目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:ニジェール共和国(Republic of Niger)
首都:ニアメ(Niamey)
人口:19,866,231人(2020年推定)
面積:1,267,000㎢(日本の3.4倍)
気候:砂漠気候
・世界で最も暑い地域のひとつ。
・最も暑い5月の最高気温は40~45℃。
・最も涼しい1月の最高気温は30~35℃。ただし、サハラ砂漠では氷点下(夜)まで下がることもある。
・降雨量は地域によって大きく異なる。
・厳しい干ばつに悩まされている。
・2010年のサヘル飢饉(サヘル干ばつ)の影響は今も続いている。
・アフリカゾウ、チーター、キリンなどの野生動物の宝庫。
・人口の激増に伴う食糧危機に悩まされている。
経済:
・開発途上国
・超インフォーマル経済。
・GDPは約129億ドル(2019年推定)
・世界で最も開発が遅れている国のひとつ。
・国民の大多数が自給自足生活を送っている。
・主要産業は農業(45%)とサービス(40%)。
・深刻な食糧不足に悩まされている。
・ウランなどの鉱山が経済を支えている。
・ウランの取引価格の減少が経済に大きな影響を与えた
・インフラ(道路、インターネット、エネルギーなど)は全て不足している。
人種(民族):
・ハウサ族 55.4%(2001年国勢調査)
・ザルマ族 21%
・トゥアレグ族 9.3%
・フラニ族 8.5%
・カヌリ族 4.7%
・トゥーブゥー族 0.4%
・その他 0.9%
言語:
・ハウサ語 55.4%(2001年国勢調査:公用語)
・ソンガイ語 21%
・タマシェク語 9.3%
・フルフルド語 8.5%
・カヌリ語 4.7%
・フランス語
・その他
・公用語は全部で11。
宗教:
・イスラム教 99%(スンニ派95%、シーア派5%)
・その他 1%
ニジェール共和国
政治(目次に戻る
大統領:マハマドゥ・イスフフ(Mahamadou Issoufou)
首相:ブリジ・ラフィニ(Brigi Rafini)
政治体制:共和制
・複数政党制。公正な選挙で単独過半数を獲得した党はない。
・国家元首は大統領。首相は大統領が指名する。
・1996年に軍事クーデターが発生した。
・一院制。(議員定数:113人、任期:5年)
・2004年7月に初めて地方選挙を実施した。
・2010年の軍事クーデターで政府は転覆した。
・イスフフ大統領は民主的な選挙で選出された。
・軍の腐敗防止活動を開始するとクーデターが発生する。
法律:ニジェールの憲法
・裁判所は、「最高、高等、軍事、刑事」などに分類される。
・私刑がまかり通っている。
・イスラム過激派組織は憲法を一切守らない。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・避難勧告発令中(2020年12月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2020年12月時点)
治安:極めて危険
・アルカイダを含むイスラム過激派組織が活発に活動しており、極めて危険。
・隣国との国境付近(マリ、ナイジェリアなど)はジハード軍の拠点になっており、極めて危険。
・フランス軍とジハード軍の戦闘の影響で民間人数百~数千人が犠牲になったと伝えられている。
・テロ攻撃(処刑、誘拐、拷問など)に巻き込まれる可能性が極めて高く、旅行はおすすめしない。
・道路に即席爆弾(IED)などの爆発物が設置されている。
・ナイジェリアに拠点を置くジハード組織ボコ・ハラムの活動が活発化している。
・コロナウイルス、ポリオ、麻疹、風疹、狂犬病などの感染症に注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は数社。全てフランス語。
・国営テレビ局は1局。
・民間テレビ局は2局。
・ラジオ局は100局以上と伝えられている。
・検閲は極めて厳しい。
・報道と言論の自由を保障していない。
・ラジオが主要媒体。
・隣国のテレビ番組を受信できる。
・政府に批判的な報道は禁止されている。
・インターネットは首都ニアメ周辺でのみ利用可能。
【国営メディア/設立年】
・TéléSahel 1964年
【民間メディア】
・Dounia TV
・テネレテレビ
軍隊(目次に戻る
2020年軍事力ランキング:103位
・軍人数:5,300人(推定)
即戦力 5,300人
予備兵 0人
・陸軍と空軍を保有
・国防予算:3.25億ドル
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、現在のニジェール共和国および周辺地域はカネム・ボルブ帝国、ハウサ王国およびその他の小さな王国の領土だったと伝えられている。
・支配者たちは領土を広げるために戦い、規模の小さな王国は大国に飲み込まれた。
・ハウサの王国の一部はイスラム教の教えに抵抗した。
1800年代
・1800年代、王国間の領土争いは一向に収まらず、イスラム教に対する攻撃も激しさを増したと伝えられている。
・1800年代初頭、ヨーロッパの冒険家や企業がアフリカの土地を少しずつ占領し始めた。
・1804年、フラニ族の学者、ウスマン・ダン・フォディオは、ハウサ王国の支配階級の腐敗に対するジハードを宣言した。
・近隣の小さな王国でも支配階級に抵抗する戦闘が発生し、一部の民族は独立を勝ち取った。
・戦いに敗れた民族は弱体化し、規模の小さいグループは消滅した。
・1885年、ベルリン会議でアフリカの分割方法が話し合われた。
・ベルリン会議の結果、現在のニジェール共和国および周辺地域はフランスの植民地下に置かれた。
・フランス政府は現地に軍を派遣し、土地の支配者を力で叩き伏せた。
1900年~第一次世界大戦
・1900年、フランス軍はニジェールやその他の近隣諸国に侵攻し、王国の支配者および民族の長を抑え込んだ。
・フランス軍は植民地化に抵抗する民間人を虐殺した。なお、一部の残忍な行為がスキャンダルとして大々的に報じられ、パリは大騒ぎになった。
・1904年、現在のニジェールおよびセネガルの一部地域の植民地化が完了した。
・1906年、フランス軍はニジェールの北部エリアに侵攻したが、猛烈な抵抗を受け、撤退した。
・その後も王国や民族グループの抵抗は続き、フランスの植民地化計画は行き詰まった。
・ニジェールの国境はイギリスとフランスの協議の末、1910年に最終決定した。ただし、その後も紛争などの影響で領土調整が行われている。
・フランス軍に抵抗する民族が各地で何度も反乱を起こし、その都度おびただしい数の死傷者が出たと伝えられている。
・1913年に大規模な飢饉が発生し、数万から数十万人が餓死したと伝えられている。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1920年、深刻な干ばつの影響で大規模な飢饉が発生し、数万から数十万人が餓死した。(推定)
・ニジェールは第二次世界大戦に一切関与していない。
・1944年、ブラザビル会議。フランス連合のシャルル・ド・ゴール将軍は、植民地の市民の権利を拡大すると宣言した。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1946年、フランス憲法の改定に伴い、植民地の住民にフランスの市民権が与えられた。ただし、政治への参加は厳しく制限された。
・1945~1958年、独立を求める政党が各地で結成される。
・1956年7月23日、海外改革法制定。
・1958年12月4日、海外改革法によりニジェールはフランス共同体の自治国家になった。
・1958年12月18日、ニジェール自治共和国の成立を宣言。社会主義アフリカ民主連合(MSA)のアマニ・ディオリが指導者に指名された。
・1959年、MSA主導の独立運動が過熱する。
・1960年7月11日、フランス共同体からの脱退を宣言。
・1960年8月3日、「ニジェール共和国」が独立を宣言。初代大統領はMSAのアマニ・ディオリ。
・1960年代、ディオリ政権はフランスとのつながりを強化し、経済発展と工業化を目指した。
・1963年、クーデター未遂事件発生。
・1965年、ディオリ大統領暗殺未遂事件発生。
・ディオリ政権に反対する政党や団体は各地で抵抗を続けた。
・1970年代、干ばつ、大規模な飢饉、政府の腐敗などが組み合わさり、ニジェールの経済は低迷した。
・1974年4月15日、軍事クーデターが発生し、ディオリ大統領は追放された。
・1974年4月15日、軍事政権誕生。指導者はセイニ・クンチェ大佐。
・クンチェ政権は食糧危機に対処し、市民から一定の評価を得たと伝えられている。
・1970年代後半、ウラン鉱山の開発および採掘の影響で経済は少しずつ回復した。
・クンチェ大佐は政治家の腐敗を厳しく取り締まり、ウラン採掘とインフラの整備を加速させた。
・1980年代、クンチェ大佐は統制を少しずつ緩め、国の文明化を加速させようとした。
・1980年初頭、ウランの価格が大暴落したことでニジェールの経済成長はストップした。
・1987年11月、クンチェ大佐死去。アリ・サイボウ大佐が後任に指名された。
・1987年末、サイボウ大佐は法律と政策を見直し、新憲法を公布した。
・1990年、トゥアレグ反乱勃発。(ニジェールと隣国マリの反政府組織による紛争)
・1991年7月、初の全国会議が招集され、新憲法の採択と自由で公正な選挙を目指す共同宣言を発効した。
・1991年11月、暫定政府設置。
・1993年、初の民主的な大統領選挙が実施され、民主社会会議党(CDS)のマハマヌ・ウスマンが勝利した。
・1994年、CDSは議会選挙で過半数を確保できず、ウスマン大統領は野党勢力の抵抗(ねじれ)に苦しめられた。
・1995年4月15日、トゥアレグ反乱終結、反政府組織は和平協定に署名した。
・1996年1月27日、イブラヒム・バレ・マイナサラ大佐がクーデターを起こし、ウスマン政権は崩壊した。
・1996年6月、大統領選挙。マイナサラ大佐は他の野党候補者を力でねじ伏せ、大統領に就任した。
・マイナサラ大統領は野党指導者を投獄し、ジャーナリストを打ち負かし、民間メディアをひとつ残らず焼き払った。
・マイナサラ政権はリビアへの禁輸措置を無視し、世界から非難を浴びた。しかし、大統領に抵抗する者は軍もしくは警察に逮捕され拷問を受けたと伝えられている。
・1999年4月、フランス式の半大統領制を支持するダオダ・マラム・ワンケ少佐がクーデターを起こし、マイナサラ大統領は暗殺された。
・1999年7月、新憲法公布。
・1999年11月、大統領選挙。タンジャ・ママドゥが大統領に就任した。なお、選挙は国連オブザーバー監視の下で実施された。
・2007年2月、第二次トゥアレグ反乱勃発。(ニジェール、マリ連合軍vs反政府組織)
・2009年5月、第二次トゥアレグ反乱終結、ママドゥ大統領は反政府勢力と停戦協定を結び、恩赦を与えた。この戦い最中にアルカイダなどのイスラム過激派組織が体制を強化したと考えられている。
・2009年5月26日、憲法裁判所が3期目を狙うママドゥ大統領の国民投票実施を違憲と判断する。判決後、ママドゥ大統領は議会を解散し、憲法に従い3か月後に新政府を樹立した。
・2009年12月、ママドゥ大統領の3期目に反対する反政府勢力がクーデターを起こし、大統領は失脚した。
・ママドゥ大統領は汚職の罪で告発され、刑務所に収監された。
・2010年、新憲法公布。
・2011年、大統領選挙。マハマドゥ・イスフフが大統領に就任した。
・2011年、クーデター未遂事件発生。
・2016年、大統領選挙。イスフフ大統領が再選を果たす。
・リビア内戦とマリ北部紛争の影響で国内の治安は急速に悪化し、アルカイダの関連グループやボコ・ハラムなどのイスラム過激派組織が活動を活発化させている。
・ナイジェリアで発生したボコ・ハラムの反乱がニジェール南東部に波及し、民間人数百人が犠牲になったと伝えられている。
文化(目次に戻る
・イスラム文化。
・フランス(植民地時代)の影響を強く受けている。
・各民族グループは独自の文化を形成している。
・ニジェール料理の主菜は米、キビ、キャッサバ。
スポーツ(目次に戻る
・一番人気はサッカー。
・オリンピックの獲得メダル数は2個。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
・その他の人気スポーツは競馬、ボクシング、テコンドー、ラクダレース、レスリングなど。
その他(目次に戻る
・世界で最も貧しい国のひとつ。
・隣国の紛争に関連する衝突やイスラム過激派組織との戦いは現在も続いている。