ソマリランド/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ソマリランド(Somaliland)

首都:ハルゲイサ(Hargeisa)

人口:3,500,000人(2014年国連の見積もり)

面積:176,120㎢(北海道の2倍)

気候:熱帯気候
・1年中暑く、乾燥している。
・年間降水量は地域によって多少異なるが、おおむね500mm以下。
・雨の多い時期は3月~5月と10月~12月。
・標高の高い地域は比較的涼しく、過ごしやすい。
・砂漠エリアはとても暑い。
・首都ハルゲイサの標高は約1,300m。
・首都ハルゲイサの冬場の平均気温は最低が12~15℃、最高は24~28℃。
・首都ハルゲイサの夏場の平均気温は最低が17~18℃、最高は29~30℃。

・砂漠エリアの夏場の平均気温は最低が28~34℃、最高は37~45℃。
・熱帯低気圧の影響を受けることがごく稀にある。サイクロンは少ない。
・豪雨になると、高確率で鉄砲水が発生する。
・観光に適した時期は12月~2月。

経済:
・後発開発途上国
GDPは25億ドル(国連の見積もり)
・主要産業は畜産業と製造業。
・主要輸出パートナーはサウジアラビア(20%)、エチオピア(20%)、UAE(20%)
・主要輸入パートナーはサウジアラビア(20%)、エチオピア(20%)、UAE(20%)

・主要輸出品は羊、ラクダ、牛。

・主要収入源は国外で働いているソマリア人の送金により発生する税金。
・都市ブラオとイロウェの市場では毎日10,000頭以上の羊と山羊が取引されている。
・領土内の石油埋蔵量は数十億バレル以上と推定されており、掘削調査が進められている。
・世界の貨物の約3分の1が通過する主要航路のひとつ、バブ・エル・マンデブ海峡の入り口近くに位置するベルベラ港は国の産業の中心になるポテンシャルを秘めている。

人種:ソマリア人
・都市部の住民 52.9%(2014年国連の見積もり)
・遊牧民 33.8%
・農村部の住民 11%
・国内避難民 2.4%

言語:
・ソマリ語(公用語)
・アラビア語(半公用語)
・英語(半公用語)
・イタリア語
・トルコ語
・先住民族の言語
・政府はソマリ語を公用語に指定しているが、政府のポータルサイトは英語で運用されている。

宗教:
・イスラム教(国教)
・キリスト教
・その他
・イスラム教以外の宗教の宣伝は違法であり、政府はイスラム教の信条を宣伝し、市民にイスラム教の道徳に反する行動を思いとどまらせている。

ソマリランド

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大統領:ムセ・ビヒ・アブディ(Muse_Bihi_Abdi)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・上院(長老の家)の議員定数は82人、任期は6年。
・下院(衆議院)の議員定数は82人、任期は5年。
・エコノミストは、ソマリランドの選挙を東アフリカで最も強力な民主主義と表現している。
・女性議員はほとんどいないと伝えられている。
・ソマリアに比べるとはるかに民主的な選挙を行っている。

法律:ソマリランドの憲法
・シャリーアに基づいている。
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・ソマリアに比べるとはるかに高度な憲法を施行している。
・人権団体はソマリランドとソマリアの人権を「悲惨」と評価している。
・2013年に人権タスクフォースを創設した。
・女性(少女含む)の95%以上が女性性器切除(割礼)を受けていると推定されている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年6月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:危険
・各地(主にソマリア)で自爆テロや大量殺人などの凶悪事件が頻発している。
・イスラムジハード組織や反政府組織が活発に活動している。
・世界で最も危険な地域のひとつと考えられているが、ソマリアに比べると治安は安定している。
・アルカイダやイスラム国(IS)関連のイスラムジハード軍とソマリア軍の戦いは続いている。
・イスラム過激派組織アル・シャバブは2011年の首都撤退以来、活動を控えていると信じられている。
・入国は控えた方がよい。また、ソマリアを含む国際社会はソマリランドの独立を認めておらず、地域内から国境を越える者はテロリストと見なされる可能性がある。
・ソマリランド軍は非常に脆弱で、イスラムジハード軍の攻勢を抑えることは難しいと考えられている。
・公開処刑、即決処刑、強殺、殺人、誘拐、拷問、レイプ、その他の非人道的な行為が各地で頻発している。
・ソマリランドとソマリアに日本大使館はない。

ソマリランド/市民

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は16社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は12局。(ソマリアのテレビ局含む)
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は10局以上あると伝えられている。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは即決裁判で懲役刑を科される可能性がある。
・ソマリア、エチオピア、ジブチなどの近隣諸国に比べると報道の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は30~40%。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ソマリランド国立テレビ 2005年

【民間メディア】
・ホーンケーブルTV
・エリアルTV
・サーブTV
・ブルショTV
・その他

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:100,000人(推定)
  即戦力 30,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 70,000人

・陸軍と海軍を保有。
・国連の武器禁輸制裁により、海外からの武器の調達を禁止されている。

・国防予算:1.2億ドル(推定)

ソマリランド/国軍

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1700年代

・1700年代のソマリランドの歴史はほとんど文書化されていない。

・現在のソマリランドを含む地域には、さまざまなイスラム教徒の王国が設立されたと伝えられている。

1800年代

・1820年代、エジプト王国のムハンマド・アリがソマリランドを含む地域に町を建設した。

・1825年、イスラム王国とイギリス軍が初めて交戦した。

・1827年1月、現在のソマリランドの沿岸部にイギリス軍が侵攻。港湾都市ベルベラは破壊された。

・1860年代、フランスが現在のソマリア沿岸を占領。黒人奴隷を使って土地を開拓した。

・1887年、イギリスが現在のソマリランドの港湾都市を含む主要エリアを占領。

・1888年、英仏協定に基づき、イギリス領ソマリアとフランス領ソマリアの大まかな境界が定義される。

・1889年、イタリアがソマリア中央部(現在のソマリランドの一部)に保護領を設立。この土地は後に北部ザンジバル王朝と統合されることになる。

ソマリランド/敬礼する子供

1900年~第一次世界大戦

・ソマリランドは第一次世界大戦に関与していない。

・1900年、ソマリランド戦線(別名アングロソマリア戦争もしくはダーヴィッシュ戦争)が本格化する。イスラム過激派組織ダーヴィッシュ運動はイギリス・イタリア連合の統治に激しく抵抗した。

・ダーヴィッシュ運動のリーダー、モハメド・アブドラ・ハッサンはオスマン帝国、ドイツ、エリオピアなどから援助を受けた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年2月、ソマリランド戦線終結。イギリス軍はダーヴィッシュ運動の本拠である都市タレーを空爆し、リーダーのモハメド・アブドラ・ハッサンは敗走した。

・1925年、ジュバ川東の領土がケニアから分離し、イタリアの保護領に加わる。

・1936年、イタリア領ソマリランドとエチオピアのソマリア語圏が組み合わさり、イタリア領東アフリカ州が形成された。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・1940年、ファシストイタリア軍がイギリス領ソマリランドを占領した。

・1941年、イギリス軍がファシストイタリアからソマリア全土を奪取した。

・1945年7月、ソマリランドの宗教指導者、シェイク・バシル率いる反乱軍がイギリス領ソマリランドの自治政府に攻撃を仕掛ける。一連の反乱で多くのイギリス人治安部隊員が死亡し、シェイク・バシルもその後の戦闘で死亡した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。ソマリランドおよびソマリアにおけるヨーロッパの軍事作戦は、東アフリカ戦線の一部である。

ソマリランド/女性

終戦~現在

・1950年、イタリア領ソマリランドが国連信託統治領になる。国連は領土の管理をイタリアに委任した。

・1956年、イタリア領ソマリランドがソマリアに国名をあらためる。イタリア政府はこれに合わせてソマリア人に自治権を与えた。

・1960年7月1日、イギリス領ソマリアとイタリア領ソマリアが独立を宣言したうえで、合併して「ソマリア連合共和国」を形成。アデン・アブドラ・オスマン・ダールが初代大統領に就任した。

・1963年、ケニアとの国境紛争が勃発。

・1964年、エチオピアとの国境紛争が勃発。

・1967年、大統領選挙。アブディラ・シッド・アリ・シャーマルケがアデン・アブドラ・オスマン・ダール大統領に勝利。シャーマルケ大統領はムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガルを首相に指名した。

・1969年、シャーマルケ大統領暗殺。その後発生した軍事クーデターでムハンマド・シアド・バレが政権を奪取した。

・1970年、バレ軍事大統領はソマリアを社会主義国と宣言し、国内の企業の大部分を国有化した。(ソマリア社会主義共和国誕生)

・1974年、アラブ連盟に加盟。

・1974年~1975年、全国各地で深刻な干ばつが発生。農作物は枯れ、広範な飢餓に発展した。

・1977年、ソマリアがエチオピアのソマリア人居住地域であるオガデン地域に侵攻。

・1978年、エチオピア軍はソビエトとキューバの助けを借りてソマリア軍をオガデン地域から押し出す。これにソマリアのバレ大統領は反発し、ソビエトの顧問を追放したうえで、アメリカにすり寄った。

・1981年、バレ政権に対する抗議運動が本格化する。バレ政権は政府からミエルティン族とイサク族のメンバーを除外し、抗議はさらに拡大した。

・1981年4月6日、ソマリランド独立戦争勃発。(社会主義ソマリアvsソマリア国民運動)

・1980年代半ば、エチオピアのデルグ軍事政権の支持を受けるレジスタンス運動が全国各地で発生し、バレ大統領への攻撃を開始した。

・1988年初頭、バレ政府はソマリア国民運動(SNM)の拠点であるハルゲイサを含む都市の空爆を決行。正確な死者数は明らかにされていない。

・1988年、社会主義ソマリアがエチオピアとの和平協定に合意。

・1989年、バレ政権下におけるイサックジェノサイド(別名ハルゲイサ・ホロコースト)が終息する。推定5万~20万人が虐殺されたと考えられているが、正確な死者数は不明。

・1991年1月、バレ政権(社会主義ソマリア)崩壊。

・1991年5月18日、ソマリランド独立戦争終結。「ソマリランド」が崩壊したソマリア連合共和国からの独立を宣言。その後、ソマリランドの政治情勢は安定し、避難民は自宅に戻り、民兵は動員解除または軍隊に編入され、数万の家屋や企業が再建された。

<ソマリランド独立戦争>
・両軍参戦者:14万~16万人(推定)
・両軍負傷者:数万人
・両軍死亡者:5万~20万人(推定)
・国内外避難民:約100万人

・1991年5月18日、ソマリア内戦勃発。(ソマリア民主共和国vs反政府武装勢力)

・ソマリランドはソマリアと他の地域との和平を公式に求め、地域全体の治安を回復するよう提唱した。

・1991年5月、アブディラフマン・アーメド・アリ・トゥールがソマリランドの初代大統領に就任。

・1992年、米海軍がソマリアの首都モガデッシュに上陸。その後、秩序の回復と救援物資を輸送する国連平和維持軍が到着した。

・1993年、ソマリアのゲリラ民兵が米軍のヘリコプターを撃墜し、米陸軍レンジャー隊を複数殺害した。一連の戦闘でソマリアの民間人数百~数千人が死亡したと考えられている。

・1993年5月、ソマリランド大統領選挙。ムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガルが大統領に就任した。

・1994年3月、米軍がソマリアから完全撤退。

・1995年、国連平和維持軍はソマリアの治安を回復できず、撤退。

・1996年8月、ソマリアのモハメッド・ファラー・エイド大統領(将軍)が戦死。息子のフセインが後継者に指名された。

・1997年5月、ソマリランド大統領選挙。ムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガル大統領が再選を果たした。

・1998年8月1日、ソマリアのプントランド州が独立を宣言。アブドゥラ・ヒユスフ・アーメドが初代大統領に就任した。

・2000年8月、ソマリアの大統領選挙。アブドゥル・カシム・サラット・ハッサンが大統領に就任。この時、ソマリアの治安はソマリランドよりはるかに悪かった。

・2000年10月、ソマリアのハッサン大統領がアリ・カリフ・ゲラヤドを首相に指名。ゲラヤドは1991年以来となる政府を発足させた。

・2001年4月、エチオピアの支援を受けるソマリアのゲリラ民兵将軍は新政府を却下したうえで、攻撃を継続し政府を打倒すると誓約した。

・2001年5月31日、ソマリランド国民投票。有権者の99.9%が国民投票に参加し、97.1%がソマリアからの独立を新憲法の草案に賛成票を投じた。

・2004年8月、ケニアでソマリア政権の復興を試みる式典が開催され、ソマリア暫定議会が発足した。復興の斯りみは14回目でようやく成就した。

・2004年12月、スマトラ沖地震の津波がソマリア沿岸に到達。住民約10,000人が避難した。

・2005年2月、ケニアで発足したソマリア政府は亡命から帰国する準備を開始したが、閣僚はソマリアのどこに新しい議会を設置するかで激しく衝突した。

・2002年5月3日、ソマリランドのムハンマド・ハジ・イブラヒム・エガル大統領死去。ダヒル・リヤレ・カヒンが後任に選ばれた。

・2005年11月、ソマリアのアリ・モハメッド・ゲディ首相がモガディシュで暗殺されかける。

・2006年2月、ソマリア暫定議会が都市バイダボで開催される。ソマリランドは隣国の議会成立を歓迎した。

・2006年6月、ソマリア議会に忠実な民兵がゲリラ部隊の将軍を打倒し、首都モガディシュを占領した。

・2006年7月、エチオピア軍がソマリアに侵攻。

・2006年8月、ソマリアの空港と港が1995年以来初めて運用を再開。

・2006年9月、ソマリアの暫定政府とゲリラ部隊がハルツームで和平交渉を開始。ソマリランドは内戦の終結に向けた取り組みを歓迎した。

・2006年12月、エチオピア軍がソマリアのゲリラ軍を支援し、逃亡を手助けしたうえで、首都モガデッシュを占領した。

・2007年、ソマリランドのカヒン大統領率いる代表団がウガンダのカンパラで開催されたAU首脳会議に出席した。ソマリランドはAUにオブザーバーの地位での参加を申請したが、保留中。

・2007年1月、ソマリアのゲリラ部隊は最後の拠点であるキスマヨの港を放棄し、逃亡した。これを受け、ソマリアのアブドゥラヒ・ユスフ大統領は2004年の就任以来初めて首都モガディシュで就任演説を行った。

・2007年1月、EUはソマリランドとの将来の協力について話し合うために外交代表団を派遣した。

・2007年2月、米軍がソマリア南部のアルカイダ系イスラムジハード軍を空爆。米軍の介入は1993年以来14年ぶり。

・2007年3月、国連安全保障理事会がソマリアの平和維持任務を承認。この直後、エリオピアの支援を受ける政府軍とイスラムジハード・ゲリラ連合軍の間で激しい戦闘が発生し、アフリカ連合(AU)がソマリアに侵攻した。

・2007年末、ソマリア沖の海賊が船舶への攻撃を本格化させる。

・2008年5月、国連安全保障理事会は、ソマリアの領海に軍艦を送ることを承認し、海賊討伐作戦が始まった。

・2009年1月、エチオピア軍がソマリアから完全撤退。これを受け、イスラムジハード組織アル・シャバブが主要都市のひとつバイダボを占領した。

・2009年5月、アル。シャバブを含むジハード軍がモガデッシュに猛攻を仕掛け、南部に進出。ソマリランド議会は懸念を表明した。

・2009年10月、アル・シャバブはライバルのジハード民兵ゲリラ軍ヒズブル・イスラム民兵を打倒し、キスマヨの港を強奪した。

・2010年~2012年、ソマリア国内で爆発的な飢餓が発生し、推定26万人が餓死もしくは栄養失調による病気で死亡した。

・2010年1月、国連世界食糧計画はイスラムジハード軍の攻撃にさらされたことを受け、ソマリア南部のアルシャバブ地域から撤退。国連は怒りの非難声明を発表した。

・2010年2月、アル・シャバブはアルカイダおよびアルカイダ系ジハード軍との同盟を公式に宣言し、首都モガデッシュへの攻撃を強化した。

・2010年12月、ソマリランド大統領選挙。アフメッド・モハメド・モハモウドが第4代大統領に就任した。

・2011年、ソマリランドとプントランドは両国のセキュリティを保証する覚書に署名した。

・2011年1月、ソマリア沖における船舶への海賊行為は7年ぶりの高水準に達した。

・2011年7月、国連がソマリアの3つの地域で飢餓が発生した正式に宣言。これを受け、アル・シャバブは南部への外国援助機関の立ち入り禁止を部分的に解除し、国連は5年ぶりに首都モガディシュへ支援物資を空輸した。

・2011年8月、アル・シャバブは戦術の変更を理由にモガディシュから撤退した。

・2011年10月、ケニア軍がソマリアに侵攻。ケニア国内で外国人を誘拐したとされる反政府勢力およびジハード軍への攻撃を開始した。ソマリランドはケニアの侵攻に懸念を表明したうえで、「ソマリアはケニアに併合される可能性がある」と述べた。

・2011年11月、アメリカ軍がエチオピアの基地からドローン航空機による対アルカイダ・アルシャバブ空爆作戦を開始。エチオピア軍は都市グリエルの中心部に戻り、戦闘を再開した。

・2012年5月、アル・シャバブがケニア、アフリカ同盟、ソマリア政府軍の攻撃を受け後退、都市バイダボとアフゴーイの支配権を失った。

・2012年8月、20年以上ぶりにソマリアの正式な議会が成立。政府軍はアル・シャバブからモガディシュの南にあるメルカの港を占領した。

・2012年10月、AUと政府軍が国内で2番目に大きな港のある最後の主要都市キスマヨと、モガディシュの北西に位置するワンラウェインの町をアル・シャバブから奪還。

・2013年1月、アメリカが1991年以来初めてソマリア政府を承認した。

・2013年6月、アルシャバブがモガディシュのソマリア大統領官邸や国連施設などを襲撃、複数名が死亡した。

・2013年9月、国際的援助機関が3年間の「ソマリアニューディール」による24億ドルの復興援助を約束。

・2013年9月、アル・シャバブがケニアの首都ナイロビでショッピングセンターを占拠し、60人を殺害。この攻撃はケニア政府のソマリアへの軍事的関与に対する報復だった。

・2014年6月、アル・シャバブはケニアに対するテロ(2回)で60人以上を殺害。リーダーはケニアに対する作戦は継続すると誓った。

・2014年9月、アル・シャバブのリーダー、アハメド・アブディ・ゴダンが米国のドローン攻撃で死亡。ソマリア政府はゴダンの後継者であるアフマド・オマールの首に200万ドルの報奨金をかけると発表した。

・2014年11月、アル・シャバブがケニア北東部で大量殺人を決行。バスや採石労働者が犠牲になったと伝えられているが、正確な死者数は不明。

・2015年4月、アル・シャバブがケニア北部のガリッサ大学でキリスト教徒の学生を含む148人を殺害。ケニアは報復としてソマリアのアルシャバブ基地を空爆した。

・2015年5月、アメリカのジョン・ケリー国務長官がモガデッシュを訪問。

・2016年2月、AUの指導者たちは、公共施設と政府軍に対するアル・シャバブの攻撃が増加したことを受け、ソマリアでの軍事作戦に対するさらなる資金と支援の必要性に同意。ソマリア軍とAU軍はその後、アル・シャバブに占領されたメルカの港を奪還した。

・2016年11月、ソマリアから独立した自称プントランド国とガルムドゥグ国の指導者は、激戦地となった都市ガルカイヨでの停戦を尊重することに同意した。現地メディアによると、ガルカイヨ市内の戦闘により住民9万人が一夜にして国内避難民になったという。

・2017年2月、ソマリア議会はモハメド・アブドラヒ・モハメド前首相を大統領に選出。アルシャ・バブはモハメド大統領を却下したうえで、政府を支援する者はひとり残らず殺すと誓った。

・2017年3月、ソマリアの海賊がプントランド沖のタンカーを強奪。

・2017年5月、ソマリアのモハメド大統領はイギリスとの電話会談の中で、アル・シャバブを倒すために武器禁輸の解除を要求した。国連のアントニオ・グテーレス事務総長はソマリアの主張を容認したうえで、ソマリアの民主主義を回復する条件は整ったと述べた。

・2017年10月、アル・シャバブがモガディシュでトラック爆弾テロを決行、少なくとも350人が爆死した。

・2017年12月、ソマリランド大統領選挙。ムセ・ビヒ・アブディが第5代大統領に就任した。

・2020年7月1日、ソマリランドと台湾は両国間の協力を促進するために、駐在員事務所を設置する協定に署名した。

・ソマリランドとプントランドの治安は隣国ソマリアに比べるとはるかに安定しており、ソマリア内戦の影響はほとんど受けていない。

文化(目次に戻る

・先住民族(氏族)の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・氏族によって文化やものの考え方は多少異なるが、おおむねソマリアの文化と同じと考えてよい。

・結婚はおおむね氏族単位で成立する。

・他人の家で食事をごちそうになる際は、少し残すのが礼儀と考えられている。(食事の量に満足したという意味)

・主食は米とパン。主菜は羊肉、豆類全般、野菜全般。

ソマリランド/首都ハルゲイサの市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、陸上競技、バスケットボール。

・国内のスポーツイベントは青年スポーツ省が主催している。

・オリンピックを含む国際大会に出場したことはない。

その他(目次に戻る

ソマリアに比べると治安は安定している

・ソマリアと国際社会はソマリランドの独立を認めていない。

ソマリランド/首都ハルゲイサ
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