パレスチナ/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:パレスチナ(Palestine)

名目上の首都:東エルサレム(East Jerusalem)
事実上の首都:ラマッラー(Ramallah)

人口:5,159,076人(2020年推定)

面積:6,020㎢(茨城県とほぼ同じ)

気候:半砂漠気候
・ヨルダン川西岸地区は地中海性気候。
・ガザ地区は半砂漠気候でとても暑い。
・ガザ地区の年間降雨量は100~200mm。
・雨季は11月~4月。
・乾期は5月~10月。
・気温の上昇と砂漠化に悩まされている。
・塩害、土壌汚染、地下水源の枯渇と汚染に悩まされている。

経済:
・開発途上国
GDPは170ドル(2019年推定)
・主要産業はサービス。
・超インフォーマル経済。
・失業率は25~30%(推定)。
・ヨルダン川西岸地区の経済は確実に改善している。
・人口の25%以上が貧困ライン以下の生活を送っている。(推定)
・主要農作物はオリーブ。

ガザ地区人種:
・アラブ人 71.72%(2018年推定)
・ユダヤ人 28.28%

西岸地区人種:
・アラブ人 99%(2018年推定)
・ユダヤ人 1%

言語:
・アラビア語
・英語
・ヘブライ語

宗教:
・イスラム教 80~85%(主にスンニ派)
・ユダヤ教 12~14%
・キリスト教 1~3%
・その他

パレスチナ

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大統領:マフムード・アッバース(Mahmoud Abbas)
首相:モハマド・シュタイエ(Mohammad Shtayyeh)

政治体制:半大統領制
・自治政府は1993年に設立した。
・国家元首は大統領。パレスチナ自治政府の議長も兼任する。
・ガザ地区の自称大統領はイスラム過激派組織ハマスのアジズ・ドゥワイク。
・2006年1月の議会選挙でハマスが勝利して以来、選挙は行われていない。
・一院制。(議員定数:132人)
・議会とパレスチナ民族評議会は別もの。
・最高意思決定機関はパレスチナ民族評議会。
・パレスチナ民族評議会が開かれていない時の政策決定はパレスチナ中央評議会(旧パレスチナ解放機構:PLO)が行う。

法律:パレスチナの憲法
・パレスチナの法律は自治政府の支配地域で適用される。
・憲法は自治政府とイスラム過激派組織ハマスが管理している。
・ハマスは法律を無視できる。
・軍事裁判所と州の治安裁判所で犯罪者を裁く。
・私刑が横行している。
・犯罪者はイスラム法およびPLO革命刑法で裁かれる
・司法権の独立を保障していない。
・無法地帯。
イスラエル人に土地を売却することは厳しく禁じられている。なお、死刑に処す場合は大統領の承認が必要。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年2月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)

治安:かなり悪い
・ガザ地区の事実上の支配者はイスラム過激派組織ハマス。
・ヨルダン川西岸地区の治安は少しずつ改善している。
・イスラエルやレバノンから砲弾もしくはロケット弾が飛んでくる可能性がある。
・近年、空爆は行われていない。
・ハマス以外のイスラム過激派組織も複数活動している。
・テロ(自爆攻撃、誘拐、拷問、処刑)に巻き込まれる可能性がある。
・入国手段は限られており、一度入ったら出れない可能性もある。
・コロナ、風疹、麻疹、狂犬病などの感染症に注意。

パレスチナ/ガザ地区

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は複数社あると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。運営責任者はハマス。
・民間テレビ局は数局あると伝えられている。
・ラジオ局は数局あると伝えられている。
・報道と言論の自由を保障していない。
・主要メディア媒体はラジオ。
・インターネットの普及率は低い。
・イスラエルは民間メディアの活動を原則認めていない。
・検閲は厳しい。
・政府に批判的なジャーナリストは困難に直面する。
・ハマスに批判的なジャーナリストは処刑される。

【国営メディア/設立年】
・アルアクサTV 2006年

【民間メディア】

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:40,000人(推定)
  即戦力 40,000人
  予備兵 0人

・国家治安部隊を保有している。

・国防予算:3億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在のパレスチナ(イスラエル)および周辺国はオスマン帝国の支配下に置かれていた。

・1700年代初頭、各土地の支配者は自分の領土を守るために戦い、弱体化しつつあったオスマン帝国の兵を打ち負かすことも少なくなかった。

・スンニ派のザイダニ一族が勢力を広げ、現在のイスラエル、パレスチナ、シリアの大半を支配した。

・1730年代、ザイダニはオリーブオイル、綿花、他の農産物をヨーロッパに輸出するルートを確立し、大きな収益を上げた。

・1770年代、ザイダニはロシア帝国およびエジプトと同盟を結び、現在のレバノンとダマスカス(シリア)に侵攻した。

・1776年、オスマン帝国が中東の大半を支配したザイダニに総攻撃を仕掛け、一連の戦いでザイダニは滅亡した

・オスマン帝国は中東のほぼ全域をザイダニから奪取し、ヨーロッパとの貿易も独占した。

・1799年、フランスの皇帝、ナポレオンがオスマンエジプトを征服。ナポレオン軍はパレスチナの海岸沿いを北上し、オスマン帝国の兵士約3,000人と民間人を虐殺した。

・ナポレオン軍はユダヤ人と共にエルサレムの占領を目指したが、イギリスの支援を受けるアラブ連合軍に敗れ、エジプトおよびパレスチナから撤退した。

1800年代

・1800年代、オスマン帝国は各土地のスンニ派およびシーア派の長に一定の自治権を与え、土地の開発を進めた。

・1831年10月、エジプト軍がパレスチナとシリアに侵攻。

・1832年5月、パレスチナとシリアを統治していた知事がエジプトに降伏。両国はエジプトの支配下に置かれた。なお、オスマン帝国は一連の戦いにほとんど関与しなかった。

・1834年、パレスチナの農民がエジプトの支配に抗議し、数カ月に及ぶ大規模な反乱に発展した。

・1840年代、レバノンを征服したイギリス軍がエジプトに圧力をかけ、反乱を引き起こした。結果、エジプトが支配した海沿いの町はオスマン帝国の支配下に置かれ、ヨーロッパ向けの貿易も復活した

・1840年代後半、パレスチナの指導者たちは各土地のイスラム教徒、キリスト教徒、およびユダヤ人のコミュニティに自治権を与えた。

・1860年代、オスマン帝国は部族間の紛争と領土の奪いを抑えるために行動し、特に深刻な争いに発展していたヨルダン東部の秩序を回復した。

・オスマン帝国は新しく開拓したヨルダン東部への移住政策を推進させ、レバノン、シリア、パレスチナから数万人が移住した。

イスラエル/エルサレム

1900年~第一次世界大戦

・1900年代初頭、パレスチナの指導者は自国の領土を3つに分割した。

・ヨーロッパで生まれたシオニズムがパレスチナに伝わる。その結果、多くのユダヤ人が「レスチナにユダヤ人国家を作る」という目的を果たすために移住した。

・1903~1910年、ユダヤ人数万人がパレスチナに移住し、入植地の礎を築いた。

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・1916年5月、サイクス・ピコ協定批准。パレスチナの大部分がオスマン帝国の支配から解放された。

・1917年11月、イギリスがバルフォア宣言を発表。パレスチナにユダヤ人国家を作ることを約束した。

・1917年12月、イギリス・エジプト連合軍がエルサレムを占領。オスマン軍を土地から追い出した。

・1918年9月、連合軍はメギドの戦いでオスマン軍を敗り、中東全域を支配した。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1919年2月、エルサレムのイスラム教徒とキリスト教徒のグループがシリアとの統一とシオニズムに反対する集会を開催。これは第1回パレスチナ国民会議と呼ばれている。

・1920年4月、エルサレムでユダヤ人に対する大規模な暴動が発生。一連の暴動を受け、ユダヤ人コミュニティはイギリス政府の支援を受けずにインフラ整備を開始した。

・1920年7月、イギリスはパレスチナ政府の権限を隣国ヨルダンまで拡大するよう求めたが、交渉の結果、要求は却下された。

・1922年7月24日、パレスチナとヨルダンが国際連盟に加盟。

・1923年、イギリスとフランス間の合意により、パレスチナとシリアの国境が確立した

・1920~1930年代、ユダヤ人コミュニティの年間成長率は13~15%に達した。一方、アラブ人コミュニティは6~7%にとどまった。

・ユダヤ人の収入はアラブ人の2~3倍まで上昇した。

・1930年代、アドルフ・ヒトラーの影響でユダヤ人移民の数が劇的に増加した。

イギリスはアラブ人の意向に反して自由な移民政策を導入し、ユダヤ人の大量移住を許可した。その結果、優秀なユダヤ人コミュニティが勢力を拡大し、シオニズムはさらに加速した。

・1936年4月、アラブの反乱勃発。(イギリス&ユダヤ人コミュニティvsアラブ人コミュニティ)

・ユダヤ人コミュニティに反対するアラブ人の反乱は、ゼネラルストライキから紛争に発展した。

・1939年8月、アラブの反乱終結。イギリスとユダヤ人コミュニティの勝利。

<アラブの反乱>
両軍参加者:10万~12万人(推定)
両軍負傷者:15,000~20,000人(推定)
両軍死亡者:5,000~6,000人。ユダヤ人約300人が処刑された。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。

・パレスチナの経済は第二次世界大戦中に大きく成長した。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

終戦~現在

・1947年、戦後の不況に苦しむイギリスは国連に対し、中東の植民地を解放すると勧告した。

・1947年11月29日、国連が決議181を採択。パレスチナ経済同盟の分割を決定した。これにより、パレスチナにアラブ人国家とユダヤ人国家が誕生することになった。

・パレスチナのアラブ人指導者は決議181を拒否し、ユダヤ人コミュニティとの内戦に発展した。

・1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言。世界シオニスト組織の事務局長およびパレスチナユダヤ機関の議長を務めるデビッド・ベングリオンが初代首相に就任した。

・1948年5月15日、アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)勃発。(イスラエルvsアラブ連盟)

・イスラエル軍はパレスチナのアラブ人コミュニティを打ち負かし、約70万人が国外避難民になった。

・1949年3月10日、アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)終結、イスラエルの勝利。イスラエルは決議181の分割計画で分けられた領土を維持したうえで、アラブ人に割り当てたエルサレムを含む領土の約60%を占領した

<アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)>
両軍参加者:11万~20万人(推定)
両軍負傷者:数万人
両軍死亡者:20,000~30,000人(推定)

・エルサレムは分割され、東部の旧市街地はヨルダン、西部はイスラエルの領土になった。

・1959年、前パレスチナ政府はアラブ連合共和国に統合され、エジプト軍の管理下に置かれた。これにより、ガザ地区はエジプトの占領下に置かれた。

・1964年、パレスチナ解放機構(PLO)誕生。本部をガザ地区に置き、イスラエルと対峙した。

・1967年6月、第三次中東戦争勃発。イスラエルは、ガザ地区とシナイ半島、ヨルダン川西岸地区(東エルサレム含む)、およびゴラン高原を占領した

・パレスチナのアラブ人はガザ地区とヨルダン川西岸地区に追いやられた。

・1970年9月6日、ヨルダン内戦勃発。(PLOvsヨルダン)

・PLOに加担したパレスチナのイスラム過激派組織「黒い9月(ブラック・セプテンバー)」は数多くのテロ事件を起こした。

・1971年7月17日、ヨルダン内戦終結、ヨルダンの勝利。PLOはガザ地区からレバノンに撤退した。

・1972年9月5日、ミュンヘン大虐殺。黒い9月はイスラエルのミュンヘンオリンピック代表選手および関係者11人を殺害した。

・1973年10月、第四次中東戦争。

・1974年11月、国連総会がPLOに「パレスチナのオブザーバー」の地位を与える。

・1988年11月15日、パレスチナが独立を宣言。国連総会は独立宣言を承認したうえで、国の名を「パレスチナ解放機構」から「パレスチナ」に改める決議案を可決した。

・1993年9月13日、イスラエルとパレスチナがオスロ合意に署名。パレスチナのヤーセル・アラファト議長はパレスチナに戻ることを許可された。

・オスロ合意により、パレスチナ人はイスラエルの占領地で一定の自治権を与えられた。

・アラファト議長がノーベル平和賞を受賞。

・1994年10月26日、イスラエル・ヨルダン平和条約調印。

・2000年7月、キャンプデービッド・サミット。イスラエルとパレスチナの和平に向けた話し合いは合意に達しなかった

・2000年9月、イスラエルとパレスチナの紛争(第二次インティファーダ)が本格化する。

・パレスチナのイスラム過激派組織はイスラエルに対する自爆テロ攻撃を繰り返した。

・2002年、イスラエル西岸の障壁の建設が始まる。

・2004年11月11日、アラファト議長死去。

・2005年1月、マフムード・アッバースが大統領兼議長に就任。

・2005年9月、イスラエルがヨルダン川西岸の4つの集落を解体。

・2006年1月25日、議会選挙。イスラム過激派組織ハマスが132議席中74議席を獲得した。選挙を受け、イスラエルとアメリカはパレスチナ自治政府(PA)に制裁を科した。

・2006年6月、ハマスに所属する過激派組織がイスラエルに攻撃を仕掛ける。

・2007年6月、アッバース大統領がハマス主導の連立政権を解散しようとしたため、ハマスと野党ファタハの関係は一気に悪化した。

・2007年6月10日、ハマスと野党ファタハによるガザの戦いが始まる。

・2007年6月15日、ガザの戦い終結。ハマスがガザ地区を支配した。以来、パレスチナには政府が2つ存在することになった

・2011年9月、国連に加盟申請を提出。

・2012年11月29日、国連に非加盟オブザーバー国家の地位を与えられる。

パレスチナ/ガザ地区

文化(目次に戻る

・イスラム文化。

・民族舞踊と民話を好む。最近ではヒップホップも人気。

・パレスチナ料理はアラブ、ペルシャ、トルコ料理に影響を受けている。

・主菜は米、子羊肉、魚、ヨーグルト。

・これまでに制作されたパレスチナ映画は800本以上。

スポーツ(目次に戻る

・一番人気はサッカー。

・サッカー西岸プレミアリーグとガザ地区リーグを運営している。

・その他の人気スポーツは乗馬、陸上、柔道。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・1996年アトランタ大会以来、すべての夏季オリンピックに出場している。

その他(目次に戻る

・イスラエルとの問題が解決する見通しは立っていない。

ガザ地区とヨルダン川西岸地区のパレスチナ難民問題に世界が注目している

2021年 ロイター通信/パレスチナ
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