セントクリストファー・ネイビス連邦/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:セントクリストファー・ネイビス連邦(Saint Kitts and Nevis)

首都:バセテール(Basseterre)

人口:52,441人(2018年推定)

面積:261㎢(愛知県豊橋市と同じくらい)

気候:熱帯気候
・1年中高温多湿でとても暑い。
・乾期は1月~4月中旬。
・雨季は6月~11月中旬。
・気温は1年を通じて安定している。(最低:22~25℃、最高:28~32℃)
・年間降水量は地域によって多少異なるが、おおむね1,000~1,200mm。

・2つの島(セントキッツ島とネービス島)にはそれぞれ火山がある。
・8月から10月はハリケーンの最盛期なので、旅行は避けた方がよい。
・観光におすすめの時期は12月~4月。

経済:
・開発途上国
GDPは8億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(56%)、カナダ(10%)、バングラデシュ(6%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(32%)、トリニダード・トバゴ(20%)、イタリア(7%)
・主要輸出品は工業機械、食品、電子機器、飲料、タバコ。

・慢性的な貿易赤字に悩まされている。
・観光産業の開発に力を入れている。主要観光客はアメリカとカナダの富裕層。
・主要農作物はサトウキビ、ピーナッツ、ココナッツ、サツマイモ、玉ねぎ、トマトなど。
・裕福な国ではないが、一人当たりのGDPはアフリカの開発途上国よりはるかに高い。

人種:
・アフリカ系 92.7%(CIAワールドファクトブック推定)
・アフリカと先住民族の混血 2.2%
・白人 2.2%
・東インド人 1%
・その他 1.9%

言語:
・英語(公用語)
・セントクリストファー・クレオール英語(公用語)
・その他

宗教:
・キリスト教 82.4%(2001年国勢調査)
・無宗教 5.2%
・ラスタファリ 1.6%
・ヒンドゥー教 0.8%
・イスラム教 0.3%
・バハイ教 0.04%
・不明 2.8%
・その他

セントクリストファー・ネイビス連邦

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君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:タプリー・シートン(Tapley Seaton)
首相:ティモシー・ハリス(Timothy Harris)

政治体制:立憲君主制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首はエリザベス2世。
・君主と総督の権限は限られている。
・首相は議会の多数派から選出される。
・一院制、議員定数は15人、任期は5年。
・カリブ共同体(CC)、東カリブ諸国機構(OECS)、米州機構(OAS)に加盟している。

法律:セントクリストファー・ネイビス連邦の憲法
・基本的人権と司法の独立を認めている。
・自由で公正な選挙を継続しているが、1993年の議会選挙結果は野党の非難に直面し、混乱を抑えるために治安部隊が短期間配備された。
・LGBTの権利を認めていない。
・男性の同性愛者は10年以下の懲役刑に直面する。

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渡航情報:
外務省ホームページ
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:普通
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・事件の発生件数は少ないが、殺人や武装強盗なども少なからず発生している。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・繁華街で開催されている屋外パーティーに参加する際は、スリや置き引きに注意。
・キャッシュカードやパスポートなどの貴重品は安全な場所に保管し、極力持ち歩かない。
・交通ルールを無視する運転手や歩行者が多いため、交通事故に巻き込まれないようにしたい。
・海で泳ぐ場合は、監視員のいるエリアを選択すること。

セントクリストファー・ネイビス連邦/リゾートエリア

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は数社活動している。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は2局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は2局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は80~90%。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・ZIZテレビ 1963年

【民間メディア】
・SKN TV
・SKN Vibes

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:450人(推定)
  即戦力 300人
  予備兵 150人
  準軍組織 0人

・歩兵部隊と海上部隊で構成される国防軍を保有している。

・国防予算:3,000万ドル(推定)

セントクリストファー・ネイビス連邦/セントキッツ島

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1700年代

・1700年代、セントキッツ島およびネイビス島はイギリスとフランスの支配下に置かれていた。

・1702年7月、セントクリストファー・ネイビスの支配権をめぐり、イギリスがフランスに宣戦布告。イギリス軍の艦隊はセントキッツ島のフランス自治政府に降伏するよう要求した。

・1706年3月、フランス軍の艦隊がセントキッツ島に到着。兵士たちはイギリスのプランテーションを襲撃して焼き払い、奴隷同然の扱いを受けていた島民約300人を連れ去った。その後フランス軍はネイビス島に上陸し、イギリス政府に1702年の侵略に対する損害賠償を請求した。

・1706年4月、セントキッツに建設されたフランスの教会が焼き払われる。イギリス軍は関与を否定した。

・1710年、イギリスはフランスの教会跡地に新たな教会を建設した。

・1713年4月、イギリスとフランスがユトレヒト条約に合意。これにより、フランスはセントクリストファー・ネイビスの主権を放棄した。

・1723年、イギリス自治政府はセントクリストファー・ネイビスを管理する評議会と議会の設置を推奨したが、農園を管理する団体はこの要求を却下した。

・1727年、自治政府庁舎がオールドロードからバセテールに移転される。これに合わせて首都もバセテールに変更された。

・1733年3月、イギリス議会が糖蜜法を施行。これにより、イギリス領以外で製造された糖蜜に税金が課されることになった。

・1747年9月~10月、ハリケーンが2度セントキッツ島に上陸し、バセテールの商船24隻が沈没した。これはイギリス向けの砂糖を輸送する商船だったと伝えられている。

・1750年、イギリス議会がセントクリストファー・ネイビスの牧草地の権利を正式に取得。一部の島民の恣意(しい)的な領土拡大を防ぐための措置だった。

・1755年、黄熱病が蔓延し、アフリカから運び込まれた黒人奴隷が大量に死亡した。

・1760年7月、首都バセテールで黄熱病が蔓延、少なくとも200人が死亡したと伝えられている。

・1765年3月、イギリス議会が印紙法を施行。植民地の収入を増やすための法律だったが、セントクリストファー・ネイビスの島民と商人はこれに強く反発し、各地で暴動が発生した。

・1766年2月、イギリス議会が印紙法を廃止。

・1770年、奴隷に対する不当な暴力が各地で発生し、その後大規模な暴動に発展した。しかし、イギリス自治政府はこれを黙認したうえで、暴動に反対した黒人奴隷を厳しく取り締まった。

・1772年8月、ハリケーン上陸。首都バセテールの民家、砂糖工場、政府施設は壊滅的な被害を受け、数十人が死亡した。

・1776年9月、首都バセテールで大規模な火災が発生。原因は明らかにされていないが、数十人が死亡したと伝えられている。

・1777年、最初の宣教師、ジョン・ゴットヴァルトとジェームズ・カークビーが首都バセテールに上陸。布教活動を開始した。

・1782年1月、フランス軍の艦隊がバステールに上陸。イギリス自治政府軍と民兵はブリムストーンの丘に撤退し、その後降伏した。

・1783年9月、イギリスとフランスがヴェルサイユ条約に合意。これにより、セントキッツ島、ネイビス島、モントセラト島、グレナダおよびグレナディーン諸島、セントビンセントおよびドミニカはイギリスに返還された。

・1783年11月、イギリス議会が奴隷の売買を禁止する法律を施行。これはイギリス領西インド諸島の奴隷を保護する最初の法律だった。

・1785年、セントキッツ島の農園管理者が奴隷労働者の女性を負傷させた罪で起訴された。

・1787年1月、アイルランドのメソジストの宣教師、ウィリアム・ハメットがセントキッツ島に上陸。布教活動を開始した。

・1792年3月、首都バステールに裁判所が設置される。

・1792年4月、バセテール、オールドロードなどで大規模な洪水が発生し、多くの人命が失われた。

・1798年3月、議員35人で構成される評議会がバセテールに設置される。評議会は奴隷の待遇の改善、カトリック教徒に対する弾圧や障害の除去、違法な義務の制限などについて協議した。

1800年代

・1803年、首都バセテールに貧困層の子供たち向けの教育機関が設立される。

・1805年3月、フランスの海賊と思われる者たちがセントキッツ島に侵入し、身代金を要求。自治政府は身代金の一部を支払い、海賊は撤退したが、バセテールの商船6隻が焼失した。

・1807年3月、イギリス議会が奴隷貿易の廃止を承認。

・1819年9月、ハリケーン上陸。セントキッツ島の不動産に深刻な被害を与えた。

・1824年、西インド諸島がジャマイカとバルバドスに分割される。セントクリストファー・ネイビスはバルバドスに含まれた。

・1825年、バセテールにメソジスト教会が建設された。

・1827年8月、巨大ハリケーン上陸。1772年のハリケーンに匹敵する被害をもたらし、少なくとも数十人が死亡した。

・1829年、自治政府は警察法を可決し、ローマカトリック教徒を差別する既存の法律を廃止した。

・1830年、自治政府は全ての島民の権利を保障する新たな法律を可決した。

・1834年8月、自治政府は奴隷を解放すると宣言した。これに一部の不動産管理者が反発し、各地で暴動が発生した。

・1843年2月、セントキッツで地震が発生。教会、砂糖工場、民家、企業、自治政府施設が被害を受けたと伝えられている。

・1849年4月、自治政府が主人と召使法を可決。農園やその他の企業の労働者を確保するための法律だった。

・1867年7月、首都バステールで大規模な火災が発生。これにより街の大半が焼失した。

・1871年、イギリスがセントクリストファー・ネイビスの植民地下の完了を公式に宣言。

・1880年1月、セントキッツ島で豪雨による洪水が発生。少なくとも230人が死亡したと伝えられている。

・1896年2月、砂糖工場を含む企業でストライキが発生。労働者たちは店舗を破壊し、町に火を放った。

セントクリストファー・ネイビス連邦/民家

1900年~第一次世界大戦

・セントクリストファー・ネイビスは第一次世界大戦に関与していない。

・1912年、バステール製糖工場が操業を開始。

・1916年、米セオドア・ルーズベルト大統領がセントキッツ島を訪問。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・セントクリストファー・ネイビスは第二次世界大戦に関与していない。

・1920年代、セントキッツ島の人口は約43%、ネイビス島の人口は約9%減少した。

・1928年1月、西インド諸島の最初の入植者トーマス・ワーナーにちなんで名づけられたワーナーパークが営業を開始。

・1932年、島内で独立運動が本格化し、中道左派の労働党が設立された。トーマス・マンチェスターとウィリアム・シートンは、ドミニカで開催された第1回西インド会議にセントクリストファー・ネイビス代表として出席した。

・1935年1月、杖切り労働者たちがストライキを行う。参加者たちはバステールに向けて行進し、他の労働者にストライキに参加するよう呼びかけた。

・1937年6月、初の総選挙。セントクリストファー・ネイビスで結成された党の資格は制限されていた。

・1940年1月、セントクリストファー・ネイビス貿易労働組合が設立された。

セントクリストファー・ネイビス連邦/子供たち

終戦~現在

・1952年10月、全島民を対象とした初の総選挙が行われる。

・1954年、電力の供給が始まる。

・1961年3月、国内初のラジオ局ZIZが開設される。

・1965年1月、人口行動運動党創設。

・1967年2月、西インド諸島連合に加盟。

・1967年12月、国内初の総合病院、ジョゼフ N. フランス総合病院開院。

・1970年、ネイビス改革党が設立される。島民はイギリスからの独立を求め、各地でデモを開催した。

・1970年8月1日、政府の運行するフェリー、クリスティーネ号がセントキッツ島沖で沈没。233人が死亡した。

・1971年、セントクリストファー・ネイビス自治政府の管理下に置かれていたアンギラで反乱が発生。イギリス軍は反乱を鎮圧したうえで、アンギラをの主権をセントクリストファー・ネイビスから取り上げた。

・1980年、イギリス領アンギラの憲法制定。これにより、アンギラは正式にセントクリストファー・ネイビスの支配から解放された

・1982年9月、裁判所と図書館で火災が発生。施設は全焼した。

・1983年9月19日、「セントクリストファー・ネイビス連邦」がイギリスから独立。ケネディ・シモンズが初代首相に就任した。

・1986年、政府は砂糖産業を国営化した。

・1989年、ハリケーンヒューゴ上陸。セントキッツ島の被害額は6,100万ドル、ネイビス島は5,100万ドルと見積もられた。

・1993年、総選挙の結果に異議を唱える反政府デモが発生。

・1994年、首都バセテールで労働党支持者が大規模な暴動を引き起こす。これを受け、政府は非常事態を宣言した。

・1995年、総選挙。麻薬密売の疑惑を含む一連のスキャンダルで広範な非難に直面していたシモンズ首相は敗れ、労働党のデンジル・ダグラスが新首相に就任した。

・1998年8月、ネイビス島の独立の是非を問う国民投票。独立に必要な有権者の3分の2以上の獲得は達成できなかった。

・1998年9月、ハリケーン・ジョージ上陸。セントキッツ島の民家約90%を破壊した。

・2000年、総選挙。労働党が過半数を獲得し、ダグラス首相の再選が決まった。

・2003年3月、東カリブ海最大のホテル複合リゾートが営業を開始。

・2004年10月、総選挙。ダグラス首相が3期連続で勝利。

・2005年3月、政府は300年の歴史を持つ砂糖産業の閉鎖を決定。

・2008年12月、殺人罪で死刑判決を受けた被告の死刑が執行される。政府は、死刑執行は新たな重大犯罪を防止する抑止力になると考え、用語した。

・2010年1月、総選挙。ダグラス首相が4期目を決める。

・2014年5月、米財務省はセントクリストファー・ネイビスに投資した資産家が市民権を優先的に獲得していると警告したが、ダグラス首相は不正を否定した。

・2015年2月、総選挙。ユニティ連合が勝利を収め、ティモシー・ハリスが首相に就任した。

文化(目次に戻る

・アフリカとイギリスの影響を強く受けている。

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・若者はアメリカのポップカルチャーをこよなく愛している。

・カーニバルと祝祭日のお祝いは島の生活に欠かせない重要な要素のひとつ。

・オープニング・ガラ(新シーズンの幕開けを祝う祭り)は12月中旬頃から始まり、翌年の1月3日まで続く。

・お祝いは主にパレード、ストリートダンス、サルサ、ジャズ、ソカ、カリプソ、スティールパンミュージックで構成されている。

・主食は米と小麦。主菜は山羊肉、地元でとれる野菜全般、パンノキ、ココナッツなど。

・金曜と土曜の夜は友人や知人を招いて食事会を開く日。集まった人々は食事、アルコール、ドミノなどのゲームを楽しむ。

セントクリストファー・ネイビス連邦/カーニバル

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはクリケット、ラグビー、競馬、自転車競技、ゴルフ、サッカーなど。

・セントキッツ島とネイビス島間を泳ぐ水泳大会が毎年開催されている。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

【有名スポーツ選手】

・キム・コリンズ(Kim Collins)陸上短距離選手。同国唯一の世界選手権金メダリスト。

その他(目次に戻る

カリブ海を代表する人気リゾート地のひとつ

・2005年の砂糖産業終了以来、観光業の発展に力を入れている。

セントクリストファー・ネイビス連邦/市場
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