イエメン共和国の国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在
  ・アルカイダ・革命
  ・イエメン内戦

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:イエメン共和国(Republic of Yemen)

首都:サナア(Sana'a)

人口:28,667,230人(2020年推定)

面積:527,970㎢(日本の1.4倍)

気候:砂漠気候
・平地は暑く、乾燥している。
・海岸線沿いの湿地帯は湿潤。
・一部地域の年間降水量は1,000mmを超える。
・標高の高い地域(2,000~3,000m)は朝夕の寒暖差が大きい。
・砂漠エリアではほとんど雨が降らず、慢性的な水不足に悩まされている。

経済:
・開発途上国
・石油生産が政府歳入の60%を占める。
GDPは約225億ドル(2019年)
・インフォーマル経済
・失業率は20%~40%(推定)
・国民の大半は農業従事者。
国民の80%以上は貧困状態にある
・世界銀行などの国際機関から融資を受けている。
・2015年の内戦開始以来、インフレと通貨の切り下げに苦しんでおり、GDPは約50%縮小した。

人種:アラブ人が90%以上を占める
・アフロアラブ人、南アジア人、ヨーロッパ人などの少数グループも生活している。
・人口の約45%が15歳未満。
・65歳以上は3%以下。
・国内にソマリア、イラク、エチオピア、シリアなどの難民(計15万人ほど)が流入。
・内戦開始後、33万人以上が国内避難民になった。

言語:アラビア語

宗教:イスラム教
・スンニ派(55%)
・シーア派(44%)
・その他(1%)
・0.05%は非イスラム教徒(ユダヤ、キリスト、ヒンドゥーなど)

イエメン共和国

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大統領:アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー(Abd Rabbuh Mansur Hadi)
首相:マイーン・アブドゥルマリク・サイード(Maine Abd al-Malik Saeed)

政治体制:二院制
・大統領の任期は7年、議会は6年。
選挙には暴力、汚職、詐欺、権利の侵害が伴う
・ムスリム以外は公職につけない。

法律:イエメン共和国の憲法
・シャリーアと古代エジプトの法律に基づく。
・裁判は陪審員なし。
・司法でも不正や汚職が相次いでいる。
・1997年に司法改革プログラムを開始した。しかし、不正や汚職の問題はほとんど解決していないと伝えられている。

Getty Images/イエメン、首都サナア、イエメン内戦、難民キャンプの子供

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渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中。(2020年10月時点)

治安:極めて危険
・反政府勢力の活動が活発
・テロや誘拐が頻発
・アルカイダやイスラム国の関連組織が活動している

マスメディア(目次に戻る

・国営新聞は9紙、民間は約50紙
・国営テレビ局は4社、民間は13社
・ラジオ局は12社
・インターネットは都市部のみ利用可能。
インターネットは政府に検閲されている
・新聞および雑誌の発行には政府の許可が必要。

【国営メディア/設立年】
・イエメンTV 1975年
ヤマニアTV 1980年
Al-SaeedahTV 2007年
SuhailTV 2009年

【その他メディア(抜粋)】
アルイマンTV
・Aden Live

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2020年軍事力ランキング:74位

・軍人数:43,500人(推定)
  即戦力43,500人
  予備兵0人

・陸・海・空軍を保有

・国防予算:14億ドル

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1700年代

・1700年代、イエメン共和国は「イエメンザイディ州(1597年~1849年))」と名乗っていた。

・イエメンザイディ州は16世紀末にオスマン帝国を打ち破り、領土を取り戻した。

・独立後、ペルシャ帝国、オスマン帝国、インドのムガル帝国などとの外交関係を確立した。

・イエメンザイディ州は世界で唯一のコーヒー豆の生産地だった

・政治という概念は存在せず、王族や部族の喧嘩、不服従などが横行し、衰退につながったと伝えられている。

・1700年代初頭、ヨーロッパ人がコーヒーの木を密輸し、東インド諸島、西インド諸島、東アフリカ、南米大陸の植民地で栽培を開始。イエメンザイディのコーヒー豆産業は大打撃を受けた。

・1730年頃、イエメンザイディ州の一部、ラヘジュの首長が独立を宣言。さらに州内のアデン地域を征服し、ラヘジュ首長国の樹立を宣言した。

・1740年、ラヘジュ首長国は完全なる独立を宣言。イエメンザイディ州はこれを防ぐことができず、国内情勢は戦争の影響でガタガタになった。

1800年代

・1838年、ラヘジュ首長国近海を航行していたイギリスの商船がアラブ部族民に襲撃を受け、沈没。

・1839年1月、イギリス艦隊がラヘジュ首長国への砲撃を開始。ラヘジュの首長は港(アデン地域)を守るよう命じたが、圧倒的な武力に屈し、占領されてしまう。

・イギリス政府はラヘジュ首長国に対し、「保護」を受け入れるよう強制同意させた

・1839年11月、イギリスに反発する部族、約5,000人が港の奪還を試みた。しかし、攻撃は失敗に終わり200人以上が死亡。市民はイギリスの支配を受け入れざるを得なくなった。

・イギリス政府はラヘジュ首長国を取り巻く9つの部族と「保護・友情条約」を締結。保護下に置き、独立は継続させた。

・1833年、イエメンザイディ州はオスマン帝国の介入を受け、混乱状態に陥った。

・1849年、イエメンザイディ州はオスマン帝国に支配され事実上消滅した。なお、ラヘジュ首長国は攻撃を退けている。

・オスマン帝国の支配に反対するサナア(現在の首都)は激しく抵抗、攻撃を退ける。

・1869年、スエズ運河が開通し、オスマン帝国は旧イエメンザイディ州の全てを手に入れると宣言。

・1872年、オスマン帝国はサナアと港を征服。スエズ運河を利用し、新たな貿易を開始する。

・イギリスの保護下に入ったラヘジュ首長国のアデンは、世界を代表する港湾都市に発展した。

・オスマン帝国はラヘジュ首長国も征服したかったが、イギリスの壁に阻まれた。

・1890年、旧イエメンザイディ州の部族がオスマン帝国に反乱を起こし、統治能力・機能に大打撃を与えた。

1900年~第一次世界大戦

・オスマン帝国に対する旧イエメンザイディ州の反乱は1900年初頭まで続く。

・1904年~1911年の反乱は特にすさまじく、旧イエメンザイディ州は毎年10,000人以上の兵士を失ったと伝えられている。

・1911年、イマーム・ヤヒヤが旧イエメンザイディ州の北部地域の支配権をオスマン帝国から奪取する。

・イマーム・ヤヒヤ政権の誕生により、旧イエメンザイディ州は南北に分断された

・第一次世界大戦時、オスマン帝国はラヘジュ首相国を征服した。

・1918年、イギリスはオスマン帝国を撃退、ラヘジュ首長国の自治権を取り戻す。

・1919年、第一次世界大戦終結。ドイツ帝国に加担したオスマン帝国は一気に弱体化する。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・第一次世界大戦終結後、旧イエメンザイディ州の南部地域はイギリス領に加えられた。

・1919年、旧イエメンザイディ州北部地域を支配するイマーム・ヤヒヤ率いる軍は南部地域に攻撃を開始、イギリス軍からの完全なる独立を目指した。しかし、攻撃は失敗に終わる。

・1922年、イマーム・ヤヒヤ軍は再度南部地域に侵攻したが、イギリス空軍の爆撃に圧倒される。

・1927年、イギリス空軍は北部地域を爆撃、一部を征服する。

・第二次世界大戦終戦までの間、旧イエメンザイディ州全域で主権争いが繰り広げられる

終戦~現在

・1948年2月17日、北部地域を支配したイマーム・ヤヒヤが敵対勢力に殺害される。

・北部地域の皇太子アフマドは部族を結集してイギリス領サナアを攻撃、征服する。

・皇太子アフマドは北部地域を事実上統一。1962年に「イエメンアラブ共和国(北イエメン)」が誕生する。

・1967年、キューバ、東ドイツ、ソビエト連邦の支援を受け、「イエメン人民民主共和国(南イエメン)」が誕生。これはアラブ世界唯一の共産主義国家だった。

・イエメンアラブ共和国で内戦が勃発。イスラエル軍とエジプト軍の介入で大混乱に陥った。その後、1968年にイエメンアラブ共和国の完全なる独立が確立する。

・その後、2つのイエメン(北と南)は紛争と停戦を繰り返した。

・1972年、2つのイエメンは紛争を開始。その後、アラブ連盟の仲介を受け、停戦に合意する。

・1978年、アリー・アブドッラー・サーレハがイエメンアラブ共和国の大統領に任命される。

・1979年、2つのイエメンは再び紛争を開始する。

・1986年、イエメン人民民主共和国のアリ・ナセル・ムハンマド大統領に対し、アブドゥル・ファタ・イスマイル前大統領がクーデターを決行。一連の戦闘で数千人が死亡(推定)した。なお、アリ・ナセル・ムハンマド大統領は国外に逃亡した。

・1990年、2つのイエメンが統一に完全合意。「イエメン共和国」が誕生する。

・1990年、クウェート危機勃発。当時の大統領は非アラブ諸国(アメリカ)からの軍事介入に強く反対した。

・イエメン共和国は1990年と1991年の国連安全保障理事会のクウェート危機に関する多くのUNSC決議を棄権し、軍事介入に反対票を投じた。

・この反対票はアメリカを激怒させ、サウジアラビアはイエメン共和国への制裁を発動。これによりサウジアラビア国内で生活していた約80万人のイエメン人が追放された。

・1992年頃から北部と南部地域の勢力による紛争が本格化する。

・1994年2月20日、ヨルダンのアンマンで南北の停戦協定が調印される。しかし、紛争は収まらなかった。

・1994年5月、北部と南部地域の勢力によるイエメン内戦が勃発。戦いは約2か月に北部の勝利で終結する。なお、サウジアラビアは南部の勢力を積極的に支援した。

・2000年6月、サウジアラビアとの国境を定義するシッダ条約締結。

・2000年10月、港湾都市アデンに駐留していた米海軍艦艇USSコールが自爆攻撃を受け、米兵17人が死亡。攻撃はアルカイダによるものと断定された。

・2001年9月11日、米同時多発テロが発生。サレハ大統領はアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領に対テロ戦争のパートナーになることを確約した。

・2004年6月、シーア派イスラム教の反乱が始まる。

・2004年~2008年、各地で自爆テロ、殺人、誘拐などが頻発する。

Getty Images/イエメン、首都サナア、イエメン内戦、空爆で破壊されたガソリンスタンド

アルカイダ・革命

・2009年1月、サウジアラビアとイエメン共和国のアルカイダ支部が合併。「アラビア半島のアルカイダ」が誕生し、拠点のイエメン共和国などでテロ活動を継続する。

・2009年、イエメン共和国軍はサウジアラビアの支援を受け、シーア派反乱軍への攻撃を開始。一連の戦いで数千人が死亡したと伝えられている。

・2009年12月以降、バラク・オバマ大統領はイエメン共和国の政治的混乱とテロの脅威を排除するために、ドローンによる反政府組織への攻撃を開始。

・2011年、アラブの春に続き、イエメン共和国で「2011年革命(イエメン革命)」が勃発。

・2014年9月16日、イエメン内戦が始まる。イエメン共和国政府とそれに敵対する武装勢力は、ともに公式政府を主張、争いは現在も続いている。

・2014年の内戦開始以降、イエメン共和国は危機的な食料不足とコレラに悩まされている。

イエメン内戦

(2015年)
・1月22日:フーシのクーデターでハーディー暫定大統領とバハーハ首相が辞任。

・2月6日:フーシが議会を強制解散させ、暫定統治機構「大統領評議会」を開設した。

・2月21日:ハーディー暫定大統領が辞意を撤回、フーシ派との対立激化。

・3月25日:フーシ派がハーディー暫定大統領の拠点を襲撃。ハーディー暫定大統領はボートで脱出した。

・3月26日:サウジアラビア連合軍、空爆を開始。

・7月17日:ハーディー政権、フーシ派から第2の都市アデンを奪還したと宣言。

・8月4日:ハーディー政権、フーシ派からアルアナド空軍基地を奪還したと宣言。

・8月11日:ハーディー政権、アビヤン州を制圧。

・8月15日:ハーディー政権、5つ目の州を奪還。サウジアラビア連合軍の支援と空爆で攻勢に出る。

・8月19日:人道支援団体アムネスティ・インターナショナルは、首都サナア、アデン、タイズへの攻撃中に、サウジアラビアが戦争犯罪を行なっていると指摘、非難した。

・8月24日:世界食糧計画(WFP)、600万人が深刻な食糧難に陥り、緊急支援を必要としていると警告。

・9月22日:ハーディー暫定大統領が、半年ぶりにイエメンに帰還。

・10月15日:フーシがサウジアラビアの空軍基地に弾道ミサイルを発射。

(2016年)
・4月3日:ハーディー暫定大統領がバハーハ副大統領兼首相を解任。

・9月9日:米軍とイエメン軍、国際テロ組織アラビア半島のアルカイダ(AQAP)に捕らわれていた人質の救出作戦を実行。人質3人は抗戦中に死亡した。

・10月4日:フーシ派がハーディー政権に対抗する「救国政府」樹立を宣言。

(2017年)
・5月:フーシ、国内のコレラ感染が急速に悪化したことを受け、非常事態を宣言。

・6月5日、イエメンとカタールが国交断絶。カタール政府がフーシを支援していたため。

・11月4日:フーシがサウジアラビアの首都リヤドをに弾道ミサイルを発射。

・11月6日:サウジアラビアがイランの支援を防ぐ名目でイエメンの国境を封鎖。

・12月4日:フーシがサーレハ前大統領の乗った車を襲撃、殺害したと発表。

文化(目次に戻る

・1997年頃からイエメンヒップホップという新たなミュージックジャンルが確立され、若者に人気を集めている。

・20世紀初頭に演劇文化が確立。文化センター、大学、公園、広場などで公演される。なお、演劇や戯曲はイエメン歴史や文化に関連するものが大半を占める。

・イエメン料理は広く知られている中東料理とは異なる。

・主食は鶏肉、山羊肉、魚。

・乳製品(チーズ、バターなど)は一般的ではない。ただし、入手しやすい「バターミルク」は人気。

・アンフェタミンを含む植物、「カート(Catha edulis)」を食後に噛む文化がある。なお、カートは穏やかな陶酔感と興奮、便秘、瞳孔の拡張、頭痛、心拍数の上昇などを引き起こす。

スポーツ(目次に戻る

人気スポーツはサッカー。代表チームはFIFAとAFCリーグに登録されている。

・サイクリング、ロッククライミング、トレッキング、ハイキング、スキーなどのアウトドアスポーツも人気。

・沿岸地域ではウォータースポーツ(サーフィン、スキューバダイビングなど)を楽しめる。

・オリンピックでのメダル獲得実績はなし。

その他(目次に戻る

・治安は極めて悪い。入国はいかなる理由があろうとおすすめしない。

・国民は長年、内戦・紛争・他国の争いに巻き込まれてきた。

ロイター通信/イエメン、反政府勢力、フーシ派の兵士たち

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