならないと裁定した。

・2002年4月:高騰裁判所はアパルトヘイト時代の黒人差別プログラムを実行した死の医者ウォーター・バッソンに無罪を言い渡した。バッソンは殺人と陰謀の罪に直面していた。アフリカ民族会議(ANC)は判決を非難した。

・2002年7月:憲法裁判所は、「すべての公立病院は主要な抗エイズ薬を提供しなければならない」と政府に命じた。

・2002年10月:ソウェトと行政首都プレトリアで爆破テロが発生。当局は右翼過激派の犯行と明らかにし、その後、警察は州政府への攻撃を企てたとして右翼活動家17人を起訴した。

・2003年5月:反アパルトヘイト活動家の重要人物であるウォルター・シスルが死去。

・2003年11月:政府はHIV/AIDS治療のための主要プログラムを承認した。このプログラムは、薬物流通センターと予防ネットワークの構築を後押しした。なお、政府は以前、公衆衛生プログラムを介した抗エイズ薬の提供を拒否していた。

・2004年4月:総選挙。アフリカ民族会議(ANC)が有効票の70%近くを獲得し、タボ・ムベキ大統領の再選が決まった。選挙後、インカタ自由党が連立政権から離脱した。

・2005年3月:真実和解委員会の調査官は、アパルトヘイト時代に姿を消した数百人を調査する中で、最初の遺体を墓地から回収した。

・2005年5月:地名委員会は行政首都の名称をプレトリアからツワネに変更するという文化大臣の計画を推奨した。

・2005年6月:ムベキ大統領は汚職事件の告発を受け、ジェイコブ・ズマ副大統領を解任した。

・2005年8月:金鉱労働者約10万人が賃金をめぐるストライキを決行。業界は大きく停滞した。

・2006年5月:ヨハネスブルグの高等裁判所は、強姦罪などで起訴されたジェイコブ・ズマ元大統領に無罪を言い渡した。その後、ズマ元大統領はアフリカ民族会議(ANC)の副リーダーに復帰した。

・2006年6月:中国の温家宝首相が南アフリカを訪問。繊維産業を支援するために衣料品の輸出を制限すると約束した。

・2006年9月:ズマ前副大統領に対する汚職容疑は全て却下された。

・2006年12月:議会はアフリカ大陸初となる同性婚を合法化する法案を可決した。

・2007年4月:ムベキ大統領は国民に対し、殺人犯、強姦犯、麻薬の売人、腐敗した役人を裁判にかけるよう呼びかけた。

・2007年5月:ケープタウンのヘレン・ツィレ市長が主要野党の民主同盟(DA)のリーダーに選出された。

・2007年6月:アパルトヘイト終了以来最大のゼネストに数十万人の公共部門労働者が参加。ゼネストは4週間続き、学校、病院、公共交通機関は機能不全に陥った。

・2007年12月:ズマ前副大統領がANCの議長に選出された。一方、検察官は同氏を新たな汚職罪で告発した。

・2008年5月:全国各地で外国人に対する暴力が発生。数十人が死亡し、数千人のジンバブエ人、マラウイ人、モザンビーク人が帰国を余儀なくされた。

・2008年9月:高等裁判所はズマ前副大統領に対する汚職訴訟を棄却し、2009年の大統領選に出馬する道を開いた。

・2008年9月:ムベキ大統領がズマ前大統領の汚職裁判に干渉したという申し立てを受け辞任。ANCのカレマ・モトランテが大統領に就任した。

・2008年12月:司法首都ブルームフォンテーンで新政党の国民会議(COPE)が発足し、ANCへの挑戦を表明した。

・2009年1月:州検察官はズマ前副大統領に対する汚職裁判を再開するという裁判所の決定に控訴した。

・2009年4月:検察官はズマ前副大統領に対する汚職訴訟を正式に取り下げた。

・2009年5月:総選挙に勝利したズマ前副大統領が大統領に就任し、南アフリカは不況に陥った。

・2009年7月:全国各地で生活条件の改善を求める激しい抗議活動が行われた。

・2010年6月:FIFAワールドカップ南アフリカ大会が開幕。

・2010年8月:公務員がゼネストを決行。

・2011年5月:地方選挙。野党民主同盟(DA)議席を2倍に増やした。

・2011年10月:ズマ大統領は汚職で告発された大臣2人を解任した。

・2011年10月:黒人女性のリンディエマ・ジブコが野党DAのリーダーに就任。

・2011年11月:アフリカ民族会議(ANC)は党の評判を著しく落としたとして、若者のリーダー、ジュリアス・マレマを解任した。

・2011年11月:議会は言論の自由を脅かすと批評家から非難された情報法案を賛成多数で可決。ANCは南アフリカ独立通信局(ICASA)は国家の安全保障を保護するために必要と主張した。

・2012年7月:白人過激派グループのメンバーが、マンデラ元大統領の暗殺と政府の転覆を企てた罪で有罪判決を受けた。

・2012年8月:警察がマリカナのプラチナ鉱山で発生した抗議の取り締まる中に発砲。少なくとも34人を殺害し、78人を負傷させ、200人以上を逮捕した。

・2012年9月:検察は国民の猛抗議を受けて、プラチナ鉱山の労働者270人に対する殺人罪を取り下げた。

・2012年10月:政府はマリカナのプラチナ鉱山で発生した抗議と事件を調査する司法調査委員会を設置した。

・2012年9月:ANCの元青年リーダーであるジュリアス・マレマは、家族所有の会社が関与するマネーロンダリングで起訴された。マレマは、「この事件およびマリカナのプラチナ鉱山銃撃事件は、ズマ大統領に対する告発を沈黙させる政治的動機によるもの」と非難した。

・2012年10月:プラチナ鉱山の所有者はストライキが収まる兆しは見えないとして、労働者12,000人を解雇した。

・2013年6月23日:マンデラ元大統領が危篤状態に陥る。

・2013年12月5日未明:ネルソン・マンデラ死去。

・マンデラ元大統領の追悼式にはロイター、AP、AFP、アメリカ3大ネットワーク、CNN、BBCなど世界の主要メディアが現地にアンカーを派遣し、米バラク・オバマ大統領、米ビル・クリントン元大統領、米ジミー・カーター元大統領、キューバのラウル・カストロ議長、英チャールズ皇太子とデーヴィッド・キャメロン首相、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、日本の皇太子 徳仁親王など、各国の国家元首またはそれに準ずる人物が出席し、追悼式典では米バラク・オバマ大統領とラウル・カストロ議長が弔問外交を展開した。

・2013年3月:政府の腐敗防止オンブズマンは、ズマ大統領が自宅の改修費用約20億円を政府の予算で処理したことを明らかにし、厳しく非難した。

・2014年5月:総選挙。与党ANC党が過半数を獲得。

・2014年10月:パラアスリートのオスカー・ピストリウスは、ガールフレンドを殺害した罪で懲役5年の実刑判決を受けた。

・2015年2月:ズマ大統領は黒人の農民に土地を再分配するために、農場の規模を制限し、外国の農地所有を禁止する計画を発表した。

・2015年3月:全国で反移民抗議および暴動が相次ぎ、数人が死亡した。

・2015年6月:政府は2010年のサッカーW杯を主催するためにFIFAに賄賂を提供したというスキャンダルに直面した。

・2015年6月:政府は大量虐殺と戦争犯罪の容疑で国際刑事裁判所に指名手配されているスーダンのオマル・アル=バシール大統領の訪問を許可し、国際的な非難に直面した。

・2016年3月:最高裁判所はズマ大統領が私邸を改修するために公的資金を使用し、費用約20億円を返済しなかったと厳しく非難したうえで、一連の行為を憲法違反と裁定した。

・2017年4月:ズマ大統領は、プラヴィン・ゴーダン財務大臣を突然解任し、南アフリカの信用格付けはジャンク(ダブルB以下)に引き下げられた。

・2018年2月:ズマ大統領は700件を超える汚職に対する激しい圧力に直面し、辞任した。ビジネスマンのシリル・ラマポーザが後任に選ばれた。

・ラマポーザ大統領の2018年時点の推定純資産は4億5,000万ドル(約500億円)を超え、31の不動産を所有し、マクドナルドなどの企業の所有権を持っている。

・2020年3月:政府はコロナウイルスの感染拡大に伴い、ナショナルロックダウンを発出した。

・2021年6月29日:憲法裁判所はズマ前大統領に法廷侮辱の罪で禁錮1年3カ月の実刑判決を言い渡した。

・2021年7月7日:ズマ前大統領は警察に出頭し、収監された。ズマ前大統領はズールー族からの支持を維持しており、この収監に反対する大規模な抗議デモが各地で発生した。その後、一部の抗議者が暴徒化し、軍や警察が出動しても暴動は収まらず、7月19日時点で200人以上が死亡し、2,500人以上が逮捕された。

文化(目次に戻る

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・イギリス、キリスト教、西側諸国の影響を強く受けている。

・ヒュー・マセケラ、ジョナス・グワングワ、アブドゥーラ・イブラヒム、ミリアム・マケバ、ジョナサン・バトラー、クリス・マクレガー、サティマ・ビー・ベンジャミンなど、世界的に有名なジャズミュージシャンを多数輩出している。

・主食は米。主菜は肉全般、トウモロコシ、地元の野菜、チーズ、ワインなど。

・義務教育期間は12年。(小学校7年、高等学校5年)

南アフリカ共和国/市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、ラグビーユニオン、クリケット、陸上競技、バスケットボール、総合格闘技など。

・アフリカ大陸を代表するスポーツ強国。

・男子ラグビー代表の実力は世界トップクラス。W杯を3度制した。

・アパルトヘイト導入後、オリンピックへの出場を禁じられた。(1964東京大会~1992年まで)

・アパルトヘイト時代、ほとんどの国際大会に出場することを禁じられたが、制度終了後、復帰した。

・オリンピックでのメダル獲得数は86個。(金:26個、銀:31個、銅:29個)

・冬季オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・2010年にFIFAワールドカップを主催した。

【有名スポーツ選手】

・ゲーリー・プレーヤー(Gary Player)プロゴルファー。PGAツアー通算24勝。メジャー通算9勝。

・ペネローペ・ヘインズ(Penelope Heyns)水泳選手。五輪金メダリスト。

・ウェイド・ヴァン・ニーケルク(Wayde van Niekerk)陸上選手。五輪金メダリスト。男子400m世界記録保持者(2021年時点:43.03)

その他(目次に戻る

アフリカを代表する野生動物の楽園、クルーガー国立公園がある。

・ネルソン・マンデラの国。

南アフリカ共和国/子供たち
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