セントビンセント・グレナディーン/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:セントビンセント・グレナディーン(Saint Vincent and the Grenadines)

首都:キングスタウン(Kingstown)

人口:110,211人(2021年推定)

面積:389㎢(滋賀県東近江市と同じくらい)

気候:熱帯気候
・乾期は1月~5月。
・雨季は6月~12月。
・気温は1年を通して安定している。(最低:24~26℃、最高29~31℃)
・年間降水量は1,500~2,000mm。各地域の降水量はほとんど同じ。
・ハリケーンシーズンは6月~11月。渡島する際は天気予報に注意。
・観光のベストシーズンは2月~4月。雨が比較的少なく、海も穏やか。

経済:
・開発途上国
GDPは8.2億ドル(2019年推定)
・主要産業はサービス業と農業。
・主要農作物はバナナ、クズウコン、サトイモなど。
・国の労働者の60%以上がバナナの生産に関わっている。
・失業率は13~15%と推定されている。(2015年)
・政府は観光産業の発展に力を入れている。映画パイレーツオブカリビアンの撮影地になった影響で、観光客は確実に上昇していた。
・主要輸出国はトリニダード・トバゴ(15.2%)、セントルシア(13.5%)、チリ(12.1%)。
・主要輸入国はシンガポール(27%)、トリニダード・トバゴ(24.1%)、アメリカ(18.3%)。
・クルーズ船の入港が1996年に許可され、観光とサービス業の発展に大きく貢献した。
・カリブ共同体(CARICOM)加盟国。
・地域の貿易と投資を促進する協定をアメリカと締結している。

人種(民族):
・アフリカ人 66%(2001年国勢調査)
・アフリカと欧州の混血 19%
・東インド人 6%
・ヨーロッパ人 4%
・先住民族 2%
・その他 3%

言語:
・英語(公用語)
・ヴィンセンシオクレオール語

宗教:
・聖公会 47.8%(2001年国勢調査)
・メソジスト 28%
・ローマカトリック 13%
・その他 12%

セントビンセント・グレナディーン

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君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:スーザン・ドゥーガン(Susan Dougan)
首相:ラルフ・ゴンサルヴェス(Ralph Gonsalves)

政治体制:立憲君主制
・国家元首はエリザベス2世。
・女王と総督の権限は限られている。
・一院制。
・最高意思決定機関は議会。
・議員定数は21人。任期は5年。

法律:セントビンセント・グレナディーンの憲法
・英国法(コモンロー)に基づいている。
・司法の独立を保障している。
・LGBTの権利を保障していない。
・アナルセックスおよびオーラルセックスを禁止している。(夫婦でもダメ)
・同性愛者は懲役10年の実刑判決に直面する可能性がある。
・差別を禁止する法律がない。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:普通
・国内で活動するテロ組織は確認されていない。
・近年、銃や爆弾を使った凶悪テロ事件は発生していない。
・中米の麻薬カルテルとつながりのある個人もしくはグループが活動している。
・銃と麻薬が市場に出回っている。
・2019年の殺人事件件数は19件。(前年比マイナス44%)
・置き引きやスリに注意。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・小さなデモ(ストライキなど)が発生している時は外出を控えた方がよい。

セントビンセント・グレナディーン/海と家

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は複数社あると伝えられている。
・国営テレビ局はなし。
・民間テレビ局は1局。
・ラジオ局は12局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネット普及率は30~40%。(推定)
・検閲はない。
・イギリスとアメリカのケーブルテレビを視聴できる。
・フェイスブックが人気。

【国営メディア/設立年】
なし

【民間メディア】
ZBG-TV

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2021年軍事力ランキング:-位

・軍人数:0人(推定)
  即戦力 0人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・軍隊を保有していない。
沿岸警備隊と特別サービスユニットと呼ばれるロイヤルセントビンセントおよびグレナディーン諸島警察を保有している。

・国防予算:-ドル(推定)

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1700年代

・1700年代初頭、セントビンセント・グレナディーン(セントビンセント及びグレナディーン諸島)に上陸したフランス人はアフリカの奴隷を島に移送し、土地を開拓させた。

・先住民たち(ネイティブアメリカン)はフランスなどのヨーロッパ諸国の力に圧倒され、植民地化を受け入れざるを得なかった。

・1710年代、奴隷たちは植民地を開拓し、コーヒー、タバコ、藍、トウモロコシ、砂糖を栽培させられたと伝えられている。

・1763年、パリ条約締結。セントビンセント・グレナディーンは公式にイギリスの植民地になった。

・1769年、カリブ戦争勃発。イギリスの支配に抗議する奴隷と先住民族(ブラックカリビアン)は独立を求めて戦った

・1772年、イギリス軍がブラックカリビアンに対する攻撃を本格化させる。しかし、島の地理に詳しい先住民族は風上を確保したうえで土地の形状を上手く利用し、イギリス軍の前進を阻止した。

・1773年、イギリスとブラックカリビアンが和平に合意。先住民族たちは土地をイギリス政府に売却するという提案を却下した。

・1776年、イギリス議会がセントビンセント・グレナディーンの先住民族の主張を認める。

・1779年、フランス軍がセントビンセント・グレナディーンを占領。イギリス軍はアメリカ独立戦争に気を取られ、島の防衛に失敗した。

・1783年、ヴェルサイユ条約締結。セントビンセント・グレナディーンはイギリスに返還された。

・1795年、第二次カリブ戦争勃発。ブラックカリビアンは完全なる独立を求めてイギリス軍に立ち向かった。

・ブラックカリビアンはフランス軍の支援を受けたが、イギリス軍の大規模な軍事作戦に打ちのめされた。その後、敗れた5,000人以上のブラックカリビアンは小島のキャンプ場に収容され、半数以上が餓死もしくに病死したと伝えられている。

1800年代

・1800年代、イギリスは奴隷を使ってコーヒー、タバコ、藍、トウモロコシ、砂糖の生産を加速させた。

・1812年、島の北部に位置する火山、ラ・スフリエール(標高1,234m)が噴火。死者は出なかったと伝えられている。

・1834年、イギリスが奴隷制の廃止を決定。ハイチ革命の成功から数十年後にようやく廃止が決まった。

・1838年、イギリス議会が奴隷制の廃止を承認。

・奴隷制の廃止に伴い、農園で働かされていた奴隷たちは自由を得た。その結果、農園は深刻な人手不足に陥り、セントビンセント・グレナディーンの経済は縮小した

・1840年代、ポルトガル人移民の受け入れを開始。イギリスは労働力不足の解消を目指し、先住民族もこれに従った。

・1860年代、東インド人移民の受け入れを開始。しかし、世界的な砂糖価格の下落がセントビンセント・グレナディーンの経済を圧迫し、島民の生活は一向に改善しなかった。

・1877年、イギリス政府の干渉を受けない移民と先住民族の自治政府を設置。ヨーロッパの知識人たちが島を統治した。

・1898年9月、ハリケーン「バルワイイー」が上陸。島の住居と農園は粉々に破壊され、300人以上が死亡したと伝えられている。

セントビンセント・グレナディーン/海

1900年~第一次世界大戦

・セントビンセント・グレナディーンは第一次世界大戦に関与していない。

・1902年5月6日、島の北部に位置する火山、ラ・スフリエールが噴火し、1,600人以上が死亡したと伝えられている。この噴火で北部沿岸沿いの先住民族の住居は破壊され、島の経済に深刻な影響を与えた。

・島民たちはバナナ、コーヒー、タバコ、トウモロコシ、砂糖などの栽培と生産を強化し、経済の立て直しを目指した。

・元奴隷たちは比較的栽培しやすく食料として利用できるバナナ栽培に力を入れた。その結果、各地にバナナ園が形成された。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・セントビンセント・グレナディーンは第二次世界大戦に関与していない。

・1925年、立法評議会設立。ただし、重要な政策(憲法制定、法改正など)の決裁権限は与えられなかった。

・島民たちは農作物の輸入で一定の利益を上げることに成功したが、生活に欠かせない物資は輸出に頼らざるを得ず、島の経済は思ったように発展しなかった。

・1930年代、世界恐慌の影響で農作物の価格が下落し、小規模および個人経営農家の生活は著しく悪化した。

終戦~現在

・1951年、イギリス議会がセントビンセント・グレナディーン議会の権限を拡大。また、島民の選挙権を英憲法で保障した。

・イギリス議会はセントビンセント・グレナディーンの独立に向けた準備を進め、島の議会はより多くの権限を与えられた。

・1960年代初頭、イギリスはセントビンセント・グレナディーンを含む島々を全て支配下に置き、統一された連邦を形成しようとした。イギリス議会はこの連邦を「西インド連邦」と呼び、イギリスの植民地下に置いたうえで、一定の自治権を当たると各島に提案した。

・1962年、西インド連邦案廃止。島民たちはイギリス連邦下での独立を求めた

・1969年10月27日、イギリス議会がセントビンセント・グレナディーンに「準州」の地位を与えた。これにより、島の議会は内政の権限を全て獲得したが、独立には至らなかった。

・1969年10月27日、労働党(SVLP)のミルトン・カトーが初代州首相に就任。

・1972年、議会選挙。第一党のSVLPは過半数を獲得できず、野党党首のジェームズ・フィッツ・アレン・ミッチェルが州首相に就任した。

・1974年、議会選挙。SVLPと野党による連立政党が過半数を獲得し、ミルトン・カトーが州首相に返り咲いた。

・1979年4月、ラ・スフリエール火山が噴火。島の議会は周辺住民に避難を促していたため、幸い死者はでなかったと伝えられている。

・1979年10月27日、セントビンセント・グレナディーンがイギリスから独立。ただし、イギリス連邦内にはとどまった。(君主はエリザベス2世)

・1979年10月27日、労働党(SVLP)のミルトン・カトーが初代首相に就任。

・カトー首相は独立を達成した「独立の父」と呼ばれている。また、マルクス主義に反対し、キューバ、グレナダ、ガイアナなどの社会主義政府を支持しなかった。

・カトー首相は民主主義を志すトリニダード・トバゴやバルバドスなどの新欧米政府と同盟を結び、経済と防衛面で密接に協力した。

・1979年12月、ユニオン島でレノックス・ブンバ・チャールズ率いる野党勢力が暴力的な反乱を起こし、SVLPに強く抗議した。野党勢力はグレナダの革命に触発されたと伝えられているが、反乱はすぐに鎮圧され、リーダーのチャールズは逮捕された。

・1980年代初頭、政府の政策に抗議するゼネラル・ストライキが各地で散発的に発生した。

・1980年10月、ハリケーン上陸。バナナ農園とココナッツ農園が深刻な被害を受けた。

・1984年議会選挙。元州首相で民主党(NDP)のジェームズ・フィッツ・アレン・ミッチェルが首相に就任。

・アレン・ミッチェル首相は4期連続当選を果たし、2000年に退任した。

・1999年11月、ハリケーンレニーが島の西海岸に接近。住居や農園を粉砕し、数人が死亡したと伝えられている。なお、被害額は公表されていないが、人道機関の当局者は1,000万ドル以上(約11億円)と見積もった。

・2000年、NDPの新リーダー、アーニム・ユースタスが首相に就任。

・2001年、議会選挙。統一労働党(ULP)が過半数を獲得し、ラルフ・ゴンサルヴェスが首相に就任した。

・2009年、立憲君主制を廃止する新憲法を提案する国民投票が行われた。この提案を可決するためには有権者の3分の2以上の賛成が必要だったが、賛成は55.64%(29,019票)にとどまり、提案は却下された。

・2015年、議会選挙。ULPが第一党を死守し、ゴンサルヴェス首相の4期目が決まった。

・2020年12月、政府はラ・スフリエール火山の火口に新しい溶岩ドームが形成されていると発表した。

セントビンセント・グレナディーン/全景

文化(目次に戻る

・先住民族の文化は文書化されておらず、分からないことが多い。

・アメリカのポップカルチャーを積極的に取り入れている。

・近年SNS人口が急増している。一番人気はフェイスブック。

・アフリカ、イギリス、フランスおよびインドの文化の影響を強く受けている。

・主食は米とパン、主菜は肉全般、魚介類、バナナ。

・魚は買うものではなく釣るもの。

・人気料理はカボチャスープ、カラルースープ、フィッシュ&チップス。

セントビンセント・グレナディーン/首都キングスタウン

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはクリケット、ラグビー、サッカー。

・プロサッカーリーグ(NLAプレミアリーグ)を運営している。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

ハリケーンの影響を受けやすい国。上陸もしくは接近するたびに、住居や農園に深刻な被害を受けている

・殺人事件の発生率は世界トップクラス。(2016年:人口10万人あたり36.54件)

セントビンセント・グレナディーン/海沿いの市場
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