ニカラグア共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:ニカラグア共和国(Republic of Nicaragua)

首都:マナグア(Managua)

人口:6,203,441人(2021年推定)

面積:129,494㎢(北海道の1.5倍)

気候:熱帯気候
・気温は1年を通じて安定しており、とても暑い。
・乾期は12月~4月。比較的涼しく、過ごしやすい。
・雨季は5月~11月。とても暑く、ジメジメしている。
・年間降水量は地域によって異なる。東海岸は4,000mm以上。
・西海岸の都市サンファンデルスルの夏場の平均気温は最低が22~23℃、最高は30~32℃。

・サンファンデルスルの冬場の平均気温は最低が21~22℃、最高は30~32℃。
・首都マナグアの夏場の平均気温は最低が23~24℃、最高は31~35℃。
・首都マナグアの冬場の平均気温は最低が21~22℃、最高は31~33℃。
・ハリケーンの影響を受けやすい。最盛期は8月~10月。
・観光に最適な時期は比較的涼しい12月~3月。

経済:
・開発途上国
GDPは121億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と農業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(44%)、エルサルバドル(6%)、ベネズエラ(6%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(21%)、中国(14%)、メキシコ(11%)

・主要輸出品はコーヒー豆、牛肉、金、砂糖、ピーナッツ、ロブスター、タバコ、葉巻など。

・南北アメリカの中で2番目に貧しい国。
・慢性的な貿易赤字に悩まされている。
・貧困ライン以下で生活している住民の割合は人口の約30%。(2019年)
・1990年の初頭まで続いたコントラ戦争(ニカラグア革命)による荒廃はほとんど解消された。

人種(民族)
・メスティーソ 69%(CIAワールドファクトブック推定)
・白人 17%
・黒人 9%
・先住民族 5%

言語:
・スペイン語(公用語)
・ミスキート語
・英語
・中国語
・スモ語
・様々な先住民族の言語

宗教:
・カトリック 58.5%(2005年国勢調査)
・福音派 21.6%
・モラヴィア教会 1.6%
・エホバの証人 0.9%
・無宗教 15.7%
・その他 1.6%

ニカラグア共和国

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大統領:ダニエル・オルテガ(Daniel Ortega)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、再選制限なし。
・一院制、議員定数は92人、任期は5年。
・社会主義政党の
サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が単独過半数を維持している。
・2014年の憲法改正で大統領の任期制限を廃止した。
・7人の独立した判事で構成される最高選挙評議会(CSE)は、選挙、国民投票、国民投票の組織化と実施を管理している。

法律:ニカラグア共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・最高裁判所の判事は16人。
・2008年に同性愛を合法化した。
・中絶は違法であり、法を犯した者は懲役刑に直面する。
・2018年の抗議活動に対する厳しい取り締まりで国際社会から批判された。警察の取り締まりで死亡した民間人は320人以上と伝えられている。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年6月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年6月時点)

治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府組織の活動は報告されていない。
・特定の地域ではカラーギャングや半グレ集団が活発に活動しているため、地元で危険と噂されている地域には近づかないこと。
・2018年の社会保障改革に伴う騒乱で数百人が死亡した。
・繁華街では殺人や拳銃強盗などが頻繁に発生している。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。無許可のタクシーは危険。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・パスポートやキャッシュカードなどの貴重品は極力持ち歩かず、安全な場所に保管したい。
・夜間の外出は避けること。
・相乗りタクシーはニカラグアの慣習のひとつだが、避けた方がよい。

ニカラグア共和国/首都マナグア

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は12社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は15局。
・国営ラジオ局はない。
・民間ラジオ局は13局。
・報道と言論の自由を保障しているが、メディアは時々検閲を受ける。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は15~20%。
・一部の非政府組織(NGO)は、政府は個人の電子メールを監視していると主張している。
・検閲はないと伝えられている。

【国営メディア/設立年】
・Canal 4 1970年

【民間メディア】
・ニカラグアTV
・TV RED
・Canal 35
・マジックチャンネル
・その他

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2021年軍事力ランキング:120位

・軍人数:12,000人(推定)
  即戦力 12,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・陸軍と海軍を保有。

・国防予算:8,500万ドル(推定)

ニカラグア共和国/コントラ戦争(ニカラグア革命)

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1700年代

・1700年代:ニカラグアを含む中米地域はスペインの支配下に置かれていた。

・ニカラグアはスペインの君主制からの独立を目指して各地でゲリラ戦を展開した。しかし、小規模な内戦や反乱はスペイン軍にあっさり抑制されたと伝えられている。

・ニカラグアを含むこの地域は、オランダ、フランス、イギリスの海賊の襲撃に何度も直面した。

1800年代

・1811年:司祭のニコラス・ガルシア・ヘレスは独立派の人物と協力して、スペイン軍に対抗できる反政府連合の形成を提案した。

・ニカラグアは君主制擁護派と独立派に分裂し、中米で最も活発な戦場になった。

・1811年12月:独立派勢力はスペイン自治政府のホセ・サルバドールを打倒した。

・1821年9月15日:スペインの植民地支配から独立。その後、メキシコ帝国に組み込まれた。

・1823年:ニカラグアはコスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスで構成される中央アメリカ連邦共和国の一部になった。

・1838年5月31日:「ニカラグア共和国」が中央アメリカ連邦共和国から独立。

・1856年:アメリカの冒険家ウィリアム・ウォーカーが大統領に就任し、公用語を英語にすると発表した。(ウォーカー事件)

・1857年5月:ウォーカー大統領はニカラグアの武装組織に降伏し、アメリカ海軍に引き渡された。アメリカはウォーカー元大統領を英雄として迎え入れた。

・1860年:イギリスがニカラグア沿岸のカリブ海地域を支配した。

・1860年9月12日:米国民のウォーカー元大統領がホンジュラスで処刑された。

・1893年:自由主義者のホセ・サントス・ゼラヤ将軍が権力を掌握。独裁政権を樹立し大統領に就任した。アメリカはニカラグアの戦力的重要性を理由に独裁政権を却下し、軍事介入することを決めた。

・1894年:米海軍が南部のブルーフィールズを約1カ月間占領。

・1896年:米海軍がコリント港に上陸、周辺地域を占領した。

・1898年:米海軍がサンファンデルスル港に上陸、周辺地域を占領した。

・1899年:米海軍がブルーフィールズ港に上陸、周辺地域を占領した。

ニカラグア共和国/河川

1900年~第一次世界大戦

・ニカラグアは第一次世界大戦に関与していない。

・1907年:アメリカはニカラグアの占領地を保護領に指定し、国際社会はこれを事実上承認した。

・1909年:アメリカはゼラヤ大統領の独裁体制に反対する保守派の軍隊に政治的支援を提供した。

・1909年11月:2人のアメリカ人がサンファン川に地雷を敷設し政府の転覆を企てた罪で処刑された。アメリカは処刑に激怒し、軍事介入を正当化し、ゼラヤ大統領は責任を取って辞任した。

・1910年:米海軍がブルーフィールズとコリントに侵攻。反政府勢力は撤退した。

・1912年:アメリカ軍がニカラグアの領土内に基地を建設する計画を発表。

・アメリカ海兵隊は1912年から1933年までニカラグアに駐留していた。

・1914年に、ブライアン・チャモロ条約が調印され、アメリカの支配権とパナマ運河防衛のための提案が認められた。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・ニカラグアは第二次世界大戦に関与していない。

・1926年5月:ニカラグア内戦勃発。(政府&米軍vs反政府勢力&メキシコ軍)

・1927年5月:ニカラグア内戦終結。双方はアメリカが監督する大統領選挙および武装解除に合意し、ニカラグア国家警備隊が創設された。

・1927年:アメリカの実効支配に反対するアウグスト・セザール・サンディーノ将軍率いるゲリラ軍が各地で活動を開始。

・1934年2月:サンディーノは州兵の司令官アナスタシオ・ソモザ・ガルシア将軍の部隊に暗殺された。暗殺後、ゲリラ軍に関与した数百人の男性、女性、子供が処刑されたと伝えられている。

・1937年:ソモザ将軍が大統領に就任、新独裁政権を樹立した。

・1938年:ソモザ大統領は大統領に広範な権限を与える制憲議会を創設したうえで独裁大統領選挙に立候補し、圧倒的な票差で再選を果たした。

・1939年:制憲議会は大統領の任期を4年から6年に延長し、大統領に議会の承認を得ることなく州兵に指示を出せる権利を与えた。これにより、ソモザ大統領は国と軍を完全に支配した。

ニカラグア共和国/女性たち

終戦~現在

・1940年代から1950年代:アメリカが所有するニカラグアのダイオウマツ会社(NIPCO)は、皆伐地域を再植林などを無視したうえで、ソモザ家に数百万ドルを直接支払った。NIPCOはニカラグア北東部の沿岸松をすべて伐採した。

・1956年:ソモザ大統領が暗殺され、息子のルイス・ソモザ・デバイルが大統領に就任した。

・1961年:サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)設立。

・1967年:ルイス・ソモザ大統領が亡くなり、兄のアナスタシオ・ソモザが大統領に就任した。

・1968年:世界保健機関(WHO)は、ニカラグアの年間死亡者の17%が汚染水に関連していると公表した。

・1972年12月:マナグアで地震が発生し10,000人以上が死亡。約50万人が住居を失った。FSLNと住居を失った多くの不満を持つ若者たちはソモザ大統領への憎悪を募らせた。

・1974年12月:9人のFSLNゲリラが元農業大臣の住居に侵入し、数人の主要な政府高官と著名な実業家を人質にとり、警備員を殺害した。政府はFSLNの要求に屈し、200万ドルの身代金を支払ったうえで、ラジオと野党新聞にFSLN宣言を放送および掲載し、14人のFSLNメンバーを刑務所から釈放した。この事件は政府に屈辱を与え、FSLNの威信を大いに高めたと伝えられている。

・1978年:野党民主解放連合のリーダーであるペドロ・ホアキン・チャモロが暗殺されたことでゼネストが発生し、ソモザ大統領の追放を支持する統一戦線と穏健派がFSLNに合流した。

・アメリカのカーター政権はソモザの独裁政権が持続不可能であることに気づき、ニカラグアを去るよう促したが、ソモザ大統領は要求を拒否し、州兵にゲリラ軍を打倒するよう命じた。

・1979年5月:FSLN主導のゼネストが発生。

・1979年6月:アメリカABCニュースのジャーナリストがニカラグア軍に処刑される。この事件でアメリカ国民はソモザ大統領に対してより敵対的になった。

・1979年7月:ソモザ大統領はFSLNの軍事攻撃に屈し、敗走した。

・1979年7月19日:ダニエル・オルテガ率いる暫定政権が発足。ソモザ大統領はパラグアイに逃亡した。

・1980年9月:パラグアイに亡命したソモザ元大統領が暗殺される。アルゼンチン革命労働者党の戦闘員が暗殺に関与したと伝えられている。

・アメリカのジミー・カーター大統領は新政府への援助を選択したが、援助額は徐々に減少し、ロナルド・レーガン大統領は援助を完全に打ち切った。アメリカの援助が打ち切られる直前、FSLNの政治家であるバヤルド・アルセは、「ニカラグアは帝国主義のドルで社会主義を構築した唯一の国である」と述べ、レーガン政権はこの発言に経済制裁と禁輸措置で応戦した。

・1980年9月:ダニエル・オルテガ暫定大統領率いるFSLN政府は、ソモザ家の土地を全て国有化し、協同組合の管理下に置いた。

・1982年:ホンジュラスに拠点を置き、アメリカの支援を受ける反政府勢力コントラがニカラグアで活動を活発化させる。ニカラグア政府は非常事態を宣言した。アメリカはコントラをホンジュラスで訓練し、違法に資金を提供し、レーガン政権に優しい政府を樹立するよう促し、社会主義勢力に反対した。

・1984年:総選挙。ダニエル・オルテガが大統領に就任した。この時アメリカはニカラグアの港の採掘を継続し、国際司法裁判所から非難された。

・1985年5月:アメリカのレーガン大統領は国際的な非難と様々な圧力を打倒し、ニカラグア政府に厳しい経済制裁を科す大統領令に署名した。

・1986年:コントラに対するアメリカの支援は、ニカラグアと米国内を含む国際社会から厳しく非難された。

・1986年:ニカラグアは国際司法裁判所でアメリカに対する歴史的な訴訟に勝利した。判事はニカラグアに対するアメリカの攻撃を違法と認めたうえで、ニカラグアの主権を侵害したと裁定し、約120億ドルの賠償金を支払うよう命じた。しかし、レーガン政権は判事の裁定を却下し、主権国家の関係に裁判所を口をはさむべきではないと主張した。レーガン政権はこの問題に関する国連総会の決議も却下した。

・1988年3月:ニカラグア政府はコントラとの和平協定に署名した。協定はコントラとその支持者をニカラグア社会に復帰させることを目的としていた。

・1988年:ハリケーンにより約18万人が住居を失う。

・1990年2月:総選挙。アメリカの支援を受ける中道右派の全国野党連合がサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)に勝利。ビオレタ・チャモロがアメリカ大陸初の民主的に選出された女性大統領になった。

・1992年:地震により16,000人が住居を失う。

・1996年10月:大統領選挙。中道右派の自由同盟のリーダー、アルノルド・アレマンが勝利した。

・1998年10月末:ハリケーンミッチ上陸。約3,000人が死亡し、数十万人が住居を失った。

・2000年11月:地方選挙でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が勝利。

・2001年11月:大統領選挙。自由党候補のエンリケ・ボラノスがFSLNのダニエル・オルテガ元大統領に勝利。

・2003年12月:アルノルド・アレマン前大統領が汚職で懲役20年の実刑判決を受ける。アレマン前大統領は2001年に自宅軟禁に移され、2009年に解放された。

・2004年1月:世界銀行はニカラグアに対する債務の80%を取り消した。

・2004年7月:ロシアがニカラグアに対する数十億ドル規模の債務(ソビエト時代)の取り消しに合意。

・2005年4月:燃料価格と生活費の上昇に伴う抗議活動が発生。抗議は暴力的なデモに発展した。

・2005年6月:政府と議会を支配する野党同盟内で権力闘争が発生。リーダーのホセ・ミゲル・インスルザは調停を試みましたが、混乱は収束しなかった。

・2005年10月:議会が憲法改正の延期に合意したことで野党同盟内の権力闘争と政治危機は緩和された。

・2005年10月:ドミニカ共和国および中央アメリカ自由貿易協定(DR-CAFTA)に加盟。

・2006年4月:アメリカとの自由貿易協定(FTA)が発効。

・2006年10月:ボラノス大統領は大西洋と太平洋を結ぶ新しい船舶用運河を建設すると発表した。

・2006年10月:議会は中絶を禁止する厳しい法案を可決。これにより、命の危険にさらされている母親も中絶できなくなった。

・2006年11月:大統領選挙。ダニエル・オルテガ元大統領が勝利。

・2007年10月:ハーグの国際司法裁判所は、ニカラグアとホンジュラス間で争われていた領土紛争の一部を解決した。

・2007年10月:ハリケーンネイト上陸。少なくとも16人が死亡し、住宅約6,000棟が被害を受けた。

・2009年10月:憲法改正に伴い、大統領の再選条件が見直された。

・2011年11月:大統領選挙。現職のオルテガ大統領が圧勝。

・2012年9月:サンクリストバル火山が噴火。政府は火口周辺の住民約3,000人に避難を命じた。

・2012年11月:ハーグの国際司法裁判所がカリブ諸島の領土問題を裁定。判事は、対象地域はニカラグアではなくコロンビアの領土と裁定したうえで、ニカラグアの領海を拡大した。

・2013年6月:議会はパナマ運河に匹敵する太平洋と大西洋を結ぶ運河の提案を承認した。環境保護主義者は新運河の整備に反対した。

・2013年8月:ニカラグア政府は昨年までコロンビアの領海だったカリブ海沿岸沖で石油と天然ガスの採掘を開始すると発表した。

・2013年11月:コロンビア政府はカリブ海の海上境界線をめぐる争いの悪化に伴い、在ニカラグア大使を帰国させた。

・2014年2月:憲法改正。これにより、オルテガ大統領の3期連続立候補が可能になった。一方、野党は民主主義が脅かされていると主張した。

・2014年11月:政府は大西洋と太平洋を結ぶ運河の建設を12月から開始すると発表した。建設費用は約500億ドル。全長は約278kmで、パナマ運河よりも長く、水深は深く、幅は広くなる予定。反対派は、新しい運河の建設は環境や貧しい地域社会に影響を与える可能性が高いと懸念を表明した。

・2014年12月:大西洋と太平洋を結ぶ運河プロジェクトが始まる。反対派と対象地域の村の住民数千人が抗議活動を行った。

・2015年12月:ハーグの国際司法裁判所がコロンビアとニカラグアの長年にわたる国境紛争を裁定。判事はコロンビアを支持した。

・2016年2月:政府は刑務所の過密状態を緩和するために、囚人約8,000人を解放した。

・2016年9月:政府は、汚職とマネーロンダリングの申し立てに直面しているエルサルバドルのマウリシオ・フネス前大統領の政治亡命を許可した。

・2016年11月:大統領選挙。現職のオルテガが3期連続の勝利を勝ち取る。妻のロサリオ・ムリーリョが副大統領に就任した。

・2018年4月:オルテガ大統領は数人の死者を出した全国的な抗議活動を受け、社会保障の制度変更を議会に提案した。

・2018年4月28日:オルテガ大統領の社会保障改革に反対する市民数十万が首都マナグア、マタガルパ、レオンの各都市で行進を行った。

・社会保障改革に反対する抗議活動が終息する見通しは立っておらず、これまでに500人以上の抗議者が殺害され、数千人が負傷し、1,000人以上が逮捕された。

文化(目次に戻る

・スぺインと先住民族と南北アメリカの文化が混ざり合っている。

・先住民族の文化は文書化されていないものが多く、一部の少数部族の文化は失われかけている。

・全国各地でカーニバルやパレード系のイベントが頻繁に開催されている。

・現代のニカラグア音楽は先住民族とスペインのミックスで、楽器は中央アメリカで一般的なマリンバを主に使用する。

・5月に開催されるパロ・デ・マヨフェスティバルは特に騒々しく、街は熱気に包まれる。

・主食は米とトウモロコシ。主菜は豆類全般、ロブスター、肉全般、ココナッツ、地元でとれる様々な野菜、チーズなど。

・モルモット、イグアナ、バク、アルマジロ、カメの卵を食べる部族も存在するが、一部の野生動物を絶滅を危惧されており、習慣を抑える努力が続けられている。

ニカラグア共和国/首都マナグアの市場

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツは野球、ボクシング、バスケットボール、陸上競技、水泳。

・元MLB選手のデニス・マルティネスは1991年に完全試合を達成した。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

【有名スポーツ選手】

・ローマン・ゴンサレス(Román González)ボクシング選手。ミニマム級、ライトフライ級、フライ級、スーパーフライ級の4つの最低体重クラスで世界タイトルを獲得した史上初のボクサー。

その他(目次に戻る

・アメリカ大陸で最も貧しい国のひとつ。

・オルテガ大統領の社会保障改革に反対する抗議は現在も続いている。

ニカラグア共和国/子供たち
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